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陥る女装男子
ふぅっと吐き出した紫煙が立ち上り、薄まりながら拡散する。
壁を隔ててもわかる騒々しさを聞き流し、だらしない姿勢を正す気もない。
シンプルな黒の上下に前髪を撫でつけただけの出で立ちの男は、未成年で煙草をふかしても咎められないこの場所を気に入っている。
「よぉ。来てたのか」
「……あぁ」
一人でソファを占領する男の元に、別の男が顔を出した。
傷んだ髪を赤と金に染めた、派手で軽薄そうな青年はソファに腰掛け、他者を寄せ付けない雰囲気を隠しもしない男へ気兼ねすることなく寄りかかる。
「今日は一人なのか? 連れは?」
「いねぇ」
「へぇ、珍しい。男も女も食い漁ってるお前にしちゃ」
「うるせぇ」
今夜はおしゃべりを楽しみたい気分ではない。
甘い香りの煙を顔に吐きかけてやっても、青年は立ち去らずに絡んできた。
「うぇっぷ、やめろよ。機嫌悪い?」
「別に」
「まぁいいけど。そういやちょっと前、面白そうなのにちょっかい出してるって言ってなかった?」
青年の言葉で引きずり出されるように、脳裏に浮かぶ像がある。
近頃毎週末のように会っている「少女」。
つやつやと長い黒髪。
年齢にしては研究され作り込まれた化粧は、素朴で特徴の薄い顔立ちによく映える。
流行を押さえつつ華美にならない装いは、どこもかしこも細い体を包んで崩れたことがない。
笑顔は控えめで慎ましい。ふとしたときに、どこか遠くを見つめている。口数少なく、かといって話せないわけではない。やや低い声が耳に心地よいが、性格も趣味も似通うところはひとつもない。
男と彼女の共通点といえば、同じ年の高校生であることと────。
「そんで、どうなん? まぁタツミの手にかかれば秒でオトせるんだろーけど」
不愉快な声が男の思考を現実に引き戻す。
吸いもせず短くなってしまった紙巻き煙草を灰皿に押し付けた。
甘いものが好きなのか、と聞いてきた顔を思い出す。
いつも少しだけ甘い香りがするからと、頬を赤らめ俯く彼女は、それが煙草の残り香だなどと想像もしないのだろう。
「手応えはあるが、まだだ」
無視しても躱してもこの青年はしつこい。適当に返事してやると、カラーコンタクトで銀色に輝く瞳が丸くなった。
「へぇ~! ずいぶん時間かけるじゃん。もしかして本気?」
「……まさか」
「だよなぁ。タツミが誰か一人に絞るわけないし。いつもみたいにヤれたらポイ?」
無遠慮に絡みついてくる青年を無視して立ち上がる。
彼の相手をするのはいつだって面倒だ。絡み方が怠すぎる。手が出る前に離れるに限る。
男の機嫌が降下したことを察知したか、青年は追いかけてこなかった。ただひらりと手を振って、背中に声をかけてくる。
「その子に飽きたら相手してね~」
返事をせずに部屋を出た。
苛々する。どうして彼の軽率で中身のない言葉にこれほど揺さぶられたのかわからない。だからこそ余計に腹立たしい。
衝動のままにスマホを取り出し、メッセージを打とうとして、やめた。
スマホをポケットに戻し、店を出る。
すっかり冬の気配を色濃くした風が頬を撫で、頭をも冷やしてくれた。
「飽きたら、か」
他の店へ向かう気にならず、帰路へ爪先を向ける。
呟いた独言は白い吐息となって流されていった。
自分の心の弱さにこんなにも嘆くことになろうとは。
僕は頭を抱え、ベッドの上を転がりまわった。
「今日も……言えなかった……!」
女装で性別を偽って会っている辰巳くんに、別れを告げようと決意してから二週間経っている。
一度目は先週、都内の公園で開かれたイベントに誘われて行った。
