20 / 112
第二章 富士野宮(ふじのみや)宏禎(ひろよし)王
2-14 宏禎王の休日
しおりを挟む
由紀子嬢のことはともかく私には可愛い弟妹もたくさんいます。
一番近い妹の第一王女で「恭子」は私よりも一歳年下です。
次の弟は第二王子の「宏任王」で、私よりも5歳年下ながら父の代わりに花鳥宮家を継ぐことになりました。
その下は第三王子の「宏惟王」で、私よりも8歳年下なのです。
更にその下に第二王女の篤子と第三王女の倫子が居ます。
彼女らは10歳年下で、一卵性双生児なので顔も気性もそっくりなのです。
最後に未だ母上のお腹に宿っている子が一人、周囲に内緒で性別を確認すると男の子でした。
生まれたら第四王子で「宏*王」と名付けられるはず、このままで行くと大正元年(1912年)10月には生まれる予定なのです。
明治45年3月のある日、斯様に我が家は賑やかなのですが、これだけ子供が多いと母もメイドも結構子育てに大変だったと思います。
そういえば、明治9年から官公庁では土曜日の半ドンが導入されていますが、私の場合は、土日と言えど(ブラックな企業に近い(?)私の会社では、土日の休みはなく(?)、その代わり社員は週休二日制の交代勤務となっています。)会社にも顔を出したりしますので、私が家に居られる偶にしかない休養日には、「お兄様」、「お兄様」と言いながら弟妹達が群がって来るのが極普通の光景になっています。
そんな時は仕方が無いので日がな一日、お話ししたり、ゲームなどで遊んであげたり、厨房を使ってお菓子などを作ってあげたりしています。
第一王女の恭子は中等部二年ですがこの四月で3年になります。
彼女は学習院での噂話を私に聞かせるのが大の楽しみらしく、中等部女子達のいろいろな噂を面白おかしく聞かせてくれます。
彼女曰く、何故か中等部二年の女子の大半が私を憧れの君として見ているそうな。
そのお陰で恭子も随分と鼻高々の気分になれるそうです。
やっぱり身内が褒められるというのは嬉しいものなのでしょうね。
この時代ではラブレターを女子から殿方に出せるような環境ではないですから、どうもじっと乙女心に秘めているようです。
そんな恋バナを私に話して一体どうしろというのかな?妹よ。
私は未だ数えで16歳になったばかりで皇族としての成人の儀式も済ませてはいないのですよ。
仮に良さ気な女子がいたところで何もできないのは妹も承知しているはずではないですか。
それにもかかわらず、毎回、暇がある度に恭子は私に恋バナの話を聞かせ続けるのです。
第二王子の宏任王は、一応幼いけれど花鳥宮家の当主であり、私たちが正式には宮家を名乗れないのにかかわらず、宏忠王は正式に花鳥宮宏任王と名乗れます。
宏忠は宮家の当主として色々しなければならないことが多く、花鳥宮家侍従長がつきっきりで教育をしている真っ最中なのです。
学習院初等部の勉強もさり事ながら、宮家当主としての公務は待ったなしですから、結構宏任に重い責任が被さっているようです。
ですから私が相手できるときはできるだけの癒やしを与えるようにしています。
単に話をするだけなのですけれどね、聖魔法や光魔法のバフを人知れずかけると見違えるように元気になりますけれど、その所為か精神的に躓いたり、失敗したりするとすぐに私を訪ねてくるようになっていますが、依存症になっても困りますね。
弟よ、男はもっと強くあらねばならないのだぞ。
第三王子の宏惟王は未だ8歳、遊びたい盛りなのです。
庭で身体を使う運動を教えると直ぐに要領を飲み込みました。
ですから宏惟王とのお付き合いはもっぱら庭の芝生の上が多いですね。
運動神経が良い様ですから将来とても良い軍人に成れそうです。
双子の第二王女の篤子と第三王女の倫子は6歳、料理とお菓子が大好きでいつも私にお菓子をねだり、新しい料理を作ってとねだります。
