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9章
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しおりを挟む可愛いお手伝いが来ないから、なんて言っていたのに頼まれたのは誂えたような力仕事だった。
ヴィオルムの訪問で来なくなったクレハがやるはずだった仕事では、絶対にない。
辛うじて一人で抱えられるほどの大きさの箱の中、隙間なく詰められていたのは診察記録である。
セナは何も言わなかったが、恐らくは使節団にはあまり見て欲しくないものを抜き出して保管していたのだろう。
使節団はまだ滞在中だが、すでに資料類は閲覧された後だからこっそり戻しておこうということらしい。
「……待った。一旦、置かせて」
指定された保管庫は、病院から少し離れていた。
売店の隣、談話室を越えてまだもう少し先だ。
箱の反対を抱えていたヴィオルムは、拍子抜けしたような表情でゆっくりと荷を廊下に下ろす。
大きさはそうでもないが、紙の重さは油断がならない。
アトリは息を吐いて、腕を伸ばした。
「君、仮にもカンディードの構成員だろう? そんなに体力なくて大丈夫なの?」
「何を勘違いしてるか知らねぇけど、俺ら人魚と殴り合いしてる訳じゃないから」
これでも体力不足で哨戒が出来なかったなんてことはないのだが、他人と比べるとまあ体力があるとは言い難い。
こればっかりは持って生まれたものもあるから仕方ないだろう。
憮然と言い返したアトリに、ヴィオルムは何故か少し嬉しそうな表情をした。
「私がいなかったら運べなかったね」
「……そーですね」
いや、その時は素直に台車借りましたけどね。
喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、アトリは「助かるよ」と礼を言った。
手伝いを褒められた子どもは満足げに頷く。
全く、こいつが婚約とか本当に時期尚早だろうに。
休憩を挟みつつ辿り着いた保管庫は、資料室と銘打った小部屋の中にあった。
元々防壁は諸々の活動を想定して造られている訳ではない。
スペースには困っていないが、壁やら天井やらをぶち抜いて利用しやすくする必要はあったのだろう。
棚が並ぶ小部屋の奥、床に小さな扉がある。
抜け落ち防止のためだろう。
厚みのある扉は見かけよりずっと重かった。
仕方ないみたいな顔をしたヴィオルムが手を貸してくれて、扉を開けそれを固定具で留める。
それだって勿論一人でやってやれないことはなかったが、青年が喜びそうなので「流石」と称賛を贈っておいた。
保管庫と呼ばれるだけあって、そこは階下の一室とは呼べない狭い空間だ。
放り込んだら適当に手前の棚に載せといて、とセナに言われた通り二人で箱を押して下の保管庫に落とす。
どすん、と重い音。
思わずアトリはヴィオルムと顔を見合わせて、それから笑った。
「こんなことしたことねぇだろ、ヴィオは」
「…………そう、だね」
歯切れは悪かったが、不愉快そうな気配は全くなかった。
ヴィオルムも案外このお手伝いを楽しんでいそうだ。
ぎしぎしと音を立てる梯子を降りると、青年も恐る恐る後を付いて来た。
上で待ってても良かったのに、と思ったが箱を棚に載せるのであれば確かに手はあった方が楽だ。
ああ、何だ。
そういう気遣いは出来るんじゃないか。
「何?」
「いや、お坊ちゃんは優しいなって」
「だから君、『お坊ちゃん』じゃなくて」
ヴィオルムは言い淀んで、それから視線を落とした。
さっさと片付けて戻ろうよ、と言われてそれもそうだと箱を持ち上げて棚に載せる。
「…………?」
かちゃんと何か金属が擦れるような音がして、アトリは天井の扉を振り返った。
すぅっと差し込んでいた照明が細くなる。
そこに立つ誰かの足元。
ちょっとマズいな、と思ったがどうしようもない。
ばん、と叩きつけるような音と共に重い扉が閉まった。
がらりと暗闇が落ちて来て、ヴィオルムが慌てたような声を上げる。
「危ないから、急に動くな」
幸いすぐ傍にいたお陰で、目測ではあったが青年の腕に触れることが出来た。
とはいえ真っ暗だ。
そもそもあるか怪しいが、すぐに済む用だからと保管庫内の照明を確認しなかったのは痛い。
「もしかして、私たちは閉じ込められたのかな……?」
「もしかしなくても、閉じ込められたんだろうーな」
アトリはヴィオルムの腕を軽く叩いて、「ここで待ってろ」と言いつける。
慎重に壁を伝い梯子まで移動すると、アトリはそれを上って頭上の扉を思い切り押した。
予想通りびくともしない。
アトリが犯人だとしても閉めた扉の上に何か重しでも載せておくから、そういうことなのだろう。
無理だな、と早々に諦めたアトリは梯子を降りてヴィオルムのところまで戻る。
扉の隙間もなければ無論窓もない。
息苦しいほどの暗闇だ。
けれど幸いヴィオルムの気配はわかるから、そう悲壮な気分にはならなかった。
「無理そ。ま、待ってりゃ助けが来るだろ」
セナは異変に気付かない可能性が高いが、少なくとも夜まで待てばユーグレイが探しに来てくれるだろう。
相棒ならアトリの足取りを辿ってここまで来るのに、そう時間はかからないに違いない。
「…………さっきの彼かい?」
強張った声で、ヴィオルムが問う。
アトリは「さぁ?」と答えて床に腰を下ろした。
恐らくは先程トラブルになった少年が犯人だろうが、顔は見えなかったから確かなことは言えない。
ヴィオルムは微かに震える息を長く吐き出すと、アトリの隣に座り込んだ。
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