どこかで二人きりで話せればと機会を伺っていたが、どうしても周囲に人の気配がある場面ばかりで言い出せなかった。
二度目は今日、夕方から用事があるという辰巳くんに合わせてランチをしたとき。
半個室のような創作料理の店で、静かな雰囲気に背中を押された……はずだったのだけど。
気づいたら毎週見ているドラマの話で盛り上がってしまって、また言えずに終わってしまった。
気がついたときには、用事に向かうために心なしか早足で去っていく辰巳くんの背中を見送っていた。
「うぅぅ……僕はどうしてこんなに意志薄弱なんだ」
大きなイルカのクッションをぎゅうっと締め付ける。
自分を責めても過去は変わらないし、事実が重くのしかかる。
辰巳くんと過ごす時間は楽しくて浮かれてしまう。それはわかる。
だからといって彼を裏切り続けていいのか。
女装であること、本当は男だと告げることは、僕にとってとても難しい。言った瞬間、辰巳くんがどんな目で僕を見るか……考えるだけで胃がねじ切れそうなほど痛むから。
だから適当な嘘をでっち上げて、もう会わないと話すつもりだった。
嘘なんて咄嗟に上手くつけない。だから何度もシミュレーションして、自然にお別れを口にできるよう訓練した。涙目にならず声も振るわせず、言えるようになったというのに。
ぎゅうぎゅうと抱き締めていたイルカを放す。
これだって、辰巳くんが以前ゲームセンターのクレーンで取ってくれたものだ。
抱えるほど大きなぬいぐるみなんて、何十枚と百円玉を入れなければ取れないと思っていたのに、彼は数コインでさっと取ってしまった。
運が良かっただけだなんて笑っていたけど、そういうスマートなところを僕は同じ男として尊敬しきりで、だからこそ離れがたく思ってしまう。
「はぁ……うわっ」
大きな溜め息を吐き出したところで、スマホが鳴った。
メッセージアプリを開くと、たった今僕を悩ませていた原因……辰巳くんからのメッセージが表示されている。
今日のお礼、楽しかったという内容、それに次の約束。
最初は、こんな僕と一緒に過ごして「楽しかった」だなんてお世辞が上手いなぁと感心してた。
でもこうして何度も会ってもらえて、お世辞ではないのかも、と思い始めてる自分がいる。辰巳くんも僕と同じ気持ちで、会ってくれているのかも、と。
「でも……はぁ……どうしよう」
既読をつけてしまったのですぐに返信する。
僕も楽しかったこと、来週末も空いていること。辰巳くんと一緒ならどこでも楽しい……と書きかけて、「辰巳くんと一緒なら」の部分を消した。
「よし。次こそは、言うぞ!」
決心したら少しだけ、気が楽になった。
そうと決まれば、来週着ていく服を用意しておかないと。肌荒れでお化粧が乗らなくなったら大変だからスキンケアは入念に、夜早く寝て。
結局二人のお出かけが楽しみで浮かれてしまうことに罪悪感が沸くのは、直後のことだった。
辰巳くんとこうして会うのも、今日が最後になるだろう。
勢い込んで服を選び、化粧をしたら、いつもより強気な仕上がりになった。
といっても明るい色のインナーを着たり、普段使わない濃い色のアイシャドウを重ねたりと、自分でしかわからないような微妙な変化だけど。
待ち合わせは駅前の交差点。街路樹の傍で待っていると、駆け足で近づいてくる人影があった。
「悪い、遅れた」
「ううん、時間ぴったりだよ。おはよう、辰巳くん」
「おはよ。早速で悪いんだけど、予定変更になったんだ」
「え?」
今日は辰巳くんおすすめの洋食屋さんに連れて行ってもらえることになっていた。その後近くの複合商業施設をぶらついて……という流れの予定だったのだけど。
洋食屋さんが臨時休業で、商業施設の方はなにかのイベントをやるらしく朝からとても混んでいるとのこと。
