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番外 三十一 支配者の館
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先日の退魔協会関連の護衛アルバイト代は、スペック盛りのパソコン購入に消えた。
CPU、グラフィックボード、メモリ、全てが目玉一つ二つは飛び抜け、クリエイティブ向けに開発されたワークステーションである。
ダリオは、自前でアプリケーション開発も手習い程度にはやるが、最近はマジックアイテムショップの店主ヘルムートから、魔法陣ならぬマジックプログラミング言語を教えてもらっている。ところが、この言語は処理負荷が半端ない。おかげで、通常スペックのパソコンでは使い物にならず、あーこれは駄目なやつ、とダリオは早々に見切りをつけていた。
アプリケーション開発の仮想携帯フォンをパコソンで走らせるのもかなりの容量を食っていたが、マジックプログラミングはその比どころではなかったのだ。
無理。ハイスペックなワークステーションに切り替えるしかない、とダリオは購入を決意した。
ヘルムートのところで臨時アルバイトをし、教会の護衛アルバイトで目標額に達したのが先日。
前々から予算と相談して目をつけていたワークステーションを専門ショップで割引してもらい、現金払いで一括購入したのである。
ダリオは普段生活を切り詰めているが、勉学のための投資には金を惜しまないところがあった。
それにしても高かった……と、ちょっと胃が痛みながら帰路につく。
去年、ダリオの住んでいた学生寮は原因不明の火災が起きて住めなくなった。路頭に迷ったダリオは、金ねーぞ、嘘だろ……と呆然としたものだ。その後、不法侵入型支配者のテオドールに「住まいをご用意できます」と誘われて、謎の洋館に転居したのが、もうずいぶん前に感じる。
当時は、テオドールの存在そのものにダリオは警戒心を抱いていた。しかし経済的な理由で背に腹は代えられず、結局胡乱な誘いに頷いたのだった。
覚悟を決めて住んでみると、色々不気味なことも起こるものの、慣れればまあそんなもんかなとダリオは爆速で適応し、現在は普通に過ごしている。
テオドールが構えたその洋館は、ビルの隙間の坂道を登った先にあった。
正確に言うと、坂道を登り始めたら、いつの間にか館に着いている。
明らかに尋常ではない力が働いているが、ダリオはこれも最初こそ驚いたものの、結局まあそういうもんなんだろ、と考えるのを止めていた。
ダリオにはこういうところがある。
いちいち気にしていたら、ダリオはとっくにストレスで胃に穴が空いて、某聖女おじさんのように吐血生活を送っていただろう。
思い出して、あの人大丈夫なのか、と微妙に心配になるダリオだ。
一回殺されかけたが、その後は吐血するほど悪さはしていない。はずだ。さすがに病気の人を揶揄するのはどうかと思い、人並みに快癒を祈っているダリオである。
怒るのは自然な感情の発露でいいのだが、恨むのは攻撃性があってなんか疲れるんだよな、とダリオは思っている。結局、恨みを回避するのは、自分の心理的安全確保のためだ。
ダリオが自分の両親を嫌な奴等だと評し、無理に許す必要はないと思いつつも、恨み続けないのは、この点においてだった。
自分のことよりも、嫌な奴らのことを考え続けるのは、精神的疲労が激しい。何も自分で自分に罰を与えることもないだろう。ダリオにそのような性癖はない。
反骨精神だろうが反面教師だろうが、常に両親を判断基準に据え置いてしまうのも、自分の内側に彼らを特等席で住まわせているようなものだ。
私有地なのでお帰りくださいをする。そして、距離をおいているのだった。
ダリオも思い出すと人間なので、腹が立つこともあるし、やな奴らだったなーと思う。しかし、そういう時はそのまま、そう感じてるからそうなんだなと否定しないでいる。
否定しなければらないくらい次々に苦しい感情が湧き上がってるくるなら、結局許せねーし腹立ってんだろ、ということだ。
そう感じる自分を自分で否定しない感覚が、幼少の頃よりダリオには備わっていた。
それは、他人に自分を否定されても、精査する感覚においてもである。
大人が、1+1は0と主張しても、ダリオは考えて、そうか? となる子供だったのだ。
1+1は0ではなく、2だろう。大人が0になると顔を真赤にして主張しても、そうはならねーだろうとなる。納得の行く説明をされれば考えを変えるのもやぶさかではないが、おかしいと思えば、詐術や感情的な訴えによって、事実を虚にしないところがあった。
なので、どれほどお前は異常者と罵られようと、そんなことを子供に言ううちの親がやべぇやつ、と子供心に思っていたのである。
これはもう生まれ持った気質であろう。
自分の周りで異常なことが起きるが、それは異常な事を起こすやつが悪いのであって、俺自身の性格の異常さの証明にはならないよな、まあ自分の性格の良し悪しは分かんねーけど、と当時はうまく言語化できないなりにぼんやり思っていたのだ。
他人にどう言われようが、自分はそう感じてるのだから、自分くらい否定せずに認めてやった方がいい気がする。
無闇にねじ伏せてもしんどい。
しかも大体ダリオは普段両親のことを忘れているのだ。
思い出したらその都度しみじみとやなやつらだった、友達になりたくねータイプ、でも不幸を願うほど執着もねーから、どこかで達者で暮らせ、で済ませていた。
そうは言っても、唐突に関わってこられると、うまく処理できなくて悲しい気持ちになることもある。
その時は、悲しいから悲しいんだな、そういう自分もいるよな、俺だって本当は仲良く暮らせて頼れる親欲しかったもんな、そうじゃねーから悲しくなるけど、と認めることにしていた。
そんな気持ちを整理するために、電車に延々乗ったり、公園で鳩に餌をやったりして気持ちに折り合いをつけたこともある。
今はテオドールに全部ばれていて、知らない間に生まれていた妹が可愛がられててきっと羨ましい、もう今更立場を代わりたいとは思わんが、と吐露させられてしまっていた。
青年に抱き寄せられ、どれほどかほっとしたことだろう。
寄りかかりすぎて、まずいような気もするが、今のところ深く考えないでいる。
ダリオは本当にこういうところがある。
しかしテオドールは……急にでもないが、能動的にダリオに愛……し……なんとかを毎日言うと言い出して、すでにダリオは精神的に及び腰になっている。
セックス中に言われることはたまにあったが、お前普段から言うの? エッ、とダリオはもう硬直してしまった。
アルバイト先まで迎えに来て、スプリングコートを肩にかけてもらうだけでも、優しい……好き……となってしまうダリオだ。「僕のお嫁さんになりますか?」と無表情に問われても、あっという間に昇りつめてしまうし、過剰供給されると不可抗力で爆発する。テオドールはよく他の人間の四肢爆散をさせるかダリオに聞いてくるが、今回はダリオが精神爆散の憂き目にあっていた。
テオドールはいつもダリオに優しいのだが、それはなんというかこう独特の振る舞いで、混乱を相殺してくる。力の勾配を気にしてか、出会った当初の押しの強さはなりを潜め、ダリオの様子をよく伺ってから言動を吟味している節があった。
言ってみればダリオ次第の受け身である。
まずダリオが好きと言って、テオドールも「僕も好きです」と応えるし、ダリオがお嫁さんと言い出して、テオドールが「僕のお嫁さんになりますか」と質問するような関係の縮図があった。テオドールは言葉よりも行動によって常にダリオへ与えてくれていたし、それでダリオは十分幸せだったのである。
ところが、上から下に流れていた水が逆流して、テオドールの方が先に能動的に表明してくる心積もりだと言う。
えっ……お……ああ……とダリオはなった。
もう本当に、えっ……お……ああ……えっ?! だ。
え、そんな、テオから俺に……? 俺ちょっとテオから能動的にされるだけで、体の方が先に感極まってしまうような状態なのに……と冷静になればなるほど、具体的な想像だけでトロトロになる。そんな……言われただけで、絶対腰が抜けて、出てはいけないものが出るし、日常生活ができねーだろ、とかなりの惨事が予想された。
どう対策したらいいかわからない。そもそもパートナー相手に、対策するとは何なのだ。失礼だろ、害獣じゃねーんだぞ、と真顔になってしまう。
テオドールはゆっくりしてほしいというダリオの願いに頷いていたし、今のところは大丈夫だ。悪いことじゃねーし、その内慣れるはずだろ、それか時と場所を選んでもらえば……とダリオは難しい顔で考えた。
そうこうする内に、ビルの間の坂道が見えてきて、
「ん?」
のしのしと大股に闊歩していたダリオは、歩幅を緩めた。
坂道の前で、よろよろとビル壁にもたれ、具合が悪そうにしている大柄な青年がいる。
ダリオより上背なので相当だ。仕立ての良い羊毛のシングルブレストコートはブラック、青ざめてゲロでも吐きそうなその顔は……
「えっ、トーゴくんじゃねーか」
驚きで声が出る。
退魔協会阿鼻叫喚事件で、テオドールのポシェットを事故で燃やしかけ、なんならテオドールの本体を垣間見たらしく、自我消失の憂き目にあいかけた、オンミョージのアシヤトーゴくんその人だった。
今日もゲロ吐きそうだが、とダリオは眉をひそめる。教会のナサニエルが唐突に吐血するように、そういう体質が癖になってしまったのなら気の毒過ぎるだろう。
ダリオはとりあえず、肩がけのカバンから嘔吐袋(咄嗟に活躍場面が多く持ち歩いていた)を取り出した。駆け寄って、青年に声をかける。
「具合が悪そうですが、ひとりで動けますか?」
「あ゛……? あんた……ぅっ」
吐きそうならこれ使ってください、と袋を差し出しながら、目視で相手の様子を確認した。ぱっと見に、大きな怪我はなさそうだ。しかし本人に聞かないとわからない。
トーゴは、ぎろりとダリオをうつむき加減の青白い顔で睨んだが、すぐに引ったくるようにして嘔吐袋を広げると、可哀想に空でえづいていた。何も出てくるものがないらしい。
空えづきの嘔吐衝動だけなのも辛そうで、ずるずるとビルを背にしゃがみ込んでしまい、立てないようだ。
ダリオも屈んで膝をつき、適切な距離を取って、急変していないか様子を確かめるようにした。
青年は悪態混じりに何か言っている。
「信じられねぇ……こんなところに……正気かよ」
黒の針金のようなツーブロックの頭をかき回して呻いているようだ。
意識はしっかりしているが、ひとりで立つこともできないのは相当だろう。ダリオは木陰のベンチを大きく指さして示した。
「あそこのベンチまでサポートしましょうか?」
いきなり救急車を呼ぶか尋ねると、言われた方も心理的ハードルが高いので、近場のサポートを申し出たのだが、
「いらねぇ」
一刀両断される。丁寧な対応はいらなそうだな、とダリオも判断した。ざっくばらんな口調で良いだろう。
前も思ったが、トーゴくんはどうもダリオより若いようだ。まさか未成年ってことはないよなぁ、とダリオは保護者のキミヒコ氏はどこだと思った。
なにか更に言いかけたトーゴ青年は、また「うぶっ」、と大きな手のひらで口元を覆う。ダリオも眉をしかめる。
顔色はもう真っ白だ。長い足が、骨を抜かれてイモ虫のもがくようにしている。
ふとダリオは、近場での休憩ではなく、彼がここから遠ざかりたいのに動けないのだと気付かされた。この場合、提案の形で宣言した方がよさそうだ。
「あー、肩を貸すから、ここから離れよう」
ダリオの提案に、アシヤ家の陰陽師トーゴは少し黙った後、はっきり頷いた。
不本意でも、選択の余地はないらしい。
肩を貸して遠ざかるふたりの背後に、禍々しい館が坂道の上、『ぽつん』と立っている。
丘の上から何者かが『じっ』と見下ろすかのように、それは異様な存在感を放ち、巨大な顔の両眼を思わせる窓が、ぽっかりと黒色を濃くしていた。
大きな門は風もないのに、ぎぃぎぃと耳障りな歯ぎしりをするよう鉄柵を鳴らす。
