16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第7章 海の巡礼路(日本編) フランシスコ・ザビエル

放蕩息子の帰還 1549年 鹿児島

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〈フランシスコ・ザビエル、アンジロウ(パウロ、弥次郎)、ジョアン、アントニオ、マヌエル、アマドル、島津貴久、伊集院忠倉〉

 1549年8月15日、アバンのジャンク船は薩摩国坊津(ぼうのつ、現在の鹿児島県南さつま市)の港に入った。彼らはしばらくしたら明国領(中国)にある島に風を見ながら戻るので、淡々と私たちと荷物を陸地に送り出した。
 私たちは水夫たちが荷物を下ろしている間、港からの景色をぐるりと見回した。ここは大きな島(九州)の岬にあたるというが、突き出た半島や小さな島がいくつもあって地形は複雑だ。モルッカも群島で複雑な地形の島がたくさんあったが、ここはそこほど暑いとは感じなかったし、木々もぼうぼうと生えてはいない。これまで、極度に暑い場所にしかいなかったので、涼しいと思ったほどだ。聞けばこの港(日本語では津というらしい)は外海に面していて、もうひとつ大きな半島が内側にあるということだった。
 港(津)とはいうが、ここはリスボンやゴアよりこじんまりとした印象だ。とはいってもゴアやコーチン、マラッカ以外はこのぐらいの規模が普通なのかもしれない。

 さて、胡椒の樽はありがたいものだが、移動するのには少々厄介な連れである。アバンのジャンク船は2ヶ月ほど坊津に停泊するというので、それに間に合うように手紙を書かなければならないが、荷物を預けておくわけにもいかない。
 私は目の前に積まれた樽を見やる。

「Minha casa está perto daqui. Vamos levar essas malas pelos carros de boi.Minha casa está perto daqui. 」
(私の家は近くです。牛車に運ばせましょう)
 パウロ(弥次郎)は流暢なポルトガル語で私たちに告げると人を頼みに行こうとする。

「弥次郎! ないごてこげんとこに! 神隠しにあったち聞きもっそ」
 一同が驚いて声の主の方を見る。そこには簡易な上衣を身につけて、下半身には幅広の長いズボンをはいた男性が立っていた。

「あ、あ、ひさかたぶりじゃっどぉ!まっこてひさかたぶりじゃっどぉ」とパウロが目を丸くして、その男性に寄っていく。ジョアンもアントニオも同じように彼に駆け寄っていく。

「知り合いなのですね」と私がトーレス司祭やフェルナンデス修士をはじめ、日本人ではない仲間の方を振り向くと、皆一様にソワソワしている。セサルが私を見てわずかに微笑む。
「La gente nos mira con cara extraña.」
(みんな、珍しそうに見ているぞ)

 ふと見ると、人々が私たちを遠巻きに眺めている。皆、男も女も、大人も子どもも、前で斜めに合わせる衣類を身に付けて遠巻きに私たちを取り囲んでいる。そして、彼らの同朋(アンジロウ、ジョアン、アントニオ)が一体誰を連れてきたのだと言わんばかりに目を丸くして、首だけ付き出している。これまでの経験で多少はそのような好奇の目に慣れている私たちも、ソワソワしてしまうほどの人の集まりようだった。ただ、皆遠巻きに見るだけで、日本人に連れられていることもあってか敵意のようなものは感じなかった。そこが今までと異なる。

 何はともあれ、私たちは牛車を数台借りて荷物を積み込み、パウロの家を訪問することにした。道を行く牛車と私たちの後ろを少し離れて、いくらかの人々も付いてきていた。その中には子どももいる。子どもはどこの国でも変わらない。
 好奇心旺盛で素直で、正直だ。

 そんなことを考えながら歩いていたが、パウロの家は坊津から少し離れていた。3レグア(15km)ほどだろうか。坊津が山に囲まれた土地なので、まずその山を抜けるのに息を切らした。
 山の最も高いところまで登りきると、眼下に海が広がった。素晴らしい景色だ。そして対岸の半島に大きな山がそびえている。
 私たちが尋ねる前にパウロが大きな声で叫ぶ。
「Todos, por favor, olhem para aquela montanha, é Sakurajima, Kaimondake.」
(皆さん、あの山を見てください。桜島、開聞岳です)

 その山道を下ると、海岸線が広がって、海沿いのなだらかな道になる。そこをしばらく行くとパウロの家に着いた。
 家にいた家族は、それはもう大喜びしてパウロを迎えた。

 『放蕩息子の帰還』を思い出した。(※1)
 親の金を手にして出奔した男が尾羽打ちからした後、心を入れかえ家に帰る。すると父親が大喜びで出迎える。ずっと真面目に家にいた男の兄がそれを見て不平を漏らすと、父親はたしなめて言う。
「おまえはずっと私とともにいたではないか。どこかで死んだと思っていた息子が生きて帰ったのだ。こんなに喜ばしいことがあるだろうか」
 父なる神が私たちを愛するさまと同じだ。

