ブリストルの兄弟ーThe Modern World Never Concerns

尾方佐羽

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ブリストルの兄弟

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  一八四五年、ロンドン。

 街はありとあらゆるものから生じる喧騒に満ち満ちていた。ある人々はここが世界の中心だと考えていたし、その他の大勢にとっては日々を生き抜くために奮闘する場だった。空は灰色で、しばしば水となって埃っぽい土地に降り注いだ。
 人だけではない。ネズミも犬も猫も、あるいはどこかで飼っているオウムも同じだった。もっとも跋扈していたのはネズミで、喧騒の町を我が物顔で駆け回っていた。じきに彼らを捕獲する専門職が設けられることになるだろう。

 街は常に工事中だった。

 地面はあちらこちらで人が隠れるほど掘り返され、そこからツルハシを持った男がひょこっと首を出す。川では石工が列を連ねて行進していた。これは確かに美しい光景とはいえなかった。ギザのピラミッドを築いているときもこのような状態だったのだろうか。
 古くからある建物、例えばウェストミンスター寺院であるとか、セント・ジェームス宮殿など重鎮のうるさ方は、定点で周辺の変わるさまを見ていたのだから、さぞかし眉をひそめ目を回していたことだろう。

 働き盛りの年齢といえる男が二人、街を早足で歩いていた。二人は兄弟なのだが、そう言われなければ気づかないかもしれない。兄は鷲を思わせる容貌をしており、弟は小鹿のようだった。同じように山高帽とフロックコートを身につけていても、違いは明白だったろう。

 この兄弟はロンドンから一一七マイル西方のブリストルの出身だ。兄はジョン・ワトキンス・ブレット、弟はジェイコブという。彼らは家具職人ウィリアム・ブレットの子として生まれた。家具職人といっても販売も手掛けていて、ブリストルでは裕福な家として知られていたようだ。

 長じて、兄のジョンは家業を継ぐ前提で父の所で働いた。家具製造と販売の実際に触れて、ものの良し悪しを見る目を養った。彼は家具とともに調度品にも大いに興味を抱く。家具から発展して工芸品や美術品の知識を得つつ、自身も絵筆を手に取るようになったという。ただ、画家になりたいとは思わなかったようだ。商売に応用し、有機的に使おうと考えたのだろう。父親のウィリアムにとっては自慢の跡取りだったはずだ。そのまま進めば現在も、ブリストルにWiliam&Sonsという大きな会社が残っていたかもしれない。

 ブレット家の転機になったと思われる事件がある。

 君も私ももちろん覚えていない話だが、チャーティスト運動の初期、一八三〇年にいったん話を戻そう。選挙法の改正案が通らず労働者と同調者が抗議の声を上げ、暴力的な手法がたびたび使われた。イギリスのあちらこちらで暴動が起こったのはきみも知識として知っているだろう。
 今ならば、昼下がりの図書館でブリタニカ百科事典のページをめくれば済むが、当時はそんな呑気なものではない。社会を揺るがすような事態だった。

 ブリストル暴動は一八三一年十月二九日に発生した。貴族院で二回目の改革法案が却下され、いよいよ手詰まりになったことが政治不信が暴発する引き金になったのだね。改革反対派の裁判官チャールズ・ウェザレルが市内に入ったのを機に事件が起こる。抗議者は暴徒化し、略奪や放火を始めたのだ。それは三日目に市民や軍隊が出動して鎮圧された。今ならば即時に『Bristol is burning!』という急報が出たことだろう。当時はまだ今ほどには新聞が普及していなかったから全国くまなく流れたかどうかは分からないが。

 たかだか三日間だが、この暴動はブレット家の商いにも大きな影を落とした。大切な商品を収めていた倉庫が燃やされるという憂き目に遭ったのだ。


 おそらく、ジョン・ワトソンが後にブリストルに見切りをつけたのにはこの暴動が大きく影響している。彼は改めて美術を学ぶためにアメリカに渡ろうと決めた。その頃すでにアメリカには美術学校があったようで、そこで学ぶことにした。美術館でいうならば英国のナショナル・ギャラリーの方が先んじているが、アメリカのコネティカットでも美術館を建設するプランが進んでいた。裕福な層は美術品の収集に勤しんでいたようだし、有望なマーケットといったところだろう。

 ジョン・ワトソンは意気揚々と荷物をまとめ始めた。倉庫の商品は哀れにも灰塵に帰したが、跡継ぎ息子が洋行するぐらいの蓄えはあったようだし、何より父親のウィリアムが乗り気だったんだ。

 それが一八三二年のことだった。

 ジョン・ワトキンスはアメリカで美術品に関して大いに研鑽を深めたが、その報せを熱心に読んでいた父親のウィリアムもいたく刺激を受けて、居ても立ってもいられなくなった。そしてついにはジョンを追うように大西洋を渡る船に乗ってしまった。父親も息子に負けず劣らず好奇心が旺盛だった。

 それから五年後の一八三七年、現地で買い付けた品々も携えてジョン・ワトソンはリヴァプールの港に無事帰還した。父親が一緒だったかは分からない。先に帰ったのかもしれないな、店を長く放っておくわけにもいくまい。

 そう、一八三七年。ヴィクトリア女王戴冠の年だよ。偶々だったのか、戴冠式に合わせてか定かではないが、この歴史的記念行事に居合わせるのはたいへん重要なことだ。もし、その行事を見過ごすことになったら一生の不覚だと考える人も多くいる。女王の戴冠とともに新たな一歩を踏み出そうなんて、いかにも験がいいじゃないか。

 乾杯!
 その一言で事足りるな。

 ジョン・ワトソンは父から独立して心機一転、ロンドンのハノーヴァー通りに居を構えることになった。ああ、メイフェアと並行したあの通りだ。驚くほどの一等地だろう。よい立地だ。ブレット兄弟はそこで会員制の画廊を開いたのだ。私も当時の目録に目を通す機会があったが、錚々たるものだったと記憶している。まあ、私は美術に疎いので、タイトルを見て絵が思い浮かんだりはしないのだが。

 そして彼がロンドンに持っていったのは美術品だけない。ブリストルにいた弟のジェイコブも呼ぶことにしたのだ。
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