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第7章 海の巡礼路(日本編) フランシスコ・ザビエル
暗雲がたちこめる 1551年 山口
しおりを挟む〈フランシスコ・ザビエル、ファン・フェルナンデス、ベルナルド(河邊成道)、コスメ・デ・トーレス、アマドル、アントニオ、ジョアン、内藤興盛(ないとうおきもり)、大内義隆、大友義鎮(おおともよししげ、宗麟)、相良武任(さがらたけとう)、陶隆房(すえたかふさ)〉
1551年(天文20)4月末、私たちは周防国山口で、大内義隆公に正式に目通りして領内での宣教を認められた。さっそく私たちは町に出て、イエス・キリストの教えを説教することにした。あわせて、近隣の寺に赴いて宗論をさせてほしいと申し出た。
ここで私たちは、薩摩以来人々に説明していた内容をひとつ変更する必要に迫られた。
日本人に三位一体(神と主イエス・キリストと精霊)の概念をどう説明すればよいかというのは大きな問題だった。なぜなら、何度も話している通り、日本にはたくさんの神と呼ばれる存在がいる。はじめ、パウロ(弥次郎)に聞いた仏教の話で、最上級にあたるのが大日如来だと聞いた。そこで、私たちの神のことを、「日本では大日如来にあたる神」だと説明していたのだ。それで、仏教の僧侶が耳を傾けてくれた面もあった。私たちは仏教の発祥地である天竺、すなわちインドからやってきたので、それが素直に受け入れられたのだ。しかし、旅をしているうちに、大日如来が唯一絶対の神だと認識されているわけではないことを知った。また、仏教の教えとキリスト教の教えを重ねてしまうと、本質を見失ってしまうことに気がついた。
そこで私たちはこの山口での宣教から、「日本ならばどうか」ということではなく、神を唯一のものとして私たちの言葉のまま使うこととした。
Deus(ラテン語、一部のスペイン語、ポルトガル語で『神』のこと)と呼ぶことにしたのだ。
私たちは町に立ち、ときには仏教の寺に行って僧侶たちと討論した。正式に滞在が認められたので、内藤殿の斡旋で住居も提供され申し分ない環境だった。夏にかけての2カ月でおよそ200人の人に洗礼を授けることができた。
夏も盛りの頃、私たちに新たな情報が来た。
周防山口からそれほど離れていない豊後国府内(現在の大分市)にポルトガル船が入港したというのだ。その報せに続いて、旧知の仲である船主、商人のドゥアルテ・ダ・ガマと豊後国主である大友義鎮(おおともよししげ)公からの正式な招聘状が届いた。
これは私にとって、大きな希望の光だった。
なぜなら、ポルトガル船が来るということは、ゴア(インド)、ないしはリスボン(ポルトガル)、ローマから新たな便りが届いている可能性があるからだ。また、ガマの心配りだろう。国主から直々に招聘状が届いたこともたいへんな喜びだった。これまで、国主に会うのも一苦労だったことを思えば、あちらから来てほしいと言われるなど夢のまた夢のような話だった。
私はさっそく、豊後に向かうことにした。
ただ、緒についたばかりの山口での宣教を捨てていくわけにはいかなかった。それなので、フェルナンデスとトーレス司祭らに山口にとどまってもらうことにして、私とジョアンで出発することに決めた。
特に西からの手紙を受けとることが私の一番の関心事だった。
マラッカから出した手紙にも、薩摩から出した手紙にも、私は返事をひとつも受け取っていなかった。ゴアの聖信学院の院長について意見を書いたことは検討されているのか、日本にバルタザール・ガーゴ司祭らを派遣してほしいと依頼したことはどうなったのか、イエズス会としての東方宣教の方針に変更はあるのかなど、気がかりなことがたくさんあった。この東の果ての国がどれほど遠いとしても、もうポルトガル船は何隻も来航しているのだ。私が日本の地に足を踏み入れてから、もう2年が経とうとしている。気長に待つことが必要だと分かってはいても、それが心に掛かってしまうのは仕方のないことだった。
