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第一章 お玉の憂鬱
第一話
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「潮~来~ 出島~の 真菰~の~ 中~に~」
いつものように調子っぱずれの小唄を口ずさみながら、三郎太は蝋梅の咲く椎ノ木川沿いを歩いていた。ふいご箱を背負っているところを見ると、今日は鋳掛屋のようである。
この男、手先が器用でなんでもする。ここ柏原の町では『なんでも屋の三郎太』を知らない者は、流れ者か生まれたばかりの赤ん坊だけだとさえ言われている。
柏原の町は柿ノ木川沿いの五つの町の中でも真ん中に位置し、お殿様のお城は無いにしろ、大名主佐倉様と岡っ引きの勝五郎が目を光らせている比較的安全で平和な町である。
この柏原の中央には柿ノ木川の支流である椎の木川が流れており、水上運輸にも役立っている。とは言え、ここの河原は子供たちの遊び場だったり、男女の逢引の場所だったり、老人の散歩道だったりもする。そして三郎太にとっては、仕事途中の休憩場所にもなる。
「そういえば、去年の春もここで鼻歌を歌ってたなぁ。それで土左衛門が上がったところに居合わせちまったんだ。もう一年か、早いなぁ。おいらも禿げる訳だ」
実際髪はかなり薄くなってきてはいるが、これは体質によるものであり、彼は子供の頃から少々髪が薄かった。それを気にしつつもこの歳まで禿げずに来たのだから、案外誰よりも最後まで髪があるかもしれない。
去年ここで会った少年は凍夜と言って、そのとき上がった土左衛門の息子だった。身寄りのない彼を引き取ってしばらく一緒に暮らしたこともあったが、その後いろいろあって出て行ってしまった。その時に事件に巻き込まれた三郎太は大怪我を負い、少し前にやっと動けるようになったばかりだった。町の人達もそれを知っているので、いくら『なんでも屋』と言ってもあまり無茶な仕事は頼まない。それもこれも三郎太の人格のなせる業だった。
験を担ぐ三郎太は、ここで鼻歌を歌って事件に巻き込まれたことを思い出し、急いでここを離れようとした。
が、視界に飛び込んできたコロンとした背中があった。それは彼のよく知る人だった。
「お玉ちゃんじゃねえかい?」
声をかけられた丸い背中はびくっと伸びて、彼の方を振り返った。履物商の榎屋の娘、お玉だった。名は体を表すとはよく言ったもので、彼女の場合は特にそれが顕著だった。
それにしては元気印のお玉がしぼんでいる。いつもなら「あら、三郎太さんじゃないの!」と走って(転がって?)来るような子なのに、今日は振り返ってちょっと頭を下げただけだった。
こうなるとお節介焼きの血が騒いでしまうのが三郎太だ。こんな元気のないお玉を見て素通りできるような男ではない。自分の半分くらいしか生きていないお玉のそばに腰を下ろすと「どうしたい?」と声をかけた。
「お玉ちゃんらしくねえな。何か悩みでもあるのかい? おいらで良かったら聞くくらいはできるぜ」
「ありがとう、三郎太さん。あのね、母のことなの」
お玉は齢十七、おっ母さんは確か四十路に入ったばかりだったはずだ。
「おっ母さん、もう先が長くないらしいの」
「え? あのおかみさんがかい?」
「そう」
お玉のおっ母さんである榎屋のおかみさんは、お玉とよく似た真ん丸の体格で、普通に歩いても跳ねているか転がっているように見える人だ。いつも朗らかで、お天道様のような人だというのに、一体何があったのか。
「月の障りが長引いて。っていうか、もうずっと月の障りで、いっそ年の障りって感じで」
「ごめん、おいらは 月の障りには縁がなくってわかんねえんだが」
