俺の人生をめちゃくちゃにする人外サイコパス美形の魔性に、執着されています

フルーツ仙人

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番外 四十三 花

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 ダリオは、自分が特別不幸だとは思っていない。
 身長は高く体格もよく、頭の回転もそこそこ早い。周囲にも恵まれている。
 それでも、怪異による理不尽な被害を受けたことは確かだ。
 人外に追いかけ回され、住居までついて来て扉を朝まで叩かれたこともある。時に見知らぬ異空間に連れ去られ、生きるか死ぬか分からない不安と恐怖の中、どうにか逃げ出したこともあった。
 辛いこともあったが、五体満足で生き延びている。
 自分は大丈夫だ。
 今回も、きっと大丈夫だ。
 ダリオは深呼吸し、目の前を通り過ぎようとする男――その隣を俯いて歩く少年に声をかけた。
「君、大丈夫か?」
 淡々と、突き放さないように言ったつもりだが、緊張して上手く伝えられたかは分からない。
 少年がビクリとして顔をあげた。身なりこそ冴えなくて素朴だが、挙動には明らかに不慣れでぎこちなさがあった。男の好みは知っている──若く、何も知らず、不安そうな子ども。
「もし、君が本意でなくて、助けがいるなら、そう言ってほしい⋯⋯助けるから」
 杞憂であれば、意味不明だろう。少年は唇を震わせ、視線をきょろきょろと左右に泳がせた。
「おいっ」
 男がダリオを睨みつけ、少年の腕を掴んで引っ張る。
「親戚の子だ、口出しするな!」
 少年があからさまに肩をびくつかせた。嘘だ。ダリオは確信を深めるが、決定的な一言がない。介入を迷った瞬間、少年が男の向こう脛を蹴った。
 悲鳴とともに枷が外れ、少年は青い顔をして元来た道を走り去ってしまった。
 置いて行かれた男は呆然とし、次の瞬間には額に青筋が浮かんだ。
「なんなんだお前はっ」
 先に威嚇で怒声を上げた。
「不審者はそっちだろ、警察呼ぶぞ!」
 怒鳴りつけて主導権を奪おうとしている。どうしようもないやつなのに、ダリオは一瞬、体がすくんだ。今の自分ではなく、ハイスクール時代の自分が硬直していた。
 その自分を振り払って、ダリオは冷たく告げた。
「警察か。いいなそれ。呼ぼう。ちょうどいい」
 無表情に携帯フォンを取り出し、画面ロックを解除するよう指をすべらせると、男の顔色が変わった。
 男が捨て台詞を吐いて踵を返した瞬間、茶屋の暖簾がめくられ、テオドールが外に出てきた。
「お待たせしてすみません、ダリオさん。僕の干渉で決済機が誤作動してしまい、少し手間取りました。そこの人間は?」
 男がぽかんとする。
 月のように静かなテオドールの美貌に、怒りも魂も奪われてしまったらしい。
 テオドールは、男を観察するように見つめ、続いてダリオを見た。
「ダリオさん?」
「あ、ああ」
 ダリオは動揺のあまり、携帯フォンを取り落としてしまう。
「あ⋯⋯」
 拾い上げようとする前に、テオドールが屈んで拾うとダリオに差し出した。
「すまん、ありがとう⋯⋯」
「大丈夫ですか?」
 それが携帯フォンのことか自分の様子か、判然としない。ただ、立ち尽くしていた男の顔にみるみる妬心が浮かぶのをダリオは理解した。
 テオドールが初期によく起こしていた騒動で見かけた表情だ。
 なぜこんな美しい方の側に、こんなみすぼらしいやつが、というそれ。
 次に男が何を口にするか、言われなくても分かった。
「この、売春夫のくせに、身の程をわきまえろ!」
 その言葉が空気を切り裂いた瞬間、場の温度が一気に落ちた。
 テオドールが、今まで一度も見せたことのない光を宿した瞳で男を見据えた。
 その視線は、相手を人間として認識していないような、冷たく無機質なものだった。
「あ⋯⋯あ⋯⋯」
 男は腰を抜かしてその場に座り込んだ。前立てに濃い染みが滲み、不快な匂いが鼻を衝いた。
 ダリオはうんざりした。
 テオドールはふと“ルール”を思い出したように、ダリオを見やり、
「殺します」
 その声は無感情で、まるで事務連絡の一文のように冷たかった。
 ダリオは硬直が解けると前に出て、テオドールの前に立ちはだかった──まずは殺意を制止するためだ。
「もういい、行け」と促すと、男は這々の体で逃げ去る。
 テオドールは無言でダリオを凝視していたが、ふっ、と彼の周囲を満たしていた緊張がほどけた。
「テオドール⋯⋯」
 テオドールは淡々と告げた。
「必要なら、いつでも殺せます」
 場は静まったが、問題が終わったわけではない。
 説明しないと⋯⋯とダリオは思った。
 でも、何をどう、どこまで?
 何も面白い話じゃない。
 簡単に⋯⋯どう簡単に?
 思考がぐるぐると渦巻き、過去の自分が追いかけてきて、腕をつかむのをダリオははっきりと理解した。
 売春した行為を罪だと思っているわけではない。
 ただ──とうとう今日、誰にも打ち明けずに処刑してきた“それ”に、追いつかれたのだと悟った。



 部屋の戸が静かに閉まる。畳の青い匂いと、うっすら檜の湯気が混じった空気が胸に落ちた。
 ダリオたちは、ひとまず旅館霞の蔵にチェックインを済ませ、部屋へと案内された。
 障子越しに、苔と竹が縞を描く庭が見渡せる。水盤に一枚、楓の葉が音もなく沈む。
 低い卓には黒塗りの盆が置いてあり、湯気の立つ急須と、季節の練り切りがふたつ。
 壁の間接照明は月の色をしている。
 鉄製の風鈴の細い余韻だけが、静けさをより引き立てていた。
 荷を下ろすと、床の間の白花がふっと香り、部屋全体の温度が一度ほどやわらぐ。
 踏み込みの先、檜の内風呂は湯を張る音をひそやかに続けており、ダリオは凄いところに来てしまったと思った。
 テラスに出れば、竹林の向こうでレッドウッドが深い呼吸をしているのが分かる。
 ようこそ、の小さな札――英語と日ノ本語の二行が、盆の縁で同じ光を受けていた。
 本当はワクワクのピークが二回目に達している場面だったのだろう。
 気持ちは少し落ち着いたが、説明しなければと思っていた。
 テオドールが急かさないし、質問もしてこないので余計にそう思わされる。
 せっかく来たのに、いきなりこんな話をするのも自己満足で台無しにしてしまう気もするし、家に帰ってからでもいいのかなとも考えた。
 ひとつ嘆息して、ダリオは卓の前に腰を下ろした。
「テオ、さっきの件についていいか」
「はい」
「あまり面白い話でもないが、一応簡単に説明しようかと思う。ただ、もし聞きたくないなら」
「聞きます」
 遮られた。
 テオドールはあまりそういうことをしないのだが、ダリオは慎重に聞き直した。
「本当に面白くない話だし、嫌な気持ちになるかもしれない」
「ダリオさんのことで僕が嫌な気持ちになることはありません。不快になるのは、ダリオさんが嫌な目に遭わされた時です」
 うーん⋯⋯とダリオは身体から力の抜けるような、より困惑するような気持ちになった。
「とりあえず、話を聞いても、さっきのおっさんをいきなり殺すのは辞めてほしい」
「⋯⋯承知しました」
「ああ。どこから話したらいいか⋯⋯簡単に言うと、俺、ハイスクールの時に、あのおっさん相手に売春をして」
 バキッ
 と湯呑が盆まで真っ二つに割れ、ダリオは沈黙した。
 弁償⋯⋯弁償で済むのか、これ。
 どうしよう。
「室内のものを破壊されると困る⋯⋯」
「失礼しました。以後気をつけます。破壊したものは、僕自身が後でお詫びがてら弁償に参りますので、続けてください」
「俺も行くよ。まあ、とにかくそういうことがあって、一応言い訳になるが、粘膜交渉まではしてねーから、性病については安心してくれ。結局相手が事前のシャワーを浴びてる間にホテルを出たから。金も受け取ってない。ペッティングとかそういうのだけだ。これは病院に行って、証明取ってくる。すまん、テオが人間じゃなくても、先にそうすべきだったよな」
「証明は不要です。僕はもともと人間の病気にはかかりませんので」
「あー⋯⋯まあそうかもだが」
 ダリオはそこまで言って、ふと視線を割れた湯呑みに落とした。
「⋯⋯フェアネスを期して、俺が売春した人間なのはそうだし、別れたいなら別れる」
 視線が段々下がり、ひざ上に握った拳まで落ちていた。
 テオドールが近づいてくる気配があり、影が手元の拳まで覆った。
 そっと美しい指先が握り込んだダリオの手の甲に重ねられる。
「何故別れる必要がありますか」
 責めたりせずに、優しい声だった。
「ダリオさんの心を読まないようにしているので、僕にはダリオさんに教えていただかなければわかりませんが⋯⋯ダリオさんはそのとき、望んでいなかったのではないでしょうか」
 こんな風に聞かれるとは思っていなくて、ダリオはどう答えたらいいかわからず、瞳を拳の上に彷徨わせた。
 簡単に事実だけを伝えるつもりだった。
 でも、テオドールは、ダリオが伝えるつもりのなかったところについて触れている。
 ダリオは今まで誰にも言ったことがない。
 売春をしようとしたことをではない。
 そうではない。
 誰にも、
 誰にも言ったことがない。
 処刑してきた自分が、そこにいる。
 言ったところでどうなる。
 そんなのは自分で処理することだ。無理なら医者にかかって、プロにカウンセリングしてもらうべきだ。
 これからひとりで生きるよりも、ふたりで生きようと約束したなら余計にそうだろう。
 しっかり自立しなければならない。
 相手に寄りかかってはいけない。
 せっかく、お帰りと言ってくれる人ができたのに、なにもかもぶち壊しになる。
 自分の過去の行いで失うなら自業自得だ。ダリオは許容できる。
 仕方のないことだ。
 でも、″それ″を開けてはいけない。
 それで失うのだけは我慢できない。
 だって、それは、
 それは
 ダリオはもう一度それを処刑することにした。
 殺してしまえば、なかったことになるわけではないが、少なくとももう気にしないことにできる。
 折り合いをつけていくだけの淡々とした作業だ。 
「ダリオさん」
 テオドールの声は、平らかな水面に落ちる一滴のしずくのようにダリオに聞こえた。
「僕は、ダリオさんの心を読まないとお約束したので、想像が正しいかもわかりません。でも、ダリオさんが、金銭を結局受け取られる前に、ホテルを出たと仰るのを聞いて⋯⋯もちろん、もうその過去もダリオさんの一部なので取り消せませんし、そうするべきでもないのでしょう。ただ、ハイスクール生のダリオさんが、ホテルを出て歩いている時に、僕がそこにいたかった。その時のダリオさんを、僕は一人にしたくなかった。今からでも、そのダリオさんを抱きしめに行けたらいいのに」
 呆然とした。
 伏せた顔面が上がらず、手の甲に重ねられたテオドールのそれに、ぽたりとしずくが落ちる。
 あの日、ダリオは泣きながら一人で道を歩いた。
 売春未遂をした時も、犬のテオドールが施設に連れて行かれた時も、両親にいらないと捨てられた時も、里親から突き返された時も、怪物に追いかけられた時も、現実とは違う場所に連れて行かれた時も。
 大人や友人たちに助けてもらって、ありがとうと受け取り、みんなが自分のうちに帰っていく。
 その時も。
 ダリオは、今はもう大丈夫になった。
 過去の行いや出来事そのもののことではなくて。
 ダリオが何度も処刑してきた、誰にも言えなかったそれは。
 守ってほしかった。
 大きな存在に抱きしめてもらいたかった。
 そうしてもらえなくて悲しくて寂しくて泣きたかった。 
 そのときの自分は、あまりにも辛かったから、辛くないようにいっぱい殺したのだ。
 
 

 

 
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