なぜ、それほどまで気に掛かったのか、アントニオ、あなたなら分かるだろう。私は日本宣教の素地を整えたらいったんゴアに戻り、中国に向かう準備を始めたかったのだ。中国での宣教は日本よりはるかに困難であることは分かっている。内藤殿や策彦殿の話もきちんと聞いた。特に、策彦殿が正式な使節にも関わらず、海路がそれほど長い距離ではないにも関わらず、行って帰ってくるまでに3年余りも費やしたという話を聞いて、できるだけ早く取りかからねばならないと感じたのだ。
ゴアに戻って、準備万端整えて向かったとして、最低5年ほどの期間を見なければならないことは容易に想像がついた。その間に私が壮健な身体でいられるか、時間との戦いのように思えた。
そのような気持ちを抱きながら、私はジョアンとともに豊後に向かう船に乗ったのだ。いい季節だった。夏の暑さは感じたが、インドやマラッカほどではない。瀬戸内海は青く、島々の緑と調和してたいへん美しかった。天候にも恵まれたし、特に厳島神社の大きな赤い鳥居を見て、見事な景色だと感じていた。
私たちの旅は平穏無事だった。
しかし、周防はたいへんなことになっていた。
私たちが宣教活動に取り組み始めた頃には、周防の国にも暗雲がたれ込めていたようなのだが、まったく気づいていなかったのだ。
私が豊後に赴いた後、それは嵐のように周防国に襲いかかった。私は山口に留まったトーレス司祭とフェルナンデス修道士からの手紙でその様子を知るほかなかったのだが、周防国で何が起こっていたのか、簡単に説明しよう。
前世紀の応仁の乱以後、地方の豪族の小競り合いがずっと続いていたのだが、この数年前に美濃国で家臣が領主を討つ内乱(斎藤利政ー道三による)が起こり、これまでどんなに高い身分を得てきた者であっても、安穏とはしていられなくなった。すでに、本州の中央部にある美濃や尾張ではそこらかしこで激しい戦闘が行われているという。家臣が主君を倒し、他国に勢力を伸ばすことが珍しくなくなったのだ。これは、『下剋上』と呼ばれた。
周防国では少し前から大内公をはじめとする文官派(文治派)と、必要ならば戦に打って出るべきだと主張する(武断派)家臣の一派の対立が表面化していた。しばらく前に伯耆(ほうき)国で起こった月山富田城(がっさんとだじょう)の戦が直接のきっかけだったらしい。有力な豪族である尼子氏が滅ぼされたこの戦で大内氏は勝利をおさめたのだが、以降、大内義隆公はとみに戦を忘れたいと遊興に走るようになったという。
その流れの中にあって、磐石と思われた周防にも内乱の気配が濃くなったのだ。隣り合う安芸国(広島)では毛利元就公が着々と周辺の豪族を統一する動きを見せていた。つい先頃も備後国村尾城(神辺城)で大内氏と毛利氏が手を組んで、山名氏を討伐する争乱があったばかりだという。
大内家臣の陶隆房(すえたかふさ、のちの晴賢)殿は周辺の争乱に先手を打って出なければならないと強く主張しており、私たちの庇護者である内藤興盛(ないとうおきもり)殿も同じ見解を持っていた。ただ、陶殿は主張が強すぎたらしく、文官派と対立する。そして戦が嫌いな主君の大内義隆公とも対立することになる。
私たちがまだ京都にいた1551年1月のことだ。文官派の相良武任(さがらたけとう)殿は、「申状(もうしじょう)」を主君に差し出した。これで相良殿は、「陶隆房と内藤興盛が謀反を企てている。さらに対立の責任は杉重矩(すぎしげのり)にある」と武断派の家臣を糾弾したのだ。これによって、陶殿は主君の不信をいっそう招くことになる。
私たちが山口を再訪したとき、内藤殿は変わらずよく応対してくれたが、家老として主君と陶殿の対立を和らげようと心を砕いているところだったようだ。確かに内藤殿の邸宅を再訪したとき、前に見たときより少しやつれたようだと思いはしたが、それほどの大事に悩んでいるとは思いもしなかった。
前にセサルに名刀『荒波』を貸すと告げたときの淋しげな表情は、そのような意味だったのだ。家老として苦渋し、そして諦めの念を抱いていたのだろう。
そして、陶殿は主君を討つべく決起することを決めた。
フェルナンデス、トーレス司祭がいる山口の町が、戦火に見舞われようとしていた。
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