Arrive 0

黒文鳥

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9章

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 ユーグレイが脱いだローブからは、微かに海の匂いがした。
 恐らく現場に出たのだろうなとアトリは思う。
 クレハの警護で海に向かう事情は考え付かない。
 緊急の招集でもあったのか。
 いやでも、警報は鳴ってはいないはずだ。

「ーーーー聞いているのか、アトリ」

 アトリは顔を上げて、ユーグレイを見た。
 連行された先は当たり前だが二人の自室で、予想通り淡々と説教が始まったところである。
 心配し過ぎだろと笑い飛ばせないのは、アトリが思っていた以上に時間が経過していたからだ。
 アトリがユーグレイの立場だとしても、同じように防壁内を探し回ったことだろう。
 だから勿論適当に話を聞き流すつもりなどなかった。
 ソファに浅く腰掛けて、アトリは頷く。

「聞いてるよ」

「……だから入れ込むなと言ったんだ」

 入れ込んだつもりはないが。
 確かにヴィオルムの性格を理解していたのにトラブルを避けられなかったのは、アトリの責任でもある。
 まあ今日のあれこれを一人でやり過ごせと言うのは、中々の無茶振りだ。
 とは言え反論をするべきではないと本能的にわかっていた。
 
「悪かったって」

 あの暗闇で「クレハ」のことを問い詰められてした、と説明はした。
 何もされていないし、何ならきちんとヴィオルムを説き伏せている。
 それでも良い顔をしないユーグレイにアトリは苦笑した。
 信頼をされていないからだ、とはもう思わない。
 だからこそ、ヴィオルムに掴まれた手首を袖口に隠した。

「………………」

 ユーグレイは腰を下ろす様子もなく、ただアトリを見返す。
 ひとまず納得はしてくれたようだった。
 微かに眉を寄せたのは、苛立ちと言うよりも何かを躊躇ったからのように見える。
 やはり何かあったのだろう。
 ユーグ、と声をかけると彼はゆるりと首を振った。
 銀糸のような髪が肩から滑り落ちる。

「君をここに閉じ込めて置ければ良いんだがな」

「だから何でそーいう怖い話になんだよ、お前は」

 冗談を言っている雰囲気ではないと言うのがまた。
 ユーグレイはアトリの傍に立つと逡巡の後、口を開いた。
 痛いほどの緊張感が、気付かない内に身体の芯を駆けて行く。
 何が。

「今後七日かけて、0地点の観測実験が行われる」

「…………は?」

「公にはされないという話だから、現在は内部でも管理員クラスしか知らないだろうな。皇国の使節団が絡む以上、それもどの程度隠し通せるのかはわからないが」

「な、んで? んなこと」

 0地点の観測実験?
 何故今頃そんな話が出てくるのか。
 それを計画していたのは使節団のイレーナで、過去幾度も失敗の経験があるカンディードがわざわざその話に乗る理由はないはずだ。
 結果が出るという確証か、或いはその要求を呑まなければならない事情がなければ。

「ーーーーあれか」

 残念ながら思い当たる一件があって、アトリは自然と声を落とした。
 開かれていた銀色の門。
 飛び込んで来る巨大な影。
 防壁内に人魚が侵入した事件は、確かにカンディード側としては内々に済ませたい大失態のはずだ。
 幸い最悪の事態は避けられたが、あの人魚によって大きな被害が出ていた可能性もある。
 危機管理はどうなっているのかと叩かれても不思議ではないだろう。
 まして、あの一件に巻き込まれたのは使節団の一員であるラルフだ。

「よりにもよって、面倒なとこに目ぇ付けられたな」
 
 あのイレーナであれば、それを良いように交渉の手札にしただろう。
 ユーグレイは、やはり否定しない。
 それだけで終わる話ではなさそうだ。

「ユーグ」
 
「僕は、セルとして観測実験に参加する。魔術行使を担うのは、クレハ・ヴェルテットだ。今後もしばらくは『警護』の名目で、彼女と行動を共にすることになる。観測実験が終わるまでは、あまり君の側にはいられない。今日のような騒動に巻き込まれないように気を付けろ」

 自分がどういう表情をしたのか、わからない。
 0地点の観測実験というだけで大事だと言うのに。
 ユーグレイは、一度は断ったはずのイレーナの誘いを受けたのか。
 管理員たちが使節団の要求を突っぱねるのが難しいのだとしても、それはただの構成員である彼には直接関係がない。
 指名で話が回って来たのだとしても、否と言えない立場ではないはずだ。
 アトリは立ち上がって首を振った。

「待て、全く付いていけない。何でそーいうことになってんだよ」



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