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13.合理的で情熱的な番
しおりを挟むどのくらいそうしていたのか分からない。気がつくと俺は久我に抱きしめられて横たわっていた。
「……ん?」
「気がつきましたか。よかった」
瞬きすると強く抱き寄せられ、久我の胸に顔が埋まる。
一瞬状況を理解できなかったが、すぐに思い出すことができた。
出先で発情期に入ってしまったこと。久我が駆けつけてくれ、彼の家に連れ帰られた。それから───男を受け入れ、項を差し出したことも。
首に手をやる。予想に反して汗のべたつきはなく、血が付着することもなかった。その代わり、薄く大きめの絆創膏が貼られている。
「もう血は止まってると思いますよ」
俺の動きの意味が分かったのか、久我の言葉に従って粘着シールをゆっくり剥がす。
空気に触れた肌には、ところどころ瘡蓋になった傷がついていた。出血しなかった場所はくっきりと凹んでいる。
これが番契約の証なのだろうか。
久我に抱えられたまま体を見下ろす。疲れているし、まだ熱っぽい感覚はあるが、特になにかが変わった気はしない。
「これで番になれた、のか?」
「えぇ、たぶん」
見上げると、久我が笑っている。眉尻が下がっていて、彼の方にもあまり実感がないらしいことが察せられた。
こちらまでなんだか笑えてくる。
「なんか……あっけないもんだな。もっと劇的に変化するものがあるのかと思ってた」
「そうですね。俺も、血が出るくらい他人の首に噛み付けるとは思っていませんでした」
「ヤバいな、アルファの顎の力」
「これ、女性もアルファなら同じことできますからね……」
「うぅむ……」
色気のかけらもない会話をして、目が合うと微笑まれた。とんでもなく甘ったるくて、幸せそうな笑顔。
じっと見ていることなどできずに慌てて俯くと、さらりと項を撫でられて、柔らかいなにかが押し当てられた。その感触の正体は知っている。
そういうこと、なのか。さっきの笑みは、番という唯一無二に向ける種類のものなのか───。
恥ずかしさか、別のもの由来か、表皮がじわじわと火照ってきた。
なんだこの空気は。俺たちは番と言っても、甘美な間柄ではないはずなのに。
「真嗣さん……」
首筋に吸い付いていた久我の唇が徐々に移動していく。呼ばれた名前に熱が篭っている。そろりと視線を上げると、まだ発情期中の俺よりとろけた眼差しとかち合った。
「……ん」
寄せられた唇を受け入れる。拒絶できたはずなのに、そうしなかった。
背中に回されていた手のひらが怪しい動きになり、触れ合うだけのキスが呼吸を奪い合うものに変わる。
いつしか俺はまた組み敷かれる体勢になっていて、久我の手は下腹の奥へ伸ばされていた。
「発情期、もう終わりかけみたいですね」
彼がなにを言いたいのかはすぐに分かった。発情の熱に浮かされている間、はしたないほど濡れていたそこは今は慎ましく閉じて乾いている。
それでも久我の指先を覚えているのか、容易く侵入を許してしまう状態なのは……男として、ややショックだ。
「いいだろ別に。番にはなれたんだから」
事後の戯れとしては行き過ぎてきている久我を押し退けようとすると、手首を取られやんわりとベッドに押し戻される。
「真嗣さん、もう一回……」
「は!?」
甘えた声の久我に目を剥く。こいつなんてことを言い出すんだ。
「終わりかけとはいえ、発情期はまだ終わってないですし。ちゃんと治まるまでちゃんと責任取りますから」
「……っ、こんなのは寝てりゃ治る!」
「まぁまぁ、そんなこと言わずに」
触れるだけのキスを顔中に降らせ、最後に唇にちょんと着地する。
まるで駄々っ子を落ち着かせるような態度だ。しかしこの場合は俺の方が正しいはず。俺たちは恋人同士ではないし、発情期が治まってきているのならセックスはもう必要ない。
「おい久我、っあ、あぅ!?」
もう一度しっかり拒否しようとして、内臓を抉るような動きを腹の中で感じた。体がびくんと波打つ。
いつの間にか粘着性を帯びた久我の指が、濡れてはいないが綻んではいる後孔に潜り込んでいた。枕元のローションの存在に今気がついて歯噛みする。
「あ! そこ、いやだっ……」
「嫌なんですか? 気持ちよさそうなのに」
中でぐるりと円を描くように動かされると、強烈な快感が押し寄せるポイントに当たってしまう。そのたびに背筋を伝って全身に刺激が走り、情けない声が漏れる。
どうやら俺の体の弱いところはすでに知り尽くされているらしい。
逃げを打つ腰を引き戻され、性急に準備をされてしまう。すぐに三本咥え込んだ後孔は久我を拒否するつもりは全くないらしく、指が抜かれたときには寂しささえ感じた。
「こんなの、卑怯だ───ぅあ、んん……っ」
「ほら、唇噛んじゃダメですって」
噛み締めた口唇に久我の指を含まされ、声を抑えることができなくなった。その隙に久我の雄芯はずるずると侵入して、最奥まで辿り着いている。
(どうして……)
俺の腹の中は、久我を歓迎していた。
発情期は終わりかけのはずなのに、体が火で炙られるかのようにじわじわと熱くなっていく。
埋め込まれた久我の一部があってはじめて自分が完成したような気さえして、恐ろしい心の変化に身震いした。
「なんか、変だ、体が変……」
「どんなふうにですか?」
「あつ、熱い……」
一度は鎮まったはずの熱が再び全身を支配する。意識が朦朧としてきた。
この昂りをどうにかしてほしくて、目の前の男に取り縋る。
必死で爪を立てたから、久我の肌には赤い筋が刻まれてしまっただろう。なのにそいつはまた嬉しそうに笑って、唇をついばんでくる。
「真嗣さん、好きです。大好きです。発情期じゃなくてもいっぱい一緒にいましょうね」
「あっ、あっ、くが、あぁ───」
馬鹿野郎、それじゃあ番だけじゃなく、人生まるごとお前と一緒ってことじゃないか。
そう怒鳴ってやりたかったのに、開いた口からは喘ぎ声しか出なかった。がつがつと激しく中を擦られて、身悶えする以外になにもできない。
もう一回と言っていたのに、抜かずに二回目に突入した久我に翻弄された俺は、結局日付が変わるまで離してもらえなかった。
満足した久我がベッドを去っても起き上がることすらできず。
結局次の日も、俺は久我と一緒に一日寝て過ごす羽目になったのだった。
第二営業課のオフィスには、就業時間を過ぎた後特有のぬるい空気が満ちている。
上からのお達しで偉い立場の人間ほど早く帰るよう徹底されている。それは営業部でも同じで、とりわけ部長と課長が帰宅した後のフロアはのんびりとした雰囲気となっていた。
「先輩!」
その空気を、ひときわ元気な男の声が切り裂く。
「先輩、メシ行きましょうよ」
騒がしいほどではないがよく通る嬉しそうな声の持ち主は、入社二年目、一通り仕事をこなせるようになった久我だ。営業成績はまだ上昇途中といったところだが、人懐こい性質と甘めの顔立ちで、客からも社員からも受けがいい。
「行かねーよ」
その久我が犬のように懐いているのは、久我の教育指導を担当した山本という男。第二営業課内では常に成績中から上位につけているが、突出したところは少ない。
強いて言えば、後輩からの慕われ方が過剰なところが近頃目立つ存在だ。
「今日早上がりできますし、前に行きたがってたお店行きましょう」
「行かないって。それにあそこ予約でいっぱいって……」
「ま、予約してあるんですけどね」
久我が携帯の画面を見せてにっこり笑う。山本はそれを覗き込み、久我を見て、呆れ顔で笑った。
「俺に拒否権ないじゃねーか」
「そんなことないですよ、断られたら一人寂しく行こうと思ってました」
「心にもないことを」
くすくすと笑い続ける山本はまんざらでもなさそうで、久我も嬉しそうに微笑む。薄手のコートを着込み、鞄を持ってオフィスを出て行く二人を居残りの社員たちが見送った。
ドアが閉まる直前、腰を抱こうとする久我の腕を山本がはたき落とす。セキュリティつきの金属扉が閉じて、社員たちは無意識に詰めていた息を吐き出した。
「あの二人ってさぁ……」
「まぁそういうことだよ」
「だよなぁ」
久我と山本は共にベータのはずだった。それがいつの間にか距離が近くなり、近すぎるといえるようになり、誰が見てもそうだと分かる間柄になっていた。
「俺らには関係ないことだけど……職場でイチャつくのはやめてほしいなぁ」
久我はともかく、山本の方は同僚たちから生暖かく見守られていることなど気づいてもいないだろう。
残業独身男たちの虚ろな溜息が、週末のオフィスにいくつも溶けていった。
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