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第二章 木槿山の章
第27話 秘匿3
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「勘弁してくれよ、おいらなんか二度も殺されかけたんだぜ」
「二度とな?」
「ああ、一度目はきちんとした恰好のお侍さんだった。そん時この左腕をちょっとやられたんだ」
「ちょっとじゃないよ! 凄い痛そうだったから、そこら辺にぶつけないようにって、月守さまが添え木をしてくれたんじゃない」
その月守は表情一つ変えずに座ったまま、全く声を発していない。
「二度目が昨日でね、浪人風の人が来て、あの人は本当に危なそうな人だったの。真っ直ぐ最短距離でこっちに向かってきて、あたしびっくりして身動き取れなかったんだけど与平が間に割り込んでくれてね」
「すげえ」
喜助が尊敬の眼差しと共に声を上げると、狐杜が「でしょ!」と受ける。
「夢中だったけど、この添え木で受け止めたからおいらは何ともなかったんだ」
「だけど少し前に怪我したところだろ? 普通は怪我したところなんて無意識に守るもんだぜ、それを盾にしちゃったんだろ? 与平兄ちゃんすげえや」
「は? 兄ちゃん?」
知らぬ間に与平は兄ちゃん扱いになっている。姉の小夜と与平が同い年なのもあって、喜助には兄のような立ち位置なのかもしれない。初対面ではあるが。
「それでは最初の日に来たのと昨日来たのは別人なのじゃな?」
「そうじゃねえ。最初はお侍さんみたいなのが一人で来たんだ。昨日は最初のお侍さんと浪人風のが二人で来てた。浪人ぽいのがおいらを斬ったつもりが添え木に当たって一瞬ひるんだんだよ。その隙に月守がさっとやって来て、三つ数える間に浪人を倒しちゃった。そんで隠れてたお侍さんを引きずり出して、『浪人を連れて帰れ』って。月守めちゃめちゃカッコいいんだぜ」
喜助はうんうんと頷いている。昨日のできごとを目撃した本人としては、あれが橘とは到底思えない。
「侍の方は恐らく勝孝の右腕の十郎太であろうな。一度目の時は十郎太が一人でやって来てお主が追い返したのじゃな?」
「いや、そんときも月守が来てくれた。言っとくけど二度とも月守丸腰だぜ?」
相変わらず月守は静かに座っているだけで微動だにしない。木彫りの仏像かと思うほどである。
そう言えば――と、家老は思い出す。橘と名付けたのは家老だった。自らを左近の桜、彼を右近の橘になぞらえたのだ。
橘右近とでも呼ぶかと思っていたが、じっと座って思案に耽っている時の彼はまるで仏像のように微動だにしないので、知らぬ間に橘不動と呼ばれるようになっていたのだ。
今、目の前にいる月守がまるでそうであるかのように。
「月守殿、不躾なようじゃが一つ答えて貰いたい。そなたはずっとここにお住まいか?」
本題に入った――と喜助が構えた。
「いえ、ふた月ほど前よりここで世話になっております」
「河原に倒れてたの。それであたしんちで治るまで見てたんだけど、月守さま、お家がわからないからここで家族になろうって」
狐杜の説明に、家老が「家がわからん?」と聞き返す。
「名前も思い出せなかったんだよね。それであたしが月守さまって名付けたの。いい名前でしょ」
狐杜があっけらかんと言い放った内容は、家老と喜助を納得させるのに十分過ぎた。
「記憶を失ったようで、自分が何者か、名前も家も仕事も何もかも思い出せないのです。本間殿、私はその橘なのでしょうか」
「そうじゃのう、儂はそんな気もするが」
不服そうな狐杜を制して与平が「ここまで聞きゃあ、それしかねえだろ」と割って入った。
「ふた月前の大雨の翌日、増水してるところに飛び込んだんだろ? あん時はおいらたちも水が中途半端に濁ってる方が魚が獲れるって話をしてたんだ。その時に月守を拾った。脇腹に刺し傷が一つ、あとは流されてきたときにあちこちぶつけたと思われる小さい傷と青あざ。柳澤さまのお城ってこの川の上流だろ」
そこで、それまで仕事をしながら話を聞いていたお袖が手を止めた。
「ちょいと待っとくれよ。あたしゃそれは納得いかないねぇ。与平の言うのも一理あるけどね、その橘さまはお城にお勤めしてたんだろ? 城勤めの人が草履や傘なんか作るのかい? 月守さまは草履作りの名人で、町一番の大店の松原屋さんで『月守草履』って名前で売られるほどの人気なんだよ」
「そうだった! 月守さま、草履の他にも傘とか籠とかいろいろ作れるの。薬草にも詳しいし」
「それだけじゃねえよ。月守は昔のことを一つだけ覚えてたんだ。芋と稗の粥を作った時に『これはいいことがあった時のご馳走だった』って言ったんだ。柳澤の城はそんなに貧乏か?」
家老は慌てて「とんでもない」と首を横に振る。喜助のような使い走りの小僧にも、もっとまともなものを食べさせている。
「でも、それだと月守の脇腹の傷はどう説明するんだ? 明らかに刃物の傷だったぜ。綺麗に切れてたから治りも早かったんだ」
