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第二章 木槿山の章
第24話 襲撃3
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「御家老様ぁ!」
喜助の大声を聞きつけて、家老よりも早く姉が彼の腕を掴んで引き留めた。
「しっ! 何やってんのよ、大声出して。勝孝さまの前でやらかしたばっかりでしょ、学習しなさい」
「あ、姉ちゃん、それどころじゃねえんだ、さっき――フガッ」
興奮する弟の口元を手でふさぎ、小夜は家老のところへと引き摺って行く。
「御家老様、小夜にございます」
「おお、入れ」
家老の声を聞いて、小夜は弟に「大声出さないこと!」とよく言い含めてから口をふさいでいた手を離す。
「御家老様、喜助から報告がございます」
「なんじゃ」
小夜は天井や庭の気配を窺ってから、弟に目配せする。喜助は姉と共にするりと部屋に身を滑り込ませ、文机の前に座る家老に膝でにじり寄った。思わず家老も小夜も同じようににじり寄り、三人頭を突き合わせる。
「姫にそっくりな娘を見つけました。家も確認しました」
「おお、でかした。して、どこに?」
「ここから一里と少し、柿ノ木川下流の稲荷の近くです」
「稲荷じゃと?」
家老が毛虫のようなモフモフの眉をひそめた。
「まさか親子結びのお狐様のことか?」
「御家老様知ってんのか?」
小夜が弟の腿をぴしゃりと叩いて「ご存知ですか、でしょ」と言うと、慌てて「御家老様ご存知なんですか」と言い直す。
「いやまあ知っているという程度じゃが」
「その娘の名前も聞いて来ました。狐杜って言うそうです」
「狐杜か」
「そりゃもうびっくりするくらいそっくりでした。ちょうどおいらが行った時、勝孝さまんとこのいつも一緒にいるナントカって人がいて、ええと……」
「十郎太じゃな?」
「それ! その人です。それで、ああっ!」
いきなり喜助が大声を出したので、家老と小夜は驚いてひっくり返った。
「何事じゃ」
喜助は大慌てで二人の袖を引っ張って顔を寄せると、これ以上は無いというほどに声を落とした。
「橘さまがいらしたんです」
「何じゃとおぉぉぉぉっ!」
「しーっ、しーつ」
「御家老様、声が大きゅうございます!」
「すまん、すまん」
また散り散りになった三人が頭を突き合わせる。
「橘が生きておったのじゃな?」
「はい。その狐杜という娘と一緒に。あと与平というのがいました。姉ちゃんくらいの」
「あたしくらいの歳だったんだね?」
「うん。十四、五ってとこ。狐杜の方は多分年下。姫様と同い年くらい」
「一緒に住んでるの?」
「わかんねえ。けどおいらが見たとき、その十郎太ってのともう一人、見るからに危なそうな男の人がいて、狐杜って子が殺されそうになって、与平って子が助けようとして頑張ってた。そこに橘さまが現れて、あっという間にやっつけちゃった。メチャクチャに強かったから、もしかしたら橘さまじゃないかもしれないけど、とにかくそっくりだった」
そこに家老がボソリと呟いた。
「いや、あれは強いぞ」
「え?」
「橘は剣の心得は全く無い。が、ただ強い」
二人が顔を見合わせていると、家老は何か納得したように言った。
「儂から橘に話してみよう」
「あそこのあばら家です」
翌朝早く喜助の案内で狐杜の家の近くまで来た家老は「こんなところに人が住めるのか?」とぼやいた。家老の自宅も相当ガタが来ているが、このあばら家はその比ではない。物置小屋にしか見えないその小さな建物に人が住んでいるというだけで、家老には足の進まぬ原因となる。
「おいらも城で働く前は姉ちゃんとあんな感じの小屋みたいなところで暮らしてたから。なんだか懐かしいや」
「まあ良い、行ってみよう」
外に人の気配はない。中に誰かいるのだろうか。出かけているかもしれない。中にいることを願って、家老はあばら家に声をかけてみる。
「御免! 誰かおらぬか」
返って来るのは蝉の声のみ。何度か呼んで、思い切って引き戸を滑らせる。建付けが悪く、引き戸ごと外れてしまいそうだが、文句を言う声もなかった。
出かけているらしい。すぐ隣にも似たようなあばら家がある。こちらは誰かいるかもしれない。家老は喜助を伴って隣へと声をかけた。
「御免!」
「はーい」
思わず家老と喜助は顔を見合わせた。
「脚が悪いんですよ、勝手に開けて入っとくんなさい」
女の声だ。不用心だと思いつつも家老は引き戸を開ける。
「狐杜殿の家はこちらで相違ないか」
「狐杜ちゃんならお隣だよ」
恰幅の良い三十過ぎらしい女が床の上で縫物をしている。恐らく仕立て屋なのだろう。
「今、寄ってみたのだがおらなんだ。どこへ行ったかご存じないか」
「あんたたちは狐杜ちゃんを狙ってる殺し屋かい?」
随分と度胸の据わった女だ。もしもそうなら自分も殺されるかもしれないというのに。
だが、そのあっけらかんとした物言いに、完全に毒気を抜かれてしまったのも事実である。家老に代わって喜助が前に出る。
「逆です。その殺し屋から守るために来たんです」
「あんた与平のお友達かい?」
「違います。おいらは柳澤さまのお城で庭師の見習いをやってる喜助と申します」
「申し遅れた。某は前柳澤城主、繁孝殿にお仕えしておった本間帯刀と申す。狐杜殿と与平殿のことは耳に挟んでおり、殺し屋が何者か目星もついておる。狐杜殿と話がしたいのじゃが」
女が「あら」と目を丸くした。
「本間帯刀さまといえば柳澤の御家老様じゃありませんか。仕立て屋のお袖と申します。柳澤さまには御贔屓にしていただいて」
「おお仕立て屋だったか。世間は狭いのう」
「あたしったら御家老様を殺し屋呼ばわりしちゃって、あいすみませんねぇ」
場の緊張感が一気に解け、家老は肩の力を抜いた。
「ところで狐杜殿じゃが。どちらへ参られた?」
「河原だと思いますよ。与平と一緒に魚を獲ってるんじゃないかしらねぇ、今あの子、左腕が利かないから狐杜ちゃんが手伝ってるはずですよ」
十郎太に襲われたときに怪我をしたか。
「さようか。では河原の方に行ってみることにしよう。邪魔をしたな」
そこまで言って、家老は橘のことを思い出した。
「ときにお袖殿、この辺りで五尺八寸ばかりの細身の大男を見なかったか?」
「五尺八寸? 月守さまのことですかねぇ」
「月守?」
「狐杜ちゃんと一緒に住んでるんですよ。ふた月ほど前に河原で倒れているのを狐杜ちゃんが見つけてね。それ以来あたしらの家族になったんですよ」
「家族……」
その言葉に家老は苦いものを感じた。橘は柳澤の城に帰るのが嫌なのだろうか。もう家族と認めていないのだろうか。
ふた月前と言えばあの襲撃の時だ、橘で間違いないだろう。
「すまん、邪魔したな」
今度こそ彼は喜助を連れて家を出た。
喜助の大声を聞きつけて、家老よりも早く姉が彼の腕を掴んで引き留めた。
「しっ! 何やってんのよ、大声出して。勝孝さまの前でやらかしたばっかりでしょ、学習しなさい」
「あ、姉ちゃん、それどころじゃねえんだ、さっき――フガッ」
興奮する弟の口元を手でふさぎ、小夜は家老のところへと引き摺って行く。
「御家老様、小夜にございます」
「おお、入れ」
家老の声を聞いて、小夜は弟に「大声出さないこと!」とよく言い含めてから口をふさいでいた手を離す。
「御家老様、喜助から報告がございます」
「なんじゃ」
小夜は天井や庭の気配を窺ってから、弟に目配せする。喜助は姉と共にするりと部屋に身を滑り込ませ、文机の前に座る家老に膝でにじり寄った。思わず家老も小夜も同じようににじり寄り、三人頭を突き合わせる。
「姫にそっくりな娘を見つけました。家も確認しました」
「おお、でかした。して、どこに?」
「ここから一里と少し、柿ノ木川下流の稲荷の近くです」
「稲荷じゃと?」
家老が毛虫のようなモフモフの眉をひそめた。
「まさか親子結びのお狐様のことか?」
「御家老様知ってんのか?」
小夜が弟の腿をぴしゃりと叩いて「ご存知ですか、でしょ」と言うと、慌てて「御家老様ご存知なんですか」と言い直す。
「いやまあ知っているという程度じゃが」
「その娘の名前も聞いて来ました。狐杜って言うそうです」
「狐杜か」
「そりゃもうびっくりするくらいそっくりでした。ちょうどおいらが行った時、勝孝さまんとこのいつも一緒にいるナントカって人がいて、ええと……」
「十郎太じゃな?」
「それ! その人です。それで、ああっ!」
いきなり喜助が大声を出したので、家老と小夜は驚いてひっくり返った。
「何事じゃ」
喜助は大慌てで二人の袖を引っ張って顔を寄せると、これ以上は無いというほどに声を落とした。
「橘さまがいらしたんです」
「何じゃとおぉぉぉぉっ!」
「しーっ、しーつ」
「御家老様、声が大きゅうございます!」
「すまん、すまん」
また散り散りになった三人が頭を突き合わせる。
「橘が生きておったのじゃな?」
「はい。その狐杜という娘と一緒に。あと与平というのがいました。姉ちゃんくらいの」
「あたしくらいの歳だったんだね?」
「うん。十四、五ってとこ。狐杜の方は多分年下。姫様と同い年くらい」
「一緒に住んでるの?」
「わかんねえ。けどおいらが見たとき、その十郎太ってのともう一人、見るからに危なそうな男の人がいて、狐杜って子が殺されそうになって、与平って子が助けようとして頑張ってた。そこに橘さまが現れて、あっという間にやっつけちゃった。メチャクチャに強かったから、もしかしたら橘さまじゃないかもしれないけど、とにかくそっくりだった」
そこに家老がボソリと呟いた。
「いや、あれは強いぞ」
「え?」
「橘は剣の心得は全く無い。が、ただ強い」
二人が顔を見合わせていると、家老は何か納得したように言った。
「儂から橘に話してみよう」
「あそこのあばら家です」
翌朝早く喜助の案内で狐杜の家の近くまで来た家老は「こんなところに人が住めるのか?」とぼやいた。家老の自宅も相当ガタが来ているが、このあばら家はその比ではない。物置小屋にしか見えないその小さな建物に人が住んでいるというだけで、家老には足の進まぬ原因となる。
「おいらも城で働く前は姉ちゃんとあんな感じの小屋みたいなところで暮らしてたから。なんだか懐かしいや」
「まあ良い、行ってみよう」
外に人の気配はない。中に誰かいるのだろうか。出かけているかもしれない。中にいることを願って、家老はあばら家に声をかけてみる。
「御免! 誰かおらぬか」
返って来るのは蝉の声のみ。何度か呼んで、思い切って引き戸を滑らせる。建付けが悪く、引き戸ごと外れてしまいそうだが、文句を言う声もなかった。
出かけているらしい。すぐ隣にも似たようなあばら家がある。こちらは誰かいるかもしれない。家老は喜助を伴って隣へと声をかけた。
「御免!」
「はーい」
思わず家老と喜助は顔を見合わせた。
「脚が悪いんですよ、勝手に開けて入っとくんなさい」
女の声だ。不用心だと思いつつも家老は引き戸を開ける。
「狐杜殿の家はこちらで相違ないか」
「狐杜ちゃんならお隣だよ」
恰幅の良い三十過ぎらしい女が床の上で縫物をしている。恐らく仕立て屋なのだろう。
「今、寄ってみたのだがおらなんだ。どこへ行ったかご存じないか」
「あんたたちは狐杜ちゃんを狙ってる殺し屋かい?」
随分と度胸の据わった女だ。もしもそうなら自分も殺されるかもしれないというのに。
だが、そのあっけらかんとした物言いに、完全に毒気を抜かれてしまったのも事実である。家老に代わって喜助が前に出る。
「逆です。その殺し屋から守るために来たんです」
「あんた与平のお友達かい?」
「違います。おいらは柳澤さまのお城で庭師の見習いをやってる喜助と申します」
「申し遅れた。某は前柳澤城主、繁孝殿にお仕えしておった本間帯刀と申す。狐杜殿と与平殿のことは耳に挟んでおり、殺し屋が何者か目星もついておる。狐杜殿と話がしたいのじゃが」
女が「あら」と目を丸くした。
「本間帯刀さまといえば柳澤の御家老様じゃありませんか。仕立て屋のお袖と申します。柳澤さまには御贔屓にしていただいて」
「おお仕立て屋だったか。世間は狭いのう」
「あたしったら御家老様を殺し屋呼ばわりしちゃって、あいすみませんねぇ」
場の緊張感が一気に解け、家老は肩の力を抜いた。
「ところで狐杜殿じゃが。どちらへ参られた?」
「河原だと思いますよ。与平と一緒に魚を獲ってるんじゃないかしらねぇ、今あの子、左腕が利かないから狐杜ちゃんが手伝ってるはずですよ」
十郎太に襲われたときに怪我をしたか。
「さようか。では河原の方に行ってみることにしよう。邪魔をしたな」
そこまで言って、家老は橘のことを思い出した。
「ときにお袖殿、この辺りで五尺八寸ばかりの細身の大男を見なかったか?」
「五尺八寸? 月守さまのことですかねぇ」
「月守?」
「狐杜ちゃんと一緒に住んでるんですよ。ふた月ほど前に河原で倒れているのを狐杜ちゃんが見つけてね。それ以来あたしらの家族になったんですよ」
「家族……」
その言葉に家老は苦いものを感じた。橘は柳澤の城に帰るのが嫌なのだろうか。もう家族と認めていないのだろうか。
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