10 / 14
10 僕だって好きだから
しおりを挟む
「人間界は『黒騎士』出現の話題で持ちきりです。魔王の手に堕ち、魔族の手下になった元勇者を前に、新しい勇者が逃げ帰ったと」
「そうだよねぇ……はぁ……これで彼を故郷に帰すのが難しくなった……」
「その上、聖教会の非人道的な洗脳実験が明るみに出て、勇者自体の意義が問われているそうです」
「そうか、そっちは上手くやれたんだね。彼女たちの安否は?」
「無事です。どうやら魔法使いの元勇者は王族に連なる者だったそうで、末端とはいえ王族を捨て駒扱いしたことも批難されているようです」
「えっ! 彼女、そんな高貴な生まれの人だったの?」
人間界に潜り込んでいる魔族からの報告書には書かれていなかった事実だ。よほど巧妙に出自を隠していたのだろう。
そういえば、魔法使いと一緒に帰っていった短剣使いは彼女のことを「姫さん」って呼んでたな。
単なるアダ名のようなものだと思っていたけど、意味がある呼称だったのか。
「あいつお姫様だったのか?」
仲間の安否が心配だろうと、魔法使いと短剣使いが無事であることを自室にいたリカルドにも知らせた。
しかし仲間の身分については彼も知らなかったらしい。
「きみは知らなかったのか……」
「初耳だ」
思い当たる節でもあるのか、なるほど、なんて言いながら頷いているリカルドを胡乱な眼で見てしまう。
彼はなかなか個性的な性質の持ち主だし、3人しかいないパーティ内でハブられていた可能性が……いやしかしあとの2人は女性だし、唯一の男性である彼に知らないことがあっても仕方ないのか……でも仲間なのにこんな重大なことを隠したまま旅できるかな……。
僕がいらぬお節介を悶々と考えていると、リカルドがぽつりと独り言のようにつぶやいた。
「思えば俺たちは、放り出されるように旅を始めてから憎しみだけで進んでいた。会話もろくになく、食事も休息も生きる上で最低限しか取らなかった。仲間とは言うが……それも勇者の呪縛で刻みつけられた、敵味方の識別でしかなかったんだろうな」
遠くを見つめる彼の表情以上に、沈んだ声色が悲哀を物語っている。
思わず手を取って握った。
そんなことないよ、なんて慰める言葉を吐くのは簡単だ。
しかしそれは取り繕うだけの一時しのぎにも思えた。
他者に利用されて失った月日は戻らない。
仕立てられた紛いものの勇者という事実に一番傷ついているのは彼らなんだ。
僕はただ黙って寄り添うことしかできない。
「魔王、ありがとう」
無力な僕に勇者は微笑んだ。
余計に気を使わせてしまったようで歯痒い。
なんとか話を逸らそうと、僕は慌てて口を開いた。
「きみには謝らなきゃいけない。故郷に帰すために身柄を保護したのに、これでは故郷どころか人間界へ入ることも難しくなってしまった」
「構わない。あっちはあいつらがなんとかしてくれるとわかったからな。新しい勇者が送り込まれてこなくなるまで、ここにいる」
「でも……村にはきみの両親がいるだろう。それに……」
「マリーナのことか?」
それはリカルドの幼馴染の少女の名だ。頷いた動きのままに俯く。
彼には故郷に残した者たちがいる。
農業を営む両親は健在で、一人息子の安否を気遣っていることだろう。
リカルドと同い年の幼馴染の少女は素朴ながら可愛らしく、気立てが良い娘だという。
幼いリカルドと大変仲睦まじく、似合いの二人だったと報告書にあった。
もしかしたら婚約でもしているかもしれない。
「勘違いしているかもしれないから言っておくが、マリーナと俺はなんでもないぞ」
「え?」
「確かに幼馴染だが、それだけだ。あいつは昔から村長の息子に惚れてる。今頃婚約でもしているんじゃないか」
「そ、そうなの、か」
あからさまにホッとしてしまって、慌てて表情を隠す。
彼に特定の相手がいないなら僕にもチャンスがあるかのように、胸が勝手に高鳴った。
そんな道理などない。早まるな。でも勇者だって満更でもないんじゃないか。じゃなきゃ男の魔人の体に触れるものか。いや、でも。
次々浮かんでくる甘い希望を片っ端から打ち消していく。
動揺する僕の視界に勇者がごく近距離で現れて、思わず退け反った。近い。
「やきもちか?」
「はっ?」
「俺がマリーナと恋仲かもしれないと、嫉妬してくれたか?」
触れそうなくらい近くからそんなことを問われて、赤面を隠すこともできず絶句する。
あぁもう、取り繕えない。
「そ……そうだよ。やきもちだよ……」
この胸に燻った感情はたしかに嫉妬だ。
僕はもう手遅れなほどに彼に惹かれていて、彼がこのまま城に滞在して人間界になんて帰らなきゃいいと仄暗い希望を抱いていて、そんなことを考えている自分を嫌悪している。
彼が僕に近づくのは興味本位でしかないと予防線を張って、心を全部奪われてしまわないように懸命に耐えている。
なのにこんな暴くようなことをされたら、溢れてしまう。
「僕がどう思おうといいじゃないか、きみに迷惑はかけない。想うことくらい、許してくれても、」
「想うだけか?」
対面に座っていたはずのリカルドがすぐ横にいる。
彼の瞳孔がゆるく開くその動きすら見えるような距離で、黄金色が閃いて、距離がなくなる。
「……んっ……」
「触れたくはならないか?」
「……わかってるくせに」
二度、三度と触れ合う唇は夢のような心地よさなのに、夢じゃない。
僕は僕自身の夢に入れない。
他人に見せるだけで、その夢にたとえ僕が出演していたとしても、それは僕じゃない。僕にそっくりな夢の具現化を眺めるだけ。
だからこれは現実なのに、僕の願望が作り出した幻なんじゃないかと疑ってしまう。
そんな臆病な僕の心を見透かしたかのように、リカルドはキスの合間に言葉をくれた。
「あんたにとって俺は、数いる勇者のうちの一人でしかないんだろう。だがそれだけじゃもう我慢できない。俺を、一個人として見てくれないか」
「リカ、ルド」
「好きだ、魔王……」
返事をする前に口を塞がれ、鼻から息が抜ける。
半開きだった唇からぬるりと舌が入ってきて、僕の体はあからさまにビクリと跳ねた。
ちょっと待て。告白の返事聞く前にベロチューはやりすぎじゃないか?
身を離したいのにどういうわけか全く身動きできず、舌を引っこ抜かれそうなほど口腔内を愛撫されて体の力が抜けてしまう。
おかしい。僕は魔王なのに、人間に良いようにされて。
あぁそうだ魔法、でも気持ち良すぎて発動に集中できない、思考まで奪われる。
「ま、ぁ……は、んん、まって、待って……」
「聞きたくない」
「えぇ……んっ、んぅ」
まさかの返事拒否。
もし相手が僕じゃなければ、両想いでもない相手の顔をがっつり捕まえて唇を好き放題奪って、ついでに首筋や耳をくすぐってビクビク跳ねるのを楽しむだなんて、なかなかにひどいぞ。
引き剥がすためにリカルドの服を掴んだ手は、もはや縋っているようにしか見えない。
鼻で息を吸えばいいとわかっていてもうまく呼吸できなくて、ちょっと頭がぼうっとしてきた。
まずい。このままじゃ埒が明かない。
しかし僕が何かするまえに、肉体の危機感を察知した防御魔法が自動発動し電流が走った。
「ぐぁ! いってぇ!」
「あっごめん。防御魔法切ってなかっ……じゃなくて! それは自業自得!」
魔法耐性の高さはさすが勇者。そこそこ痛がる程度の被害に留まっている。
魔法のおかげでなんとか離れられた。
僕はもう一度捕まってしまわないよう立ち上がり、素早くドアの傍まで逃げる。
ちょっと足腰がブルブルしているけどそれは無視だ。
最後に一言だけ伝えようと、荒い呼吸を整えて息を吸う。
「リカルドこそ勘違いしてるみたいだけど! 僕だって好きだから! 事後処理残ってるのでまた後で!」
言うだけ言って部屋を出た。
仕事が残ってるのは本当だけど、離れるための口実でもある。
「うぅ……どうしよう……両想い、なのかな……」
真っ赤になった頬の熱が全然引いてくれない。
「また後で」と言ってしまった以上、逃げるわけにはいかなくなった。
結局その後の仕事はあまり捗らなくて、ぼうっとしてしまうのを側近に詰め寄られ、顛末を洗いざらい白状させられてしまった。
それもこれもリカルドが悪い。絶対文句言ってやる。