しかし、ダリオはその様子にも気づかない。
逆にトーゴ青年は、地面に視線を固定したまま顔面蒼白で歯を食い縛り、背後からの何者かの気配に痛いほど気を尖らせていたのだった。
CPU、グラフィックボード、メモリ、全てが目玉一つ二つは飛び抜け、クリエイティブ向けに開発されたワークステーションである。
ダリオは、自前でアプリケーション開発も手習い程度にはやるが、最近はマジックアイテムショップの店主ヘルムートから、魔法陣ならぬマジックプログラミング言語を教えてもらっている。ところが、この言語は処理負荷が半端ない。おかげで、通常スペックのパソコンでは使い物にならず、あーこれは駄目なやつ、とダリオは早々に見切りをつけていた。
アプリケーション開発の仮想携帯フォンをパコソンで走らせるのもかなりの容量を食っていたが、マジックプログラミングはその比どころではなかったのだ。
無理。ハイスペックなワークステーションに切り替えるしかない、とダリオは購入を決意した。
ヘルムートのところで臨時アルバイトをし、教会の護衛アルバイトで目標額に達したのが先日。
前々から予算と相談して目をつけていたワークステーションを専門ショップで割引してもらい、現金払いで一括購入したのである。
ダリオは普段生活を切り詰めているが、勉学のための投資には金を惜しまないところがあった。
それにしても高かった……と、ちょっと胃が痛みながら帰路につく。
去年、ダリオの住んでいた学生寮は原因不明の火災が起きて住めなくなった。路頭に迷ったダリオは、金ねーぞ、嘘だろ……と呆然としたものだ。その後、不法侵入型支配者のテオドールに「住まいをご用意できます」と誘われて、謎の洋館に転居したのが、もうずいぶん前に感じる。
当時は、テオドールの存在そのものにダリオは警戒心を抱いていた。しかし経済的な理由で背に腹は代えられず、結局胡乱な誘いに頷いたのだった。
覚悟を決めて住んでみると、色々不気味なことも起こるものの、慣れればまあそんなもんかなとダリオは爆速で適応し、現在は普通に過ごしている。
テオドールが構えたその洋館は、ビルの隙間の坂道を登った先にあった。
正確に言うと、坂道を登り始めたら、いつの間にか館に着いている。
明らかに尋常ではない力が働いているが、ダリオはこれも最初こそ驚いたものの、結局まあそういうもんなんだろ、と考えるのを止めていた。
ダリオにはこういうところがある。
いちいち気にしていたら、ダリオはとっくにストレスで胃に穴が空いて、某聖女おじさんのように吐血生活を送っていただろう。
思い出して、あの人大丈夫なのか、と微妙に心配になるダリオだ。
一回殺されかけたが、その後は吐血するほど悪さはしていない。はずだ。さすがに病気の人を揶揄するのはどうかと思い、人並みに快癒を祈っているダリオである。
怒るのは自然な感情の発露でいいのだが、恨むのは攻撃性があってなんか疲れるんだよな、とダリオは思っている。結局、恨みを回避するのは、自分の心理的安全確保のためだ。
ダリオが自分の両親を嫌な奴等だと評し、無理に許す必要はないと思いつつも、恨み続けないのは、この点においてだった。
自分のことよりも、嫌な奴らのことを考え続けるのは、精神的疲労が激しい。何も自分で自分に罰を与えることもないだろう。ダリオにそのような性癖はない。
反骨精神だろうが反面教師だろうが、常に両親を判断基準に据え置いてしまうのも、自分の内側に彼らを特等席で住まわせているようなものだ。
私有地なのでお帰りくださいをする。そして、距離をおいているのだった。
ダリオも思い出すと人間なので、腹が立つこともあるし、やな奴らだったなーと思う。しかし、そういう時はそのまま、そう感じてるからそうなんだなと否定しないでいる。
否定しなければらないくらい次々に苦しい感情が湧き上がってるくるなら、結局許せねーし腹立ってんだろ、ということだ。
そう感じる自分を自分で否定しない感覚が、幼少の頃よりダリオには備わっていた。
