22 / 89
激闘 大坂夏の陣
勝成、京の遊女で興行を打つ
しおりを挟む
ようやく腰を据えて三河刈屋藩主としての生活を始めた勝成には新しい挑戦の日々が続くのだが、そこでただちに真面目一徹の素晴らしい領主になったとは言えなかった。その風狂を好む性質はまだまだ残っていたのである。
勝成は慶長十三年(一六〇八)に京の遊女、出来島隼人を大枚はたいて身請けした。
まだ十七、八の娘だったがたいそうな美貌の持ち主で、勝成は瞬時にのぼせ上がってしまったのである。側女として置くつもりで刈屋に連れて帰ったところ、彼女は舞も小唄もなかなか筋がよかったため、勝成はすっかり感心した。そして彼女を主役に張り、京都で遊女踊りの興行を催すことを思いついた。吉原を貸切にした豪商・紀伊國屋文左衛門の話よりかなり前だから、お大尽遊びの走りともいえる。
刈屋の家臣は遊女を身請けするぐらいならと初めは大目に見ていたが、その額に目をむいた。さらに京都で興行を打つと言うので、「これはまずい」と慌てはじめた。金だけの話だけではなかった。将軍を息子の秀忠に譲り、大御所となって駿府に居を構えることになった家康があからさまに遊女おどりに嫌悪の情を示していたからである。いくら家康のいとこといえども、いや、だからこそいい印象を与えるはずがない。家康は身びいきといわれるようなことを嫌うのだ。
大御所となった家康からも、当然、ちくりと小言が飛んできた。
おとくもここに至っては一言二言言わずにはいられなくなったし、勝成の母妙舜(みょうしゅん)もおとく以上に怒りを露わにした。
「遊女に入れあげて、藩の金を湯水のように使うとは何事か」
まさにその通りだった。
周囲からの集中砲火を、勝成はのらりくらりとかわし続けた。そうではないのだと心の中でぶつぶつつぶやきながら。確かに出来島隼人にのぼせあがってはいたが、興行にはそれなりの理由があった。
京の北野天満宮に固定の舞台を構え、天下一のかぶきおどりの名をほしいままにしていた阿国一座はこの年の春に京を去り、長い江戸興行に出た。
京に残ったのは阿国の模倣ともいえる遊女おどりだった。新たに四条河原がその中心地となり、連日黒山の人だかりとなっていた。遊女屋が主催するこの手の興行は、女たちの顔見せという大きな目的があった。阿国一座とは比べものにならない大きな舞台に、大量の遊女を綺羅星のごとく並べ、それは華やかなものだった。
勝成ももちろんそれを見た。出来島隼人を見初めたのもそこだった。
しかし、おどり自体はさほどのものではなかった。勝成もはじめは愉快愉快と見ていたが、芸として目新しいのは女衆の美しさと三味線の演奏ぐらいである。当然ながら能や狂言と比べれば素人の芸だった。勝成は芸能を万遍なく好み、自身も謡や舞のみならず笛などもたしなんでいたので、やはり物足りない。
阿国のかぶきおどりは能や狂言、風流踊りなどそれまでの芸能を踏まえたもので、構成もきちんとしていた。そこに当世の自由な空気を加えたからこそ、禁裏でも評判を得たのだ。勝成は伏見で見たかぶきおどりの舞台を懐かしく思い出した。
傾城の美女を手に入れた勝成が、阿国の向こうを張って京で興行を仕掛けたいと思ったのは、自然な成り行きというものだった。勝成は一座の衣装や道具に銀七十貫目(約二五〇キロ)をかけて興行を行い京ではたいへんな話題となった。
江戸初期の大名がこの種の興行を行ったのは、伊達政宗や勝成の義弟である加藤清正の例があるが、それは京都の都の話ではなかったし、これほど大きな規模ではなかった。
家康は例のごとく、「あのどたわけが」とこぼしたがあえて沙汰することはなかった。
一方の阿国一座も江戸の興行を成功させたが、これを頂点に、大衆芸能はゆるやかに形を変えていくこととなる。
出来島隼人との関係は、京都の興行の後自然に消滅していく。勝成にとっては徒花(あだばな)のような恋であった。
京都で出来島隼人の興行を打った慶長十三年(一六〇八年)、以前の約束通り、息子の長吉が徳川秀忠の小姓として江戸に赴くこととなった。
おとくもそうだが祖母の妙舜はたいへん寂しがった。それを紛らわすためか、初孫の行く末が明るいことを祈って熱心に寺社への参詣を重ねた。ただ、将軍にお目見えするということは正式に家臣として認められるということであり、栄誉である。勝成は母に呆れた様子で言ったが、寂しいのは勝成も同じだった。
