3 / 8
ブリストルの兄弟
しおりを挟む一八四五年、ロンドン。
街はありとあらゆるものから生じる喧騒に満ち満ちていた。ある人々はここが世界の中心だと考えていたし、その他の大勢にとっては日々を生き抜くために奮闘する場だった。空は灰色で、しばしば水となって埃っぽい土地に降り注いだ。
人だけではない。ネズミも犬も猫も、あるいはどこかで飼っているオウムも同じだった。もっとも跋扈していたのはネズミで、喧騒の町を我が物顔で駆け回っていた。じきに彼らを捕獲する専門職が設けられることになるだろう。
街は常に工事中だった。
地面はあちらこちらで人が隠れるほど掘り返され、そこからツルハシを持った男がひょこっと首を出す。川では石工が列を連ねて行進していた。これは確かに美しい光景とはいえなかった。ギザのピラミッドを築いているときもこのような状態だったのだろうか。
古くからある建物、例えばウェストミンスター寺院であるとか、セント・ジェームス宮殿など重鎮のうるさ方は、定点で周辺の変わるさまを見ていたのだから、さぞかし眉をひそめ目を回していたことだろう。
働き盛りの年齢といえる男が二人、街を早足で歩いていた。二人は兄弟なのだが、そう言われなければ気づかないかもしれない。兄は鷲を思わせる容貌をしており、弟は小鹿のようだった。同じように山高帽とフロックコートを身につけていても、違いは明白だったろう。
この兄弟はロンドンから一一七マイル西方のブリストルの出身だ。兄はジョン・ワトキンス・ブレット、弟はジェイコブという。彼らは家具職人ウィリアム・ブレットの子として生まれた。家具職人といっても販売も手掛けていて、ブリストルでは裕福な家として知られていたようだ。
長じて、兄のジョンは家業を継ぐ前提で父の所で働いた。家具製造と販売の実際に触れて、ものの良し悪しを見る目を養った。彼は家具とともに調度品にも大いに興味を抱く。家具から発展して工芸品や美術品の知識を得つつ、自身も絵筆を手に取るようになったという。ただ、画家になりたいとは思わなかったようだ。商売に応用し、有機的に使おうと考えたのだろう。父親のウィリアムにとっては自慢の跡取りだったはずだ。そのまま進めば現在も、ブリストルにWiliam&Sonsという大きな会社が残っていたかもしれない。
ブレット家の転機になったと思われる事件がある。
君も私ももちろん覚えていない話だが、チャーティスト運動の初期、一八三〇年にいったん話を戻そう。選挙法の改正案が通らず労働者と同調者が抗議の声を上げ、暴力的な手法がたびたび使われた。イギリスのあちらこちらで暴動が起こったのはきみも知識として知っているだろう。
今ならば、昼下がりの図書館でブリタニカ百科事典のページをめくれば済むが、当時はそんな呑気なものではない。社会を揺るがすような事態だった。
ブリストル暴動は一八三一年十月二九日に発生した。貴族院で二回目の改革法案が却下され、いよいよ手詰まりになったことが政治不信が暴発する引き金になったのだね。改革反対派の裁判官チャールズ・ウェザレルが市内に入ったのを機に事件が起こる。抗議者は暴徒化し、略奪や放火を始めたのだ。それは三日目に市民や軍隊が出動して鎮圧された。今ならば即時に『Bristol is burning!』という急報が出たことだろう。当時はまだ今ほどには新聞が普及していなかったから全国くまなく流れたかどうかは分からないが。
たかだか三日間だが、この暴動はブレット家の商いにも大きな影を落とした。大切な商品を収めていた倉庫が燃やされるという憂き目に遭ったのだ。
おそらく、ジョン・ワトソンが後にブリストルに見切りをつけたのにはこの暴動が大きく影響している。彼は改めて美術を学ぶためにアメリカに渡ろうと決めた。その頃すでにアメリカには美術学校があったようで、そこで学ぶことにした。美術館でいうならば英国のナショナル・ギャラリーの方が先んじているが、アメリカのコネティカットでも美術館を建設するプランが進んでいた。裕福な層は美術品の収集に勤しんでいたようだし、有望なマーケットといったところだろう。
ジョン・ワトソンは意気揚々と荷物をまとめ始めた。倉庫の商品は哀れにも灰塵に帰したが、跡継ぎ息子が洋行するぐらいの蓄えはあったようだし、何より父親のウィリアムが乗り気だったんだ。
それが一八三二年のことだった。
ジョン・ワトキンスはアメリカで美術品に関して大いに研鑽を深めたが、その報せを熱心に読んでいた父親のウィリアムもいたく刺激を受けて、居ても立ってもいられなくなった。そしてついにはジョンを追うように大西洋を渡る船に乗ってしまった。父親も息子に負けず劣らず好奇心が旺盛だった。
それから五年後の一八三七年、現地で買い付けた品々も携えてジョン・ワトソンはリヴァプールの港に無事帰還した。父親が一緒だったかは分からない。先に帰ったのかもしれないな、店を長く放っておくわけにもいくまい。
そう、一八三七年。ヴィクトリア女王戴冠の年だよ。偶々だったのか、戴冠式に合わせてか定かではないが、この歴史的記念行事に居合わせるのはたいへん重要なことだ。もし、その行事を見過ごすことになったら一生の不覚だと考える人も多くいる。女王の戴冠とともに新たな一歩を踏み出そうなんて、いかにも験がいいじゃないか。
乾杯!
その一言で事足りるな。
ジョン・ワトソンは父から独立して心機一転、ロンドンのハノーヴァー通りに居を構えることになった。ああ、メイフェアと並行したあの通りだ。驚くほどの一等地だろう。よい立地だ。ブレット兄弟はそこで会員制の画廊を開いたのだ。私も当時の目録に目を通す機会があったが、錚々たるものだったと記憶している。まあ、私は美術に疎いので、タイトルを見て絵が思い浮かんだりはしないのだが。
そして彼がロンドンに持っていったのは美術品だけない。ブリストルにいた弟のジェイコブも呼ぶことにしたのだ。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
【最新版】 日月神示
蔵屋
歴史・時代
最近日月神示の予言本に不安を抱いている方もあると思うがまったく心配いらない。
何故なら日月神示では「取り越し苦労や過ぎ越し苦労はするな!」
「今に生きよ!」
「善一筋で生きよ!」
「身魂磨きをせよ!」
「人間の正しい生き方」
「人間の正しい食生活」
「人間の正しい夫婦のあり方」
「身も心も神さまからお借りしているのじゃから夜になって寝る前に神さまに一旦お返しするのじゃ。そうしたら身と心をどのようにしたらよいか、分かるじゃろ!」
たったのこれだけを守れば良いということだ。
根拠のない書籍や情報源等に惑わされてはダメだ。
日月神示も出口王仁三郎もそのようなことは一切言っていない。
これらの書籍や情報源は「日月神示」が警告する「臣民を惑わすものが出てくるから気をつけよ!」
という言葉に注目して欲しい。
今回、私は読者の皆さんに間違った解釈をされている日月神示を分かりやすく解説していくことにしました。
どうか、最後までお読み下さい。
日月神示の予言については、私が執筆中の「神典日月神示の真実」をお読み下さい。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
影武者の天下盗り
井上シオ
歴史・時代
「影武者が、本物を超えてしまった——」
百姓の男が“信長”を演じ続けた。
やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。
貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。
戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。
炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。
家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。
偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。
「俺が、信長だ」
虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。
時は戦国。
貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。
そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。
その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。
歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。
(このドラマは史実を基にしたフィクションです)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる