16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第6章 海の巡礼路(東洋編) フランシスコ・ザビエル

風は少し強いほうがいい 1543年 ゴアからツチコリン

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〈フランシスコ・ザビエル、フランシスコ・マンシラス、ミセル・パウロ、アルフォンソ・デル・ソーザ総督、イグナティウス・ロヨラ、セサル・アスピルクエタ〉

 1543年の初秋、モザンビークで別れた二人とゴアでやっと再会することができた。それをじっくりと味わう間もなく、私は今後の活動や新しい学院(聖職者を育成するための)の運営について、総督や現地にいる聖職者と話し合う日々を送っていた。学院の院長には早くからゴアに入っていたディエゴ司祭が就任していたのだが、今後イエズス会の聖職者、あるいは聖職者を目指す人たちが次々とやってくる。

 海からの風は少し強い。
 木々が同じ方向に揺さぶられている。ここは常に夏のようで、耐え難い暑さにふらつくこともしばしばだが、風のある夕暮れは過ごしやすい。紫とオレンジが混ざったような空が大変美しく、私はしばらく砂浜にたたずんでそれに浸っていた。様子を見に来たセサルが背後でつぶやく。

「Haizea apur bat indartsuagoa izan behar da.」(風は多少強いぐらいがいい)
「Haizea ez badago kolpe, ontzia ez da mugitu.」
(風がなければ船は進みませんね)
「Ontzia ez ezik, berdinak gara.」
(船だけではない。私たちもだ)

 そう、船だけではなく、私たちもそうなのだ。
 ナヴァーラにいるときは北方のサン・セバスティアンまで出なければ、南方のヴァレンシアまで出なければ、海を見ることができなかった。どちらも私は出たことがなかった。それが今は始終海のそばにいる。私は不思議な気分になって、セサルにそれを伝えた。
「そのどちらも、私には困難な旅を思い出させる。ただただ困難な逃避行だった。ガンディアの地に寄ることも許されず、身体中アザだらけで腕は折れて、熱にうなされて、追手をかわしながら、ひたすらにパンプローナを目指した。苦しいばかりだったが、見つけたものもあった。それがあるからこそ私はここまで来たのかもしれない」とセサルはつぶやいた。(※1)

 私は聞いた。彼の困難な逃避行のことを。そして、その中で彼の心を打ったいくつかのできごとを。それを聞いて、私は彼が星の巡礼に心を残している理由を知ることができたし、セサルがいまだに忘れないという言葉も知ることができた。
 彼の旅とその言葉は、私の脳裏にも色濃く刻まれたのだ。

《あなたの人生を、
もう終わったものとして考えなさい。
そして残された日々を、
それがまるであなたの人生の続編に過ぎないかのように、
自然と調和して生きなさい》

「今は、人生の続編ですか」
「そうだ」とセサルは微笑んだ。
 たしかに、その言葉は彼に合っているように思えたのだよ。
 夕暮れがまだ残る空には星がもう輝きはじめている。


 聖パウロ学院に初の学生たちが入学してきたのは私がゴアに戻る少し前のことだった。すでに司祭となっていたミセル・パウロは教える側として学院に入っている。モザンビークでも立派に看護活動に従事していたが、教師としても立派に務めている。このように務めてくれる人をもっと増やしたいというのは、切実な希望だった。

 多くの学生が学院に集まっていた。そこにはいろいろな言葉が溢れている。私たちが懸命に翻訳したマラバル語も、インドの他の地域の言葉らしい響きも聞こえる。もちろんポルトガル語もだが。私はそれを見て、聞いて、新鮮な喜びを覚えた。若い人たちが集い学ぶというのはいいものだと心から感じたのだ。
 私は自身の母校、バルバラ学院に愛着を持っている。そう、寄宿舎ではイニゴ(イグナティウス・ロヨラ)と険悪な雰囲気に陥ったりもしたのだが。あの時代は私にとってかけがえのないものだった。その後、信仰の道に進むことに決めてからもイタリアのボローニャ大学でも進んで学生と交流を持ったりしたのだ。そこは父ホアン・デ・ハスの母校だったので、感慨もひとしおだったことをよく覚えている。正直にいうと、そこで学生たちの指導にあたることもたいへん魅力的な仕事だった。


 しかし、のんびりとはしていられない。私は使徒として再びインドの南端に宣教の旅に出ることを決めていた。今度はフランシスコ・マンシラスにも旅の役目を担ってもらうこととした。私たちは前回の旅を振り返り、言葉が重要であることを身を持って知ったので、必要なものをさらに翻訳しておくこととし、場合によっては訪問する先々で補うつもりでいた。このような作業には前例がなかったので、つどつど考えて改善していくしか方法がない。
 そう、前例がないので、方法を指導できる人がいない。ただし、それは宣教の手段ということであって、信仰の本質は厳然として変わらない。イエス・キリストは常に側におられる。たとえ、世界のどこにいても。そして、はるか昔にこの地に至った聖トマスのことを思えば、私たちはどれほど恵まれているだろう。
 私は道を切り開いて、前に進むことしか考えていなかった。

 私がその時に意気揚々としていたもう一つの理由は、イニゴからの手紙だった。この手紙は1542年1月に書かれたもので、ミセルやマンシラスとともに私の手もとに届いた。1年半以上かかっているということだ。しかし、初期の同志であり、現在総長となったイニゴの手紙はたいへんな感動を私に与えたのだ。
 彼はイエズス会が正式に教皇庁に認可されて以降、多くの会員を得ていること、教皇庁を通じて各国から宣教者派遣などの要請が来ていること、入会希望者の中には東方に宣教したいと願う者も少なくないことーーなどイエズス会の現在(と言っても昨年の現在なのだが)を列記していた。また、ピエール・ファーブルはヨーロッパ中を回ってなかなかローマに戻ってこられないということも書いてあった。それらはおそらく秘書局の誰かが筆耕したものだと思うが、別に1枚の紙が同封されていた。

ーHemen bazaude, hain pozik nuke. 
Nire burkideak gisa aurkitu dudan lehen pertsona zara.
 Jaunak ondo ezagutzen ditu zure zailtasunak. Jauna beti dago gure aldetik.ー
(※2)

 私は一人の時間にそれを見て、思わず泣き出してしまった。紛うことのない、イニゴの筆跡だった。言葉は少なかったが、私にはその真意が十分に伝わった。私はローマの秘書局で各地の会員からの手紙の山を前に、ほうぼうから訪れる人々に応対しているイニゴの姿を思い浮かべた。

 私がまだ今のような決心をしていなかった頃、イニゴはすでに遠くまで旅をしていた。そのほぼすべてが行乞(ぎょうこつ)の旅だった。私は彼の心情を思う。戦争で負ったケガが原因で脚が不自由になったが、イニゴはそれを抱えてでも旅をすることを望んでいたから、どこまでも遠くまで行けたのだと思う。彼こそ旅が似合う人だった。しかし、自分の思うまま旅に出ることは、今の彼にとってたいへん難しいことだろう。

 人が常に、自身の好んでいる方向へ進めるわけではない。あるいは思ってもいない方向に進むこともある。普通、それで人は落胆したりするかと思うが、それは違うのではないかーーとこの頃私は思うようになった。常に本質、目的地を見失わずにいれば、思ってもいない方向だったとしても、「正しい道」として歩ける。それを神の与えたもうた試練として受け止められる。
 それはイニゴも同じだろう。

 常に主はわれわれの側にいてくださる。
 目的は常にひとつしかない。
 それが私たちを強く固く結びつけている絆だった。
 しかし、何と懐かしい手紙だっただろう。もう忘れるほど昔のことのようだった。実際にはローマを離れて、まだ3年しか経っていないのに。



 1543年12月21日、降誕節(クリスマス)を前にして、2隻のフスタ船がゴアを出発した。船はポルトガルがインドを巡るために航行するのだが、それに私たちは乗船し、再びインドの南端を目指す。この時は初回の例を振り返り、人を増やして赴くこととした。フランシスコ・マンシラス、スペイン人司祭ファン・デ・リサノ、通訳を兼ねた現地出身者が二人、そして警護役の兵士ジョアン・デ・アルティアガが私の同行者だった。

 セサルは同行しようかと当初考えていたようだが、「学院には雑多な仕事があるようだ。私はコインブラ大学でマルティン(・アスピルクエタ)の雑用をこなしていた時期もあるから、ミセル・パウロの手伝いをしていよう」と申し出てきた。もちろん、彼はもう高齢だったから、私に異議はない。とはいえ、本人が遠慮したのは、体力や年齢からではないだろう。今回新しく加わる人がいたこともある。また、この前の道行きでの様子を見て、私一人でさまざまな人の中に飛び込んでも問題がないと考えたのだろう。

 フスタ船はゴアから南下してカナノール(現在のカヌール)にいったん寄港する。そして人が乗降客したのちに、ふたたび沿岸を南に進んだ。
 1544年の年が明けてすぐ、船はさらに南の町、コーチン(現在のコチン)にたどり着いた。コーチンの港はゴアほどではないが立派なものだった。いや、貿易港としての歴史はこちらのほうが古いのかもしれない。実際、外国人(オスマン・トルコや中国人)の数はゴアよりも多かった。私たちはその喧騒を足早に抜けて、ツチコリンに向かう船に乗りついだ。前回の訪問から間が空くと、聖職者が一人もいない村では日課の祈りの文言すら忘れられてしまうように思えたのだ。人間がものを忘れるのは普通のことだろう、アントニオ。マンシラスは今回のような宣教の旅がはじめてだ。そのような事情もあって、今回は環境がある程度整っているツチコリンを拠点にして、そこから足を伸ばしていくことに決めていた。

 今回はあらかじめ、使徒信条や祈りの言葉をツチコリンできちんと翻訳することにした。前回は急いで簡便に、そして最低限のものを作っただけだったので、見直して完全なものにしたかったのだ。私たちには現地の人2人がついてきてくれていたが、さらにツチコリンでもマラバル語とポルトガル語に明るい現地の人、またポルトガル人にも手伝ってもらう。実際、ところどころ誤りを発見したのだよ。

 ツチコリンでの滞在中、私は力強い助っ人を得た。かの地出身のフランシスコ・コエリョ司祭だ。彼はキリスト教に通暁していたし、現地の言葉(マラバル語)も理解できる。私はたいへん喜んで、彼に仲間に加わってもらうこととした。

 インド南端の地域での宣教活動は順調に軌道に乗りそうだった。私は意気軒昂な気持ちで、ローマのイエズス会員への手紙を猛烈な勢いで書き始めた。早く皆にこの状況を知らせたかった。一刻も早く手紙をゴア行きの船に託して、リスボンへ、ローマへ届けたかったのだ。

 この後にやってくる困難のことを、この時私は想像することができなかったのだ。


※1 1章の『自由への逃走』からはじまる3節を参照ください。
※2 ーあなたが今ここにいてくれたら、どれほどよかっただろう。あなたは私が同志として見いだした最初の人なのだから。あなたの困難を主はよくご存じだ。主は常に私たちの側におられるー(バスク語)
イニゴのバスク語の手紙の内容は史実にはありません。実際の手紙はイエズス会の認可関連の書類などだと言われています(原本は消失)。
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