「母上、戦へ出るのと違うで、心配が過ぎる」
すると、妙舜はきっと勝成を睨みつける。
「おまえは風来坊だから、親の心情というものがわからない」
返って説教される始末である。
あぁ、いとこの申す通り、水野のおなごは皆気が強いでいかん。おとくもじきに、わしに説教するようになるんかのう。
それでも長吉は元気に江戸に出立していった。
立派に育った息子を見て、勝成は誇らしい気分になる。わが家は順風満帆じゃ。
しかし前年の華やかさに彩られた日々から、翌年慶長十四年(一六〇九)になると、勝成の身内に大きな事件が立て続けに起こり、勝成はみずからの責任の重さについて深く考えさせらることになる。
この年、同じ三河に領地を得た勝成の弟忠胤に突然の凶事が起こった。
それは九月のこと、忠胤の江戸屋敷での茶会に遠江浜松藩主、松平忠頼が招かれていた。
この場で、水野家臣・久米左平次が松平家臣の服部半八と碁を打っていた。どうにも劣勢の久米に対し、端で見ていた忠頼はあれやこれやと攻め手を告げていた。
忠頼は久米と旧知の間柄だったため、気安い雰囲気だったのが服部の癪にさわった。しまいに二人は盤を囲んで口論をはじめた。
服部の言葉に耐えかねた久米が刀を抜いた。慌てた忠頼は仲裁に入るがもう収まらない。
「おのれっ」
久米は服部に襲いかかる。とっさに服部をかばった忠頼が背中から袈裟掛けに斬られた。
駆けつけた忠胤は顔面蒼白になった。
返り血を浴びた久米は魂を抜かれたように突っ立っている。周りには忠頼の近習が抜刀して取り囲んでいる。久米は忠胤が来たことを認めると意を決したように叫んだ。
「身命もってお詫びいたすっ」
久米は脇差を抜き、頸動脈に突き立てた。鮮血が畳から襖までほとばしり、久米はどさっと倒れた。
この事件は江戸屋敷でのこと、隠し立てできるはずもない。家臣同士の喧嘩で終わればまだしも、藩主が殺害されたという事実は重かった。翌月忠胤は切腹を命じられ、藩は取り潰しと決められた。喧嘩の当事者の服部半八も切腹の沙汰となった。
忠胤の領した藩名や官位は後年、将軍家の正式な記録には残されなかった。ただ松平忠頼の没年が残るだけである。
勝成は事件の顛末を知りたいへんな衝撃を受けた。ことの重大さは重々承知していたが、忠胤は直接の当事者ではない。大垣城の戦いを兄弟で声を掛け合いながら突破したことがしきりに思い出される。
何とか蟄居など軽い処置にできないかと秀忠にかけあったが、無理だった。二代目将軍秀忠は勝成に言った。
「日向守よ、それでは済まないのだ。何事も公平に断じなければ幕府は信を失う。藩主が殺害されたんじゃ。家臣がしたことでも目が行き届いていないならば、相応の責任を負ってもらわねば」
「そうか……」
勝成はうなだれた。
秀忠は勝成にかすかな同情の眼差しを与えて言った。
「この沙汰は忠胤の藩だけのこと。おぬしや弟の忠清には及ばぬゆえ」
「そんなことは今言うとらん。忠胤の沙汰について申しておる次第」
勝成は力なく返した。秀忠がまた、同情を込めて言う。
「大御所にもはかったが、日向守には忠胤の子を預かってもらったらよいと思う。水野朗党の今後の働きによっては、子にいつか再起の道が開かれるやもしれぬ。何分、子の母は織田信長公の娘、絶やすには惜しい血筋じゃ」
「……血筋か。承知した」
割り切れない思いを抱えて、勝成は江戸城を退出した。
ずいぶん不自由になった。
勝成はつぶやいた。
皆高い官位を得るために平だの源だの藤原だのの子孫になっておったから珍しくもないが、幕府も血筋だの何だのと言い出すのか。わしが何か不始末をしたら、長吉は殺されてしまうかもしれないのう。おとくの藤井も立派な武人じゃったが、中央には出ておらんからのう。
だいたい、わしも昔はかっとして刀を抜いていたから、とっくに切腹ものじゃ。
これが藩主の責任というものか。
自分では何もしとらん忠胤が死を迎えねばならぬとは。
「戦で命を落とすならまだしも、父も忠胤も何と死に甲斐のないことよ。悔しかろう、無念じゃろう」
勝成は空を仰いだ。
忠胤は十月十六日に切腹して果てた。
勝成は弟の忘れ形見を刈屋に引き取り、勝信という新たな名を与えた。勝信の母である振姫は他家に嫁いでいった。
勝成は慶長十三年(一六〇八)に京の遊女、出来島隼人を大枚はたいて身請けした。
まだ十七、八の娘だったがたいそうな美貌の持ち主で、勝成は瞬時にのぼせ上がってしまったのである。側女として置くつもりで刈屋に連れて帰ったところ、彼女は舞も小唄もなかなか筋がよかったため、勝成はすっかり感心した。そして彼女を主役に張り、京都で遊女踊りの興行を催すことを思いついた。吉原を貸切にした豪商・紀伊國屋文左衛門の話よりかなり前だから、お大尽遊びの走りともいえる。
刈屋の家臣は遊女を身請けするぐらいならと初めは大目に見ていたが、その額に目をむいた。さらに京都で興行を打つと言うので、「これはまずい」と慌てはじめた。金だけの話だけではなかった。将軍を息子の秀忠に譲り、大御所となって駿府に居を構えることになった家康があからさまに遊女おどりに嫌悪の情を示していたからである。いくら家康のいとこといえども、いや、だからこそいい印象を与えるはずがない。家康は身びいきといわれるようなことを嫌うのだ。
大御所となった家康からも、当然、ちくりと小言が飛んできた。
おとくもここに至っては一言二言言わずにはいられなくなったし、勝成の母妙舜(みょうしゅん)もおとく以上に怒りを露わにした。
「遊女に入れあげて、藩の金を湯水のように使うとは何事か」
まさにその通りだった。
周囲からの集中砲火を、勝成はのらりくらりとかわし続けた。そうではないのだと心の中でぶつぶつつぶやきながら。確かに出来島隼人にのぼせあがってはいたが、興行にはそれなりの理由があった。
京の北野天満宮に固定の舞台を構え、天下一のかぶきおどりの名をほしいままにしていた阿国一座はこの年の春に京を去り、長い江戸興行に出た。
京に残ったのは阿国の模倣ともいえる遊女おどりだった。新たに四条河原がその中心地となり、連日黒山の人だかりとなっていた。遊女屋が主催するこの手の興行は、女たちの顔見せという大きな目的があった。阿国一座とは比べものにならない大きな舞台に、大量の遊女を綺羅星のごとく並べ、それは華やかなものだった。
勝成ももちろんそれを見た。出来島隼人を見初めたのもそこだった。
しかし、おどり自体はさほどのものではなかった。勝成もはじめは愉快愉快と見ていたが、芸として目新しいのは女衆の美しさと三味線の演奏ぐらいである。当然ながら能や狂言と比べれば素人の芸だった。勝成は芸能を万遍なく好み、自身も謡や舞のみならず笛などもたしなんでいたので、やはり物足りない。
阿国のかぶきおどりは能や狂言、風流踊りなどそれまでの芸能を踏まえたもので、構成もきちんとしていた。そこに当世の自由な空気を加えたからこそ、禁裏でも評判を得たのだ。勝成は伏見で見たかぶきおどりの舞台を懐かしく思い出した。
傾城の美女を手に入れた勝成が、阿国の向こうを張って京で興行を仕掛けたいと思ったのは、自然な成り行きというものだった。勝成は一座の衣装や道具に銀七十貫目(約二五〇キロ)をかけて興行を行い京ではたいへんな話題となった。
江戸初期の大名がこの種の興行を行ったのは、伊達政宗や勝成の義弟である加藤清正の例があるが、それは京都の都の話ではなかったし、これほど大きな規模ではなかった。
家康は例のごとく、「あのどたわけが」とこぼしたがあえて沙汰することはなかった。
一方の阿国一座も江戸の興行を成功させたが、これを頂点に、大衆芸能はゆるやかに形を変えていくこととなる。
出来島隼人との関係は、京都の興行の後自然に消滅していく。勝成にとっては徒花(あだばな)のような恋であった。
京都で出来島隼人の興行を打った慶長十三年(一六〇八年)、以前の約束通り、息子の長吉が徳川秀忠の小姓として江戸に赴くこととなった。
おとくもそうだが祖母の妙舜はたいへん寂しがった。それを紛らわすためか、初孫の行く末が明るいことを祈って熱心に寺社への参詣を重ねた。ただ、将軍にお目見えするということは正式に家臣として認められるということであり、栄誉である。勝成は母に呆れた様子で言ったが、寂しいのは勝成も同じだった。
「母上、戦へ出るのと違うで、心配が過ぎる」
すると、妙舜はきっと勝成を睨みつける。