二人揃ってあざとく頭をこてんと傾げて、可愛くねだられると断れないですよね。
この日は私のために造られた専用の屋敷の厨房で、昼食を造り、おやつのケーキを作ってあげました。
昼食は、ジャガイモと玉ねぎのポタージュ、エビとほうれん草、それにトマトのガーリック和え、チーズをのせたハンバーガーに付け合わせの人参と大根それにアスパラガス、パンはフルーツを混ぜたデーニッシュで、簡易ながらもコース料理です。
お昼はワイワイと騒ぎながら子供たちだけの会食でした、メイドが三人ほど付き合ってくれたので彼女たちにも相応量の料理を残してあります。
実はこの私が作る料理が結構メイド達の間で有名になっており、私が弟妹のために料理を作る際には若手コックが一人、メイドが三人必ず付くようなんです。
若手のコックは二人なので、その都度交代で、メイドの方は倍率が高くてくじ引きなんだそうです。
さほどの料理ではないのですが、やはり少し珍しいのかなぁ。
調理法も多少アブサルロアの手法を入れたり、調味料も少しばかり異なる使い方をしていますからね。
料理人にとっては目から鱗なのでしょう。
三時のおやつは、シロップ漬けの果物を入れたクレープに、抹茶入り温飲料。
どちらも甘いので食後には兄弟姉妹そろって歯磨きをします。
歯磨きのブラシは私が作ったお手製のモノですが、とても好評です。
夜寝るときには歯磨き粉を付けますが、お昼やおやつの際の歯磨きは何もつけずにブラッシングだけなのです。
三時のおやつの後で、幼い子を対象に童話を紙芝居にしたものを見せていたら、いつの間にか三人ほど寝てしまいました。
今日も朝から夕方まで弟妹達のお相手で忙しかった私なのです。
21世紀に住んだことのある私ですし、前世のアブサルロアでも多くの宮廷料理を食し、時にはやんごとなきお方達に私の手料理を披露したことのある私です。
レシピや食材は腐るほど私の亜空間倉庫に眠っていますから、どんな料理でも復元可能なのです。
最近は母屋のコック達が私の厨房を盛んに盗み見ているのを知っています。
私はプロの料理人ではないですから、コック達に教えることはしませんが、料理法や技を盗み見ることは許しています。
そのおかげで我が家の食事がおいしくなれば万々歳でしょう。
因みに母上は今日もサロン風の井戸端会議で午前中からお忙しそうでしたね。
そんな母上も偶に私の手料理を食べる機会もあるのですよ。
その都度お褒めの言葉を頂きますが、その際はコックたちに遠慮して小声で言うようにしているみたいです。
余り私の料理ばかり期待しすぎると料理人たちがひがんでしまいますからね。
注意しましょう。
少なくともこれまで公式の場で私が料理を他所の方に提供したことはないのです。
宮様が料理を造ると言うのも21世紀ならばちょっとした話題になるかもしれませんが、この時代では公表してはいけないことなのです。
そう言えば美女コンテスト事件なるものが過去に学習院であったそうです。
学習院のとあるお嬢様の写真が新聞のミスコンに投稿され栄えある第一位を勝ち取ってしまったのですが、これに激怒したのが乃木希典学長で、自らの写真を全国で晒すようなことは不謹慎だと考えられたらしいのです。
因みにこのお嬢様は当時16歳、学習院中等部の三年生でしたが、実のところ自分のあずかり知らぬところで投稿されてしまった経緯があります。
結局件の令嬢は、学習院を中退して病身の許嫁と結婚したそうです。
この時代深窓の令嬢は必要以上に顔を晒してはいけないのです。
因みにコンテストで二位以下となった女性は全て年上の人であり、芸妓さんとかの所謂玄人さんがほとんどでした。
明治はミスコンもできない時代だったのですね。
それゆえに私のアブサルロアでの常識もなかなか通じないのだと改めて認識しました。
そう言えば江戸時代の浮世絵で描かれる美女の類は全て玄人女性でしたよねぇ。
