Arrive 0

黒文鳥

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10章

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 視えたのは、白い廊下だった。
 自身ではコントロールの効かない速さで視界が飛んだ。
 真っ暗な空が広がって、急速に落下する感覚がある。
 高い建物の外壁。
 街灯に照らされた中庭。
 視線は引っ張られるようにして見知らぬ都市を捉える。
 空から見下ろし、一転して道端から星のない夜空を見上げた。
 暴走している、と思った。
 嵐に巻き込まれた木の葉のように、風景が幾つも過ぎ去って行く。
 何かを視ようと魔術を展開した覚えはない。
 自身のエルとしての能力が、彼に掌握されているが故の事象だろう。
 戻らなければと遠い手の感触を辿って、そこに誰も触れていないことに気付く。
 戻ったところでそこにユーグレイはいない。
 いっそこうしていた方が、良いのだろうか。
 少なくとも、絶え間なく身体を苛んだ快感は置き去りに出来ている。
 このままずっと遠くを視て、いれば。
 幾千の景色が通り過ぎて行って、不意に懐かしい水の色が目の前に広がった。
 夜の海。
 防壁だ。
 ああ、でもやっぱり戻らなくちゃ駄目だろう。
 ここを越えてしまったら、きっと。
 
 二度とユーグレイに会えない。
 


 声が蕩ける。
 苦しくて、気持ち良くて、酷く辛い。
 一つ呼吸をする度に、中途半端に勃ち上がった性器からあたたかなものが滴った。
 耳鳴りがする。
 身体の奥が痛いほどに痺れて思考が沈んでいく。
 何で、こういうこと、してるんだっけ。
 
「いや、驚きましたね。まさか構築を歪めて攻撃されるとは思いもしませんでした。きちんと仕込んだつもりだったのですが」

 細い指先が髪を梳く感覚で、目尻に溜まった涙が溢れた。
 ふわふわとした視界に鳶色の髪の男が映る。
 乱れた前髪は赤く濡れていて、額から顎にかけて流血の跡が見えた。
 彼が羽織っている白衣の肩にも点々と血が飛んでいる。
 痛いような顔はしていないが相当な怪我だろう。
 大丈夫かと聞きたかったが、上手く言葉は出て来なかった。
 仕方なく重い手を持ち上げようとして、それがぴくりとも動かないことに気付く。
 男は意外そうな表情をして、「アトリさん?」と誰かの名前を呼んだ。
 
「もしかして意識がありますか? 私が誰か、わかります?」

 いや、わからない。
 素直に首を振ると、彼は憐れむような視線を寄越す。
 
「そう、でしょうね」

 ぱちんと小さな音がして、腕を拘束していたベルトが外れた。
 いい加減痛いでしょう、と男は苦笑する。
 いつ暴れたのか。
 腕にはくっきりと傷跡が出来ていて、血が滲んでいる。
 どうしようもなく痛い訳ではないけれど、これでは   が心配するだろう。
 ああ、また何か大切なことを忘れている気がする。

「ほら、消費してしまった分をお渡ししますので集中して下さい。大丈夫、気持ち良いだけですから」

 押し拡げられた孔。
 男が指を動かすと、滑るような水音が響いた。
 粘膜を擦られる度に、頭が真っ白になる。
 だから、何で。

「考えないで、アトリさん」

 ぱたりと頬に生温かいものが落ちて来る。
 覆い被さる彼の髪から、数滴の血が飛んで来たようだ。
 手を伸ばして、その傷に触れる。
 こんなことしてないで手当をしたら良いのに。
 男はなんてことない顔で小さく首を振る。

「……これくらい、相応の報いでしょう。貴方にはそうする権利があります」

 驚いた。
 彼に傷を負わせたのはどうやら自分らしい。
 それで拘束されていたのか。
 いや。
 そうじゃ、なくて。
 そうしなくてはならないだけの、理由があったような。
 掴みかけた記憶の断片は、繰り返し襲って来る絶頂に呑まれて零れ落ちていく。
 駄目だ。
 気持ち、良い。
 
「悪いのは私ですから、アトリさんが気にすることは何もありません」

 男はあっさりと肩を竦める。
 もしそうだとしても、痛くない訳ではないだろう。
 せめて止血くらい出来たらと紡いだはずの魔術は、何故か形にもならなかった。
 意識がはっきりしないせいだろうか。
 ごめん、と謝ったつもりだったが声には出ていただろうか。
 申し訳程度に指先で男の血を拭うと、彼は不意に息を詰めた。
 中を責め立てていた手が止まる。

「…………貴方は、不思議な人ですね」

 そうでもないと、思う。
 ゆっくりと引き抜かれた指に、喉が鳴った。
 ひくひくと跳ねる腰を掴まれる。
 彼は覆い被さるようにして、顔を覗き込んで来る。
 穏やかな微笑みはない。
 この人の手は、こんなに熱かっただろうか。

「挿れてあげましょうか、アトリさん」

 首を傾げた瞬間、緩んだそこに固いものが押しつけられる。
 熱く滾ったそれが何なのか、確かめるまでもない。
 無意識に逃げようとした身体を抱き込まれる。
 僅かに腰を揺らされただけで、先端が中へと入り込むのがわかった。
 開かれた脚が震える。

「ここはもう悦んでいるみたいですね。必死に吸い付いて、奥まで挿れて欲しいんでしょう?」

 どう、だろう。
 それは多分、味わったことのない快感だろうと思った。
 曖昧な影のような不安も、あっても意味のない意識も、きっと一瞬で消えるだろう。
 咥え込んだ先端を深くへ誘おうと内壁が切なく収縮する。
 男が唇を舐めるのが見えた。
 頷けば良いだけだ。
 それだけで、何もかもどうでも良くなる。
 でも。

「………………」

 目の前の男の髪に、もう一度触れる。
 自分がつけたらしい傷。
 流れ出た血の色。
 指先で辿った肌に、馴染みはない。
 そういえばこの男は。
 一度も「欲しい」と言っていない。
 触れ合うほどの距離で、彼を見返す。

 愛おしいと細められる瞳はそこにはなかった。


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