それは、他人に自分を否定されても、精査する感覚においてもである。
大人が、1+1は0と主張しても、ダリオは考えて、そうか? となる子供だったのだ。
1+1は0ではなく、2だろう。大人が0になると顔を真赤にして主張しても、そうはならねーだろうとなる。納得の行く説明をされれば考えを変えるのもやぶさかではないが、おかしいと思えば、詐術や感情的な訴えによって、事実を虚にしないところがあった。
なので、どれほどお前は異常者と罵られようと、そんなことを子供に言ううちの親がやべぇやつ、と子供心に思っていたのである。
これはもう生まれ持った気質であろう。
自分の周りで異常なことが起きるが、それは異常な事を起こすやつが悪いのであって、俺自身の性格の異常さの証明にはならないよな、まあ自分の性格の良し悪しは分かんねーけど、と当時はうまく言語化できないなりにぼんやり思っていたのだ。
他人にどう言われようが、自分はそう感じてるのだから、自分くらい否定せずに認めてやった方がいい気がする。
無闇にねじ伏せてもしんどい。
しかも大体ダリオは普段両親のことを忘れているのだ。
思い出したらその都度しみじみとやなやつらだった、友達になりたくねータイプ、でも不幸を願うほど執着もねーから、どこかで達者で暮らせ、で済ませていた。
そうは言っても、唐突に関わってこられると、うまく処理できなくて悲しい気持ちになることもある。
その時は、悲しいから悲しいんだな、そういう自分もいるよな、俺だって本当は仲良く暮らせて頼れる親欲しかったもんな、そうじゃねーから悲しくなるけど、と認めることにしていた。
そんな気持ちを整理するために、電車に延々乗ったり、公園で鳩に餌をやったりして気持ちに折り合いをつけたこともある。
今はテオドールに全部ばれていて、知らない間に生まれていた妹が可愛がられててきっと羨ましい、もう今更立場を代わりたいとは思わんが、と吐露させられてしまっていた。
青年に抱き寄せられ、どれほどかほっとしたことだろう。
寄りかかりすぎて、まずいような気もするが、今のところ深く考えないでいる。
ダリオは本当にこういうところがある。
しかしテオドールは……急にでもないが、能動的にダリオに愛……し……なんとかを毎日言うと言い出して、すでにダリオは精神的に及び腰になっている。
セックス中に言われることはたまにあったが、お前普段から言うの? エッ、とダリオはもう硬直してしまった。
アルバイト先まで迎えに来て、スプリングコートを肩にかけてもらうだけでも、優しい……好き……となってしまうダリオだ。「僕のお嫁さんになりますか?」と無表情に問われても、あっという間に昇りつめてしまうし、過剰供給されると不可抗力で爆発する。テオドールはよく他の人間の四肢爆散をさせるかダリオに聞いてくるが、今回はダリオが精神爆散の憂き目にあっていた。
テオドールはいつもダリオに優しいのだが、それはなんというかこう独特の振る舞いで、混乱を相殺してくる。力の勾配を気にしてか、出会った当初の押しの強さはなりを潜め、ダリオの様子をよく伺ってから言動を吟味している節があった。
言ってみればダリオ次第の受け身である。
まずダリオが好きと言って、テオドールも「僕も好きです」と応えるし、ダリオがお嫁さんと言い出して、テオドールが「僕のお嫁さんになりますか」と質問するような関係の縮図があった。テオドールは言葉よりも行動によって常にダリオへ与えてくれていたし、それでダリオは十分幸せだったのである。
ところが、上から下に流れていた水が逆流して、テオドールの方が先に能動的に表明してくる心積もりだと言う。
えっ……お……ああ……とダリオはなった。
もう本当に、えっ……お……ああ……えっ?! だ。
え、そんな、テオから俺に……? 俺ちょっとテオから能動的にされるだけで、体の方が先に感極まってしまうような状態なのに……と冷静になればなるほど、具体的な想像だけでトロトロになる。そんな……言われただけで、絶対腰が抜けて、出てはいけないものが出るし、日常生活ができねーだろ、とかなりの惨事が予想された。