「そうだよねぇ……はぁ……これで彼を故郷に帰すのが難しくなった……」
「その上、聖教会の非人道的な洗脳実験が明るみに出て、勇者自体の意義が問われているそうです」
「そうか、そっちは上手くやれたんだね。彼女たちの安否は?」
「無事です。どうやら魔法使いの元勇者は王族に連なる者だったそうで、末端とはいえ王族を捨て駒扱いしたことも批難されているようです」
「えっ! 彼女、そんな高貴な生まれの人だったの?」
人間界に潜り込んでいる魔族からの報告書には書かれていなかった事実だ。よほど巧妙に出自を隠していたのだろう。
そういえば、魔法使いと一緒に帰っていった短剣使いは彼女のことを「姫さん」って呼んでたな。
単なるアダ名のようなものだと思っていたけど、意味がある呼称だったのか。
「あいつお姫様だったのか?」
仲間の安否が心配だろうと、魔法使いと短剣使いが無事であることを自室にいたリカルドにも知らせた。
しかし仲間の身分については彼も知らなかったらしい。
「きみは知らなかったのか……」
「初耳だ」
思い当たる節でもあるのか、なるほど、なんて言いながら頷いているリカルドを胡乱な眼で見てしまう。
彼はなかなか個性的な性質の持ち主だし、3人しかいないパーティ内でハブられていた可能性が……いやしかしあとの2人は女性だし、唯一の男性である彼に知らないことがあっても仕方ないのか……でも仲間なのにこんな重大なことを隠したまま旅できるかな……。
僕がいらぬお節介を悶々と考えていると、リカルドがぽつりと独り言のようにつぶやいた。
「思えば俺たちは、放り出されるように旅を始めてから憎しみだけで進んでいた。会話もろくになく、食事も休息も生きる上で最低限しか取らなかった。仲間とは言うが……それも勇者の呪縛で刻みつけられた、敵味方の識別でしかなかったんだろうな」
遠くを見つめる彼の表情以上に、沈んだ声色が悲哀を物語っている。
思わず手を取って握った。
そんなことないよ、なんて慰める言葉を吐くのは簡単だ。
しかしそれは取り繕うだけの一時しのぎにも思えた。
他者に利用されて失った月日は戻らない。
仕立てられた紛いものの勇者という事実に一番傷ついているのは彼らなんだ。
僕はただ黙って寄り添うことしかできない。
「魔王、ありがとう」
無力な僕に勇者は微笑んだ。
余計に気を使わせてしまったようで歯痒い。
なんとか話を逸らそうと、僕は慌てて口を開いた。
「きみには謝らなきゃいけない。故郷に帰すために身柄を保護したのに、これでは故郷どころか人間界へ入ることも難しくなってしまった」
「構わない。あっちはあいつらがなんとかしてくれるとわかったからな。新しい勇者が送り込まれてこなくなるまで、ここにいる」
「でも……村にはきみの両親がいるだろう。それに……」
「マリーナのことか?」
それはリカルドの幼馴染の少女の名だ。頷いた動きのままに俯く。
彼には故郷に残した者たちがいる。
農業を営む両親は健在で、一人息子の安否を気遣っていることだろう。
リカルドと同い年の幼馴染の少女は素朴ながら可愛らしく、気立てが良い娘だという。
幼いリカルドと大変仲睦まじく、似合いの二人だったと報告書にあった。
もしかしたら婚約でもしているかもしれない。
「勘違いしているかもしれないから言っておくが、マリーナと俺はなんでもないぞ」
「え?」
「確かに幼馴染だが、それだけだ。あいつは昔から村長の息子に惚れてる。今頃婚約でもしているんじゃないか」
「そ、そうなの、か」
あからさまにホッとしてしまって、慌てて表情を隠す。
彼に特定の相手がいないなら僕にもチャンスがあるかのように、胸が勝手に高鳴った。
そんな道理などない。早まるな。でも勇者だって満更でもないんじゃないか。じゃなきゃ男の魔人の体に触れるものか。いや、でも。
次々浮かんでくる甘い希望を片っ端から打ち消していく。
動揺する僕の視界に勇者がごく近距離で現れて、思わず退け反った。近い。
「やきもちか?」
「はっ?」
「俺がマリーナと恋仲かもしれないと、嫉妬してくれたか?」
触れそうなくらい近くからそんなことを問われて、赤面を隠すこともできず絶句する。
あぁもう、取り繕えない。
「そ……そうだよ。やきもちだよ……」
この胸に燻った感情はたしかに嫉妬だ。
僕はもう手遅れなほどに彼に惹かれていて、彼がこのまま城に滞在して人間界になんて帰らなきゃいいと仄暗い希望を抱いていて、そんなことを考えている自分を嫌悪している。
彼が僕に近づくのは興味本位でしかないと予防線を張って、心を全部奪われてしまわないように懸命に耐えている。
なのにこんな暴くようなことをされたら、溢れてしまう。
「僕がどう思おうといいじゃないか、きみに迷惑はかけない。想うことくらい、許してくれても、」
「想うだけか?」
対面に座っていたはずのリカルドがすぐ横にいる。
彼の瞳孔がゆるく開くその動きすら見えるような距離で、黄金色が閃いて、距離がなくなる。
「……んっ……」
「触れたくはならないか?」
「……わかってるくせに」
二度、三度と触れ合う唇は夢のような心地よさなのに、夢じゃない。
僕は僕自身の夢に入れない。
他人に見せるだけで、その夢にたとえ僕が出演していたとしても、それは僕じゃない。僕にそっくりな夢の具現化を眺めるだけ。
だからこれは現実なのに、僕の願望が作り出した幻なんじゃないかと疑ってしまう。
そんな臆病な僕の心を見透かしたかのように、リカルドはキスの合間に言葉をくれた。
「あんたにとって俺は、数いる勇者のうちの一人でしかないんだろう。だがそれだけじゃもう我慢できない。俺を、一個人として見てくれないか」
「リカ、ルド」
「好きだ、魔王……」
返事をする前に口を塞がれ、鼻から息が抜ける。
半開きだった唇からぬるりと舌が入ってきて、僕の体はあからさまにビクリと跳ねた。
ちょっと待て。告白の返事聞く前にベロチューはやりすぎじゃないか?
身を離したいのにどういうわけか全く身動きできず、舌を引っこ抜かれそうなほど口腔内を愛撫されて体の力が抜けてしまう。
おかしい。僕は魔王なのに、人間に良いようにされて。
あぁそうだ魔法、でも気持ち良すぎて発動に集中できない、思考まで奪われる。
「ま、ぁ……は、んん、まって、待って……」
「聞きたくない」
「えぇ……んっ、んぅ」
まさかの返事拒否。
もし相手が僕じゃなければ、両想いでもない相手の顔をがっつり捕まえて唇を好き放題奪って、ついでに首筋や耳をくすぐってビクビク跳ねるのを楽しむだなんて、なかなかにひどいぞ。
引き剥がすためにリカルドの服を掴んだ手は、もはや縋っているようにしか見えない。
鼻で息を吸えばいいとわかっていてもうまく呼吸できなくて、ちょっと頭がぼうっとしてきた。
まずい。このままじゃ埒が明かない。
しかし僕が何かするまえに、肉体の危機感を察知した防御魔法が自動発動し電流が走った。
「ぐぁ! いってぇ!」
「あっごめん。防御魔法切ってなかっ……じゃなくて! それは自業自得!」
魔法耐性の高さはさすが勇者。そこそこ痛がる程度の被害に留まっている。
魔法のおかげでなんとか離れられた。
僕はもう一度捕まってしまわないよう立ち上がり、素早くドアの傍まで逃げる。
ちょっと足腰がブルブルしているけどそれは無視だ。
最後に一言だけ伝えようと、荒い呼吸を整えて息を吸う。
「リカルドこそ勘違いしてるみたいだけど! 僕だって好きだから! 事後処理残ってるのでまた後で!」
言うだけ言って部屋を出た。
仕事が残ってるのは本当だけど、離れるための口実でもある。
「うぅ……どうしよう……両想い、なのかな……」
真っ赤になった頬の熱が全然引いてくれない。
「また後で」と言ってしまった以上、逃げるわけにはいかなくなった。
結局その後の仕事はあまり捗らなくて、ぼうっとしてしまうのを側近に詰め寄られ、顛末を洗いざらい白状させられてしまった。
それもこれもリカルドが悪い。絶対文句言ってやる。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
283
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる