392 / 453
第11章 ふたりのルイスと魔王2
柳に風、おなごは不自由 1565年 堺
しおりを挟む
〈ルイス・デ・アルメイダ、小桃、日比屋了珪〉
堺の日比屋家に世話になって、体調もだいぶ回復してきたアルメイダは、請われて近隣の商家にも話をしに赴くようになった。薬物商の小西隆佐の家がもっとも頻繁だった。
日比屋家が格別親切だったので他もそうなのかとアルメイダは思っていたが、小西家を除けば熱意はそれほど高くなかった。ただ、ポルトガル商人の扱う品物に興味を持つ人も多かったし、ポルトガル語を学びたいという者もいた。わずかな時間しかないのを断った上で簡単なポルトガル語を教えることもあった。
堺は賑やかな町だ。
運河には荷の揚げ下ろしをする運搬船が所狭しと並んでいる。問(とい)と呼ばれる業者が輸送を担うのだが、広くない運河をすいすいと行き来する様子は見事である。彼らは声を掛け合って進むので、その勢いのいい声もこの町の特徴だろうか。
揚げ下ろしをする男たちは皆、陽に灼けて屈強だ。冬なのでさすがに厚い上着を羽織っているが、夏は裸に近い格好で働くのだろう。倒れた彼をひょいと担いで走ったのも彼らだった。
豊後でも平戸でもそのような荷揚げ役の男たちがいたことをアルメイダは思い出す。
ただ、丸抱えのような手厚い庇護を受けられるのは堺だからかもしれないとアルメイダは思う。
大阪湾に面したこの一帯は、北方に大和川という大きな川、南に石津川という川が流れている。それを利用して古くから水路が造られた。それが運河として活用して町は商都として発展してきた。ただ商都となったのはそれほど昔の話ではない。対明貿易を多く担っていた瀬戸内の大内氏と連動するように発展していったのである。そして大内氏が衰退すると、貿易の中心が堺に移った。追い風のようにポルトガル船がやってきて新たな商品が流れ込む。そして堺は一層の財力を得るのだ。
アルメイダが見ていたのは登り竜のような状態の町だった。
「本当に人がたくさんだ。このように活気に溢れていると、ここがこの国の中心のようにさえ思える」
アルメイダはフロイスから、体調に気を配りつつ堺で宣教をし、くれぐれも暖かくなってから京に上るようにーーという趣旨の手紙を受け取っていた。なぜなら京の冬はたいへん厳しいと付け足してあった。アルメイダの不調が風邪など一過性の疾患によるものではないことは医者でなくとも察せたからである。アルメイダはフロイスの厚意に感謝していたが、ずっと静養しているのは申し訳ない気がしていた。
アルメイダ自身も医者なので、自分の症状がどこに起因しているのかは皆より具体的に察しがついていた。腎臓か肝臓か、その辺りの内臓だろうと。
船に乗っているときも同様に体調を崩す人がいたことを思い出す。顔色の変化が誰から見ても明らかで、しばらく後に亡くなった例もある。船の揺れは人の身体に多かれ少なかれ影響を及ぼすが、慣れる人が大半だ。しかしそうでない場合もある。
アルメイダは船から降りてすでに十年を越えた。なので不調は船に由来するものではなく、過労が影響していると思われる。
分かっているのだが、いつ倒れるにしても自分のつとめを果たさなければいけないーーというのがアルメイダの第一の希望だった。
運河の人びとを眺めながら、アルメイダはしばらくもの思いに耽っていた。皆自分の仕事に忙しく異国の人間がいることを気にしていない。その距離感は返って彼を落ち着いた気分にさせた。水辺には柳が植えてあって、ゆらゆらと、時には大きく枝を風に泳がせている。
「アルメイダさま、アルメイダさま」
急に呼び止められてアルメイダは防寒用でもあるマントを翻して振り返った。そこには厚手の羽織を着こんだ小桃が立っている。
「ああ、小桃さま。おつかいに行かれるのですか」
「へえ、うちがぼんやりしてましたら、お内儀はんにあれこれ言い付けられましてん。おつかいも3軒いちどき」と小桃は頬を膨らませる。
「商家のいとはん、ですからね」とアルメイダは微笑んでいう。いとはん、というのは「お嬢さん」ほどの意味である。
「いいえ、お内儀はんはうちがぼんやり物思いしているんが、気に入らないのや」
ああ、そうかとアルメイダは思う。
内儀、とは日比屋の妻であり小桃の母親のことである。
日比屋の主はキリスト教徒になりたいと言っているが、妻女は一度もアルメイダの講話の場にいたことがない。忙しいし、店にいる者が必要だからと主は言うのだが、興味がないというのはうすうす気づいている。いや、小桃の言に依るのならば、興味がないというより反感を持っているのかもしれない。それは何ら珍しいことではなく、これまで宣教活動をしていて何度も出くわした事象だ。
アルメイダが静養を兼ねて療養しているのも、あまり愉快ではないとも考えられる。
「そうですか……小桃さま。家業も大切なおつとめです。お母さまはきっと、いろいろおうちのことを考えてほしいのでしょう」
「おうちのこと以前に、うちがデウスさま、ジェズさまのお話を聞くことじたい、面白うないのやわ」
はっきりものが言えるのは素晴らしいことだ。
アルメイダは苦笑して、
「小桃さま、この国には昔ながらの教えがありますから、私たちが厭われるのは不思議ではありません。そう、珍しくないのですよ」と優しく言う。
小桃はうん、うんとうなずく。ただ、この状況に納得はしていないようだ。
「ああ、お内儀はんがアルメイダさまぐらい心が広かったらばどれほどええやろか。ほな、うち行ってきます」
小桃の後ろ姿をアルメイダはしばらく見送る。すると周囲から、ひそひそ話が聞こえる。
「ああ、日比屋のいとはんもじきに嫁に行かはるんやな」
「でもまだ、首を縦に降っとらんようやで。まあ、お家のためや、しゃあないわな」
「あれほど別嬪はんなら、どこぞの御大尽が見初めても不思議はないのやけど」
「いやいや、それよりも商いいちばんや」
柳が風に揺れている。
アルメイダは小桃の煩悶を思う。
そして、つい先頃彼女とした会話を思い出した。在家の信徒と修道者の違いについての話題になった。小桃は宣教師というのが修道会の一員であり、妻帯せず一生を神の道を説くことに捧げるというのを知り、大いに興味を持った。宣教につとめる者もおり、修道院で静かに信仰の暮らしを送る者もいる。修道会によって活動の内容は異なるが、皆信仰に生涯を捧げるのは同じである。そのくだりを聞いて、小桃は前のめりになって尋ねる。
「おなごは同じようにできるのですか」
アルメイダは首を横に振る。
宣教師は女性はなれない。ただ、修道会・修道院には女性だけで構成されるものもある。例えばヨーロッパにはフランシスコ会の姉妹組織としてクララ会があり、自給自足、清貧につとめ信仰のうちに暮らしている……。
小桃は目を輝かせた。
「嫁に行くことなしに、一生神さまとともに暮らす生き方があるんどすか!その、おなごの修道院というんはどこにありますのん?」
アルメイダはひとつ、ため息をつく。
「小桃さま、今日本には女子修道院がありません。男子の修道院もありません。いずれ信徒の子弟を教える学校や、修道院も作られるのだろうと思いますが、女性の修道院はもっと時間がかかると思います。九州には女性の信徒が多くいますが、皆在家として暮らしております」
小桃は少し落胆したようだ。
「ほんなら、おなごが自分で決めて、ひとり身のまま出家するというのは無理なんどすか……」
アルメイダは小桃が真剣に「出家」しようと考えているのだと感じた。確かに、彼女には女性ゆえの困難があるだろう。家を出ることも結婚も自分の意思で自由にはできない。日比屋家はそれほど厳格な気風ではないが、こと女性の処遇については他と変わらない。商売に利のある家の息子と結婚し、両家の商いをいっそう繁盛させるーー女性の処遇は武家でも同じようなものだ。
仏教でいう女性の出家も武家の女性が寡婦になって以降するのが一般的である。
いつかは、女子の修道院も作る必要があるーーとアルメイダは思う。ただ、この時点では九州以外に建てられる場所はないようだった。やはり肥前だろうか……アルメイダはそれがすぐに為すことは難しいと分かってはいたが、いつか実現できたらと思っている自分に気がついた。
やはり、もっと確固たる拠点を持ち、多くの人々と話をしなければ。
そしてアルメイダは来る春を待つのだった。
