200 / 217
10章
1
しおりを挟む刃を突き立てられたような衝撃でアトリは目を覚ました。
白い天井。
何かの機器の稼働音。
ベッド脇の手すりにベルトで固定された両腕が、少し痺れている。
「っ、あ?」
たった一枚身に纏っていた鼠色の手術着は既に左右に開かれていて、鳩尾の辺りからは完全に素肌が晒されていた。
下腹部に直接手のひらを置いたその人は、アトリを見下ろして困ったように笑った。
白衣の裾が肌を擦る。
「痛いですか? すみません。もう終わりますので、少しだけ我慢して下さいね」
眼鏡のレンズの向こう。
鳶色の瞳を細めたラルフに、曖昧だった記憶が一気に蘇る。
呑気に寝ている場合ではない。
ここはどこだ。
反射的に起こそうとした身体は、僅かに頭が持ち上がった程度で殆ど動かなかった。
腕のベルトは力を込めても緩みもせず、両脚は馬乗りになったラルフに押さえ込まれている。
何を、と問う間もない。
彼の手の感覚よりも内臓を素手でかき混ぜられるような恐怖に、アトリは悲鳴を飲み込んだ。
魔力の譲渡に似てはいるが根本から何か違う。
熱い。
「……つ、ぅッ!」
腹の上の手に力は籠っていない。
ただ、触れているだけだ。
それなのに身体の奥底に焼印でもされているかのようだった。
苦痛に耐えかねて跳ねたアトリの肩を、ラルフはやんわりとベッドに押し付ける。
「ああ、あまり動かないで下さい。これでも意外と繊細な術なんですよ。失敗すると、お互い不幸なことになりますから」
「な、ん……っ」
繊細な術、失敗すると。
完全には理解の及ばない言葉の羅列に、すぅっと血の気が引くのがわかった。
何をされている?
「アトリさんの中に、魔術の構築図を仕込んでいると言ったらわかりやすいでしょうか」
「…………仕、込む、って」
ラルフは何てことのない話をするかのように、あっさりと頷く。
「はい。アトリさんに詠唱をお願いする訳にもいきませんし、これが一番効率が良いもので。現状アトリさんは私が刻んだ構築図に沿ってしか魔術を行使出来ません。申し訳ありませんが、完全に私の管理下であることをご理解頂ければ」
セルがエルに、自身の望む魔術を行使させる。
けれどこれは、ユーグレイと試したものとはあまりに違う。
アトリは息を乱しながら首を振って、ラルフを睨んだ。
意に介した様子もなく彼は微笑む。
耐え難く感じた痛みは、燻るような熱を残して緩やかに引いていく。
「これで、完成です。頑張りましたね、アトリさん」
ラルフの手が少しだけ浮いた。
アトリは深く息を吐き出して、腹部に視線をやる。
少なくとも表面上は傷一つ付いていない。
ただ、これで終わりだとは到底思えなかった。
自然と傾いだ頭を起こすと、活動限界で意識が飛ぶ時のような嫌な脱力感がある。
「何が……、したいんだ、アンタは」
この人の思い通りにされては駄目だ。
けれど目を覚ましたところで、このままではラルフの手の内から逃れようがない。
アトリは掠れた声で問いを投げかけて、それから視線を巡らせた。
白い照明に照らされた狭い室内は、病室と言うより実験室のようで無機質な印象が強い。
窓はなく、機器の並ぶ壁の反対は一部がガラス張りで暗い隣室が見える。
そこへ繋がる扉以外、出入り口はなさそうだ。
「おや、とうに察して下さっているものとばかり。アトリさんには0地点を観測して頂きたいのです」
「…………こんな労力かけて目的は結局それか? 自分でやれよ、魔術師サマ」
突き放すようにそう言ったアトリに、ラルフは寂しそうに眉を下げた。
この人に嵌められて、どこかへ連れて来られて、拘束されている。
そのはずなのに、恐ろしいほどに害意は感じられなかった。
初めて会った時と同じ、どこまでも人の良さそうな穏やかな表情。
「いえ、0地点を視ることに意味はないんです。あれが何なのか、私は知っていますので」
ラルフは一瞬瞳を伏せた。
あまりに平然と「知っている」と言われて、咄嗟に反応が出来ない。
この人は本当に、旧時代から今日まで生き抜いて来たのだろうか。
だとしたら、何のために。
「未だ人魚が現出することから想定している研究者も多いようですが、0地点には術者がいます」
「0地点に、術者が、いる?」
「ええ、あれはまだ行使されている最中の魔術です。術者は自らの意思で0地点から出ては来られない。私も色々調べましたが、実質あそこに踏み込んで救出を行うのは不可能です。だから別の方法を取るしかない」
ああ、それで。
ノティスでアトリが引き起こした入れ替わりの事象を、クレハは「完全な観測」だと言った。
もしもあの時と全く同じように0地点の術者を観測したとしたら。
アトリが入れ替わることで、術者は確かにあの不確定領域から脱出することが可能だろう。
「んな、こと」
「勿論簡単ではありませんがこうして魔術の構築は済ませましたし、後は発動に見合うだけの魔力があれば良い」
少し離れていたラルフの手が、再び下腹部に触れた。
この人から魔力を受け取りたくない。
彼の言う「発動に見合うだけの魔力」で自身がどうなるのか、嫌でも予想が出来る。
「そんなに緊張されなくても、一気に注ぎ込んでしまおうなんて思っていませんよ。そもそもアトリさんが壊れてしまっては元も子もありませんし、私も流石にキツいですからね」
「そう言うなら……、やめて欲しい。そもそも、エルの身体は魔力を保っておくようには出来てない。その計画は破綻してる」
「はい。ですから、ちょっと蓋をさせて頂きますね」
ラルフの指先が皮膚に食い込む。
ユーグレイとは違う、生温かい細い指だ。
決して触れられたくはない場所が、確かにその手に囚われるのがわかる。
ばちん、と一気にスイッチが入った。
「あ゛、ぐーー……ッ!」
爪先まで反り返るような重い快感。
どろりと胎の奥が蕩ける。
これは。
身を捩ると拘束された腕に痛みが走った。
挿入されている訳でもないのに、最奥を貫かれた時と同じ感覚がする。
息絶える寸前の獣のように、喉を晒して仰け反った。
嫌だ、と訴える声は酷く遠い。
ラルフは涼しい顔でアトリを見下ろして、「始めましょうか」と宣告した。
1
あなたにおすすめの小説
強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない
砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。
自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。
ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。
とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。
恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。
ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。
落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!?
最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。
12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる