柿ノ木川話譚2・凍夜の巻

如月芳美

文字の大きさ
6 / 45

第6話 仇2

しおりを挟む
 何も考えずに走っていた凍夜は、気づいた時には母親の遺体が上がった河原に来ていた。この河原は、よく母が凍夜を連れて散歩に来ていたところだった。
 椎ノ木川は柿ノ木川の支流の一つで、この柏原かしわばらの町の真ん中を流れている。鴨や白鷺がたくさんおり、夏になれば子供たちがここで泳ぐ。
 淀みにはがまが生え、現証拠げんのしょうこ枸杞くこが花を咲かせる。道端には鬼胡桃おにぐるみが茂り、くずがそこに絡まる。
 今はまだ春先なので雪柳のフワフワした花と、足元の立坪菫たちつぼすみれが景色に彩を添えている。もう少しすれば蛇苺や大犬殖栗おおいぬのふぐりの花が咲くのだろう。
 去年もここで母と数珠玉を取って、端切れでお手玉を作った。川に入れば小さな魚がいた。沢蟹と遊んだこともあるし、しじみが捕れることもあった。木通あけびも食べたし、狸だってここに遊びに来ていた。
 河原に座っていると、父や母の思い出が次々に蘇って来た。知らず知らずのうちに凍夜の頬を涙が伝っていた。もうすぐ家族四人になるはずだったのに、なぜ一人ぼっちになってしまったのか。
 理由はわかっている。あの口入屋だ。あいつが来てからおかしくなった。
 凍夜が涙を拭いて立ち上がったその時だった。
「おや、凍夜じゃないか。おっ母さん亡くなったんだって?」
 振り返ると、そこには当の口入屋が立っていた。
 臙脂えんじの縞の着物に黒い掛襟をつけたその女は、歳の頃で言えば四十代半ば、島田に結い上げた髪には平打のかんざしを挿している。歳の割にかなり身なりを若作りしている印象だ。
 凍夜は彼女を黙って睨みつけた。
「おやおや、そんな怖い顔しないどくれ。綺麗な顔が台無しだよ。確かお父つぁんも亡くなったばかりだろう? あんた一人で大丈夫かい?」
 ――子供だと思って白々しい。あんたは知ってるはずだ――。
「仕事に困っているならあたしが奉公先を紹介してやるよ。住み込みの御奉公なら食事や寝床の心配も要らないからね。お前ならいいところにご奉公できるよ」
 親切を装っているが、人を馬鹿にするにもほどがある。
「別に困ってなんかいない」
「家賃だってバカにならないだろう。どうするんだい」
「そんなことあんたには関係ない」
 凍夜は駆けだした。この女とこれ以上話すことはない。
「お待ち、凍夜!」
 そう言われて待つ馬鹿がいるものか。凍夜は無視して走って行った。
 

 意識していたわけではないが、気づいたらもともと住んでいた長屋の前にいた。体が覚えているのだろう、河原から戻るのはここだと。
 だが、自分の戻る部屋はない。踵を返して枝鳴長屋に戻ろうとしたその時だ。
「凍夜かい? 凍夜じゃないか、うちへ上がってお行き」
 振り返ると、お隣のお冬さんがいた。三郎太と話をした人だ。凍夜の母であるお春とは、『春冬姉妹』などと長屋の人達から呼ばれていた。実際に姉妹などではないが、それくらい親しく付き合っていた。
 凍夜は素直にお冬と一緒に家に入ったが、すぐに帰るつもりで上がり框に腰かけた。
「すぐにお湯が沸くからね。昨日小豆を炊いたんだ、ぼた餅があるから食べてお行き」
「ありがとう」
 お冬はあんこたっぷりのぼた餅を出してくれた。凍夜はお冬にはなついていたので、三郎太の家にいるよりも安心してぼた餅に手を出すことができた。
「で、昨日の三郎太さんだっけ? あの人の家に行ったのかい?」
「うん」
「ご飯はちゃんと食べさせてくれてるかい?」
「大丈夫。昨日は麦飯と味噌汁を食べさせてくれた。長屋の人も優しくしてくれた」
 お冬はホッとしたように大きく息を吐いた。
「そうかい。それならいいんだけどね、昨日はずいぶん心配したよ。困ったらいつでも相談においで」
 凍夜はぼた餅を頬張りながら頷いた。
「そうだ、三郎太さんに菜花を持って行っとくれ。あの人は独り者だろう。あんたも菜花は好きだったね」
「うん、ありがとう」
「ちょっと待ってな、準備するから」
 お冬が菜花を紐で縛っている間に凍夜はぼた餅を食べながら考えていた。こうしてお冬や三郎太の世話になり続けるわけにはいかない。仕事をしなくては。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

九州のイチモツ 立花宗茂

三井 寿
歴史・時代
 豊臣秀吉が愛し、徳川家康が怖れた猛将“立花宗茂”。  義父“立花道雪”、父“高橋紹運”の凄まじい合戦と最期を目の当たりにし、男としての仁義を貫いた”立花宗茂“と“誾千代姫”との哀しい別れの物語です。  下剋上の戦国時代、九州では“大友・龍造寺・島津”三つ巴の戦いが続いている。  大友家を支えるのが、足が不自由にもかかわらず、輿に乗って戦い、37戦常勝無敗を誇った“九州一の勇将”立花道雪と高橋紹運である。立花道雪は1人娘の誾千代姫に家督を譲るが、勢力争いで凋落する大友宗麟を支える為に高橋紹運の跡継ぎ統虎(立花宗茂)を婿に迎えた。  女城主として育てられた誾千代姫と統虎は激しく反目しあうが、父立花道雪の死で2人は強く結ばれた。  だが、立花道雪の死を好機と捉えた島津家は、九州制覇を目指して出陣する。大友宗麟は豊臣秀吉に出陣を願ったが、島津軍は5万の大軍で筑前へ向かった。  その島津軍5万に挑んだのが、高橋紹運率いる岩屋城736名である。岩屋城に籠る高橋軍は14日間も島津軍を翻弄し、最期は全員が壮絶な討ち死にを遂げた。命を賭けた時間稼ぎにより、秀吉軍は筑前に到着し、立花宗茂と立花城を救った。  島津軍は撤退したが、立花宗茂は5万の島津軍を追撃し、筑前国領主としての意地を果たした。豊臣秀吉は立花宗茂の武勇を讃え、“九州之一物”と呼び、多くの大名の前で激賞した。その後、豊臣秀吉は九州征伐・天下統一へと突き進んでいく。  その後の朝鮮征伐、関ヶ原の合戦で“立花宗茂”は己の仁義と意地の為に戦うこととなる。    

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

【時代小説】 黄昏夫婦

蔵屋
歴史・時代
 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

処理中です...