堺の日比屋家に世話になって、体調もだいぶ回復してきたアルメイダは、請われて近隣の商家にも話をしに赴くようになった。薬物商の小西隆佐の家がもっとも頻繁だった。
日比屋家が格別親切だったので他もそうなのかとアルメイダは思っていたが、小西家を除けば熱意はそれほど高くなかった。ただ、ポルトガル商人の扱う品物に興味を持つ人も多かったし、ポルトガル語を学びたいという者もいた。わずかな時間しかないのを断った上で簡単なポルトガル語を教えることもあった。
堺は賑やかな町だ。
運河には荷の揚げ下ろしをする運搬船が所狭しと並んでいる。問(とい)と呼ばれる業者が輸送を担うのだが、広くない運河をすいすいと行き来する様子は見事である。彼らは声を掛け合って進むので、その勢いのいい声もこの町の特徴だろうか。
揚げ下ろしをする男たちは皆、陽に灼けて屈強だ。冬なのでさすがに厚い上着を羽織っているが、夏は裸に近い格好で働くのだろう。倒れた彼をひょいと担いで走ったのも彼らだった。
豊後でも平戸でもそのような荷揚げ役の男たちがいたことをアルメイダは思い出す。
ただ、丸抱えのような手厚い庇護を受けられるのは堺だからかもしれないとアルメイダは思う。
大阪湾に面したこの一帯は、北方に大和川という大きな川、南に石津川という川が流れている。それを利用して古くから水路が造られた。それが運河として活用して町は商都として発展してきた。ただ商都となったのはそれほど昔の話ではない。対明貿易を多く担っていた瀬戸内の大内氏と連動するように発展していったのである。そして大内氏が衰退すると、貿易の中心が堺に移った。追い風のようにポルトガル船がやってきて新たな商品が流れ込む。そして堺は一層の財力を得るのだ。
アルメイダが見ていたのは登り竜のような状態の町だった。
「本当に人がたくさんだ。このように活気に溢れていると、ここがこの国の中心のようにさえ思える」
アルメイダはフロイスから、体調に気を配りつつ堺で宣教をし、くれぐれも暖かくなってから京に上るようにーーという趣旨の手紙を受け取っていた。なぜなら京の冬はたいへん厳しいと付け足してあった。アルメイダの不調が風邪など一過性の疾患によるものではないことは医者でなくとも察せたからである。アルメイダはフロイスの厚意に感謝していたが、ずっと静養しているのは申し訳ない気がしていた。
アルメイダ自身も医者なので、自分の症状がどこに起因しているのかは皆より具体的に察しがついていた。腎臓か肝臓か、その辺りの内臓だろうと。
船に乗っているときも同様に体調を崩す人がいたことを思い出す。顔色の変化が誰から見ても明らかで、しばらく後に亡くなった例もある。船の揺れは人の身体に多かれ少なかれ影響を及ぼすが、慣れる人が大半だ。しかしそうでない場合もある。
アルメイダは船から降りてすでに十年を越えた。なので不調は船に由来するものではなく、過労が影響していると思われる。
分かっているのだが、いつ倒れるにしても自分のつとめを果たさなければいけないーーというのがアルメイダの第一の希望だった。
運河の人びとを眺めながら、アルメイダはしばらくもの思いに耽っていた。皆自分の仕事に忙しく異国の人間がいることを気にしていない。その距離感は返って彼を落ち着いた気分にさせた。水辺には柳が植えてあって、ゆらゆらと、時には大きく枝を風に泳がせている。
「アルメイダさま、アルメイダさま」
急に呼び止められてアルメイダは防寒用でもあるマントを翻して振り返った。そこには厚手の羽織を着こんだ小桃が立っている。
「ああ、小桃さま。おつかいに行かれるのですか」
「へえ、うちがぼんやりしてましたら、お内儀はんにあれこれ言い付けられましてん。おつかいも3軒いちどき」と小桃は頬を膨らませる。
「商家のいとはん、ですからね」とアルメイダは微笑んでいう。いとはん、というのは「お嬢さん」ほどの意味である。
「いいえ、お内儀はんはうちがぼんやり物思いしているんが、気に入らないのや」
ああ、そうかとアルメイダは思う。
内儀、とは日比屋の妻であり小桃の母親のことである。
日比屋の主はキリスト教徒になりたいと言っているが、妻女は一度もアルメイダの講話の場にいたことがない。忙しいし、店にいる者が必要だからと主は言うのだが、興味がないというのはうすうす気づいている。いや、小桃の言に依るのならば、興味がないというより反感を持っているのかもしれない。それは何ら珍しいことではなく、これまで宣教活動をしていて何度も出くわした事象だ。
アルメイダが静養を兼ねて療養しているのも、あまり愉快ではないとも考えられる。
「そうですか……小桃さま。家業も大切なおつとめです。お母さまはきっと、いろいろおうちのことを考えてほしいのでしょう」
「おうちのこと以前に、うちがデウスさま、ジェズさまのお話を聞くことじたい、面白うないのやわ」
はっきりものが言えるのは素晴らしいことだ。
アルメイダは苦笑して、
「小桃さま、この国には昔ながらの教えがありますから、私たちが厭われるのは不思議ではありません。そう、珍しくないのですよ」と優しく言う。
小桃はうん、うんとうなずく。ただ、この状況に納得はしていないようだ。
「ああ、お内儀はんがアルメイダさまぐらい心が広かったらばどれほどええやろか。ほな、うち行ってきます」
小桃の後ろ姿をアルメイダはしばらく見送る。すると周囲から、ひそひそ話が聞こえる。
「ああ、日比屋のいとはんもじきに嫁に行かはるんやな」
「でもまだ、首を縦に降っとらんようやで。まあ、お家のためや、しゃあないわな」
「あれほど別嬪はんなら、どこぞの御大尽が見初めても不思議はないのやけど」
「いやいや、それよりも商いいちばんや」
柳が風に揺れている。
アルメイダは小桃の煩悶を思う。
そして、つい先頃彼女とした会話を思い出した。在家の信徒と修道者の違いについての話題になった。小桃は宣教師というのが修道会の一員であり、妻帯せず一生を神の道を説くことに捧げるというのを知り、大いに興味を持った。宣教につとめる者もおり、修道院で静かに信仰の暮らしを送る者もいる。修道会によって活動の内容は異なるが、皆信仰に生涯を捧げるのは同じである。そのくだりを聞いて、小桃は前のめりになって尋ねる。
「おなごは同じようにできるのですか」
アルメイダは首を横に振る。
宣教師は女性はなれない。ただ、修道会・修道院には女性だけで構成されるものもある。例えばヨーロッパにはフランシスコ会の姉妹組織としてクララ会があり、自給自足、清貧につとめ信仰のうちに暮らしている……。
小桃は目を輝かせた。
「嫁に行くことなしに、一生神さまとともに暮らす生き方があるんどすか!その、おなごの修道院というんはどこにありますのん?」
アルメイダはひとつ、ため息をつく。
「小桃さま、今日本には女子修道院がありません。男子の修道院もありません。いずれ信徒の子弟を教える学校や、修道院も作られるのだろうと思いますが、女性の修道院はもっと時間がかかると思います。九州には女性の信徒が多くいますが、皆在家として暮らしております」
小桃は少し落胆したようだ。
「ほんなら、おなごが自分で決めて、ひとり身のまま出家するというのは無理なんどすか……」
アルメイダは小桃が真剣に「出家」しようと考えているのだと感じた。確かに、彼女には女性ゆえの困難があるだろう。家を出ることも結婚も自分の意思で自由にはできない。日比屋家はそれほど厳格な気風ではないが、こと女性の処遇については他と変わらない。商売に利のある家の息子と結婚し、両家の商いをいっそう繁盛させるーー女性の処遇は武家でも同じようなものだ。
仏教でいう女性の出家も武家の女性が寡婦になって以降するのが一般的である。
いつかは、女子の修道院も作る必要があるーーとアルメイダは思う。ただ、この時点では九州以外に建てられる場所はないようだった。やはり肥前だろうか……アルメイダはそれがすぐに為すことは難しいと分かってはいたが、いつか実現できたらと思っている自分に気がついた。
やはり、もっと確固たる拠点を持ち、多くの人々と話をしなければ。
そしてアルメイダは来る春を待つのだった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
28
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる