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第6話 仇2
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何も考えずに走っていた凍夜は、気づいた時には母親の遺体が上がった河原に来ていた。この河原は、よく母が凍夜を連れて散歩に来ていたところだった。
椎ノ木川は柿ノ木川の支流の一つで、この柏原の町の真ん中を流れている。鴨や白鷺がたくさんおり、夏になれば子供たちがここで泳ぐ。
淀みには蒲が生え、現証拠や枸杞が花を咲かせる。道端には鬼胡桃が茂り、葛がそこに絡まる。
今はまだ春先なので雪柳のフワフワした花と、足元の立坪菫が景色に彩を添えている。もう少しすれば蛇苺や大犬殖栗の花が咲くのだろう。
去年もここで母と数珠玉を取って、端切れでお手玉を作った。川に入れば小さな魚がいた。沢蟹と遊んだこともあるし、蜆が捕れることもあった。木通も食べたし、狸だってここに遊びに来ていた。
河原に座っていると、父や母の思い出が次々に蘇って来た。知らず知らずのうちに凍夜の頬を涙が伝っていた。もうすぐ家族四人になるはずだったのに、なぜ一人ぼっちになってしまったのか。
理由はわかっている。あの口入屋だ。あいつが来てからおかしくなった。
凍夜が涙を拭いて立ち上がったその時だった。
「おや、凍夜じゃないか。おっ母さん亡くなったんだって?」
振り返ると、そこには当の口入屋が立っていた。
臙脂の縞の着物に黒い掛襟をつけたその女は、歳の頃で言えば四十代半ば、島田に結い上げた髪には平打の簪を挿している。歳の割にかなり身なりを若作りしている印象だ。
凍夜は彼女を黙って睨みつけた。
「おやおや、そんな怖い顔しないどくれ。綺麗な顔が台無しだよ。確かお父つぁんも亡くなったばかりだろう? あんた一人で大丈夫かい?」
――子供だと思って白々しい。あんたは知ってるはずだ――。
「仕事に困っているならあたしが奉公先を紹介してやるよ。住み込みの御奉公なら食事や寝床の心配も要らないからね。お前ならいいところにご奉公できるよ」
親切を装っているが、人を馬鹿にするにもほどがある。
「別に困ってなんかいない」
「家賃だってバカにならないだろう。どうするんだい」
「そんなことあんたには関係ない」
凍夜は駆けだした。この女とこれ以上話すことはない。
「お待ち、凍夜!」
そう言われて待つ馬鹿がいるものか。凍夜は無視して走って行った。
意識していたわけではないが、気づいたらもともと住んでいた長屋の前にいた。体が覚えているのだろう、河原から戻るのはここだと。
だが、自分の戻る部屋はない。踵を返して枝鳴長屋に戻ろうとしたその時だ。
「凍夜かい? 凍夜じゃないか、うちへ上がってお行き」
振り返ると、お隣のお冬さんがいた。三郎太と話をした人だ。凍夜の母であるお春とは、『春冬姉妹』などと長屋の人達から呼ばれていた。実際に姉妹などではないが、それくらい親しく付き合っていた。
凍夜は素直にお冬と一緒に家に入ったが、すぐに帰るつもりで上がり框に腰かけた。
「すぐにお湯が沸くからね。昨日小豆を炊いたんだ、ぼた餅があるから食べてお行き」
「ありがとう」
お冬はあんこたっぷりのぼた餅を出してくれた。凍夜はお冬にはなついていたので、三郎太の家にいるよりも安心してぼた餅に手を出すことができた。
「で、昨日の三郎太さんだっけ? あの人の家に行ったのかい?」
「うん」
「ご飯はちゃんと食べさせてくれてるかい?」
「大丈夫。昨日は麦飯と味噌汁を食べさせてくれた。長屋の人も優しくしてくれた」
お冬はホッとしたように大きく息を吐いた。
「そうかい。それならいいんだけどね、昨日はずいぶん心配したよ。困ったらいつでも相談においで」
凍夜はぼた餅を頬張りながら頷いた。
「そうだ、三郎太さんに菜花を持って行っとくれ。あの人は独り者だろう。あんたも菜花は好きだったね」
「うん、ありがとう」
「ちょっと待ってな、準備するから」
お冬が菜花を紐で縛っている間に凍夜はぼた餅を食べながら考えていた。こうしてお冬や三郎太の世話になり続けるわけにはいかない。仕事をしなくては。
椎ノ木川は柿ノ木川の支流の一つで、この柏原の町の真ん中を流れている。鴨や白鷺がたくさんおり、夏になれば子供たちがここで泳ぐ。
淀みには蒲が生え、現証拠や枸杞が花を咲かせる。道端には鬼胡桃が茂り、葛がそこに絡まる。
今はまだ春先なので雪柳のフワフワした花と、足元の立坪菫が景色に彩を添えている。もう少しすれば蛇苺や大犬殖栗の花が咲くのだろう。
去年もここで母と数珠玉を取って、端切れでお手玉を作った。川に入れば小さな魚がいた。沢蟹と遊んだこともあるし、蜆が捕れることもあった。木通も食べたし、狸だってここに遊びに来ていた。
河原に座っていると、父や母の思い出が次々に蘇って来た。知らず知らずのうちに凍夜の頬を涙が伝っていた。もうすぐ家族四人になるはずだったのに、なぜ一人ぼっちになってしまったのか。
理由はわかっている。あの口入屋だ。あいつが来てからおかしくなった。
凍夜が涙を拭いて立ち上がったその時だった。
「おや、凍夜じゃないか。おっ母さん亡くなったんだって?」
振り返ると、そこには当の口入屋が立っていた。
臙脂の縞の着物に黒い掛襟をつけたその女は、歳の頃で言えば四十代半ば、島田に結い上げた髪には平打の簪を挿している。歳の割にかなり身なりを若作りしている印象だ。
凍夜は彼女を黙って睨みつけた。
「おやおや、そんな怖い顔しないどくれ。綺麗な顔が台無しだよ。確かお父つぁんも亡くなったばかりだろう? あんた一人で大丈夫かい?」
――子供だと思って白々しい。あんたは知ってるはずだ――。
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親切を装っているが、人を馬鹿にするにもほどがある。
「別に困ってなんかいない」
「家賃だってバカにならないだろう。どうするんだい」
「そんなことあんたには関係ない」
凍夜は駆けだした。この女とこれ以上話すことはない。
「お待ち、凍夜!」
そう言われて待つ馬鹿がいるものか。凍夜は無視して走って行った。
意識していたわけではないが、気づいたらもともと住んでいた長屋の前にいた。体が覚えているのだろう、河原から戻るのはここだと。
だが、自分の戻る部屋はない。踵を返して枝鳴長屋に戻ろうとしたその時だ。
「凍夜かい? 凍夜じゃないか、うちへ上がってお行き」
振り返ると、お隣のお冬さんがいた。三郎太と話をした人だ。凍夜の母であるお春とは、『春冬姉妹』などと長屋の人達から呼ばれていた。実際に姉妹などではないが、それくらい親しく付き合っていた。
凍夜は素直にお冬と一緒に家に入ったが、すぐに帰るつもりで上がり框に腰かけた。
「すぐにお湯が沸くからね。昨日小豆を炊いたんだ、ぼた餅があるから食べてお行き」
「ありがとう」
お冬はあんこたっぷりのぼた餅を出してくれた。凍夜はお冬にはなついていたので、三郎太の家にいるよりも安心してぼた餅に手を出すことができた。
「で、昨日の三郎太さんだっけ? あの人の家に行ったのかい?」
「うん」
「ご飯はちゃんと食べさせてくれてるかい?」
「大丈夫。昨日は麦飯と味噌汁を食べさせてくれた。長屋の人も優しくしてくれた」
お冬はホッとしたように大きく息を吐いた。
「そうかい。それならいいんだけどね、昨日はずいぶん心配したよ。困ったらいつでも相談においで」
凍夜はぼた餅を頬張りながら頷いた。
「そうだ、三郎太さんに菜花を持って行っとくれ。あの人は独り者だろう。あんたも菜花は好きだったね」
「うん、ありがとう」
「ちょっと待ってな、準備するから」
お冬が菜花を紐で縛っている間に凍夜はぼた餅を食べながら考えていた。こうしてお冬や三郎太の世話になり続けるわけにはいかない。仕事をしなくては。
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作家 蔵屋日唱
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