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10章
0.3
しおりを挟む視えるのは、息苦しいほどの暗闇だった。
誰の気配もない。
辿っても辿っても、夢にさえ手は届かなかった。
やはりアトリの意識と繋がってはいないのか。
或いは、繋がっていてこうなのか。
耳鳴りがする。
駄目だ、また。
意識が浮上してしまう。
「…………っ」
眠りから目を覚ます時とは違う、重い脱力感があった。
ユーグレイは顔を上げて、真っ先にアトリの様子を確認する。
僅かも変化のない人形のような寝顔。
淡々と計器の測定音が響いている。
ベッドに伏せていた上体を起こすと、肩から柔らかいブランケットが滑り落ちた。
恐らくはクレハがかけてくれたのだろう。
ユーグレイは軽く頭を振って、特有の倦怠感を追い払った。
「……アトリ」
返答はない。
アトリが未だに魔術を行使している状態なのだと確信して、今までの方法は不可能だと判断した。
直接繋がることが出来ないのであればと、防壁のエルたちに協力を仰いだが現状成果はない。
正しい手順など知る者はいない。
幾度かの経験を頼りにユーグレイが魔術構築を試みたが、アトリの意識に干渉するどころか昏倒して数時間目を覚まさないなんてことも少なくなかった。
幸い手を貸してくれるエルたちは酷い疲労程度で済んでいるようだが、それでも続けての魔術行使は避けてもらっている。
ユーグレイはベッド脇の計測器で時刻を確認した。
午前七時を過ぎたところだ。
「………………」
今回は随分と気を失っていたらしい。
焦りと共に息を吐き出すと、やけに軽快なノック音が響いた。
治療室の白い扉の向こうから「開けちゃうよ」と声をかけられる。
大体一日に二度は都合の付くエルに来てもらっているが、それにしても早い。
ユーグレイの返事を待たずにさっさと扉を開けて来たのは、見慣れた少女たちだった。
「おはよぉ、ユーグレイ。ちょっと早いけど来ちゃった!」
軽い足取りで近付いて来たロッタの後ろ、ペアのリンが小さく頭を下げる。
「アトリさん、どぉ? まだ寝てるのぉ?」
「…………ああ」
シナモン色の髪を揺らして、少女はひょいとアトリの顔を覗き込む。
場違いなほどに明るいロッタの態度が、実際は虚勢であることは既に理解していた。
酷く巧妙に取り繕った言葉の端々が時折震えるのを、彼女自身も自覚しているようだ。
「ロッタ、お手伝いに来たんだけどね、実はまだごはん食べてなくってぇ。ユーグレイもまだでしょ? 一緒に食べ行こ」
一瞬瞼を伏せた彼女は、そう言うと唐突にユーグレイの腕を引いた。
そこの売店のパンで良いからと強引に食い下がる辺り、クレハから「ユーグレイが倒れそうだ」とでも言われたのかもしれない。
不思議と過干渉を厭う気持ちは湧かなかった。
ただアトリの傍を離れるのは怖くて、ユーグレイは首を振る。
けれど断りの言葉を口にする前に、背後に回ったリンがぐいと背中を押した。
「アトリさんのことは、私が責任を持って見ています。少しでも異変があれば、必ず知らせますから」
「ね、ほんのちょっとだから行こ! 大丈夫だから」
面倒だと、確かに思った。
アトリならどうするだろうか。
いや、彼ならそもそも断らないのだろうか。
「ユーグレイさん、ご自分が死にかけたこと忘れてませんか? 無理して死んじゃったら意味ないです。それに私、そうなったら遠慮なくアトリさんのこと貰っちゃいますけど、それで良いんですね」
「ほぉら、リンちゃん本気だと思うなぁ。それにロッタも、ごはん食べないことにはお手伝いする元気が出ないしぃ」
二人に脅すようにそう言われて、ユーグレイは諦めて立ち上がった。
面倒だ。
けれど、ただ。
その厚意は不愉快なものではなかった。
「わかった」
短くそう答えた瞬間、ロッタとリンはぱっと顔を綻ばせて。
顔を見合わせると、ほっとしたように笑った。
「ロッタはね、自己犠牲とかおばかさんのすることだって思うの」
売店で買ったパンとスープをゆっくりと食べながら、ロッタはふと思い出したようにそう言った。
早朝だからだろうか。
席を取った談話室には他に人影もない。
ユーグレイはスープを飲み干すと、目の前に座った少女を見た。
「だってさぁ、それしたら助けられた方が追い詰められるの当たり前じゃない? それに自分が死んじゃったらぁ、ぜーんぶおしまいだもん」
意味ないじゃん、とロッタは呟く。
「だからねぇ? アトリさんのしたことはロッタちょっと許せないなぁ、ってリンちゃんに言ったの」
ぱくりとパンを頬張った彼女は、上目遣いにユーグレイの表情を窺った。
怒るとでも思ったのだろうか。
ユーグレイは先を促すように小さく頷いてやった。
どうせこのおしゃべりに付き合わないとアトリのところには戻れないのだろう。
「……リンちゃんね、でもアトリさんがそうしなかったらユーグレイさんは助からなかったと思いますって。そ、だよねぇ。あんな血がたくさん出て、奇跡でも起きなきゃ助からないよ」
「………………」
「アトリさんは今、目を覚さないだけで生きてるもんね。もし、ユーグレイが助からなかったら、それはもう取り返しがつかない。そうなっちゃったら、そうなっちゃったらさぁ、多分アトリさんはダメ。自分でもきっと、ダメになっちゃうってわかったんじゃないかなぁ」
好きだと、言ってくれた。
全てを捧げるようにしてユーグレイの命を繋いでくれた。
それは純粋な献身でもあって、同時に。
「そういうの究極のワガママだよねぇって思ったら、何かロッタばかばかしくなっちゃって」
ロッタはひょいと肩を竦めて、笑った。
半分泣くのを堪えるように彼女は瞬きをする。
我儘か。
「好きで好きでしょうがないからぁ、とりあえず死んでも良いからユーグレイを助けとこってことだもんねぇ。ほーんと、アトリさんってどぉかと思うー」
「……要約し過ぎだろう」
ユーグレイはふっと息を吐き出した。
ああ、でも問い詰めたら案外本人もそう言いそうな気がする。
ロッタは名残惜しそうにパンの一欠片を口に放り込んだ。
ゆっくりとそれを飲み込んでから、彼女はこてりと首を傾ける。
「ね、絶対アトリさんを起こそうねぇ? ユーグレイ」
「ああ」
「目を覚ましたお姫さまは王子さまと結ばれてハッピーエンドって、法律で決まってるもんね」
そうでしょ、と返答を求められて。
ユーグレイは「そうだな」と頷いた。
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