16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第6章 海の巡礼路(東洋編) フランシスコ・ザビエル

隠すべきものはない 1544年 コモリン岬(インド南部)

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〈フランシスコ・ザビエル、バラモン教の僧侶〉

 私たちが南インド(コモリン岬)の村々を回っていく中で、よく目にしたものがあった。

 パゴダ(ヒンドゥー教の寺院)と呼ばれる三角帽子のような建物にはバラモンと呼ばれる僧侶が居住している。私たちが見た中でもっとも大きなパゴダには、200人以上のバラモン僧が住んでいた。このパゴダには偶像神が祀られていて、人々からたいへんな崇敬を受けている。神は複数いて、ヴィシュヌ神、クリシュナ神、シヴァ神などと呼ばれていた。

 村の長ではないが、この僧侶たちは支配階級と同じで村人から多大な供物を得ていた。バラモン僧のほうから、「神があれがほしい、これがほしいと仰せだ」と人々に告げ、それを捧げさせるというのである。言われて捧げる人々は、粗末なあばら家に起居し、日が暮れるまで働く。それでも暮らしが楽になることはない。自分と家族が食べていくのに精一杯で、時には事欠くこともあるのだ。そのような状況で、賦役に加えて喜捨を求められる。そのような喜捨をもとに、1日に2度、太鼓を合図に神に捧げる祝宴を行う。人々はそこに参加することがないので、神が食事を摂っているのだと信じている。
 人々は病気になったら働くことができず、まともに医者にかかることもできない。それなのに、一縷(いちる)の望みをかけて神に祈るのにも捧げ物が必要なのだ。それがなければ、彼らは見捨てられたも同然になる。

 彼らの神が悪いということではない。それでは短絡的にすぎる。

 すべての地でこのようなことが起こっているわけではないだろう。ただし、少なくない土地でこのようなことが行われているだろう。神に仕えている者が何か大切なことを忘れているか、知らないのか、あるいは間違えているのだ。いずれにしても、人々のありようについて深く考えることを止めているのだ。
 彼らは私たち宣教者の話を聞いて、村々の人々が皆改宗してしまうのを恐れていた。それなので、初めのうちは私たちの所に貢ぎ物を持参して穏便に退去してもらおうと考えていたようだ。しかし、私たちはそれを固辞したし、宣教活動を止めることもなかった。

 私は彼らの宗教を理解できているわけではない。だからこそきちんと話す必要があると思った。しかし、私が身一つで乗り込んでいくのは危険だった。きちんと話し合えるだけの安全な環境があると判断できなければ赴くことはできない。

 幸い、私はこの頃には音声でも文字でも少しだけマラバル語を解することができた。さらに詳しいフランシスコ・コエリョや現地の信徒がついてくれることで、会話には不自由しない。

 アントニオ、これが「宗教についての討論」ということになる。

 私たちはある日、バラモンの僧侶たちに呼ばれてパゴダに招かれた。そこで、私たちは初めてバラモン僧との対話を行う。彼らの神について像を見ながら説明を受けて、どのように神を信仰するかということを中心に話を聞いた。このような時には、まず聞くことが大切だということを私は経験上知っている。

「あなたがたの神々は、人々が天国に行くためにどのような掟をさだめているのか?」
 私がこう尋ねると、僧侶たちはざわめいた。誰が答えるかと話している。
 ここで私は気がついた。僧侶の多くは儀式には通じているが、その宗教がどのようなものか説明する機会を持っていないことを。

 そこに出てきたのは年老いた僧侶だった。聞けば80歳を越えているという。長老というべきだろう。
 彼は私を値踏みするように眺めてから答えた。
「私たちのことを聞くなら、まずあなたの教えについて、どのようにしているか説明するのが道理でしょう」
 私は目を見開いた。キリスト教についていくら語ってもよいのだが、それでは彼らが答えないまま、自身の立場をうやむやにして終わらせてしまうように思えたので、黙っていることにした。すると長老の僧侶は仕方ないとばかりに答えた。

「それは2つある。ひとつは牛を殺さないこと。そしてもうひとつはバラモンの僧侶に捧げ物をすることだ」

 この地で牛が神聖な動物とされていて、人が食すことがないのはよく知っている。そして人々がバラモンの僧侶に捧げ物をすることもだ。そのおきてがパゴダに人が来院するためのものだと付け足されるにいたって、私は悲しくなった。パゴダは天国なのだろうか。おそらく、彼らは信仰の真理について語りたくなかったのだろう。その経典について僧侶以外に口外が禁じられているなどの決まりがあると想像できた。

 そして、私は村人に語りかけるのとまったく同じ、マラバル語でキリスト教の使徒信条を唱えた。そして、十戒についても同様にした。それらは、村人と同じようにバラモンの僧侶も理解できるものだった。彼らは耳を傾けていた。私は当初最悪の場合も考えていた。頭ごなしに敵とみなして襲いかかってくる、というような場合である。しかし僧侶たちに囲まれて話していたときに、そのようなことは起こらなかった。いや、むしろその反対だった。

 私は十戒を唱えるのにあわせて、キリスト教における天国と地獄についても彼らに話をした。かれらはそこから聞きたいことがたくさん出てきたようだ。
 霊魂は不滅のものか。
 夢の中で離れた知人に会うとき魂はそこに飛んでいくのか。
 神は何色の肌をしているのか。
 そのような質問を次々と私に尋ねてきた。それにひとつひとつ答えていくと、彼らは納得したようにうなずいている。

「あなたの神についての話は正しいと思う。ただ、私たちが改宗するわけにはいかない。これまで積み重ねてきた歴史があるし、ここでキリスト教に改宗したら僧侶という立場を失ってしまう。明日から自分たちの生活も保障されなくなる。それは、できません」

 それが長老の見解だった。
 彼らの根本を変えるには至らなかったし、彼らの宗教と信仰の要となる部分をじっくり聞くことはできなかったが、よい話ができたと私は感じていた。
 霊魂の不滅について質問されたときにふっと思い出したことがあった。それはかつて、私がパリ大学バルバラ学院の学生だった頃のことだ。アリストテレスを学んでいた私は、他の学生とよく討論していた。それはスコラ学にもとずくものだった。スコラ学というのは、古代ギリシアを発祥とする物事の証明方法だ。16世紀においても学生・教師がその方法を用いてひとつひとつの疑問や論題を解き明かそうとしていた。
 もちろん、このときの対話でそこまでの精緻(せいち)な議論はできない。その萌芽を感じられたということだ。私はさらに、インドの宗教の考え方についてよく知りたいと思ったが、あの場ではそれができる人には出会えなかった。

 それからしばらくのちに、私はある村にいるバラモンの僧侶が知恵のある人だという話を聞き、どうしても会って話したいと考えた。そして、村人づてに依頼し、その僧と内密に対面することになった。彼も私たちの噂は聞いており、興味を持っていたようだった。

「私たちの教えは、決してバラモン以外には口外しないのが絶対の約束となっている。したがって、はっきりと言明できないことがあるのは承知しておいてほしい」

 私はうなずき、彼に質問していった。
「あなたがたの教えのもとは何か」
「それは古代の言葉(サンスクリット)で書かれた原典だ」
「そこに神について書かれているのか」
「書かれている」
 このような問答を私たちは繰り返した。

 彼は私の問いに、隠さなければならないことは多いものの、神について、はぐらかすことなくきちんと答えてくれた。そこで彼らの秘儀としていることもいくつか教えてもらった。彼ら僧侶たちだけで伝授されていて、それ以外の人々には秘密とされていることである。
 いわく、彼らは唯一の神を持つということ(著者注 最高神と位置付けられる神のことと思われる)。偶像は拝さないということ。日曜日には決まった祈りだけを唱えること。多数の妻を持つことは禁じられていることーーなどである。これらはキリスト教と通ずるので、よく覚えている。
 彼らには多くの掟があり、また祭祀を司る重要な役割を持っている。それらは世襲されるものなので、決して口外できないと彼は何度も繰り返した。

 僧侶はそれでも率直に、平明に知らせてくれた。きちんと説明できるのは、彼が学校で学を修めたためかもしれない。
 彼はそれらを一通り話した後で、私たちの秘密について尋ねてきた。「誰にも言わないから」というのである。
 私は、首を横に振った。
「私たちの教えは公にするためのものです。私たちに隠さなければならないことはありません。逆に、公にしてくださらなければ、話せません」

「எங்களுக்கு இரகசியமில்லை」
(私たちに隠さなければならないことはありません)
 彼は私の言葉をそのまま繰り返した。

 そして、彼にキリスト教について説明したのだ。彼はたいへん熱心に耳を傾けて、それどころか私の言葉を懸命に書き写していた。

 ふと、私はこのような対話がうまくできるのならば、異なる宗教を信じる人を理解するのに大いに有益なのではないかと思った。古代ギリシアの、アリストテレスとプラトンのアカデメイアとまではいかないかもしれない。しかし、私たちとの違いだけでなく、共通する部分が出てくることもある。例えば、私たちにとって古くからの共通言語であるラテン語はインドにおけるサンスクリットだ。サンスクリットで書かれた原典の中には万物の根源は何か、ということも述べられているという(『ウパニシャッド』)。これは古代ギリシアの哲人タレスが論じたことに通ずるものがある。そのように感じたことも付け加えておこう。

 お互いに、「学ぶ」姿勢があれば十分に理解を深められる。そう確信したのだ。


 後日、その僧侶に会ったときに言われたことを思い出す。彼は私と話した後で、夢を見たと言う。

「நான் உங்கள் தெய்வத்திற்கு ஜெபம் செய்தேன். என் மார்பின் முன் என் கைகளால்……」
(私はあなたの神に祈っていました。胸の前で手を組んで)

 自身がキリスト教徒になっている夢だ。
 彼は、「キリスト教徒になりたい」と私に告げた。ただ、バラモンの僧侶として果たさなければならないことがあると、いくつかの条件を私に告げてきた。
 それはとても応じられる内容ではなかったので、私は洗礼を授けることはできないと答えた。

 結局、彼が信徒になることはなかった。できるものなら、彼がこのことについて考えて、心を決めてくれればーーと私は願ったのだ。


 アントニオ、この南インド行きには困難と悲嘆があったと言ったが、バラモンの僧侶たちと対話したことは有意義な経験だった。それは困難とは言えない。

 この後のことを話そう。

※挿入の外国語はタミル語です。実際はマラバル語になります。このふたつは似た言語だと考えられます。
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