「そっか……残念だけどしょうがないね」
「ごめんな、もっと早く調べとけばよかった」
「ううん。わたしはそんなの調べもしなかったからお互い様だよ。でも、どうしよっか……」
一緒にランチをして、ウィンドウショッピングを楽しんで、解散するときに話をする予定だったのが崩れてしまった。
イベントが楽しそうなら参加してもいいけど、僕の今日の格好は歩き回ることや、人混みに揉まれることを想定していない。高いヒールで誰かの足を踏んでしまったらどうしよう。
「それなんだけど、よかったら俺の家に来ないか?」
「え? 辰巳くんのおうち?」
思わぬ提案にぽかんとする。
辰巳くんの家はここから数駅の住宅街にあるらしい。
想像したこともなかった、辰巳くんが暮らしている場所。どんな家に、どんな部屋に住んでいるのか。興味ないわけがない。
「い、行きたい!」
「決まり。じゃあ行こうか」
自然と手を繋がれることにも慣れてきた。
辰巳くんはよくこうして、手を繋ぎたがる。髪を撫でたり、肩や背中に触れたり、キスをされることもある。
そういうことはお付き合いをしている男女がするものという常識が僕の中にはあったけど……僕の常識は誰かの非常識とも言うし、辰巳くんの中ではきっと違うのだろうと、無理やり納得することにしている。
僕は辰巳くんに気持ちを伝えたことはないし、彼からも告白めいた言葉をもらったことはない。だから僕らは付き合ってないし、友達だ。
友達同士なら、お互いの家に遊びに行くことも普通のことだ。
近くだという言葉通り、辰巳くんの家の最寄りは電車で3駅のところだった。学校からは少し距離がある。
「ここだよ、どうぞ」
「おじゃまします……」
駅からも近い綺麗なマンションの一室が辰巳くんの家だという。
向かう途中、何か手土産が必要なのではないかと焦ったんだけど、本人が不要だと言うので買い物に寄ることはなかった。
広い玄関をくぐってリビングに通される。
外観の綺麗さは中身にも反映されていて、明るくて整頓された室内に人の気配はない。
「えっと、ご家族は?」
「親父も兄貴も帰ってくるのは深夜だから、気にしないでいいよ」
その言い方で、辰巳くんが家族の……特にお母さんの話をしない理由を察した。
初めて足を踏み入れる空間に恐縮しながら、辰巳くんの自室へ入る。
「わぁ……」
辰巳くんの部屋はとても広く感じた。
物が少ないのがその理由だろう。ベッドと勉強机、椅子、本棚。目につく家具は学生の部屋としての最低限で、備え付けのクローゼットもそれほど大きくはない。
どこもかしこも整頓されていて、雑然としている僕の部屋とは大違いだ。本棚が溢れていることもなく、むしろ本はあまり入っていない。
机の上にはノートパソコンとノートが数冊。端末の質素さにしては大きめのスピーカーが置かれていて、音楽を聴くのが好きなのかもしれない。
寝具は灰色で統一されていて、角度によって薄っすらと模様が見えるシーツがおしゃれだ。ベッドの下に敷かれているラグは大判で、ここに寝転がっても気持ち良さそう。
「なんていうか、辰巳くんらしいお部屋だね」
一通り見回した僕の感想はこうなった。
でも辰巳くんは、素直に捉えられなかったらしい。
「この面白みのない部屋が俺らしいって?」
肩に腕が回され、少し強く抱かれてびくっとしてしまった。
彼はたまにこうして強引に振る舞うことがある。でもそれは辰巳くんの一面でしかないと、僕は思ってる。
「そんなことないよ。物が少ないぶん、こだわりを感じるし、きちんと整ってる。かっこいい辰巳くんにぴったりだ。わたしの部屋は物が多くて汚いから……すごいと思うよ」
必死で言葉を継いでいたら何気なく「かっこいい」とか言ってしまって、自分の発言に照れる。
