16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第11章 ふたりのルイスと魔王2

ブッポウソウと荒波 1564年 大垣辺り

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〈雪沙、又助(太田)、孫介(佐々)、内藤興盛、大内義隆、フランシスコ・ザビエル〉

 旅の一行は大垣を越えると牛の歩みのごとく道を進む。ここからは山道になるので、ゆっくり進みつつ早めに宿に入る。多少の野盗にはびくともしないが、何分雪沙は高齢で、少し前に体調を崩していたのもある。御からだ大事で万事進めなければならないのである。笠を付けていても、日差しが厳しい季節だ。木々の緑だけが嬉しそうに輝いている。いや、鳥もだろうか。鳥はあちらこちらでかまびすしく啼いている。

「かわせみは見なくなったな」と雪沙がいう。
「ああ、水辺を離れましたで。あれは葦原にいても隠れていなければよく目立ちます。ここいらからは山の鳥になるのでは」と又助が空を見上げる。出立する頃まではツバメもよく見たような気がしたが、巣作りの時期だったかと思う。今はまた切り替わる時期のようだ。ふっと又助は足下を見る。セキレイがちょこん、ちょこんと寄ってくる。
「こやつは人を恐れないが、すばしっこいもんで捕まえるのは難儀ですな」
「ああ、これを火縄で狙えと言われたら厳しかろうな。構えとる間に逃げてまうでいかん」と孫介が脇でニヤニヤしていう。
 又助はセキレイがちょこん、ちょこんと去っていくのを眺めて孫介にいう。
「ああ、おぬしはどうも風情に欠けとるで、こやつも退散してまうわ。おぬしは鳥より火縄を好むでなあ」
 側の木でガガッと啼く声が聞こえてくる。雪沙は木を見上げてクスリと微笑む。オナガが高い枝に停まっているのが見えた。まだ結構な距離があっても鳥の姿を見つけることができるらしい。
「われらは警戒されているようだ。そろそろ行こうか」
 又助も木を見上げていう。
「さようですな。あれは見目はよろしいが、声がどうにも無粋ですな」
「鳥は美しいと声が出しづらくなるのだろうか」と雪沙がまた別の方角の高い木を見る。
「はて」と又助は雪沙の見ている方に目をやる。そこには瑠璃色の身体に赤い嘴の鳥が止まっている。
「ああ、ブッポウソウですな。確かにあれも眉目秀麗だが声は……」
 話題にされているのが聞こえたのか、鳥はザッと飛び立っていく。
 瑠璃色の身体に紫の翼が羽ばたく。

「鳥は自由だ。縄張りがなくなっても空へ逃げることができる。そして憐れな囚われ人に一枝の希望を届けることもできる」

 雪沙が呟いた一言には、たいへん深い意味があるように思えたので、他の二人は次の言葉を待ったがそれきり続きはなかった。
 一同は眉目秀麗な鳥を見送った。


 宿に着くと一同は荷を下ろす。佐々孫介が行李を下ろしていると、雪沙が外した刀が目に映った。孫介は目を奪われつつ問うた。
「雪沙さまがお持ちの一振りはずいぶんと立派なものと見受けられます。お屋形さまから受けられましたか。もし差し支えなければ手に取らせていただけますか」
「ああ、私に刃を向けないのなら」と雪沙は笑いながら刀を渡す。
「私も拝見したいのですが……」と又助もおずおずと座に入ってくる。
 室内はほの暗くなり始めている。
 これ以上時間が過ぎてしまうと悩ましいことになる。行灯の明かりでは全体をまんべんなく鑑賞するのに不向きだった。孫介がずしりと重い刀剣を抜くと、低くなった陽光に不規則な刃の模様が強く反射する。孫介は目を見張り、又助はごくりと喉を鳴らした。
「これは名のある刀に違いない。雪沙さま、これはお屋形さまが?」
 雪沙はあごひげを撫でながらしばらく黙っていたが、「まあ、刀を見てから話そうか」とだけ言った。

 後で雪沙はその刀の出所を語った。

 十五年ほど前、雪沙が連れの一行と日本にやってきてしばらく経った頃のこと、山口で周防・長門の守護だった大内義隆に目通りが叶い、南蛮の話とばてれん教の話をする機会を得た。ばてれん教の僧だった連れのざびえる師は、大内義隆が稚児を侍らせているのを見て、それをやんわり咎めた。ばてれん教では衆道(男色)を禁じているので、それがひどい行いに見えたのだ。大内義隆は面前でたしなめられたことを不愉快に感じ、初の会見は不首尾に終わった。
 ここで彼らは周防を追い出されても不思議ではなかったのだが、助け船を出す人が現れた。それは大内氏の家老である内藤興盛であった。興盛はざびえる師らが逗留する屋敷までやって来て、驚くことに礼を述べたのである。
 聞けば、あるじが政事より京風の文芸、一般的な遊興や色事に熱心なのをつねづね心配していたのだという。義隆にしてみれば、応仁の乱で荒廃した京の都より周防の方が栄えているという自信があったし、京の風流文化を熱心に倣ってもいた。ただし、一国を治める長であるという意識は淡く薄かった。国を治める長としての彼に諫言する臣は遠ざけられ、遊興を奨める側近が反動のように贔屓されるに至り、両者は鋭く対立するようになった。興盛は中立に身を置き、両者の対立を和らげ義隆に道理を説くがどうにも聞く耳を持ってはもらえなかった。
 そのようなとき、現世利益的にいえば、貿易の権利がのちのち得られそうな異国人が現れ、堂々と主をたしなめてくれた。そしてその言葉はたいへん真摯だった。興盛は感銘を受けて、再び彼らの話を聞くよう、主に働きかけさえしたのだ。一行がいっときではあるが、山口の地に拠点を置いて宣教活動ができたのは、内藤興盛のとりなしによるものだと言ってよい。
 雪沙たちのうち3人が京へ発つことを決め、暇乞いをしたとき、興盛は一振りの刀を一行に渡した。
「それがこの刀だ。大内家に伝来する刀で、興盛に下賜されたようだ。その辺りのいきさつは聞いていない。ただ、守護の家に伝わるだけのことはある……名刀だ」

 雪沙の話に又助はひたすらうなずき、孫介は思案しながら聞いていた。
「銘はありますか」と孫介は聞く。
「刀工は分からないが、『荒波』と呼ばれていると内藤殿は申されていた。刃の波打つ模様を見れば納得するだろう」
 孫介はすでにさやに納めた刀に目をやる。
「これほど剛毅な風情の一振りを渡されるとは。これは使い手を選ぶ刀です。ざびえる師に与えられたのですか。ざびえる師は兵として戦っとったんですのきゃ」
 雪沙はふっと微笑む。
「ああ、ザビエルは戦ったことなどない。根っからの僧だよ。信じられないだろうが、私がその刀を譲られたのだ」
 聞いている二人は目を丸くした。
 周防・長門の太守だった大内氏と雪沙にそのような関わりがあったのも驚きだったし、雪沙がこの刀を譲られたというのがさらなる驚異だった。

 雪沙にはただ長く生きてきたというだけではない、あるじの織田信長さえも惹き付けるだけの、何か得体の知れない大きなものを秘めている。
 それがおぼろげに感じられたのだ。

 二人が初めて雪沙に計り知れない畏怖を感じたときであった。

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