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第二章 木槿山の章
第26話 秘匿2
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さすがにこのあばら家に六人は狭い。与平と狐杜と喜助は入り口の土間に、月守と家老はお袖のいる部屋へと上がった。とは言え畳があるわけでもなく、板の間である。
「柳澤内部の話ゆえ、口外せずにおいていただきたいのじゃが」と前置きして、家老は話を始めた。
話は半年ほど前にさかのぼる。当時の柳澤城主であった繁孝が肺の病を拗らせて亡くなったのが全ての発端である。
争いを好まない繁孝は、武芸にはとんと縁がないものの学問に秀でており、穏やかな性格で民から慕われていた。
その繁孝には二人の子があった。十二歳になる姉の萩姫と幼い弟の桔梗丸である。
ここで問題が発生する。柳澤を誰が継ぐのかという話だ。
普通に考えれば桔梗丸であるが、まだ僅か五歳、城主とするには後見を立てなければならない。
そこで考えられるのが家老の本間帯刀か、二人の教育係として仕えていた橘不動という青年。姫も若も橘には非常になついており、彼自身も城に仕えて十二年、城のことなら隅から隅まで知るよくできた若者だった。そのため本間が橘を後見に推していたのである。
だが橘はそもそも柳澤とは何の縁もない人間で、難点があるとすればその一点のみであった。
繁孝には年子の弟、勝孝がいた。勝孝には十五になる勝宜という息子がいる。
繁孝亡き後、どこの馬の骨とも知れぬ教育係の若造を背後につけた五歳の若よりは、弟の勝孝か、その息子でちょうどいい年齢の勝宜が柳澤を継ぐべきだと勝孝本人が主張し始めたのである。
そもそも繁孝が柳澤当主であったのは僅か半年。父の孝平が亡くなってすぐに家督を継いだものの、繁孝自身もすぐに亡くなったのである。
もしも順が逆で、孝平よりも先に繁孝が亡くなっていれば勝孝が継いでいたかもしれない。そう考えれば勝孝の主張も理解できるが、それは所謂『たられば』の話であり、実際には繁孝が継ぎ、その後継に桔梗丸がいるのは間違いない。
そこで「桔梗丸が十二になるまで自分が柳澤の城とこの里を守る」と萩姫が代理として名乗りを上げたのである。
これに勝孝が黙っているわけがない。相手は子供、少々強く出れば引き下がるとでも思ったのか、「この勝孝では不服と申すか」詰め寄った。だが姫も負けじと「逆に問いますが、叔父上はこのわたくしでは不服だと仰せですか」と涼しい顔で切り返し、両者の間に決定的な深い溝ができてしまった。
「姫に下がる気が無いと見た勝孝は、姫を暗殺する計画を企てたのじゃ。それがふた月前、菖蒲の香るころじゃったな、喜助?」
「はい、御家老様」
それまで黙って聞いていた狐杜は「それで姫様はどうなったんですか?」と食い付くように続きを促した。
「うむ。最初は毒を盛ろうと企んだ。城に新しい女中が入ってのう。まだ十四の娘だが、勝孝の雇った娘じゃ。姫の食事に毒を仕込むよう命ぜられておった」
「十四って、おいらと同い年かよ」
驚いたように与平が聞き返す。住む世界が違うというのはこういうことなのだ。
「で、毒入りご飯食べちゃったの? 姫様」
「いや。勝孝が何かしら仕掛けてくるはずだと睨んだ橘が毎日注意しておってな。食事に何かを入れようとしている新人の女中を捕まえて白状させたゆえ、事なきを得た。橘が機転を利かせておらなんだら、今頃姫はこの世にはおるまいて」
「橘さまは賢いお方なんですね」
「そりゃもう。儂がおらなんでも、あの城に橘がおる限りは安泰じゃ。だがそうも言っておれなくなってのう」
家老は腕を組んでゆらゆらと首を振った。
「その後すぐに曲者騒ぎがあった。姫を狙ったと思われる賊が屋敷に侵入したのじゃ。このとき若様は母上にして亡き父繁孝殿の奥方様であられるお初の方とともにおって、この喜助に身の回りの世話をさせておった。姫には橘がついておったゆえ大事には至らなかったが、橘が一計を講じての」
大きなため息をつくと、家老は再び言葉を継いだ。
「例の毒を盛ろうとしていた小夜という女中に姫のふりをさせ、わざと外に出て敵を山奥の方へと引き付けたのじゃ。二人は敵に囲まれ、橘は応戦したが傷を負ってしもうた。追っ手を振り払い、その間に小夜を城へ戻らせ、その後橘は敵にわざと追いつかせ、姫の羽織を抱いて川へ飛び込んだのじゃ。前日の雨で川が増水していた時だったのう」
それを聞いて与平が目を剥いた。
「おい、ちょっと待てよ。橘って人は怪我したまま増水した川に飛び込んだんだろ? もう生きてないんじゃないのか?」
「そうじゃな、敵に死んだと思わせるためにそうしたのであろう。姫の羽織を抱いて飛び込んだのも時間稼ぎかもしれん」
「そんで、その橘さまの安否はまだわかんねえのか」
与平につっこまれ、家老は居心地悪く月守をちらと見ながら「まだ見つかってはおらぬが、儂らは橘が生きていると思うておる」と返した。
そこで狐杜が「そっか!」と手を打った。
「姫様は橘さまって人と一緒に川に飛び込んだと思われているから、勝孝さまは何が何でも姫様を探し出して確実に殺してしまいたいのね」
「そんで狐杜がその姫様に似てるってんで、勝孝さまに狙われてるってことか」
与平が話をまとめると、家老がそうだと頷いた。
「柳澤内部の話ゆえ、口外せずにおいていただきたいのじゃが」と前置きして、家老は話を始めた。
話は半年ほど前にさかのぼる。当時の柳澤城主であった繁孝が肺の病を拗らせて亡くなったのが全ての発端である。
争いを好まない繁孝は、武芸にはとんと縁がないものの学問に秀でており、穏やかな性格で民から慕われていた。
その繁孝には二人の子があった。十二歳になる姉の萩姫と幼い弟の桔梗丸である。
ここで問題が発生する。柳澤を誰が継ぐのかという話だ。
普通に考えれば桔梗丸であるが、まだ僅か五歳、城主とするには後見を立てなければならない。
そこで考えられるのが家老の本間帯刀か、二人の教育係として仕えていた橘不動という青年。姫も若も橘には非常になついており、彼自身も城に仕えて十二年、城のことなら隅から隅まで知るよくできた若者だった。そのため本間が橘を後見に推していたのである。
だが橘はそもそも柳澤とは何の縁もない人間で、難点があるとすればその一点のみであった。
繁孝には年子の弟、勝孝がいた。勝孝には十五になる勝宜という息子がいる。
繁孝亡き後、どこの馬の骨とも知れぬ教育係の若造を背後につけた五歳の若よりは、弟の勝孝か、その息子でちょうどいい年齢の勝宜が柳澤を継ぐべきだと勝孝本人が主張し始めたのである。
そもそも繁孝が柳澤当主であったのは僅か半年。父の孝平が亡くなってすぐに家督を継いだものの、繁孝自身もすぐに亡くなったのである。
もしも順が逆で、孝平よりも先に繁孝が亡くなっていれば勝孝が継いでいたかもしれない。そう考えれば勝孝の主張も理解できるが、それは所謂『たられば』の話であり、実際には繁孝が継ぎ、その後継に桔梗丸がいるのは間違いない。
そこで「桔梗丸が十二になるまで自分が柳澤の城とこの里を守る」と萩姫が代理として名乗りを上げたのである。
これに勝孝が黙っているわけがない。相手は子供、少々強く出れば引き下がるとでも思ったのか、「この勝孝では不服と申すか」詰め寄った。だが姫も負けじと「逆に問いますが、叔父上はこのわたくしでは不服だと仰せですか」と涼しい顔で切り返し、両者の間に決定的な深い溝ができてしまった。
「姫に下がる気が無いと見た勝孝は、姫を暗殺する計画を企てたのじゃ。それがふた月前、菖蒲の香るころじゃったな、喜助?」
「はい、御家老様」
それまで黙って聞いていた狐杜は「それで姫様はどうなったんですか?」と食い付くように続きを促した。
「うむ。最初は毒を盛ろうと企んだ。城に新しい女中が入ってのう。まだ十四の娘だが、勝孝の雇った娘じゃ。姫の食事に毒を仕込むよう命ぜられておった」
「十四って、おいらと同い年かよ」
驚いたように与平が聞き返す。住む世界が違うというのはこういうことなのだ。
「で、毒入りご飯食べちゃったの? 姫様」
「いや。勝孝が何かしら仕掛けてくるはずだと睨んだ橘が毎日注意しておってな。食事に何かを入れようとしている新人の女中を捕まえて白状させたゆえ、事なきを得た。橘が機転を利かせておらなんだら、今頃姫はこの世にはおるまいて」
「橘さまは賢いお方なんですね」
「そりゃもう。儂がおらなんでも、あの城に橘がおる限りは安泰じゃ。だがそうも言っておれなくなってのう」
家老は腕を組んでゆらゆらと首を振った。
「その後すぐに曲者騒ぎがあった。姫を狙ったと思われる賊が屋敷に侵入したのじゃ。このとき若様は母上にして亡き父繁孝殿の奥方様であられるお初の方とともにおって、この喜助に身の回りの世話をさせておった。姫には橘がついておったゆえ大事には至らなかったが、橘が一計を講じての」
大きなため息をつくと、家老は再び言葉を継いだ。
「例の毒を盛ろうとしていた小夜という女中に姫のふりをさせ、わざと外に出て敵を山奥の方へと引き付けたのじゃ。二人は敵に囲まれ、橘は応戦したが傷を負ってしもうた。追っ手を振り払い、その間に小夜を城へ戻らせ、その後橘は敵にわざと追いつかせ、姫の羽織を抱いて川へ飛び込んだのじゃ。前日の雨で川が増水していた時だったのう」
それを聞いて与平が目を剥いた。
「おい、ちょっと待てよ。橘って人は怪我したまま増水した川に飛び込んだんだろ? もう生きてないんじゃないのか?」
「そうじゃな、敵に死んだと思わせるためにそうしたのであろう。姫の羽織を抱いて飛び込んだのも時間稼ぎかもしれん」
「そんで、その橘さまの安否はまだわかんねえのか」
与平につっこまれ、家老は居心地悪く月守をちらと見ながら「まだ見つかってはおらぬが、儂らは橘が生きていると思うておる」と返した。
そこで狐杜が「そっか!」と手を打った。
「姫様は橘さまって人と一緒に川に飛び込んだと思われているから、勝孝さまは何が何でも姫様を探し出して確実に殺してしまいたいのね」
「そんで狐杜がその姫様に似てるってんで、勝孝さまに狙われてるってことか」
与平が話をまとめると、家老がそうだと頷いた。
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