16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第7章 海の巡礼路(日本編) フランシスコ・ザビエル

おみくじを引くのは一度でいい 1549年 マラッカから坊津

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〈フランシスコ・ザビエル、コスメ・デ・トーレス、ファン・フェルナンデス、日本人アンジロウ(弥次郎ーパウロ)、ジョアン、アントニオ、中国人マヌエル、マナバル人アマドル、セサル・アスピルクエタ〉

 ああ、アントニオ、あなたはまだ私の側に付いていてくれるのか。私はどれぐらい眠っていたのだろうか。
 今は昼なのか、夜なのか、薄明かりが感じられるのできっと昼なのだろう。ものが見えなくなっても、光を感じることができるものなのか。この光が、私を招いてくれる主の手であればどれほどよいだろう。
 アントニオ、私は眠っている間にまた夢を見ていた。
 主イエス・キリストが少し離れたところで、岩にその御手を置き、目を閉じて祈っておられるのだ。私もひざまずいて、主を仰ぐように祈りはじめた。
 祈り続けてふと目を開けると、アラガオの小屋に横たわっている自分の姿を見つける。
 そして、また辺りのものは何も見えなくなる。

 どこまで話しただろうか。
 そうか、日本に向かう途中の話だった。



 1549年6月にマラッカを発った商人アバンのジャンク船は風にも恵まれて順調に航路をたどっていた。そうだな、リスボンを出てずいぶん船に乗ってきたが、これほど順調な航海はなかったように思う。



 マラッカでは、日本についてポルトガル人の商人からも話を聞いたし、アンジロウ(弥次郎)からはもっと前から聞いていたが、つくづく興味の尽きない国だと思ったよ。
 アンジロウにはパウロという聖名をつけたのだが、何しろ最初に出会った日本人だ。しばらくアンジロウと呼ぼうか。

 私がアンジロウから聞いた話の中でもっとも興味を持ったのは、日本にアカデミー、私たちの知っている「大学」があるということだった。下野国にある坂東の大学(足利学校)というのが日本の最高学府で、国内から集まった学生が中国の古典を主にして、易学という占いや兵学と呼ばれる軍事学、医学などを総合的に学ぶのだそうだ。

 この話をはじめて聞いたのはマラッカでのことだったが、私はもっと詳しいことを教えてほしいとアンジロウたちに話を聞いていた。

 学生たちは寮で寄宿し、学費も寮費も食事も無料だという。私はその話を聞いて、パリ大学や父ホアン・デ・ハスの学んだボローニャ大学のことを懐かしく思い出した。あのような自由な雰囲気で学ぶ場があるのだとしたら、それはたいへん素晴らしいことだ。
「日本の学問は中国のものが大半でございます。中国はもう1000年よりもはるか長か歴史があいもす。じゃっで、皆当時の漢語や漢籍を学ばんといかんです。学問もまっこと古くからあいもっそ」とアンジロウは言う。
 教師は中国に留学した経験のある仏教僧か、その教えを受けて研鑽を積んだ弟子が担うという。

「そうか、それはギリシア語とかラテン語を学ぶ感覚に近いのだろうな。東アジアの文化の要ということか」とセサルは感心しながら聞いている。
「われわれの言葉の源流にもラテン語がありますから」とトーレス司祭もうなずく。
「古典を尊重するのはインドでもそうでしたね。リグ・ヴェーダをバラモン僧が朗唱しているのを聞きました。あれは宗教の源ですが、タレス(古代ギリシアの学者)の書いたものやホメーロスの叙事詩と共通点があるようにも思えました。歴史も同じぐらいありますね。残念なのは僧侶が秘密に伝授するものとなっていて、人々が広く知られるに至っていなかったことです」
 そう私が言うと、セサルは微笑んで聞いている。
「そうだな、学問は開かれたものであるべきだ。お前の専門だったアリストテレスにも通じる精神だ」

 中国の影響が強いということではあったが、これまで訪れた国とは違う日本の教育のありようを聞いて私はたいへん感銘を受けた。そのアカデミーにはぜひ訪れたいと感じた。そこで学識のある人々にイエス・キリストの教えを広めることができたら、どれほど有意義だろうと思ったのだ。
 ただ、アンジロウが言うには、坂東という場所(現在の栃木県)は南の薩摩からはたいへん遠く、何ヵ月も旅をしなければ行けないだろうという。
 一方で仏教僧が宗教を担うだけではなく、教師にもなるということも新鮮な驚きだった。
「師匠になるだけではありもはん。僧侶は武将の参謀をしたり、場合によっては兵にもなりもす。易学と兵学はそげんとき使う学問でございます」とジョアンが付け足す。

 仏教というのは日本において、政治や軍事も担うものらしい。それならば、仏教における神とはどのようなものだろうかと私は思った。主イエス・キリストのような、神の、聖霊の役割をするものがあるのだろうか。ただ、その点についてはアンジロウたちの答えははっきりしなかった。
 その話は日本で繰り返し問いかけることになるだろう。

 あと、だいぶ後になってわかったことがあった。日本人は仏教の聖地を天竺(てんじく)だと言っている。それは果てしない遠くの国だと思っていた。手紙にもそのように書いていた。しかし、そうではなかった。天竺はインドのことだったのだ。仏教を開いたゴータマ・シッダールタはインド北方の国で生まれ、そこから仏教を広げたのだ。インドでインドのことを書いていたことになる。今思うと可笑しい話だが、インドではヒンドゥー教やバラモンに関わるものしか見ていなかったので、仏教もインドの宗教だという認識がなかったのだ。それが、中国、その先の日本で深く根付いているというのは少し不思議なことだった。

 日本人3人のうちの誰だったか、こんな言葉を口承で学んだと言って教えてくれた。
〈だいじをおもいたたむひとは、こころにかかることのほいをとげずして、さながらすつべきなり〉(※1)
 僧になろうと出家を決心した人は世俗に思い残したこと、やり残したことがあっても、そのまま捨てるべきである。
 そのような意味だと教えてくれたが、その点は聖職者も同じだとうなずいて聞いた。私が日本に惹かれるのはそのような「態度」に共感を覚えたからだったのだろうか。



 マラッカから日本に行く船中、私たちにとって学ぶという意味では満足のいく環境だったが、航海者の慣習には少々うんざりした。船長は占いが好きで、それこそ、アンジロウたちの言っていた易学の世俗的な形を実践していたのだ。
 おみくじだ。
 おみくじは中国の船にはつきものらしい。船長がやっているのを見ると、占いというより賭け事のように見える。彼はそれで風向きから寄港地まで決めているのだ。おかげで、船の航行は順調だったにも関わらず、あちらこちらに寄港しようとするので、私たちの一行は顔をしかめていたのだよ。
 マラッカのシルヴァ長官から十分な費用を受け取っていたはずなので、悠々自適に行こうと思っていたのかもしれない。
 船長はしまいに、「明国(中国)の海域にある島で越冬しよう」とまで言い始めた。航海が順調なのに、まだ7月なのに、何を言い出すのだろう。さすがに私も一団の長として、一言抗議せざるを得なかった。
「越冬せずにまっすぐ日本に向かってください」

 私の訴えも、はじめは右から左に流されていた。
「あなたは航海のやりかたを知らない。この海を旅したことがないでしょう。私たちはこの海を知り抜いている。私たちの言うことに間違いはないのだから、あなた方はそこでのんびりしていたらよいのだ」と船長は笑いながら言う。確かにこの海域は私たちには初めての場だ。そう言われてしまっては返す言葉がない。

 そこに、セサルとトーレス司祭が加わる。
「船長、こちらの人ははるかメキシコから太平洋を渡ってゴアに来て、また西に向かっているのだ。なるほど、この海域(東シナ海)には航行上の難所もあるという。だからこそ、ほどよい風があるときには進めるだけ進むのがものの道理というものではないか」とセサルが流暢なポルトガル語で言う。

 そのようなやりとりがしばしば繰り返された。
 実際、途中の島に上陸したときも彼らは何とかして越冬したいという意図を隠さなかった。航海を占うのだと言って、生け贄をはじめとする捧げ物をしてから、またおみくじを引くのだ。それは私たちにはない習慣だったので、正直に言えば少し気味悪く感じたと告白しなければならない。
 船の中で何度も船長が引いたおみくじも、よいと出たり悪いと出たり結果がまちまちだった。そうまでしておみくじを引く意味があるのだろうかと思ったよ。

 結局、船長のおみくじより私たちの熱意の方が強かったらしい。ジャンク船は越冬せずに日本に向けて舵を切ったのだ。相手が根負けしたというのが正しいだろう。今にして思えば、あれも愉快な旅の楽しみのひとつだったのかもしれない。

 日差しがかんかんに照りつける夏のある日、いくつかの島を越えた私たちの目の前に、濃い緑のひときわ大きな島が見えてきた。
「フランシスコ司祭! あれは坊津(ぼうのつ)です。日本です。双剣の岩が見えもす。間違いなか。あれが日本です!」とアンジロウが興奮して私に訴える。
 それが私の初めて見た、日本の光景だった。
 薩摩国坊津の、緑の濃い風景だ。

 1549年8月15日のことだ。聖母マリアの日であり、私たちイエズス会がモンマルトルの丘で生まれた日でもあった。
 私たちはようやく日本にたどり着いたのだ。

「Siamo venuti. Per il paese alla fine dell'est.」(来たな。東の果ての国に)
 セサルは感慨深げにぽつりとつぶやいた。


(※1)『徒然草』(吉田兼好)より
 
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