Arrive 0

黒文鳥

文字の大きさ
205 / 217
10章

6

しおりを挟む

 振り返る一瞬、自身がどう見えるだろうかと考える。
 手術着一枚で靴も履いていない。
 きっとお世辞にも体調が良いようには見えないだろう。
 素知らぬ顔で通り過ぎるには条件が悪過ぎる。
 相手の出方次第だが、問いかけを無視して逃げるのは悪手だと思った。
 静かに視線を向けた先、白衣の青年が二人近付いて来るのが見えた。

「え、大丈夫? 君」

 やや大柄な方の青年が、心配そうに眉を寄せる。
 もう一人は自分の顎を撫でながら「迷子?」と首を傾げた。
 少なくとも、問答無用で拘束はされなさそうだ。
 アトリは小さく頷く。
 
「ちょっと、気分が悪くて……、風に当たりたいんですけど」

「ああ、もしかしてC棟の実験参加者かな? 今回結構ハードだって聞いているよ」

 C棟の実験とやらがラルフのそれに当たるのかはわからないが、あれを「結構ハード」の一言で済ませられるかは甚だ疑問だ。
 幸い青年たちはアトリの返答に疑問を抱くことはなかったらしい。
 何か納得した様に頷いた二人は、けれど顔を見合わせる。

「外の空気を吸うなら中庭が良いだろうけど、今はやめておいた方が良い。向かいのA棟、騒ぎになってるみたいだから」

「騒ぎ?」

「カンディードの構成員たちが、仲間が監禁されているなんて言って押しかけて来たらしい。まだ魔術を行使して暴れているなんて話は入ってないけど、彼らがどう出るかわからないからね」

 カンディードの構成員が、来ている。
 ふっと張り詰めていたものが緩むのがわかった。
 青年たちは目の前にいる人物が「監禁されている仲間」だとは思いもしないようだ。
 この様子なら、皆一様にラルフの協力者という訳ではなさそうである。
 酷い言いがかりだと憤慨する彼らには悪いが、事情を説明してA棟とやらに連れて行ってももらうのも有りだろうか。
 あの、と言いかけた瞬間、身体の奥に鋭い疼痛が突き刺さった。
 またか。
 咄嗟に声こそ堪えたものの、腹部を庇うように背を丸めたまま身動きが取れない。
 下腹部の布地をぎゅうっと握り締めたアトリに、青年が「大丈夫?」と繰り返した。

「そもそも君さ、そんな格好で外に出たら体調が悪化するよ。少し横になった方が良いんじゃない? 僕らの研究室、すぐそこだから」

 呼吸の度に微かに震えるアトリの背中を、彼は労わるように撫でた。
 薄い手術着越しの手の感触に、さっと血の気が引く。
 落ち着け。
 過剰反応だ。
 そう理解はしているのに、異常なほどの拒否感を押し殺せない。
 嫌だ。
 思わず身を捩るようにしてその手から逃れると、驚いたような表情の青年と目が合った。
 すみません、と謝ることが出来たかはわからない。
 吸い込んだ息が喉の奥に詰まっているような苦しさがある。
 ああ、まずいな。
 
「おや、こんなところにいた」
 
 友人のように気安い声が、廊下に響き渡った。
 振り返ると、白金の髪の男が小走りに駆け寄って来てアトリの肩を叩く。
 深い海のような瞳。
 どこか懐かしい面影の漂う彼は「探したよ」と笑う。
 鉛を飲み込んだような苦しさを忘れて、アトリは思わず瞬いた。
 彼は。

「……リューイ、さ」

「いや、君たち悪かったね」

 アトリの言葉を遮るように、彼は青年たちに軽く謝る。
 間違えようもない。
 リューイ・フレンシッド。
 ユーグレイの兄が、どうしてここに。
 いや、そういえばユーグレイの故郷での一件のあと研究院に身を寄せると言っていたか。
 じゃあやはりここは皇国の研究院なのだろう。
 事態は好転しているのか、悪化しているのか。
 アトリは傍に立ったその人の横顔を見上げる。
 リューイは青年たちと少し言葉を交わすと、アトリの肩を押して「行こうか」と促す。
 お大事にと案ずるような声をかけられ、深く頭を下げて彼らとすれ違った。
 少し先を行くリューイの靴音が響く。
 羽織った白衣はまだ新しいように見えた。
 相変わらず変わり映えのしない長い廊下を進みながら、アトリはようやく口を開く。
 
「あ、の」

「待った。色々と聞きたいことはあるだろうけど、君はそれどころじゃないだろう?」

 リューイ・フレンシッドとの関係は、複雑だ。
 敵対関係ではあったのだろうが、彼に命を狙われたという訳でもない。
 助けてくれたのか。
 或いは。
 
「カレンたちからの報告で、多少のことは知っているよ。とはいえ、助けに入るつもりはなかった。ただの気紛れだ」

 リューイは足を止めて、アトリを振り返った。
 白い照明に照らされた廊下の突き当たり。
 地下へと続く階段の隣に、両開きの大きな扉がある。
 やや斜めに下る床には泥落としのマットが敷かれていて、近くの壁に「開放厳禁」と張り紙がしてあった。
 この先は、中庭か。
 
「ここを突っ切ればA棟だから、早く行くと良い。正面切って乗り込んで来た君の同僚は、恐らく陽動だろう。ユーグレイはこちらに向かっているはずだから、上手くすればすぐ合流出来るさ」

 リューイは羽織っていた白衣を脱ぐと、押し付けるようにアトリに手渡した。
 
「外は冷える。着て行くと良い」

「……どうも」

 アトリは少し大きなそれに袖を通すと、僅かに躊躇した。
 この人は故郷での騒ぎの時も、結局ユーグレイと顔を合わせていない。
 一緒には、来ないのか。
 目が合うと、リューイは肩を竦めて苦笑した。

「君が巻き込まれた何かがもし0地点研究の発展に関わることなら、ありがたく君を犠牲にさせてもらおうと思ったんだけどね」

「じゃ、何で」

 彼は鍵を開けて、扉を押し開けた。
 身を切るような冷たい風。
 夜の匂いがする。
 リューイの柔らかな白金の髪が、はらはらと揺れた。

「今の君は、ただの無力な人間に見える。抗えない何かにあっさり飲み込まれて消え去る、そういうものにね。ほら、さっさと行きなさい」

 彼はただ静かにそう言って、惜別の言葉もなくアトリに背を向けた。


しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない

砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。 自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。 ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。 とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。 恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。 ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。 落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!? 最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。 12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

処理中です...