どう対策したらいいかわからない。そもそもパートナー相手に、対策するとは何なのだ。失礼だろ、害獣じゃねーんだぞ、と真顔になってしまう。
テオドールはゆっくりしてほしいというダリオの願いに頷いていたし、今のところは大丈夫だ。悪いことじゃねーし、その内慣れるはずだろ、それか時と場所を選んでもらえば……とダリオは難しい顔で考えた。
そうこうする内に、ビルの間の坂道が見えてきて、
「ん?」
のしのしと大股に闊歩していたダリオは、歩幅を緩めた。
坂道の前で、よろよろとビル壁にもたれ、具合が悪そうにしている大柄な青年がいる。
ダリオより上背なので相当だ。仕立ての良い羊毛のシングルブレストコートはブラック、青ざめてゲロでも吐きそうなその顔は……
「えっ、トーゴくんじゃねーか」
驚きで声が出る。
退魔協会阿鼻叫喚事件で、テオドールのポシェットを事故で燃やしかけ、なんならテオドールの本体を垣間見たらしく、自我消失の憂き目にあいかけた、オンミョージのアシヤトーゴくんその人だった。
今日もゲロ吐きそうだが、とダリオは眉をひそめる。教会のナサニエルが唐突に吐血するように、そういう体質が癖になってしまったのなら気の毒過ぎるだろう。
ダリオはとりあえず、肩がけのカバンから嘔吐袋(咄嗟に活躍場面が多く持ち歩いていた)を取り出した。駆け寄って、青年に声をかける。
「具合が悪そうですが、ひとりで動けますか?」
「あ゛……? あんた……ぅっ」
吐きそうならこれ使ってください、と袋を差し出しながら、目視で相手の様子を確認した。ぱっと見に、大きな怪我はなさそうだ。しかし本人に聞かないとわからない。
トーゴは、ぎろりとダリオをうつむき加減の青白い顔で睨んだが、すぐに引ったくるようにして嘔吐袋を広げると、可哀想に空でえづいていた。何も出てくるものがないらしい。
空えづきの嘔吐衝動だけなのも辛そうで、ずるずるとビルを背にしゃがみ込んでしまい、立てないようだ。
ダリオも屈んで膝をつき、適切な距離を取って、急変していないか様子を確かめるようにした。
青年は悪態混じりに何か言っている。
「信じられねぇ……こんなところに……正気かよ」
黒の針金のようなツーブロックの頭をかき回して呻いているようだ。
意識はしっかりしているが、ひとりで立つこともできないのは相当だろう。ダリオは木陰のベンチを大きく指さして示した。
「あそこのベンチまでサポートしましょうか?」
いきなり救急車を呼ぶか尋ねると、言われた方も心理的ハードルが高いので、近場のサポートを申し出たのだが、
「いらねぇ」
一刀両断される。丁寧な対応はいらなそうだな、とダリオも判断した。ざっくばらんな口調で良いだろう。
前も思ったが、トーゴくんはどうもダリオより若いようだ。まさか未成年ってことはないよなぁ、とダリオは保護者のキミヒコ氏はどこだと思った。
なにか更に言いかけたトーゴ青年は、また「うぶっ」、と大きな手のひらで口元を覆う。ダリオも眉をしかめる。
顔色はもう真っ白だ。長い足が、骨を抜かれてイモ虫のもがくようにしている。
ふとダリオは、近場での休憩ではなく、彼がここから遠ざかりたいのに動けないのだと気付かされた。この場合、提案の形で宣言した方がよさそうだ。
「あー、肩を貸すから、ここから離れよう」
ダリオの提案に、アシヤ家の陰陽師トーゴは少し黙った後、はっきり頷いた。
不本意でも、選択の余地はないらしい。
肩を貸して遠ざかるふたりの背後に、禍々しい館が坂道の上、『ぽつん』と立っている。
丘の上から何者かが『じっ』と見下ろすかのように、それは異様な存在感を放ち、巨大な顔の両眼を思わせる窓が、ぽっかりと黒色を濃くしていた。
大きな門は風もないのに、ぎぃぎぃと耳障りな歯ぎしりをするよう鉄柵を鳴らす。
しかし、ダリオはその様子にも気づかない。
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