一番近い妹の第一王女で「恭子」は私よりも一歳年下です。
次の弟は第二王子の「宏任王」で、私よりも5歳年下ながら父の代わりに花鳥宮家を継ぐことになりました。
その下は第三王子の「宏惟王」で、私よりも8歳年下なのです。
更にその下に第二王女の篤子と第三王女の倫子が居ます。
彼女らは10歳年下で、一卵性双生児なので顔も気性もそっくりなのです。
最後に未だ母上のお腹に宿っている子が一人、周囲に内緒で性別を確認すると男の子でした。
生まれたら第四王子で「宏*王」と名付けられるはず、このままで行くと大正元年(1912年)10月には生まれる予定なのです。
明治45年3月のある日、斯様に我が家は賑やかなのですが、これだけ子供が多いと母もメイドも結構子育てに大変だったと思います。
そういえば、明治9年から官公庁では土曜日の半ドンが導入されていますが、私の場合は、土日と言えど(ブラックな企業に近い(?)私の会社では、土日の休みはなく(?)、その代わり社員は週休二日制の交代勤務となっています。)会社にも顔を出したりしますので、私が家に居られる偶にしかない休養日には、「お兄様」、「お兄様」と言いながら弟妹達が群がって来るのが極普通の光景になっています。
そんな時は仕方が無いので日がな一日、お話ししたり、ゲームなどで遊んであげたり、厨房を使ってお菓子などを作ってあげたりしています。
第一王女の恭子は中等部二年ですがこの四月で3年になります。
彼女は学習院での噂話を私に聞かせるのが大の楽しみらしく、中等部女子達のいろいろな噂を面白おかしく聞かせてくれます。
彼女曰く、何故か中等部二年の女子の大半が私を憧れの君として見ているそうな。
そのお陰で恭子も随分と鼻高々の気分になれるそうです。
やっぱり身内が褒められるというのは嬉しいものなのでしょうね。
この時代ではラブレターを女子から殿方に出せるような環境ではないですから、どうもじっと乙女心に秘めているようです。
そんな恋バナを私に話して一体どうしろというのかな?妹よ。
私は未だ数えで16歳になったばかりで皇族としての成人の儀式も済ませてはいないのですよ。
仮に良さ気な女子がいたところで何もできないのは妹も承知しているはずではないですか。
それにもかかわらず、毎回、暇がある度に恭子は私に恋バナの話を聞かせ続けるのです。
第二王子の宏任王は、一応幼いけれど花鳥宮家の当主であり、私たちが正式には宮家を名乗れないのにかかわらず、宏忠王は正式に花鳥宮宏任王と名乗れます。
宏忠は宮家の当主として色々しなければならないことが多く、花鳥宮家侍従長がつきっきりで教育をしている真っ最中なのです。
学習院初等部の勉強もさり事ながら、宮家当主としての公務は待ったなしですから、結構宏任に重い責任が被さっているようです。
ですから私が相手できるときはできるだけの癒やしを与えるようにしています。
単に話をするだけなのですけれどね、聖魔法や光魔法のバフを人知れずかけると見違えるように元気になりますけれど、その所為か精神的に躓いたり、失敗したりするとすぐに私を訪ねてくるようになっていますが、依存症になっても困りますね。
弟よ、男はもっと強くあらねばならないのだぞ。
第三王子の宏惟王は未だ8歳、遊びたい盛りなのです。
庭で身体を使う運動を教えると直ぐに要領を飲み込みました。
ですから宏惟王とのお付き合いはもっぱら庭の芝生の上が多いですね。
運動神経が良い様ですから将来とても良い軍人に成れそうです。
双子の第二王女の篤子と第三王女の倫子は6歳、料理とお菓子が大好きでいつも私にお菓子をねだり、新しい料理を作ってとねだります。
二人揃ってあざとく頭をこてんと傾げて、可愛くねだられると断れないですよね。
この日は私のために造られた専用の屋敷の厨房で、昼食を造り、おやつのケーキを作ってあげました。
昼食は、ジャガイモと玉ねぎのポタージュ、エビとほうれん草、それにトマトのガーリック和え、チーズをのせたハンバーガーに付け合わせの人参と大根それにアスパラガス、パンはフルーツを混ぜたデーニッシュで、簡易ながらもコース料理です。
お昼はワイワイと騒ぎながら子供たちだけの会食でした、メイドが三人ほど付き合ってくれたので彼女たちにも相応量の料理を残してあります。
実はこの私が作る料理が結構メイド達の間で有名になっており、私が弟妹のために料理を作る際には若手コックが一人、メイドが三人必ず付くようなんです。
若手のコックは二人なので、その都度交代で、メイドの方は倍率が高くてくじ引きなんだそうです。
さほどの料理ではないのですが、やはり少し珍しいのかなぁ。
調理法も多少アブサルロアの手法を入れたり、調味料も少しばかり異なる使い方をしていますからね。
料理人にとっては目から鱗なのでしょう。
三時のおやつは、シロップ漬けの果物を入れたクレープに、抹茶入り温飲料。
どちらも甘いので食後には兄弟姉妹そろって歯磨きをします。
歯磨きのブラシは私が作ったお手製のモノですが、とても好評です。
夜寝るときには歯磨き粉を付けますが、お昼やおやつの際の歯磨きは何もつけずにブラッシングだけなのです。
三時のおやつの後で、幼い子を対象に童話を紙芝居にしたものを見せていたら、いつの間にか三人ほど寝てしまいました。
今日も朝から夕方まで弟妹達のお相手で忙しかった私なのです。
21世紀に住んだことのある私ですし、前世のアブサルロアでも多くの宮廷料理を食し、時にはやんごとなきお方達に私の手料理を披露したことのある私です。
レシピや食材は腐るほど私の亜空間倉庫に眠っていますから、どんな料理でも復元可能なのです。
最近は母屋のコック達が私の厨房を盛んに盗み見ているのを知っています。
私はプロの料理人ではないですから、コック達に教えることはしませんが、料理法や技を盗み見ることは許しています。
そのおかげで我が家の食事がおいしくなれば万々歳でしょう。
因みに母上は今日もサロン風の井戸端会議で午前中からお忙しそうでしたね。
そんな母上も偶に私の手料理を食べる機会もあるのですよ。
その都度お褒めの言葉を頂きますが、その際はコックたちに遠慮して小声で言うようにしているみたいです。
余り私の料理ばかり期待しすぎると料理人たちがひがんでしまいますからね。
注意しましょう。
少なくともこれまで公式の場で私が料理を他所の方に提供したことはないのです。
宮様が料理を造ると言うのも21世紀ならばちょっとした話題になるかもしれませんが、この時代では公表してはいけないことなのです。
そう言えば美女コンテスト事件なるものが過去に学習院であったそうです。
学習院のとあるお嬢様の写真が新聞のミスコンに投稿され栄えある第一位を勝ち取ってしまったのですが、これに激怒したのが乃木希典学長で、自らの写真を全国で晒すようなことは不謹慎だと考えられたらしいのです。
因みにこのお嬢様は当時16歳、学習院中等部の三年生でしたが、実のところ自分のあずかり知らぬところで投稿されてしまった経緯があります。
結局件の令嬢は、学習院を中退して病身の許嫁と結婚したそうです。
この時代深窓の令嬢は必要以上に顔を晒してはいけないのです。
因みにコンテストで二位以下となった女性は全て年上の人であり、芸妓さんとかの所謂玄人さんがほとんどでした。
明治はミスコンもできない時代だったのですね。
それゆえに私のアブサルロアでの常識もなかなか通じないのだと改めて認識しました。
そう言えば江戸時代の浮世絵で描かれる美女の類は全て玄人女性でしたよねぇ。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
85
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる