Arrive 0

黒文鳥

文字の大きさ
199 / 217
10章

0

しおりを挟む

 懐かしい耳鳴りがした。
 雪が止んだばかりの夜空を見上げて、感覚のない耳を手で覆う。
 月灯りが照らし出す街は相変わらず静かで、誰の息遣いも感じられなかった。
 無人の教会。
 屋根の落ちた家々。
 小さな広場には壊れた噴水があって、最後まで細々と商売を続けていた露店の跡だけが残っている。
 降り積もった雪に足跡は一つもなかった。
 多分きっとそう遠くない未来に、何もかも埋もれてしまうんだろう。
 別に悲しくはない。
 どうせもう誰もいないのだから。
 耳を塞いだまま緩やかに下る道を歩く。
 
 ここには、本当に何もない。
 
 あれほど辛かったはずなのに、飢餓感も寒さも全く思い出せなかった。
 吐き出したはずの息さえ白くはならない。
 もしかして、もう自分も死んでしまったのだろうか。
 ふとそんな風に思って何か酷い違和感が思考を埋めた。
 追い立てられるような本能的な恐怖に、耳を塞いでいた手を下ろして背後を振り返る。
 通り過ぎた風景はどこにもなく、視界はただ真っ白だった。

 帰らなくては。

 走り出した足に、雪が重く纏わりつく。
 一気に息が上がって空気が上手く肺に入っていかない。
 苦しくて苦しくて仕方がなかった。
 さぁっと意識が曖昧になる。
 それでもここで立ち止まったら取り返しがつかない気がした。
 何で、こんなところにいるんだ。
 一度浮かんだ疑問が頭の中で反響する。
 薄明るい夜空が視界の端でちらちらと光った。
 外れかけた窓枠。
 布を被って幾つもの夜を過ごした小さな家。
 ベッドに横になった古木のような老人の姿が、脳裏を過ぎる。
 
 違う。
 帰りたいのは、そこじゃない。

 そう思う自分を少しだけ薄情だと思った。
 走っている感覚はもうない。
 ああ、何かやばいかも。
 あんまりに辛くて、いっそ笑えてきて。
 きっと、最悪な気分だったと彼に愚痴ろうと朦朧としながら決意する。
 どうせ「そうか」の一言で片付けられてしまうのだろうけれど。
 そう言われたら、確かに笑ってなんてことないことだったと思える気がした。
 目を閉じたはずなのに、瞼の裏まで微かに明るい。
 いい加減楽にならない呼吸に咳き込んだ瞬間、突き飛ばされるような衝撃で意識が途切れた。


しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない

砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。 自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。 ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。 とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。 恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。 ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。 落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!? 最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。 12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

処理中です...