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第12章 スペードの女王と道化師
まだ軸は地球にあるけれど
しおりを挟むここまでミシェル・ノートルダム、のちにノストラダムスと呼ばれる人の道筋をしばらく辿っている。
彼は長い放浪ののちにペストと戦った医師として、故郷の地方の町であるサロン・ド・プロヴァンスに名誉とともに迎えられた。
故郷の地方、という表現を使ったのには理由がある。フランス南部のプロヴァンス地方は現在の県構成でいえば6~7つ分にあたる広大な地域なのだ。ミシェルの故郷のサン=レミ・ド・プロヴァンス、ペスト治療に従事したエクサン・プロヴァンス、居を構えたサロン・ド・プロヴァンスは近隣のようだが、同じプロヴァンスでもすぐに歩いて行けるほど近くはない。
例えばエクサンはマルセイユにほど近いが、サン=レミはアルルにほど近い。サロンはその中間である。エクサンからサン=レミまでの距離はおよそ70kmである。
イタリア半島北部の旅から戻ってきたミシェルは妻の待つサロン・ド・プロヴァンスに帰った。約束した通り、もう放浪に出ることもせず真面目に働いて家族を養っていこうと決めたのだ。さっそく医師を開業する。すでにミシェルはペストの件でよく知られていたので、患者は引きもきらず訪れる。幸い、ペストはミシェルには付いてこなかったようだ。
妻は結婚後すぐに懐妊した。
妻のふっくらとした腹を見てミシェルは微笑む。放浪、離別、放浪のあとでようやく手に入れた幸福。その象徴が彼女の腹に宿っているように感じるのだ。ミシェルはアンヌの腹にそっと耳を当てる。そしてささやくように呟く。
「できるものならば、6月に生まれておくれ」
アンヌは夫の言葉を聞き、「あら、7月ぐらいに生まれると思うけれど」と言う。
ミシェルはいたずらっぽくウィンクをして、
「いや、あくまでも僕のささやかな希望だよ」と妻に告げた。
このとき妻に打ち明けていたかは定かでないが、ミシェルは日々のホロスコープを記録していたし、自身や妻はもちろん周囲の人びとのそれも作成済みだった。
ホロスコープとは何だろう。
簡単にいえば、調べたい日や出生時の出生場所で天体がどの位置にあるかを記した図だ。世の中に流通している星占いと基本は同じである。
太陽が進む道を「黄道」というが、それが1年かけて移動する際に十二の星座を通過していく。春分点の牡羊座に始まり、牡牛座、双子座、蟹座、獅子座、乙女座、天秤座、蠍座、射手座、山羊座、水瓶座、魚崎と太陽が移動していく。その中で月や他の惑星(水星、金星、火星、木星、土星、天王星、冥王星、海王星)がどの角度で向き合って動いているかも見て地上の事象や人の運勢を読んでいくのである。
ここですぐさま訂正する必要が出てくるのだが、太陽が地球の周りを回って移動しているわけではなく、地球が太陽の周りを回っているのである。それは現代では誰でも知っている常識なのだが、この頃まだガリレオ・ガリレイは生まれていない。この時代の常識は違うのである。
星の動き自体はどちらが移動して(公転)いたとしても、同じように観察することができる。時たま見られる惑星の逆行現象は謎になるがそれもまた探究の材料になる。プトレマイオスやエラストテネスも踏み込んだ天文学という世界、それに付随した占星術という衛星とも時を超えて連綿として存在しているのである。
軸を宇宙に据えれば瞬きほどもない間ではあるが。
ミシェルは1503年12月14日生まれである。彼のホロスコープに興味を持つ人は今昔を問わずいるようで太陽は山羊座、月は蠍座にあったと複数の記述がされている。そのようなホロスコープをミシェルは作っていただろうし、周りの人のこともそれで判断していただろう。占星術への興味はかなり深かったと思われる。
そのうちに彼は、星暦(アルマナック)を本にしてみようと思い立つ。
この頃にはアルマナックの本がしばしば刊行されるようになっていた。ミシェルは本のページを繰りつつ、どのように書かれているのかを調べ始め、自身にも十分書ける内容だと確信する。
彼が医者の副業としてものを書くようになったのは1551年頃のことと思われる。筆は早くなかった。何しろアンナは二年に一度妊娠している。次々と生まれる子を養うという責任はミシェルの肩にずっしりとのしかかっていた。それでも彼は空き時間を書くことに費やそうと決めたのである。
もし原稿が完成して本になり売り上げが伸びれば、よりいっそう家計に貢献できるという考えもあった。
ミシェルが著述家になったきっかけはそのような経緯があった。
占星術に凝っているのはもちろん、これまで計らずも大冒険といえるような経験を積み重ねてきたのを、世間にちょっとだけつまびらかにしたいという気持ちがあった。知人のラブレーが『パンタグリュエル物語』を書いて名声を得たのを羨ましいと感じている。自分はラブレーほどの破天荒な、かつ異端すれすれの風痔的物語は書けないが、医師が実用書を書くというのは別の意味で人の興味を引くかもしれないと考えたのである。
現代でも同様に考えて本を出す人は多いかもしれない。
他とは一味違う、人目を引くアルマナックを作ろうと考えた結果がリヨンの版元から1552年に刊行された、『1553年の暦と占い』である。
ミシェルは50歳になろうとしていた。
そしてその本をフランス王妃であるカトリーヌ・ド・メディシスが目にしたのである。
それはサロンに腰を据えて生きていこうと決めたミシェルを違う世界に引っ張っていくきっかけにもなったのである。
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