水野勝成 居候報恩記

尾方佐羽

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激闘 大坂夏の陣

三村親成死す 備前児島にて

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 慶長十四(一六〇九)年、この年勝成にとっていちばん衝撃的な出来事は、大恩人である三村親成が備前で亡くなったことだった。

 おさんと親成が世話になっていた備前児島の旧領主、三宅行俊からの知らせを刈屋で受け取ったのは、おとくだった。

 文はそれそれ勝成、おとく、親良宛てとなっていた。おとくは勝成宛てのものを直ちに江戸に送る手配をし、親良に文を渡して話をした。親良もしばらくすると下がり、おとくはしばらく自室にこもっていた。話を耳にした妙舜がお悔やみを述べに部屋に来たときも言葉少なに礼を言ったのみであった。

 三宅行俊からの文は、これ以上ないほど心のこもったものだった。簡素ながら葬儀を執り行った次第が記され、親成が成羽の民に信頼を得てかの地を善く治めたこと、縁者や寄宿した者を厚く遇し立派に送り出したことを讃え、故人の冥福を心より祈ると締めくくられていた。
 おとくは三宅行俊がどうしてそこまで親身になってくれるのか、その時にはよく分からなかった。


 親成と同世代の三宅行俊もまた、浦上氏から宇喜多氏、小早川氏と支配者が次々と転ずる過程で天正年間に城を攻め落とされた。現在は旧領地で隠居生活をしている。子はのちに庄屋格を得ることになる。そのような境遇から、攻められ敗れた者への共感はもちろんあっただろう。加えて、三村家に特別の厚意を持つのはそれだけではなかった。

 三宅氏の領地、備中児島は上野隆徳の常山城と境を接していた。
 三村家親の娘、鶴姫の嫁ぎ先である。

 かつての備中兵乱のおり、いよいよ、小早川・毛利軍が常山城に攻め寄せることが確かになると、三宅行俊は密かに家臣に厳命した。
「城から落ち延びるものあらば保護し匿うべし。義は上野、三村にあり」
 これはどういうことか。
 三宅行俊は宇喜多氏の配下、当然宇喜多と同盟を組む小早川・毛利連合軍に付いている。宿営地の提供や兵糧の預かりもしているのである。その裏で敵方の上野・三村氏の者を、せめて落ち延びた者だけでも救えと命じていたのである。

 三宅行俊からすれば、この三村氏討伐の仕上げである常山城攻めは、決して承服できるものではなかった。毛利元就ならば古よりの国人衆を配下に加える方法を採っていたはずである。恭順した親成一派を除き備中一円の支配者である三村をみな誅するとは、何とも酷すぎる。

 三村元親が毛利から離反したのも、元は毛利が宇喜多と組んだことにある。その事情は行俊にもよく分かっていた。それが家中一帯の民への密命になったのであろう。この地の民は十分信に足る働きをした。実際にその後、誰もそのことを口にしなかったからである。

 上野隆徳・鶴姫の子は皆鶴姫の手に掛かり死んだと巷間広く知られている。親成もそう思っていた。
 しかしその六女は加賀から来た上野氏客分の士が付き添い水路で逃げ延び、対岸、池の内の名主に匿われた。この名主は後の残党狩りにも決して口を割らず、客分夫妻を縁者、姫をその娘だとして守り通した。
 姫は大切に養育された後、恩人夫妻の子と縁を結び、その血脈をつないだ。
 また、鶴姫の長男と次男もひそかに落ち延びて三宅家の縁戚に保護されていた。今では三宅姓を名乗っているという。

 長く長く秘されていたその事実は、親成を招いたとき初めて明らかにされた。
「本来は、親成殿に真っ先にお知らせすべきじゃった。親宣殿が内々に縁者を捜しておることも知っとった。しかし、貴殿も毛利に義理を立てた手前、表立って動けんかったじゃろう。わしらも、宇喜多と毛利の目の黒いうちは決してよそに口外するわけにはいかんかったんじゃ。民らぁも以来決して常山のことを口にはせん。宇喜多も毛利もこの地を去った今だから言えることなんじゃ。なにとぞ理解して下され」

 三宅行俊の告白に親成はただ驚きの表情をするばかり、あまりのことに声がしばらく出せなかったのである。

「い、いや、そんなことはもうええんじゃ。御家の危険も省みず、これほどまでにわが一族に良くしてくれた方がおったなどとは、夢にも思わんかった」

 三宅家の厚意はそれだけにはとどまらなかった。合戦の後、領民とともに常山城の戦死者を手厚く葬り、上野隆徳・鶴姫はじめ、長刀を手に決死の防戦に出た三十四人の女たちの墓を築き、大事に守っていたのだ。いつの頃からか祭りと称して、土地の皆で供養しているという。