「おまえは風来坊だから、親の心情というものがわからない」
返って説教される始末である。
あぁ、いとこの申す通り、水野のおなごは皆気が強いでいかん。おとくもじきに、わしに説教するようになるんかのう。
それでも長吉は元気に江戸に出立していった。
立派に育った息子を見て、勝成は誇らしい気分になる。わが家は順風満帆じゃ。
しかし前年の華やかさに彩られた日々から、翌年慶長十四年(一六〇九)になると、勝成の身内に大きな事件が立て続けに起こり、勝成はみずからの責任の重さについて深く考えさせらることになる。
この年、同じ三河に領地を得た勝成の弟忠胤に突然の凶事が起こった。
それは九月のこと、忠胤の江戸屋敷での茶会に遠江浜松藩主、松平忠頼が招かれていた。
この場で、水野家臣・久米左平次が松平家臣の服部半八と碁を打っていた。どうにも劣勢の久米に対し、端で見ていた忠頼はあれやこれやと攻め手を告げていた。
忠頼は久米と旧知の間柄だったため、気安い雰囲気だったのが服部の癪にさわった。しまいに二人は盤を囲んで口論をはじめた。
服部の言葉に耐えかねた久米が刀を抜いた。慌てた忠頼は仲裁に入るがもう収まらない。
「おのれっ」
久米は服部に襲いかかる。とっさに服部をかばった忠頼が背中から袈裟掛けに斬られた。
駆けつけた忠胤は顔面蒼白になった。
返り血を浴びた久米は魂を抜かれたように突っ立っている。周りには忠頼の近習が抜刀して取り囲んでいる。久米は忠胤が来たことを認めると意を決したように叫んだ。
「身命もってお詫びいたすっ」
久米は脇差を抜き、頸動脈に突き立てた。鮮血が畳から襖までほとばしり、久米はどさっと倒れた。
この事件は江戸屋敷でのこと、隠し立てできるはずもない。家臣同士の喧嘩で終わればまだしも、藩主が殺害されたという事実は重かった。翌月忠胤は切腹を命じられ、藩は取り潰しと決められた。喧嘩の当事者の服部半八も切腹の沙汰となった。
忠胤の領した藩名や官位は後年、将軍家の正式な記録には残されなかった。ただ松平忠頼の没年が残るだけである。
勝成は事件の顛末を知りたいへんな衝撃を受けた。ことの重大さは重々承知していたが、忠胤は直接の当事者ではない。大垣城の戦いを兄弟で声を掛け合いながら突破したことがしきりに思い出される。
何とか蟄居など軽い処置にできないかと秀忠にかけあったが、無理だった。二代目将軍秀忠は勝成に言った。
「日向守よ、それでは済まないのだ。何事も公平に断じなければ幕府は信を失う。藩主が殺害されたんじゃ。家臣がしたことでも目が行き届いていないならば、相応の責任を負ってもらわねば」
「そうか……」
勝成はうなだれた。
秀忠は勝成にかすかな同情の眼差しを与えて言った。
「この沙汰は忠胤の藩だけのこと。おぬしや弟の忠清には及ばぬゆえ」
「そんなことは今言うとらん。忠胤の沙汰について申しておる次第」
勝成は力なく返した。秀忠がまた、同情を込めて言う。
「大御所にもはかったが、日向守には忠胤の子を預かってもらったらよいと思う。水野朗党の今後の働きによっては、子にいつか再起の道が開かれるやもしれぬ。何分、子の母は織田信長公の娘、絶やすには惜しい血筋じゃ」
「……血筋か。承知した」
割り切れない思いを抱えて、勝成は江戸城を退出した。
ずいぶん不自由になった。
勝成はつぶやいた。
皆高い官位を得るために平だの源だの藤原だのの子孫になっておったから珍しくもないが、幕府も血筋だの何だのと言い出すのか。わしが何か不始末をしたら、長吉は殺されてしまうかもしれないのう。おとくの藤井も立派な武人じゃったが、中央には出ておらんからのう。
だいたい、わしも昔はかっとして刀を抜いていたから、とっくに切腹ものじゃ。
これが藩主の責任というものか。
自分では何もしとらん忠胤が死を迎えねばならぬとは。
「戦で命を落とすならまだしも、父も忠胤も何と死に甲斐のないことよ。悔しかろう、無念じゃろう」
勝成は空を仰いだ。
忠胤は十月十六日に切腹して果てた。
勝成は弟の忘れ形見を刈屋に引き取り、勝信という新たな名を与えた。勝信の母である振姫は他家に嫁いでいった。
0
あなたにおすすめの小説
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる