勇者は体に悪い

キザキ ケイ

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12 他者を想うとは

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「……変なやつだ」

 最初は興味の対象でしかなかった。
 不思議な色合いを持つ魔族の長。
 白とも黒ともつかない髪、青とも緑ともいえない目。
 初めて玉座の間で対峙した彼は鼻の下から顎まで覆うヒゲを生やしていて、強大な魔力を隠すこともなく、ただただ恐ろしく得体の知れない生物だった。
 アクシデントによってヒゲを剃らされた魔王は、ずいぶんと幼く可愛らしい容姿で、その差異に惹かれた。
 魔王城に滞在を許され、魔王のことを知るにつれて、当初は近寄るのを拒絶されないからと、好きに触れてしゃべっていただけだった。
 彼を支えたいと、彼の傍にいたいと思うようになったきっかけは明白だ。
 リカルドの次の勇者が魔王城を襲撃する、その数日前。

 夜間、ふと気が向いて城を散策していたとき、魔王の執務室に未だ明かりが灯っているのが見えた。
 側近は先ほど士官の居住エリアで見かけた。
 ならば現在魔王は一人で残業をしているということだろう。
 誰もがとっくに夕食を食べ終えた頃だ。勇者の一団が接近しているとはいえ、根を詰めて寝不足などになっては作戦自体破綻しかねない。
 休みを取るよう促すため執務室に近づき、ドアの隙間からそれを見た。

「大丈夫……大丈夫だ……必ず成功する、次も必ず……」

 予想通り室内には魔王がいた。
 魔王は机に座っておらず、部屋の真ん中でこちらに背を向けて立っていた。
 か細く頼りない声が自己暗示を繰り返す。
 そして、遠目に見てもわかるくらいに全身を震わせ、緊張していた。

「まお……」

 声をかけようとして躊躇う。
 「魔王」は非常に強力な魔人に与えられる称号で、絶大な権力を有する代わりに守護者としての責任をも背負う。
 城に住む多くの兵士や非戦闘員、そして魔界の住民たち。
 魔族と言っても誰もが強いわけではなく、人間とそう変わらない程度の見た目や能力しかないものも多いと知った。子どもや老人は言わずもがな戦えない。
 民を守り、城を守り、その上で魔王は敵対する勇者すら救おうとしている。
 重荷を背負う双肩のなんと華奢なことか。

「……」

 結局声をかけることができず、その場を去るしかなかった。
 思えば魔王は最初から、小柄な体を魔力の放出によって精一杯立派に見せようと虚勢を張っていた。
 杖をつくのも、ヒゲを蓄えるのも貫禄があるよう見せるためだ。
 武術に優れない彼が、剣で切りかかってくる勇者たちを一人で相手するのは、内心恐ろしいに違いない。
 その上、彼は厄介な呪縛に支配された勇者を救いたいと思っている。
 生かすのは殺すよりずっと難しい。

 リカルドより前の勇者たちが誰も戻ってこず、この城に囚われている様子もない以上、彼らがどうなったか推測するのは簡単だ。
 非戦闘員どころか兵士まで真っ先に逃がすあの魔王が、これまでの勇者と対峙し、その後どうなったか、何を見たか……胸糞悪い想像までできてしまう。
 それでも彼は諦めず、ついにはリカルドを救ってくれた。
 命だけでなく、過去を取り戻し、仲間まで助けてくれた。感謝してもしたりない思いだ。

(だが、彼は次の勇者のことも救おうとするだろう。俺のように)

 そのとき胸に湧き上がった激烈な感情は、後から思えば嫉妬や独占欲といったものだった。
 未熟な自分に笑いだしたくなる。
 魔王はリカルドのことなどなんとも思っておらず、あの時点ではただ救うことのできた勇者の一人でしかなかっただろう。
 しかしリカルドは魔王のことを、すでに特別視していた。
 勇者でなくなり、これからは魔王にとっても特別でなくなるかもしれないリカルドに失う恐怖などなかった。
 ただ、得たいという希求だけがある。

(他者を想うとは、こんなにも醜い感情だったのか)

 彼が欲しい。
 彼が慈しむ部下や民衆、そんなものと同列では満足できない。
 恐怖に竦む魔王の肩を抱き、柔い場所に触れ、言葉で、態度で、彼を慰めてやれる存在になりたい。
 そのためにはどうすればいいか。
 魔王が望む勇者の助命、そしてリカルドの立場、やるべきこと、その先にあるもの。

(…………本当にどうすればいいんだろうか……)

 しかし哀しいかな、聖教会に軟禁されるが如く戦闘訓練ばかりして青年期を過ごしたリカルドに、想い人へのアプローチ方法などわかるはずもない。
 おまけに相手はずっと年上の王様で、男で、リカルドには庇護者としての情しか持っていないのだ。

(作法などわからないし、自分なりに距離を縮めてみるしかないか)

 リカルドは問題に直面しても、悩んで一晩眠れない、といった繊細な情緒の持ち主ではなかった。
 秒で方針を検討決定し、その日はぐっすり眠り、次の日からとにかく魔王に押せ押せで迫り始めることとなる。
 一方、非モテ歴イコール年齢の魔王はただでさえ好みの見た目の若者にアプローチされまくり、たじたじになってなし崩し的に丸め込まれることなど想像もしていなかったのだった。





「えぇっ真名教えちゃったんですか!?」
「いや教えた覚えはないんだけど……寝て起きたらなんかリカルドが知ってて」
「あなたの真名はあなたしか知らないんだから教えたんでしょうねぇ。『寝た』間にナニしてたんでしょうねぇ」
「うぅ……口を滑らせちゃったのかなぁ」

 側近にちくちくと口撃され、僕は机に突っ伏した。
 尻のあらぬところが腫れて熱を持っている気がするし、過去最高に腰がダルい。
 激しくはされたけど無理なことは強いられなかったから、痛む箇所はないことだけ救いだ。

「大丈夫か、ジウェルギウス」
「うわーっ!」

 噂をしたせいか、短いノックの直後に執務室のドアが開かれ、リカルドが入ってきた。
 あろうことか僕の真名をとても明確に口に出している。

「真名は言わないでってば!」
「あぁそうか、悪い。ジス、体の具合はもういいのか」
「とか言いながら抱き上げない!」

 体調不良のせいでろくな抵抗ができない僕を、リカルドは軽々と抱き上げて運び、ソファへ向かう。
 来客用のソファはふかふか低反発で、執務椅子より腰に優しい。
 僕の体を気遣ってくれたのか……などと感動したのも束の間、下ろされたのはソファに座るリカルドの足の間だった。

「……いやいや。え? 何これ」
「この座り方なら、ジスの執務の邪魔にならない。俺はジスの腰を支えてやれるし、くっついていられる」
「そうだけど、そうじゃなくて!」

 揉める僕とリカルドを側近が白けた目で見ている。

「イチャつくなら早退してくれません?」
「あぁぁ、ちゃんと仕事するよ! ほらリカルドっ、離れて! いい子だから!」
「嫌だ」
「即答!?」

 呆れる側近と頑固な勇者に挟まれ僕は頭を抱えた。
 リカルドは僕の指揮系統下にないから、お願いベース以上のことはできない。それを逆手に取られてる気がする。
 リカルドは側近の冷たい視線をものともせず、僕の腹に腕を回して背中にぴったりくっついている。
 髪をいじったり、手の甲をすりすり撫でたり、うなじにキスを落としたりしている。まるで昨夜を思い出させるような仕草ばかり。
 嬉しい、恥ずかしいを通り越してもはや暴虐だ。
 こんなの、聡い側近だけでなくこの状況を知ったもの全員が「あの元勇者、昨日魔王と寝たんだな」と察してしまうだろう。

「リカルド……やだよ……っん、離れて……」
「離れてほしいようには見えない」
「ふぅ、う……っ、だめ、だってば……!」

 結局リカルドを拒絶することはおろか退かすこともできず、蕩けさせられてしまう始末。
 ベッドの中の睦言のように甘いリカルドの声や目線に、奪うように強引なのに優しい口付けに、ずっと孤独で報われなかった僕が抗えるはずもなく。

「はぁ。わかりましたよ、後で早退していいですから、これだけチェックしてってください。勇者もいるしちょうどいいでしょう」
「うぅぅ……」

 我ながら、こんなに快楽に弱いなんて思わなかった。
 今までよく結婚詐欺とかに引っかからずにいられたなぁ自分。
 恥ずかしいけど、ふわふわした幸福感は拭えず、僕は腰砕けになりながらも側近から数枚の書類を受け取った。
 文面を読み進めるうち、色ボケていた頭がすぅっと冷えてまともに動き始める。

「リカルド! これ見て、人間界に動きがあったって」
「見てもいいのか」
「大丈夫」

 そこに記されていたのは、人間界から特使が派遣されてくるという内容だった。
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