16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第11章 ふたりのルイスと魔王2

友の回復を祈る 1565年 京都

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〈ルイス・デ・アルメイダ、ルイス・フロイス、ガスパル・ヴィレラ〉

 大和国の話を書いているが、畿内の動乱が激しくなっているこの頃に、ルイス・デ・アルメイダもまた大和国に在った。そこに至るには少しばかり遡って、冬からのいきさつがあるので簡単に述べておく。

 アルメイダがガスパル・ヴィレラ司祭とともに堺から京に向かったところまで記した。
 この旅は病み上がりのアルメイダにはたいそう厳しいものだった。体調はようやく改善してきたところで、動き回れるだけの状態にはなっていなかった。気候は春めいてきていたが、朝晩はまだ身体に染みる寒さであった。その辺りをあまり把握していないヴィレラ司祭はできるだけ道中、知己を得た豪族や商人に面会していくつもりだ。もちろんアルメイダにとっては初見の人ばかりで緊張するのは当然のことだった。
 ヴィレラ司祭は飯盛の結城氏に引き合わせ、摂津でも同様にした。摂津から少し進んだところでアルメイダはみるみる顔色を失い、動けなくなるほど調子が悪くなってしまった。
 フロイスはアルメイダが倒れたのを見ていたので知っていたが、それを初めて見たヴィレラ司祭は仰天した。周囲の人も同様に驚き駕籠を手配してくれたので、ヴィレラ司祭の判断でアルメイダは京のフロイスの居宅に運ばれた。
 体調がひどくなっているのなら、暖かい場所で医師を呼び安静にしているのが定石といえるが、駕籠で離れた京まで運んだのは無謀だった。フロイスのもとに駕籠が到着したとき、中の病人は堺に着いたときと同等かと思われるほどひどい状態になっていた。

 ルイス・フロイスはーー司祭ではあるがアルメイダの友人として書くので省くーー急いで医者を呼んでもらうよう頼むと、アルメイダの床の脇に座りその額に手を当てた。
 熱い。
 その熱は病人を凍えさせるために出ているのだろうか、身体はぶるぶると震えていた。意識ははっきりしていないようだ。すぐに回復するような状態ではない。医師でないフロイスにもそれは分かった。せっかく小康を得たのに、とフロイスは思う。摂津に留まるか、堺に戻ればよかったのにと今さらどうしようもないことさえ思う。何しろ京の冬は壮健なフロイスにしても、驚くほど冷え込むのだ。それならば京よりは暖かい場所で、裕福な商人の家に世話になっている方がいいに決まっている。
 「マリア、マリア、マリア」
 アルメイダが三度繰り返すのをフロイスは聞いた。喘ぐ息の間に聞こえたし、熱は彼を焼いているようだ。うわごとに違いない。マリアは聖母のことだろう。
 フロイスは七歳上の宣教師の側でじっと座っていた。じきに頼んでいた医師がやってきてアルメイダを診察した。案の定、「これ以上悪くすると命に関わる。外出などもってのほか、当面安静にするように」とフロイスに告げる。薬は後で調合して持参してくれるという。フロイスはその言葉を聞いて安堵した。西洋の医師のように瀉血(しゃけつ)をしなかったからだ。今のアルメイダの状態でそれをしたら、危険だと本能的に感じたのだ。体調をひどく崩した人に瀉血をするのは西洋の常だったのだが、日本でそれをするのに出くわしたことはないこともはたと思い出す。
 瀉血とは、傷をつけて血を抜く治療法だ。病気は血液の汚れが原因だとして、当時の西洋医学では血液を抜くのが有用な治療法とされている。フランシスコ・ザビエルも受けたことがあるが、それで改善したかは定かでない。現代ではほぼ使われない治療法である。
 京の医師を丁重に送った後、フロイスはまたアルメイダの側に付いた。
「マリア」
 アルメイダはまだうわごとを発していた。
 フロイスはアルメイダに合わせるように、「恩寵満ちみちたるマリア」と祈りを捧げる。そして祈りの続きのように言葉を綴る。
「この人は誰よりも熱心にこの国の民と向き合ってきました。日本語を自然に使えるのはその成果だろうと思います。どうか、この人をすぐにお連れにならないでください」
 そしてフロイスは司祭の位にある自身にも相応の役目があると考える。京と畿内の宣教活動にはヴィレラ司祭と自身があたればよい。アルメイダにはもともと活動していた九州に戻ってもらった方がいいように思う。ここで静養して体調が戻ったら、そうする命令を自分がするべきだろう。ただ、わざわざここまで来て静養しただけで帰すのはあまりにも忍びない……。
「いずれにしても、体調が戻ったときの話だ」とフロイスはひとりつぶやいた。

 アルメイダの体調が回復するにはそれから二ヶ月弱の月日を待たなければならなかった。
 その間にフロイスはアルメイダの看病をしながら、堺の日比屋家で過ごした日々について話を聞いた。主の日比屋了珪はじめ家人が洗礼を受けたいと願っていること。特に娘の小桃が真剣に信仰に身を捧げたいと考えていること。そして、日比屋の家に逗留している雪沙という老人のことを……。

 フロイスはその名前をどこかで聞いたような気がした。セサルという名前に変換してもすぐには思い当たらない。どこで聞いたのだろうか。フロイスは自身の記憶があやふやなことにもどかしさを感じた。
 リスボンではない、いや、リスボンか、ゴアか……そのとき不意にフロイスの脳裏にフランシスコ・ザビエルの姿が浮かんだ。あれはコーチンではなかったか。私に声をかけて褒めてくださったザビエル師の側に付いていた老人がいた。確かザビエル師はその老人を、「セサル」と呼んでいたはずだ。
 ずっと何かを思い出そうとしているフロイスに、アルメイダは助言のように語る。
「彼はイタリア半島の人、ローマの人だ。騎士の長、貴族だったのかもしれない。私の知人の父親が彼の部下だったという。いずれにしても大昔の話だし、ポルトガル人の私には皆目見当がつかないが、相当高い地位にあった人だろう」

 フロイスはその時、急に雷に打たれたように目を見開いた。記憶の欠片が繋がったことを感じたのだ。インド・コーチンの記憶といつかゴアで見た手紙のことだ。ゴアで見た手紙は、今やイエズス会の重鎮となっているフランシスコ・ボルハからじきじきに照会が来たものだ。
「ボルハ、フランシスコ・ボルハ師……セサルはチェーザレ……ボルハは……」
 フロイスは何かとてつもなく大きい何かが目の前に現れたような驚きに打たれ、しばらく何も言うことができなかった。

 アルメイダの体調も再び回復してきた。
 季節はほんとうの春になっていた。
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