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10章
9
しおりを挟むとても静かだから、きっと外は雪が降っている。
それでどうしたの、と先を促されて、ふと何を話していたのかわからなくなった。
膝を抱え込んで首を傾げると、微かにあたたかい笑い声が聞こえる。
あれ、何か違和感が。
何十年も何千年も旅をしたような疲労感で、意識は浮き沈みを繰り返す。
ほらまだ寝ないで、と頭を撫でられた。
感触の曖昧な布に包まって、目を凝らす。
薄暗く狭い部屋。
歪んだ窓枠。
傍のベッドを見上げると、その人は子どもの悪戯を叱るようにだめだめと苦笑する。
『あんまり視ちゃ危ないよ』
ぱちりと瞬きをすると、海中のように風景が揺らいだ気がした。
この人は、こんな顔をしていただろうか。
そもそもこんな風に他愛のないおしゃべりをしてくれる人ではなかったような。
『ここは一つの到達点。ここまで落ちて来て自我が残っているのは奇跡だよ。だから、これ以上は駄目』
何が、駄目なんだろう。
言われた通り火は絶やしていないし、この冬だって多分半分は越えたはずだ。
体調が悪いと寝込んでいたはずのこの人も、こうして楽しげに微笑んでいる。
もしかしたら、雪が溶ける頃にはまた歩けるようになるかもしれない。
駄目なことなんて、何にもないのに。
『うんうん。それで、話の続きは?』
続き。
そうそうと頷かれて、素直に忘れてしまったと首を振る。
がっかりさせてしまうかと思ったが、案外「そっか」とあっさりした言葉が返って来た。
うん、そう。
ちょっとだけ疲れたし何だか眠いから、そのせいだろう。
その人は労うようにまた頭を撫でてくれた。
『この幻想は、君の起点であって終点。いずれ零に呑まれる運命だから、感情や記憶は真っ先に消えていってしまう。残念だけど、仕方ないね』
何か、難しい話をしている?
理解は出来ないけれど何か大切なことを言われた気がして、重い瞼を持ち上げる。
その人はベッドから少し身を乗り出して、肩から落ちかけた布を直してくれた。
『ね、後悔はしている?』
その問いかけは酷く悲しく響いた。
悲しいことなんて、何もない。
何の話だろうと不思議に思ったが、抗うことなく目を閉じる。
とろりと微睡む刹那。
手を、握られたような感覚がした。
後悔は、してない。
あれ、返事をしたのは自分だろうか。
そっと左手を握り込むが、そこには誰の手もなかった。
良かった。
『いいなぁ、愛してるんだね』
うんと頷いたのは確かに自分で、別に辛くもないのにふわりと目が熱くなった。
このまま雪解けを待たずに目を覚ませなくても、仕方のないことだと諦められるはずなのに。
瞼の裏の暗闇がゆっくりと意識を溶かして行く。
聞き覚えのない声で、懐かしいその人が名前を呼んでくれた。
『素敵なお話をありがとう。さあ、もう、おやすみ』
多分もう、これで終わりだ。
長かったような、短かったような。
まあ別に、どうでも、良いことだけれど。
不意に優しい指先が、目元を拭ってくれた。
ちゃんと起こしてあげるからゆっくり休んだら良いよ、と言われて。
一切の苦痛もなく、躊躇いもなく。
何もかもを、そっと手放した。
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