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黒文鳥

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9章

12

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「……僕たちが断ったとしても、別の誰かがやることになる。或いは使節団がもっと強引な手段で協力者を確保する可能性もあるだろう。それならば、共同実験としてカンディードが直接関わる今の状況の方が危険が少ない。向こうも、管理員の目がある所で無謀なことはしないはずだ」

 息を吸い込んだ喉が小さく鳴った。
 ユーグレイが口にした「僕たち」という言葉に、アトリは含まれていない。
 些細なことだ。
 そんなことが辛いなんて、言えるはずもない。

「そう、だとしても、そんな軽く引き受けて良い話じゃないだろ」

「過去の観測実験において、死者が出たという記録はない。僕たちにとってはそう大きな負担にはならないだろう。実験自体も有用なデータになると考えれば、別段悪い話でもない」

 常と変わらない調子で、ユーグレイは平然とそう言う。
 逸らされることなく、真っ直ぐにアトリに向けられる碧眼。
 彼の中では既に覆しようのない答えが出ているのだとわかる。
 恐らくはもっと早い段階で、この一件に関しては打診があったのだろう。
 ユーグレイがクレハの警護に付く時、ヴィオルムのことだけではないと言ったのはこのことか。
 何も知らなかった。
 場違いな衝動を殺すようにアトリはこめかみを強く押さえる。
 今は下らない感傷に気を取られている場合ではない。

「ユーグの理屈は……、理解出来なくもない。でもクレハは? あの子はそもそもうちの人間じゃない。そんなことに関わる必要はないはずだろ」

 皇国の使節団にクレハを引き渡すような取引を進めているのでは、と言ったのはヴィオルムだ。
 彼の危惧が正しかったのだろうか。
 いや、冗談ではない。
 そんなことのために、あの子をここまで連れて帰って来た訳ではないのだ。

「俺はクレハがやりたくもないことをさせる気はない」

 ユーグレイがそれを強要したはずはない。
 それでも、どうしても責める口調にはなった。
 少なくともアトリより先に、彼はクレハが関わることを知っていたはずだ。
 止めなかったのか。
 止められなかったのだとしたら、どうしてももっと早く。
 教えて、くれなかったのか。
 ユーグレイはいっそ落ち着いた様子で、「そうだろうな」と微かに笑った。
 彼は僅かな間合いを埋めてアトリの手を取る。

「だが、彼女本人がやると言った」

「クレハが? それ、は」

 何か、引っかかるものがあった。
 その碧眼を見返したまま、アトリは突き刺さるような違和感を拾い上げる。
 何故、ユーグレイとクレハが。
 断ったとしても別の誰かがやることになる。
 さっさとやってしまった方が、危険性が少ない。
 それは、結局何のための選択なのか。

「ユーグ、まだ、話してないことあんだろ」

 ユーグレイは静かに頷いて、アトリの手を自身の目線の高さまで引き上げた。
 思い出したように嫌な痛みが走る。
 袖口から露わになった手首には、ヴィオルムの指の跡が赤々と残っていた。 
 ユーグレイはその痕跡を指先でなぞる。
 気付いていたのかもしれない。
 振り解こうとしたところで、今更だ。

「僕は確かに君に話していないことがあるが、それは君も同じだろう。アトリ」

「…………緊急性が、随分違う」

 緊急性か、とユーグレイは笑った。
 ああ、これは不味ったな。
 それどころじゃなかったはずなのに、突然窮地に陥った気分だ。
 話の続きなどさせてもらえる雰囲気ではない。
 問い詰める側に回ったユーグレイは、全く容赦がなかった。

「何もなかった、か。聞き返されてまで嘘は吐かないと、君は言ったと思うが?」

 ユーグレイの指先に、僅かに力が籠る。
 思わず後退した足がソファに当たった。
 この部屋のどこにも逃げ場なんてないと、とっくに知っているのに。
 怒っているのか、愉しんでいるのか。
 ユーグレイは穏やかな表情のまま、アトリの身体を押す。
 柔らかなソファに倒れ込んで、それでもこれはちょっと不公平だと思った。
 
「そこまでしたら、僕の好きなようにして良いんだったな」

 最早意地だった。
 勝手なのはお前も一緒だろとその横っ面を引っ叩かなかったのは、約束を破った自覚があったからだ。
 都合の悪いことは黙っていようと思ったし、バレなければ構わないだろうと無意識に思ってもいたのだろう。
 それがユーグレイに知られてしまったのなら、仕方がなかった。
 そんなことを言っている場合ではないけれど、彼の気が済むまで付き合わなければ先の話など出来そうもない。
 だから反論さえ時間の無駄だと思ったのだ。
 別にユーグレイの好きなようにしてくれて構わない、とアトリはさっさと頷いた。
  


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