16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第6章 海の巡礼路(東洋編) フランシスコ・ザビエル

感傷と大陸 1542年 ゴア(インド)へ

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〈フランシスコ・ザビエル、アルフォンソ・デル・ソーザ総督、セサル・アスピルクエタ〉

 ポルトガルのインド艦隊はソコトラ島を出発し、インド洋を東に進んでいく。
 季節風は船の帆を大いに助けていた。風は私たちをすいすいと運んでいく。幸い、ギニア沖で出くわしたような長い凪や嵐は私たちを襲ってはこなかった。もちろん、タコの化物(俗にいうクラーケン)を見ることもなかった。病人の世話をする仕事も以前に比べると激減している。船員たちも昼寝をしたり、カードで賭け事をしたり思い思いの時間を楽しむ余裕ができたようだ。ソーザ新総督もこの航海でのできごとをしばしば私に確かめに来る。ゴアに到着したらすぐさま引き継ぎをして、国王のジョアン3世に報告書を出さなければならないからだ。
 私もゴアに着いたらイエズス会の皆に通信を書き綴ることになるだろう。

 アラビア半島はどんどん離れていく。
 イェルサレムもどんどん離れていく。



 私は少し感傷的になっていたかもしれない。イェルサレムを通りすぎて、アジアに向かうということがほんの少しだけ残念だったのだ。ソコトラ島で宣教活動ができなかったこと、本来の誓願の地であったイェルサレムへの巡礼が叶わないこと、そんな心残りがあった。

「心残りがあってもいい。それがまた前に進む動力になることもある。いつかは行こう、戻ろうという希望にもなるのだと思う」とセサルは静かにつぶやく。

 船の中での空き時間に、私はセサルに自身の話をしていた。
 パリ大学に進学してイニゴやピエールと修道会をつくることを決めるまでのことは、マルティン・アスピルクエタもある程度は知っている。すなわち、マルティンのもとにいたセサルもそれを知っているということだ。したがって、それより後のことが話の中心になった。
 今になって思えば、私の気持ちを落ち着かせるために、セサルは進んで話を聞いてくれたのだと思う。
 そのなかで私はひとつ大切なことに気がつくのだ。ギニア沖、船酔いで寝込んでいたとき、ぼうっとしていて言いそびれたことだ。

「スペインのガンディアにあるボルハ家はあなたと関わりがありますか?」
「ああ、私はスペイン語で言えば、セサル・ボルハだからな。弟のホアンがガンディア公爵だった」とセサルはうなずいた。

 やっぱりそうなのか、と私は思った。普通に考えればすぐに合点がいくと思うのだが、小さい頃シャビエル城にいたキュクロープスとローマの教皇アレクサンデル6世、その息子で教皇軍司令官のチェーザレ・ボルジア、そしてスペインの貴族ボルハ家ーーそれらのかけらが頭の中でパッとつながらなかったのだ。それはそうだろう、時間も場所もバラバラのかけらなのだから。

「コレーリアという従者がいましたか」と私は尋ねた。
 セサルは目を見開いて身を乗り出した。
「ミケーレのことを知っているのか? 今どこにいる?」

  私はリスボンで出会った同じ年頃の男性、ニコラス・コレーリャの話をした。画家の工房で働いているニコラスとヴェネツィアで初めて会ったこと。そしてリスボンで偶然再会したこと。彼の父親がミケーレ・ダ・コレーリアであり、その妻である母親が再婚してリスボンに至ったこと。そして、再婚相手の一家全員が異端審問所に収容されたことなどである。
 セサルは微動だにせず、目を見開いたまま、私の話を聞いていた。

 少し間があった。
 セサルも少し考えを整理する必要があったらしい。
「……ミケーレの妻は無事だったのか?」
 私はうなずいた。
「教皇パウルス3世からポルトガル国王に、彼女の一家を放免するよう要請する非公式の書簡が届きました。パウルス3世は、あなたもご存じかもしれませんが、ファルネーゼ枢機卿(すうきけい、すうききょう)です。
 その要請はもともと、フェラーラ出身のイッポーリト・デステ枢機卿の強い希望によるものだということですが、フェラーラ公爵からの働きかけがあったのでしょう。ミケーレの妻はフェラーラのエステンセ城に勤めていたそうです。
 結局、それで再婚先の家族も皆、審問所を出ることができました。あ、あと、ニコラスに母親の居場所を調べて教えたり、通行用の身分証明を与えたのはガンディアのボルハ家だと言っていました」

 セサルはそれを聞くと、ふっと苦笑した。
「ボルジア、いや、ボルハ家を総動員した観があるな。壮観だ。聞きたいことは次から次へと山ほど出てくるが……ミケーレは……?」
「詳しくは聞きませんでしたが……ニコラスが生まれる前に亡くなったと言っていました。苗字のコレーリアをコレーリャと変えたのもそれが影響しているのかもしれませんが」と私は答えた。

 セサルはふっと遠い目になる。
「私や父が病に倒れてもびくともしなかったミケロット(ミケーレ)が、病で急逝したとはとても考えられない。子の苗字を変えたのは、命を狙われると危惧したからかもしれない。だとすると、ミケロットは暗殺されたのか……ああ、会いたかった。もう一度会いたかった。私がナポリ行きになって以降、一度も会うことができなかったのだ。一度もだ。どこかで生きていてくれれば……」

 私はセサルの様子を、辛い気持ちで見ていた。
「Ez zitzaidan ona esan…」
(言わないほうがよかったかもしれませんね)
 私がつぶやくと、セサルは首を横に振っている。
「いや、知らないままだったら、安心していられただろうか。どうしているか知りたいのに、知る手段のないつらさを思ったら、どんなに厳しい現実でも知った方がいい」

「知ってしまったら、それまで持っていた希望がなくなってしまうのでしょう」と私は目を伏せる。

 セサルは微笑んで首を横に振る。
「いや、希望というものはもうとうになくなったのだ。そうだな、1503年の夏から始まって、数年でかけらもなく消え失せた。当時は私を貶めた者への恨みつらみの方が勝っていたかもしれないが、それもいつしか消えた。
 ミケロットと妹のルクレツィアに会えたら……というのは消えない感傷なのだろう。感傷や思い出というものは、どんなにすべてを捨てたつもりになっても多少は残るものだ。それは、その人間の色合いというべきものであるようにも思うし、むきになって捨てる必要もない。
 そう、私も結局、ひとりの人間に過ぎないということだ。そもそも、皆いつ天に召されても不思議ではない。時はあっという間に飛び去ってしまった。おまえがもうすぐ40になろうかというほどだから当然だ。
 しかし、ナヴァーラの片隅の城で育った少年が、これだけのことを知っているのが私には驚きだ。おまえがミケーレの息子に会った……それでボルジアの人間がこれだけ関わっていることも分かった。それを私は聞くことができた。その巡り合わせはやはり、奇跡としか言えない……」

 私にはもう言うべき言葉がなかった。
 セサルは微笑んで立ち上がり、「甲板に出てみるか」と私を促した。

 外は晴れて、どこまでも青い海が広がっていた。日差しは強かった。これがさらに暑くなったら、航海には適さなくなるだろう。ゴアが近くなるといくらか南方に島影が見えてくるというが、まだそこまでは到達していないようだ。

「このような大海原を見慣れてしまったが、海はいいものだな」とセサルがつぶやく。
「熱暑の凪や嵐でなければ」と私は応じる。
 風がセサルの白い長髪をなびかせている。

「そうだな、確かに楽な航海ではなかった。ただ、それを経てもなお生かされている自分がいる。今、目的地を前にして落ち着いて海を進んでいる自分がいる。フランシスコ、まるで人生のようではないか。人生が旅であると私に言ったのは他でもない、子どもだったおまえだ。私はそれを今でもよく覚えているし、今もその通りだと思っている」

 私はふと、この従者の来た道を思った。

 彼は自分の人生を語るだけの機会を与えられることがなかった。彼が何を求めてイタリア中部をひとつにまとめようとしたのか、究極的にどのような理想を求めていたのか、きちんと語る機会がなかった。途中で病にさいなまれ、自由を奪われる中で言葉を外に向けて発することができなくなったのだから。

 しかし彼は他に似た者のない、卓越した指導者だったのだ。
 セサルの話をしっかり心に留めておきたい。
 私はそう思った。




 陸地が私たちの目の前に現れたのは、1542年5月に入ってすぐだった。もう春を過ぎ、初夏になっている。
 そこは島ではない、インドは私たちの故郷ともつながっている大陸の一部なのだ。何と広大なのだろう。私は船にあった世界地図を頭に描く。ヨーロッパがあり、オスマン・トルコが、インドが、中国がみなひとつの大陸にある。私は果てしない旅をしてきたように思うが、まだこの大陸の途中までしか来ていないのだ。
 世界は果てしなく大きいものであると改めて実感したのだ。

 ずっと続く海岸線が私たち船の乗員すべてに歓喜を与える。
「Eu vi! A terra da Índia!」
(見えたぞ! インドの大地が!)
 ソーザ新総督もこのときばかりは甲板から身を乗り出し、他の乗員に混じって遠慮なく喜びの声を上げていた。

「Esplêndido!  Em breve chegaremos!」
(やった! もうすぐ着くぞ!)

 だんだん近づいてくるゴアの海岸線を見て、私たちは目を見張った。
 美しく続く砂浜の海岸の奥の奥まで、背の高い大きな木がびっしりと覆っている。まず濃い緑が私に強烈な印象を与えた。これまで私たちが航海で寄港したどの土地とも違う。いや、私たちがこれまで見てきたヨーロッパの都市も含めて、まったく違う景観だった。
 赤い土に緑の大地。ヤシの木もソテツの木も、これでもかというほど背が高い。ここには木の成長を妨げるものがないのだろう。私が知らない他の植物もたくさんあるのではないかと思われた。

 さらに陸地に近づくと木々より手前に石造りの城壁が延々と築かれ、立派な建物が一画に集中して建ち並んでいるのが見える。巨大な要塞も目に入った。
 そして、十字架をいただく建物の姿も目に入った。
 それを見て、心から安堵したのは言うまでもないだろう。
 1541年4月にリスボンを出発してから、すでに1年と1カ月が経とうとしていた。順調に行けば半年で済むところが、倍の時間かかったのだ。

「大きな都市だな」とセサルがつぶやく。
 私も大きくうなずく。

 アントニオ、あなたが見慣れている熱い国の光景は私たちの目にたいそう新鮮に映ったのだよ。
 ここから、私の宣教活動が本格的にはじまるのだ。
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