 それを知った親成は涙をぽろぽろとこぼした。
 もう誰も止めようがなかった。
 何度も伏しての礼の言葉も嗚咽に混じる。

 兄の、三村家親の血脈はここに残っておった。
 鶴姫の子が継いでくれているのだ。これほど嬉しいことはない。
 これでわしも心置きなく世を去ることができる。

「越前守殿、もうご自身を責められますな。同じ立場ならそれがしも同じことをしたかもしれん。貴殿は三村を守るために毛利についた。それはよう分かっとりますけえ」
 三宅行俊は優しく親成に語りかけた。おさんも自分の甥姪が健在でいることを知り、涙が止まらない。
「おさん殿も長い間お辛い思いをしたじゃろうが、どうぞわが家を自分の家と思うて下され。もう誰も攻めてはこんよ」
「いいえ、いいえ、私は辛くはございませんでした。ここにおられる私の父は私を本当に大事にしてくれたのです」
 親成は涙でくしゃくしゃな顔を上げおさんを見た。
 おさんは親成を見て優しく微笑んだ。
「父上、さんからもお願いいたします。もう、いいのではないですか。仕方のないことだったのです」
「おさん、わしを父と思うてくれるのか」
「ずっと前から、私はそう思うてまいりました。何分素直な娘ではございませんから、改めて申し上げるのも恥ずかしく」
「おさん……」
 親成はまたおいおいと泣きはじめた。

 おさんも常山城の子らの顛末についてだけは、しばらく詳細を語ることはなかった。
 三宅行俊に救われた縁者がいる、とだけ語ったのみである。
 だいぶ後になって勝成とおとくは初めてその中身を知る。
 その頃には元服して勝重と名乗ることになった長吉も、三宅行俊の厚意に感銘を受け、のちに「勝俊」と名を改めたほどであった。

 三宅行俊の告白からしばらくして、三村越前守親成はこの世を去った。
 彼は遺言状を遺さなかった。
 書くことはできたが、書かない。当然代筆させることもない。刈屋の皆を呼ぶことも固辞した。三宅行俊とおさんだけが臨終をみとった。最期の言葉はおさんの耳にだけ届けられた。

 私の世話のみならず、三村一族を手厚く遇してくださった三宅行俊殿には感謝してもしきれない。また日向守殿にはおとく、親良を預かっていただき同様に幸甚に耐えない。おさんを遺して逝くのが残念でならないが、私を父と思い今日までともに過ごしてくれたことに心から礼を言いたい。
 成羽での最後の数年、長吉も生まれて本当に楽しかった。
 わしの人生で一番幸せな日々だったやもしれぬ。日向守殿……いや六左衛門、おとく、長吉の記憶にもそのように残っていれば言うことはない。
 罪はすべてわしが冥土に持っていく。
 後の憂いにならぬよう、自分の跡は全て消す所存。また、消していただきたい。土葬ならば墓標は不要。火葬ならば灰は海に撒いてほしい。身の回りの品は形見分けなどせず、一緒に葬ってほしい。それが、一族を破滅に追い込んだ身に相応である。

 親成が最期に見せた衿持だった。

 おさんからの文には、この言葉が違わず記されていた。文には涙で滲んだ跡がところどころに見られた。何度も書き直し写してなお、涙を止めることができなかったのではないか。そう思うと、おとくはたまらない気持ちになる。何度も繰り返しその文を読み返し、考えた。

 美作から旅をしてきた私を優しく迎えてくださったお屋形様、きちんとお送りすることすらできなかった。
「私にできることは何じゃろう」
 おとくはひとり、そうつぶやき続けた。

 それは、江戸で文を見た勝成も同じだった。
 大恩を返せないまま逝かせてしまった。
 その後悔と自責の念にさいなまれ、勝成はうめき声をあげた。

 刈屋に来なかったのは、遠慮も多少はあったのだとばかり思いこんでいた。否、わしゃ何というアホウじゃ。親父は自らを決して許さなかった。一族を死に至らしめた身を責め続けた。許さなかったんじゃ。いかなる救いも拒否したのじゃ。自らを消すなどと……。

 あの戦世の日々はいかに酷いものじゃったんか。

 鬼、鬼、鬼、鬼、尽きることのない鬼の群れじゃ。生き残る者の地獄を親父殿は這いずり回っておったんじゃ。

 わしは、恩返しがしたかった。

 ただ、恩返しがしたかったんじゃ。

 鬼だらけの修羅の場で無茶苦茶に生きて、荒れまくって、結果どこにも行けず野垂れ死にするしかなかったこの身を、丸ごとすべて受け入れ、人としてあるべき道を教えてくれた。それどころか、わしを追っていた者まで払ってくれた。自分を危機にさらしてまで、わしの味方についてくれとった。帰参するまで、いや帰参してもずっと、わしを支えて見守ってくれた。それなのに……。
 もう遅い。
 親父殿には何の恩返しもできぬ。今のわしにできることは……。

 勝成は男泣きに泣いた。涙も鼻水も垂れ流して泣いた。
 ひとしきり泣いた後、彼は固い決意を込めてつぶやいた。

「親父殿、それがし必ずやかの地に戻る。そして、過去の因縁を一切合切、木っ端微塵に追い払ってやろうぞ。鬼日向の意地、見せてやるわ」

 彼のこぶしは血が滲むほど、ぎゅっと握られていた。
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