辰巳くんは僕の周囲に全くいなかったタイプで、すごくかっこいい。
彼はいつだっておしゃれだ。重ね着のセンスがいいし、細身のものもオーバーサイズも軽く着こなして、アクセサリーにも妥協していない。
髪型は学校ですら手を抜く日がなくて、だからこそ先生に怒られてしまうんだけど、注意されても止めたりしないのがまたかっこいい。
高い身長に見合った長い足で歩く姿はモデルさんみたいなのに、僕といるときは僕の低身長と歩きにくい靴の歩幅に合わせてくれるのが……胸がぎゅっと痛くなるくらいかっこよくて、好きだ。
「あ、服はどこに仕舞ってるの? この中?」
照れ隠しに顔を背け、ドアの傍のクローゼットの扉を叩く。
辰巳くんの腕が伸びてきて観音開きの戸を開けてくれた。
クローゼットの中は部屋のシンプルさとは打って変わって、たくさんのファッションアイテムが所狭しと押し込まれている。
窮屈そうではあるけど、決してゴチャついていないところはやっぱり辰巳くんだ。
防虫剤のすっとする匂いに混ざって、辰巳くんの匂いがする。
なんだか余計に照れてしまって、慌ててクローゼットの扉を閉めた。
これからどうするんだろう。座っておしゃべりかな、一緒に音楽を聴いたり、映画を見たりするのかな。
振り返ろうとして、辰巳くんがまだ僕の背後に立っていることに今更気づいた。
「たつみ、くん?」
目の前に辰巳くんの首元があった。視線を上げていくと、僕を見下ろす目とかち合う。
それがなんだかすごく冷たい。
ひゅ、と喉が鳴った。
……怖い。
辰巳くん相手にこんなことを思うなんておかしい。だって辰巳くんは友達で、僕を害することなんてないんだから。
「ナツキ。上向いて」
だからほんの少しだけ無理をして、必死に顔を上げた。
辰巳くんの顔がすっと近づいて、キスをされるなんて思いもせずに。
壁を隔ててもわかる騒々しさを聞き流し、だらしない姿勢を正す気もない。
シンプルな黒の上下に前髪を撫でつけただけの出で立ちの男は、未成年で煙草をふかしても咎められないこの場所を気に入っている。
「よぉ。来てたのか」
「……あぁ」
一人でソファを占領する男の元に、別の男が顔を出した。
傷んだ髪を赤と金に染めた、派手で軽薄そうな青年はソファに腰掛け、他者を寄せ付けない雰囲気を隠しもしない男へ気兼ねすることなく寄りかかる。
「今日は一人なのか? 連れは?」
「いねぇ」
「へぇ、珍しい。男も女も食い漁ってるお前にしちゃ」
「うるせぇ」
今夜はおしゃべりを楽しみたい気分ではない。
甘い香りの煙を顔に吐きかけてやっても、青年は立ち去らずに絡んできた。
「うぇっぷ、やめろよ。機嫌悪い?」
「別に」
「まぁいいけど。そういやちょっと前、面白そうなのにちょっかい出してるって言ってなかった?」
青年の言葉で引きずり出されるように、脳裏に浮かぶ像がある。
近頃毎週末のように会っている「少女」。
つやつやと長い黒髪。
年齢にしては研究され作り込まれた化粧は、素朴で特徴の薄い顔立ちによく映える。
流行を押さえつつ華美にならない装いは、どこもかしこも細い体を包んで崩れたことがない。
笑顔は控えめで慎ましい。ふとしたときに、どこか遠くを見つめている。口数少なく、かといって話せないわけではない。やや低い声が耳に心地よいが、性格も趣味も似通うところはひとつもない。
男と彼女の共通点といえば、同じ年の高校生であることと────。
「そんで、どうなん? まぁタツミの手にかかれば秒でオトせるんだろーけど」
不愉快な声が男の思考を現実に引き戻す。
吸いもせず短くなってしまった紙巻き煙草を灰皿に押し付けた。
甘いものが好きなのか、と聞いてきた顔を思い出す。
いつも少しだけ甘い香りがするからと、頬を赤らめ俯く彼女は、それが煙草の残り香だなどと想像もしないのだろう。
「手応えはあるが、まだだ」
無視しても躱してもこの青年はしつこい。適当に返事してやると、カラーコンタクトで銀色に輝く瞳が丸くなった。
「へぇ~! ずいぶん時間かけるじゃん。もしかして本気?」
「……まさか」
「だよなぁ。タツミが誰か一人に絞るわけないし。いつもみたいにヤれたらポイ?」
無遠慮に絡みついてくる青年を無視して立ち上がる。
彼の相手をするのはいつだって面倒だ。絡み方が怠すぎる。手が出る前に離れるに限る。
男の機嫌が降下したことを察知したか、青年は追いかけてこなかった。ただひらりと手を振って、背中に声をかけてくる。
「その子に飽きたら相手してね~」
返事をせずに部屋を出た。
苛々する。どうして彼の軽率で中身のない言葉にこれほど揺さぶられたのかわからない。だからこそ余計に腹立たしい。
衝動のままにスマホを取り出し、メッセージを打とうとして、やめた。
スマホをポケットに戻し、店を出る。
すっかり冬の気配を色濃くした風が頬を撫で、頭をも冷やしてくれた。
「飽きたら、か」
他の店へ向かう気にならず、帰路へ爪先を向ける。
呟いた独言は白い吐息となって流されていった。
自分の心の弱さにこんなにも嘆くことになろうとは。
僕は頭を抱え、ベッドの上を転がりまわった。
「今日も……言えなかった……!」
女装で性別を偽って会っている辰巳くんに、別れを告げようと決意してから二週間経っている。
一度目は先週、都内の公園で開かれたイベントに誘われて行った。
どこかで二人きりで話せればと機会を伺っていたが、どうしても周囲に人の気配がある場面ばかりで言い出せなかった。
二度目は今日、夕方から用事があるという辰巳くんに合わせてランチをしたとき。
半個室のような創作料理の店で、静かな雰囲気に背中を押された……はずだったのだけど。
気づいたら毎週見ているドラマの話で盛り上がってしまって、また言えずに終わってしまった。
気がついたときには、用事に向かうために心なしか早足で去っていく辰巳くんの背中を見送っていた。
「うぅぅ……僕はどうしてこんなに意志薄弱なんだ」
大きなイルカのクッションをぎゅうっと締め付ける。
自分を責めても過去は変わらないし、事実が重くのしかかる。
辰巳くんと過ごす時間は楽しくて浮かれてしまう。それはわかる。
だからといって彼を裏切り続けていいのか。
女装であること、本当は男だと告げることは、僕にとってとても難しい。言った瞬間、辰巳くんがどんな目で僕を見るか……考えるだけで胃がねじ切れそうなほど痛むから。
だから適当な嘘をでっち上げて、もう会わないと話すつもりだった。
嘘なんて咄嗟に上手くつけない。だから何度もシミュレーションして、自然にお別れを口にできるよう訓練した。涙目にならず声も振るわせず、言えるようになったというのに。
ぎゅうぎゅうと抱き締めていたイルカを放す。
これだって、辰巳くんが以前ゲームセンターのクレーンで取ってくれたものだ。
抱えるほど大きなぬいぐるみなんて、何十枚と百円玉を入れなければ取れないと思っていたのに、彼は数コインでさっと取ってしまった。
運が良かっただけだなんて笑っていたけど、そういうスマートなところを僕は同じ男として尊敬しきりで、だからこそ離れがたく思ってしまう。
「はぁ……うわっ」
大きな溜め息を吐き出したところで、スマホが鳴った。
メッセージアプリを開くと、たった今僕を悩ませていた原因……辰巳くんからのメッセージが表示されている。
今日のお礼、楽しかったという内容、それに次の約束。
最初は、こんな僕と一緒に過ごして「楽しかった」だなんてお世辞が上手いなぁと感心してた。
でもこうして何度も会ってもらえて、お世辞ではないのかも、と思い始めてる自分がいる。辰巳くんも僕と同じ気持ちで、会ってくれているのかも、と。
「でも……はぁ……どうしよう」
既読をつけてしまったのですぐに返信する。
僕も楽しかったこと、来週末も空いていること。辰巳くんと一緒ならどこでも楽しい……と書きかけて、「辰巳くんと一緒なら」の部分を消した。
「よし。次こそは、言うぞ!」
決心したら少しだけ、気が楽になった。
そうと決まれば、来週着ていく服を用意しておかないと。肌荒れでお化粧が乗らなくなったら大変だからスキンケアは入念に、夜早く寝て。
結局二人のお出かけが楽しみで浮かれてしまうことに罪悪感が沸くのは、直後のことだった。
辰巳くんとこうして会うのも、今日が最後になるだろう。
勢い込んで服を選び、化粧をしたら、いつもより強気な仕上がりになった。
といっても明るい色のインナーを着たり、普段使わない濃い色のアイシャドウを重ねたりと、自分でしかわからないような微妙な変化だけど。
待ち合わせは駅前の交差点。街路樹の傍で待っていると、駆け足で近づいてくる人影があった。
「悪い、遅れた」
「ううん、時間ぴったりだよ。おはよう、辰巳くん」
「おはよ。早速で悪いんだけど、予定変更になったんだ」
「え?」
今日は辰巳くんおすすめの洋食屋さんに連れて行ってもらえることになっていた。その後近くの複合商業施設をぶらついて……という流れの予定だったのだけど。
洋食屋さんが臨時休業で、商業施設の方はなにかのイベントをやるらしく朝からとても混んでいるとのこと。
「そっか……残念だけどしょうがないね」
「ごめんな、もっと早く調べとけばよかった」
「ううん。わたしはそんなの調べもしなかったからお互い様だよ。でも、どうしよっか……」
一緒にランチをして、ウィンドウショッピングを楽しんで、解散するときに話をする予定だったのが崩れてしまった。
イベントが楽しそうなら参加してもいいけど、僕の今日の格好は歩き回ることや、人混みに揉まれることを想定していない。高いヒールで誰かの足を踏んでしまったらどうしよう。
「それなんだけど、よかったら俺の家に来ないか?」
「え? 辰巳くんのおうち?」
思わぬ提案にぽかんとする。
辰巳くんの家はここから数駅の住宅街にあるらしい。
想像したこともなかった、辰巳くんが暮らしている場所。どんな家に、どんな部屋に住んでいるのか。興味ないわけがない。
「い、行きたい!」
「決まり。じゃあ行こうか」
自然と手を繋がれることにも慣れてきた。
辰巳くんはよくこうして、手を繋ぎたがる。髪を撫でたり、肩や背中に触れたり、キスをされることもある。
そういうことはお付き合いをしている男女がするものという常識が僕の中にはあったけど……僕の常識は誰かの非常識とも言うし、辰巳くんの中ではきっと違うのだろうと、無理やり納得することにしている。
僕は辰巳くんに気持ちを伝えたことはないし、彼からも告白めいた言葉をもらったことはない。だから僕らは付き合ってないし、友達だ。
友達同士なら、お互いの家に遊びに行くことも普通のことだ。
近くだという言葉通り、辰巳くんの家の最寄りは電車で3駅のところだった。学校からは少し距離がある。
「ここだよ、どうぞ」
「おじゃまします……」
駅からも近い綺麗なマンションの一室が辰巳くんの家だという。
向かう途中、何か手土産が必要なのではないかと焦ったんだけど、本人が不要だと言うので買い物に寄ることはなかった。
広い玄関をくぐってリビングに通される。
外観の綺麗さは中身にも反映されていて、明るくて整頓された室内に人の気配はない。
「えっと、ご家族は?」
「親父も兄貴も帰ってくるのは深夜だから、気にしないでいいよ」
その言い方で、辰巳くんが家族の……特にお母さんの話をしない理由を察した。
初めて足を踏み入れる空間に恐縮しながら、辰巳くんの自室へ入る。
「わぁ……」
辰巳くんの部屋はとても広く感じた。
物が少ないのがその理由だろう。ベッドと勉強机、椅子、本棚。目につく家具は学生の部屋としての最低限で、備え付けのクローゼットもそれほど大きくはない。
どこもかしこも整頓されていて、雑然としている僕の部屋とは大違いだ。本棚が溢れていることもなく、むしろ本はあまり入っていない。
机の上にはノートパソコンとノートが数冊。端末の質素さにしては大きめのスピーカーが置かれていて、音楽を聴くのが好きなのかもしれない。
寝具は灰色で統一されていて、角度によって薄っすらと模様が見えるシーツがおしゃれだ。ベッドの下に敷かれているラグは大判で、ここに寝転がっても気持ち良さそう。
「なんていうか、辰巳くんらしいお部屋だね」
一通り見回した僕の感想はこうなった。
でも辰巳くんは、素直に捉えられなかったらしい。
「この面白みのない部屋が俺らしいって?」
肩に腕が回され、少し強く抱かれてびくっとしてしまった。
彼はたまにこうして強引に振る舞うことがある。でもそれは辰巳くんの一面でしかないと、僕は思ってる。
「そんなことないよ。物が少ないぶん、こだわりを感じるし、きちんと整ってる。かっこいい辰巳くんにぴったりだ。わたしの部屋は物が多くて汚いから……すごいと思うよ」
必死で言葉を継いでいたら何気なく「かっこいい」とか言ってしまって、自分の発言に照れる。
辰巳くんは僕の周囲に全くいなかったタイプで、すごくかっこいい。
彼はいつだっておしゃれだ。重ね着のセンスがいいし、細身のものもオーバーサイズも軽く着こなして、アクセサリーにも妥協していない。
髪型は学校ですら手を抜く日がなくて、だからこそ先生に怒られてしまうんだけど、注意されても止めたりしないのがまたかっこいい。
高い身長に見合った長い足で歩く姿はモデルさんみたいなのに、僕といるときは僕の低身長と歩きにくい靴の歩幅に合わせてくれるのが……胸がぎゅっと痛くなるくらいかっこよくて、好きだ。
「あ、服はどこに仕舞ってるの? この中?」
照れ隠しに顔を背け、ドアの傍のクローゼットの扉を叩く。
辰巳くんの腕が伸びてきて観音開きの戸を開けてくれた。
クローゼットの中は部屋のシンプルさとは打って変わって、たくさんのファッションアイテムが所狭しと押し込まれている。
窮屈そうではあるけど、決してゴチャついていないところはやっぱり辰巳くんだ。
防虫剤のすっとする匂いに混ざって、辰巳くんの匂いがする。
なんだか余計に照れてしまって、慌ててクローゼットの扉を閉めた。
これからどうするんだろう。座っておしゃべりかな、一緒に音楽を聴いたり、映画を見たりするのかな。
振り返ろうとして、辰巳くんがまだ僕の背後に立っていることに今更気づいた。
「たつみ、くん?」
目の前に辰巳くんの首元があった。視線を上げていくと、僕を見下ろす目とかち合う。
それがなんだかすごく冷たい。
ひゅ、と喉が鳴った。
……怖い。
辰巳くん相手にこんなことを思うなんておかしい。だって辰巳くんは友達で、僕を害することなんてないんだから。
「ナツキ。上向いて」
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辰巳くんの顔がすっと近づいて、キスをされるなんて思いもせずに。
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