 私たちもその歓迎の恵みにあずかった。
 パウロの家は特別裕福というわけではなく、家もそれほど大きくはなかったが、手入れがよく行き届いている。港からずっと見ていたが、目立つのは木で建てられた家ばかりだった。この国では石やレンガで家を作らないらしい。屋根は乾いた草を敷き詰めて作っており、壁には白茶けた土を塗っている。パウロの家もその例に漏れなかったが、あまりじっくり眺める間もなく家に招き入れられた。土間を上がるときに靴を脱ぐというのもはじめてだった。

 その様子を見て寂しくなったのだろう。ジョアンとアントニオも家に戻ってくると言って、途中で抜けていった。

 パウロはずっと家族に話し続けていた。
 薩摩国からポルトガル船でマラッカに向かったこと。そして、私の話をポルトガル商人に聞いてどうしても会いたいと思ったこと。それを諦めて日本に帰ろうとしたら、船が嵐に遭いマラッカに戻ってしまったこと。そのおかげで徳の高い西洋の僧侶ーー私と出会えたこと。ゴアで学校に通わせてもらったこと。私が日本に興味を持ったので、どうしても一緒に帰ってきたかったのだと。
 それらはすべて日本語の薩摩なまりというものらしかったが、私たち外国人にはさっぱり分からなかった。アルファベット(かな)を覚えたぐらいではまだまだ歯が立たないらしい。

 面白かったのはファン・フェルナンデス修士だ。彼は若いだけあって、言葉を覚えることに非常に貪欲だった。
「ワタクシハ、ファン・フェルナンデス、トイイマス」と話に入ってパウロの両親に一生懸命に話しかけている。

 パウロは私たちに、「ワインの代わりになるだろうか」と言って日本の酒を出してくれた。それはぶどう酒ではなく米の酒だった。多少甘味があるが透明でワインの代わりにできるかどうかは決めかねた。ただ、フェルナンデスは少量で酔っぱらってすぐに寝てしまった。
「Eres agradable.」(おまえはいいな)とセサルがつぶやいて、眠るフェルナンデスを見る。

 私はそんなセサルを見つめる。
 彼はスペインでのいきさつ(逃亡者だった)もあって、当初はトーレス司祭やフェルナンデス修士を警戒してスペイン語を使わなかった。しかしそれも不自然だ。セサルと話し合った上で、「彼はナヴァーラでの私の知己でコインブラ(ポルトガル)に長くいた学識の高い人である」と皆に説明することにした。間違いではないだろう。それ以降、セサルは気兼ねなくスペイン語を使えるようになった。
 談笑している彼を見る。
 髪は真っ白で、皺も増えたが、この人はシャビエル城にいたときより溌剌としている。それが私には嬉しかった。

 彼が人生を少し取り戻すことができたように思えたのだ。

 見ると、マヌエルとアマドルもウトウトとしている。

「長い船旅でお疲れであいもっそ。ゆるりとお休みしやんせ」とパウロの母が言う。それを継ぐようにパウロが私たちに説明する。

「Não há camas no Japão. Eu acho que você não está acostumado um pouco, mas por favor descanse devagar.」
(日本にはベッドがありません。慣れないと思いますが、どうかゆっくりお休みください)

 そこには、草で編んだマットが人数分敷かれていた。確かに、板敷きの床にこのようなマットを置いて寝るのは西洋にはないことだったが、木の床はきれいに掃除されていたので、不快感はなかった。これまで、床が土だったことも多かったので十分だと思えたよ。

 8月の薩摩の夜の風は心地いい。海風にもいろいろあるものだ。私たちは船の揺れがない夜を心から満喫した。

 そして、私は皆が寝静まったあと、一人静かに聖母マリアへの祈りを唱え、イエズス会員としての誓願を更新したのだ。15回目のことだった。

 翌日から私たちは今後の移動と行動の計画を立てることにした。いちばん張り切っていたのは、パウロと、次いでフェルナンデスだったかもしれない。私も形無しだったよ。パウロは自身の地元だったので、私たちをきちんと案内しなければいけないという使命に情熱を抱いていたのかもしれない。まずは家族の説得にかかった。自分がいかにして、キリスト教という西洋の教えに帰依することを決めたかとうとうと語っている。

 とは言っても、私たちには彼らの言葉がよく分からなかったのだ。
 そこで、パウロに次いで熱意を持っているフェルナンデスとセサルが、片言の日本語でパウロの父親に話しかけている。
「ワタクシタチハ、ポルトガルコクノ ツカイトシテ モ キテイマス。コノ トチノ オウハ ドナタデスカ」
 パウロの父親はしばらく考えている。
「薩摩の国主は島津公じゃっど。しかし、いきなり行くのも難儀じゃち……まずは城代の伊集院さまに会うのがよか」
 それを耳にしたパウロがこちらに寄ってくる。
「伊集院さまなら、父上は話ができもっそ」

 このとき、薩摩国の国主(領主)は島津貴久公だった。その有力な家臣である伊集院忠倉公が近隣の城に詰めているということだった。段階を踏んで、まず伊集院公に会うべきだとパウロの父親は忠告してくれたのだ。

 そんなやり取りがあって、私たちはさっそく市来城という城にいる伊集院忠倉公に面会を申し込むことにしたのだよ。


※1 ルカ伝より
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