与平が言うのへ、喜助が被せる。
「それに橘さまは学問には秀でてるけど、武芸は縁がない感じだったし」
だんだんイライラして来たらしい狐杜が「もう!」と与平を睨んだ。
「二度とな?」
「ああ、一度目はきちんとした恰好のお侍さんだった。そん時この左腕をちょっとやられたんだ」
「ちょっとじゃないよ! 凄い痛そうだったから、そこら辺にぶつけないようにって、月守さまが添え木をしてくれたんじゃない」
その月守は表情一つ変えずに座ったまま、全く声を発していない。
「二度目が昨日でね、浪人風の人が来て、あの人は本当に危なそうな人だったの。真っ直ぐ最短距離でこっちに向かってきて、あたしびっくりして身動き取れなかったんだけど与平が間に割り込んでくれてね」
「すげえ」
喜助が尊敬の眼差しと共に声を上げると、狐杜が「でしょ!」と受ける。
「夢中だったけど、この添え木で受け止めたからおいらは何ともなかったんだ」
「だけど少し前に怪我したところだろ? 普通は怪我したところなんて無意識に守るもんだぜ、それを盾にしちゃったんだろ? 与平兄ちゃんすげえや」
「は? 兄ちゃん?」
知らぬ間に与平は兄ちゃん扱いになっている。姉の小夜と与平が同い年なのもあって、喜助には兄のような立ち位置なのかもしれない。初対面ではあるが。
「それでは最初の日に来たのと昨日来たのは別人なのじゃな?」
「そうじゃねえ。最初はお侍さんみたいなのが一人で来たんだ。昨日は最初のお侍さんと浪人風のが二人で来てた。浪人ぽいのがおいらを斬ったつもりが添え木に当たって一瞬ひるんだんだよ。その隙に月守がさっとやって来て、三つ数える間に浪人を倒しちゃった。そんで隠れてたお侍さんを引きずり出して、『浪人を連れて帰れ』って。月守めちゃめちゃカッコいいんだぜ」
喜助はうんうんと頷いている。昨日のできごとを目撃した本人としては、あれが橘とは到底思えない。
「侍の方は恐らく勝孝の右腕の十郎太であろうな。一度目の時は十郎太が一人でやって来てお主が追い返したのじゃな?」
「いや、そんときも月守が来てくれた。言っとくけど二度とも月守丸腰だぜ?」
相変わらず月守は静かに座っているだけで微動だにしない。木彫りの仏像かと思うほどである。
そう言えば――と、家老は思い出す。橘と名付けたのは家老だった。自らを左近の桜、彼を右近の橘になぞらえたのだ。
橘右近とでも呼ぶかと思っていたが、じっと座って思案に耽っている時の彼はまるで仏像のように微動だにしないので、知らぬ間に橘不動と呼ばれるようになっていたのだ。
今、目の前にいる月守がまるでそうであるかのように。
「月守殿、不躾なようじゃが一つ答えて貰いたい。そなたはずっとここにお住まいか?」
本題に入った――と喜助が構えた。
「いえ、ふた月ほど前よりここで世話になっております」
「河原に倒れてたの。それであたしんちで治るまで見てたんだけど、月守さま、お家がわからないからここで家族になろうって」
狐杜の説明に、家老が「家がわからん?」と聞き返す。
「名前も思い出せなかったんだよね。それであたしが月守さまって名付けたの。いい名前でしょ」
狐杜があっけらかんと言い放った内容は、家老と喜助を納得させるのに十分過ぎた。
「記憶を失ったようで、自分が何者か、名前も家も仕事も何もかも思い出せないのです。本間殿、私はその橘なのでしょうか」
「そうじゃのう、儂はそんな気もするが」
不服そうな狐杜を制して与平が「ここまで聞きゃあ、それしかねえだろ」と割って入った。
「ふた月前の大雨の翌日、増水してるところに飛び込んだんだろ? あん時はおいらたちも水が中途半端に濁ってる方が魚が獲れるって話をしてたんだ。その時に月守を拾った。脇腹に刺し傷が一つ、あとは流されてきたときにあちこちぶつけたと思われる小さい傷と青あざ。柳澤さまのお城ってこの川の上流だろ」
そこで、それまで仕事をしながら話を聞いていたお袖が手を止めた。
「ちょいと待っとくれよ。あたしゃそれは納得いかないねぇ。与平の言うのも一理あるけどね、その橘さまはお城にお勤めしてたんだろ? 城勤めの人が草履や傘なんか作るのかい? 月守さまは草履作りの名人で、町一番の大店の松原屋さんで『月守草履』って名前で売られるほどの人気なんだよ」
「そうだった! 月守さま、草履の他にも傘とか籠とかいろいろ作れるの。薬草にも詳しいし」
「それだけじゃねえよ。月守は昔のことを一つだけ覚えてたんだ。芋と稗の粥を作った時に『これはいいことがあった時のご馳走だった』って言ったんだ。柳澤の城はそんなに貧乏か?」
家老は慌てて「とんでもない」と首を横に振る。喜助のような使い走りの小僧にも、もっとまともなものを食べさせている。
「でも、それだと月守の脇腹の傷はどう説明するんだ? 明らかに刃物の傷だったぜ。綺麗に切れてたから治りも早かったんだ」
与平が言うのへ、喜助が被せる。
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