当たり前だ。男に月の障りがあったら男でも子を宿せるようになってしまう。それはもはや男ではない。
「月の障りってね、毎月一度来るけど、三日から六日くらいで終わるのよ。それがね、おっ母さんの場合いつまで経っても終わりゃしないのよ」
「それじゃ血がなくなっちまうんじゃねえのかい」
お玉は小さくうなずいた。
「そうなの。あんまり具合が悪そうだから暗黒斎先生に診ていただいたの」
「ああ、あの自称ヤブ医者な」
暗黒斎先生は柏原唯一の医師である。本道(内科)のほか外道も得意としている。医者は名字帯刀が許されているが、彼は暗黒斎とだけ名乗っている。それすら本名ではないらしい。甘味が大好きでいつも餡子の匂いをさせていたことから『餡子臭い』と言われ、ついでに『暗黒斎(あんこくさい)』と名乗るようになってしまったという一風変わったお医者様である。ヤブ医者を自称しているが、なかなかどうして名医で知られている。
「うん、腕はいいって評判だから行ってみたんだけど……血の道症の中でも最悪なやつだって。大きな腫れものがあるっていうの。触っただけでもわかるような大きなのがいくつも。それが多分、体じゅうのあちこちにできてしまってるから、もう自分には助けられないって。匙投げられちゃった」
暗黒斎先生が匙を投げるというのはよほどのことだ。あの先生は病を三種類に分ける。一つは自分で治せる病、一つは何もしなくても時間が経てば治る病、一つは何をどうやっても治らない病だ。
先生は自分で治せる病には手を出す。時間が治す病――四十肩など――は放っておく。匙を投げるものは手の出しようがない、つまりお玉のおっ母さんは手遅れだということだ。
「そうかぁ。すまねえな、さすがにおいらは月の障りのことはわかんねえからな」
「ううん。こっちこそ変な事を聞かせちゃってごめんなさい。三郎太さんに聞いて貰ったら、少し元気が出て来た。帰らなきゃ。おっ母さんが待ってる」
「おいらが榎屋さんまで送っていくよ」
結局三郎太はお玉を送って行ったが、いつも榎屋さんの店先でちょこまかと働いていた樽のようなおかみさんを見ることは無かった。
いつものように調子っぱずれの小唄を口ずさみながら、三郎太は蝋梅の咲く椎ノ木川沿いを歩いていた。ふいご箱を背負っているところを見ると、今日は鋳掛屋のようである。
この男、手先が器用でなんでもする。ここ柏原の町では『なんでも屋の三郎太』を知らない者は、流れ者か生まれたばかりの赤ん坊だけだとさえ言われている。
柏原の町は柿ノ木川沿いの五つの町の中でも真ん中に位置し、お殿様のお城は無いにしろ、大名主佐倉様と岡っ引きの勝五郎が目を光らせている比較的安全で平和な町である。
この柏原の中央には柿ノ木川の支流である椎の木川が流れており、水上運輸にも役立っている。とは言え、ここの河原は子供たちの遊び場だったり、男女の逢引の場所だったり、老人の散歩道だったりもする。そして三郎太にとっては、仕事途中の休憩場所にもなる。
「そういえば、去年の春もここで鼻歌を歌ってたなぁ。それで土左衛門が上がったところに居合わせちまったんだ。もう一年か、早いなぁ。おいらも禿げる訳だ」
実際髪はかなり薄くなってきてはいるが、これは体質によるものであり、彼は子供の頃から少々髪が薄かった。それを気にしつつもこの歳まで禿げずに来たのだから、案外誰よりも最後まで髪があるかもしれない。
去年ここで会った少年は凍夜と言って、そのとき上がった土左衛門の息子だった。身寄りのない彼を引き取ってしばらく一緒に暮らしたこともあったが、その後いろいろあって出て行ってしまった。その時に事件に巻き込まれた三郎太は大怪我を負い、少し前にやっと動けるようになったばかりだった。町の人達もそれを知っているので、いくら『なんでも屋』と言ってもあまり無茶な仕事は頼まない。それもこれも三郎太の人格のなせる業だった。
験を担ぐ三郎太は、ここで鼻歌を歌って事件に巻き込まれたことを思い出し、急いでここを離れようとした。
が、視界に飛び込んできたコロンとした背中があった。それは彼のよく知る人だった。
「お玉ちゃんじゃねえかい?」
声をかけられた丸い背中はびくっと伸びて、彼の方を振り返った。履物商の榎屋の娘、お玉だった。名は体を表すとはよく言ったもので、彼女の場合は特にそれが顕著だった。
それにしては元気印のお玉がしぼんでいる。いつもなら「あら、三郎太さんじゃないの!」と走って(転がって?)来るような子なのに、今日は振り返ってちょっと頭を下げただけだった。
こうなるとお節介焼きの血が騒いでしまうのが三郎太だ。こんな元気のないお玉を見て素通りできるような男ではない。自分の半分くらいしか生きていないお玉のそばに腰を下ろすと「どうしたい?」と声をかけた。
「お玉ちゃんらしくねえな。何か悩みでもあるのかい? おいらで良かったら聞くくらいはできるぜ」
「ありがとう、三郎太さん。あのね、母のことなの」
お玉は齢十七、おっ母さんは確か四十路に入ったばかりだったはずだ。
「おっ母さん、もう先が長くないらしいの」
「え? あのおかみさんがかい?」
「そう」
お玉のおっ母さんである榎屋のおかみさんは、お玉とよく似た真ん丸の体格で、普通に歩いても跳ねているか転がっているように見える人だ。いつも朗らかで、お天道様のような人だというのに、一体何があったのか。
「月の障りが長引いて。っていうか、もうずっと月の障りで、いっそ年の障りって感じで」
「ごめん、おいらは 月の障りには縁がなくってわかんねえんだが」
当たり前だ。男に月の障りがあったら男でも子を宿せるようになってしまう。それはもはや男ではない。
「月の障りってね、毎月一度来るけど、三日から六日くらいで終わるのよ。それがね、おっ母さんの場合いつまで経っても終わりゃしないのよ」
「それじゃ血がなくなっちまうんじゃねえのかい」
お玉は小さくうなずいた。
「そうなの。あんまり具合が悪そうだから暗黒斎先生に診ていただいたの」
「ああ、あの自称ヤブ医者な」
暗黒斎先生は柏原唯一の医師である。本道(内科)のほか外道も得意としている。医者は名字帯刀が許されているが、彼は暗黒斎とだけ名乗っている。それすら本名ではないらしい。甘味が大好きでいつも餡子の匂いをさせていたことから『餡子臭い』と言われ、ついでに『暗黒斎(あんこくさい)』と名乗るようになってしまったという一風変わったお医者様である。ヤブ医者を自称しているが、なかなかどうして名医で知られている。
「うん、腕はいいって評判だから行ってみたんだけど……血の道症の中でも最悪なやつだって。大きな腫れものがあるっていうの。触っただけでもわかるような大きなのがいくつも。それが多分、体じゅうのあちこちにできてしまってるから、もう自分には助けられないって。匙投げられちゃった」
暗黒斎先生が匙を投げるというのはよほどのことだ。あの先生は病を三種類に分ける。一つは自分で治せる病、一つは何もしなくても時間が経てば治る病、一つは何をどうやっても治らない病だ。
先生は自分で治せる病には手を出す。時間が治す病――四十肩など――は放っておく。匙を投げるものは手の出しようがない、つまりお玉のおっ母さんは手遅れだということだ。
「そうかぁ。すまねえな、さすがにおいらは月の障りのことはわかんねえからな」
「ううん。こっちこそ変な事を聞かせちゃってごめんなさい。三郎太さんに聞いて貰ったら、少し元気が出て来た。帰らなきゃ。おっ母さんが待ってる」
「おいらが榎屋さんまで送っていくよ」
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