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10章
1
刃を突き立てられたような衝撃でアトリは目を覚ました。
白い天井。
何かの機器の稼働音。
ベッド脇の手すりにベルトで固定された両腕が、少し痺れている。
「っ、あ?」
たった一枚身に纏っていた鼠色の手術着は既に左右に開かれていて、鳩尾の辺りからは完全に素肌が晒されていた。
下腹部に直接手のひらを置いたその人は、アトリを見下ろして困ったように笑った。
白衣の裾が肌を擦る。
「痛いですか? すみません。もう終わりますので、少しだけ我慢して下さいね」
眼鏡のレンズの向こう。
鳶色の瞳を細めたラルフに、曖昧だった記憶が一気に蘇る。
呑気に寝ている場合ではない。
ここはどこだ。
反射的に起こそうとした身体は、僅かに頭が持ち上がった程度で殆ど動かなかった。
腕のベルトは力を込めても緩みもせず、両脚は馬乗りになったラルフに押さえ込まれている。
何を、と問う間もない。
彼の手の感覚よりも内臓を素手でかき混ぜられるような恐怖に、アトリは悲鳴を飲み込んだ。
魔力の譲渡に似てはいるが根本から何か違う。
熱い。
「……つ、ぅッ!」
腹の上の手に力は籠っていない。
ただ、触れているだけだ。
それなのに身体の奥底に焼印でもされているかのようだった。
苦痛に耐えかねて跳ねたアトリの肩を、ラルフはやんわりとベッドに押し付ける。
「ああ、あまり動かないで下さい。これでも意外と繊細な術なんですよ。失敗すると、お互い不幸なことになりますから」
「な、ん……っ」
繊細な術、失敗すると。
完全には理解の及ばない言葉の羅列に、すぅっと血の気が引くのがわかった。
何をされている?
「アトリさんの中に、魔術の構築図を仕込んでいると言ったらわかりやすいでしょうか」
「…………仕、込む、って」
ラルフは何てことのない話をするかのように、あっさりと頷く。
「はい。アトリさんに詠唱をお願いする訳にもいきませんし、これが一番効率が良いもので。現状アトリさんは私が刻んだ構築図に沿ってしか魔術を行使出来ません。申し訳ありませんが、完全に私の管理下であることをご理解頂ければ」
セルがエルに、自身の望む魔術を行使させる。
けれどこれは、ユーグレイと試したものとはあまりに違う。
アトリは息を乱しながら首を振って、ラルフを睨んだ。
意に介した様子もなく彼は微笑む。
耐え難く感じた痛みは、燻るような熱を残して緩やかに引いていく。
「これで、完成です。頑張りましたね、アトリさん」
ラルフの手が少しだけ浮いた。
アトリは深く息を吐き出して、腹部に視線をやる。
少なくとも表面上は傷一つ付いていない。
ただ、これで終わりだとは到底思えなかった。
自然と傾いだ頭を起こすと、活動限界で意識が飛ぶ時のような嫌な脱力感がある。
「何が……、したいんだ、アンタは」
この人の思い通りにされては駄目だ。
けれど目を覚ましたところで、このままではラルフの手の内から逃れようがない。
アトリは掠れた声で問いを投げかけて、それから視線を巡らせた。
白い照明に照らされた狭い室内は、病室と言うより実験室のようで無機質な印象が強い。
窓はなく、機器の並ぶ壁の反対は一部がガラス張りで暗い隣室が見える。
そこへ繋がる扉以外、出入り口はなさそうだ。
「おや、とうに察して下さっているものとばかり。アトリさんには0地点を観測して頂きたいのです」
「…………こんな労力かけて目的は結局それか? 自分でやれよ、魔術師サマ」
突き放すようにそう言ったアトリに、ラルフは寂しそうに眉を下げた。
この人に嵌められて、どこかへ連れて来られて、拘束されている。
そのはずなのに、恐ろしいほどに害意は感じられなかった。
初めて会った時と同じ、どこまでも人の良さそうな穏やかな表情。
「いえ、0地点を視ることに意味はないんです。あれが何なのか、私は知っていますので」
ラルフは一瞬瞳を伏せた。
あまりに平然と「知っている」と言われて、咄嗟に反応が出来ない。
この人は本当に、旧時代から今日まで生き抜いて来たのだろうか。
だとしたら、何のために。
「未だ人魚が現出することから想定している研究者も多いようですが、0地点には術者がいます」
「0地点に、術者が、いる?」
「ええ、あれはまだ行使されている最中の魔術です。術者は自らの意思で0地点から出ては来られない。私も色々調べましたが、実質あそこに踏み込んで救出を行うのは不可能です。だから別の方法を取るしかない」
ああ、それで。
ノティスでアトリが引き起こした入れ替わりの事象を、クレハは「完全な観測」だと言った。
もしもあの時と全く同じように0地点の術者を観測したとしたら。
アトリが入れ替わることで、術者は確かにあの不確定領域から脱出することが可能だろう。
「んな、こと」
「勿論簡単ではありませんがこうして魔術の構築は済ませましたし、後は発動に見合うだけの魔力があれば良い」
少し離れていたラルフの手が、再び下腹部に触れた。
この人から魔力を受け取りたくない。
彼の言う「発動に見合うだけの魔力」で自身がどうなるのか、嫌でも予想が出来る。
「そんなに緊張されなくても、一気に注ぎ込んでしまおうなんて思っていませんよ。そもそもアトリさんが壊れてしまっては元も子もありませんし、私も流石にキツいですからね」
「そう言うなら……、やめて欲しい。そもそも、エルの身体は魔力を保っておくようには出来てない。その計画は破綻してる」
「はい。ですから、ちょっと蓋をさせて頂きますね」
ラルフの指先が皮膚に食い込む。
ユーグレイとは違う、生温かい細い指だ。
決して触れられたくはない場所が、確かにその手に囚われるのがわかる。
ばちん、と一気にスイッチが入った。
「あ゛、ぐーー……ッ!」
爪先まで反り返るような重い快感。
どろりと胎の奥が蕩ける。
これは。
身を捩ると拘束された腕に痛みが走った。
挿入されている訳でもないのに、最奥を貫かれた時と同じ感覚がする。
息絶える寸前の獣のように、喉を晒して仰け反った。
嫌だ、と訴える声は酷く遠い。
ラルフは涼しい顔でアトリを見下ろして、「始めましょうか」と宣告した。
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