柿ノ木川話譚1・狐杜の巻

如月芳美

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第二章 木槿山の章

第25話 秘匿1

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 狐杜らしき娘はすぐに見つかった。河原でやな漁をしている少年と少女がいたのだ。恐らくあれが狐杜と与平だろう。
「御家老様、まずはおいらが声をかけてみます」
「おお、そうじゃな」
 気を利かせた喜助が川の方へと走って行く。少年の方が先に気づき、屈んでいた腰を伸ばした。
 確かに十歳の喜助より四つ五つ年上に見える。喜助が何やら話すと、娘の方が近づいて頬被ほっかむりを取った。
 ――――!
 頬被りを外したその顔は、萩姫に瓜二つだったのだ。
 なんということか。家老は嫌な汗が背を伝うのを感じた。
 喜助が家老の方を向くと二人も視線を投げて寄越した。見慣れたはずの萩姫の顔が、家老に向かっておずおずと頭を下げた。赤の他人だと思うようにしていなければ、ついうっかり「姫」と声をかけてしまいそうだった。
 ようやく三人のところへたどり着いた家老は、狐杜の顔に釘付けになりながらも声を喉に引っかからせつつ言った。
「柳澤家前当主繫孝様が御息女、萩姫様にお仕えしておる家老の本間帯刀と申す。狐杜殿に話があって参った」
「殺し屋じゃなさそうだな」
 与平が疑うような目で見るが、喜助が「おいらが殺し屋に見えるか?」というのを聞いて警戒を解いたようだ。
「そなたの命を狙う者どもに心当たりがある。お袖殿にの耳にも入れたき話なれば、一度戻っては貰えぬか」
 きょとんとしていた狐杜はやっと話の意味を理解したらしく「あたしはいいけど、どうする、与平?」と少年に振った。
「いいよ。今日の漁は終わりだ。たいして獲れなかったから売りに行かずに夕餉ゆうげ用にしようぜ」
「ときに月守殿はどちらじゃ?」
 家老は敢えて『橘』ではなく『月守』と言ってみた。これには狐杜が答えた。
「月守さまは薬草を採りに行ってます。与平の傷を早く治してくれる薬草だって。あたしたちがここにいなければ家に戻って来るから大丈夫です」
 橘は確かに薬草にも詳しかったが、実際にそれを使っているのは見たことが無い。城には膏薬こうやくなどが常備されていたから、見る機会が無かったのかもしれない。今ならその知識を遺憾なく発揮するだろう。
 二人の後について行くものの、与平という少年はまだこちらに完全に気を許したわけではなさそうだ。殺されかけたのだから致し方あるまい。
 そういえば橘が城に入ったのもこれくらいの頃か。十二で城に仕えてさらに干支が一周した。あれも二十四になったか。
「与平殿は今いくつじゃ」
「おいらは十四」
 ではやはり狐杜殿は十二くらいか。
「あたしは十六」
「何? 狐杜殿の方が年上だと申すか」
「やっぱり年下に見えるよなぁ。おいらの方が二つも下なのによ」
「十二くらいかと」
「みんなそう言うぜ……痛てっ」
 与平の後ろ頭をバシッと叩いた狐杜が「うるさいなー」と怒る。
 見た目は姫と同じ十二くらいに見えるが、実はもう所帯を持ってもいい年頃だったか。中身が十二で見た目が十六なら姫と間違えられることも無かっただろうに、運のない。
 家の前まで来たところで、反対側からこちらに向かってくる男が見えた。
「橘さま……」
 喜助がすぐに反応した。
 確かにあの五尺八寸の細身の輪郭は橘だ。だが、どこか違う。纏っている空気というか雰囲気というか。
 そう、気配。
 そこに姿が見えているにもかかわらず、気配を感じない。人間の、いや、生きものとしての気配だ。向こう側から来なければ気付けなかったであろう。
 家老は橘との出会いを思い出した。
 あの時もまた橘は目の前にいながら気配を感じさせなかった。家具か障子か畳か、そんなものの一つのように、そこにいた。
 そして一瞬の後に強烈な殺意の塊となって家老に襲い掛かって来たのだ。
 だが当時の橘は家老の敵では無かった。発展途上の子供だったこともあるが、本間帯刀が人生で最も脂の乗った時期だったことの方が大きいだろう。
 それでも『剣を返せず』と言われた帯刀の刀を受け流したことは、当時の帯刀には衝撃的だった。
 そこであろうことか奥方様が声をかけたのだ。「そなた城で働く気はないか」と。
「あ、月守さまおかえりー!」
 狐杜があたりまえのように声をかけるが、その月守なる男は家老を見て怪訝に眉を寄せた。
「狐杜殿、こちらは?」
 声も橘そのものだ。だがもしも本当に橘ならば家老を目の前にこの台詞が吐けるとも思えない。
「こちらは柳澤さまのところの御家老様で本間さまだって。あたしたちに御用があっていらしたの。こっちは喜助、柳澤さまんとこの庭師さん」
「見習いだけど」
 慌てて喜助が付け加えると、月守は籠一杯の薬草を持ったまま静かに頭を垂れた。
「月守と申します」
「まぁ、立ち話もなんだし入ろうぜ、狭いけど」
 与平に言われて思い出したように五人はあばら家へと足を踏み入れた。
 
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