柿ノ木川話譚5・お恵の巻

如月芳美

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第二章 お恵の初仕事

第七話

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 悠が栄吉と一緒に家の前で目刺しを焼いていると、お恵がやって来た。
「悠さん、栄吉さん、こんばんは」
「やあ、お恵ちゃんじゃないか。そういう時は栄吉さんを先に言うもんだよ。年長者は敬うもんだ」
 栄吉は漬け物石のような顔をさらに梅干しでも漬けているような顔にして言った。
「年寄りみたいに言うな。あっしはまだ三十五だ」
「嘘をお言いでないよ。栄吉さん今年五十四じゃないか」
「気持ちはまだ三十五なんだ」
「そんな三十五がいるもんかい」
「ねえ、悠さん。年寄りは敬うんじゃなかったの?」
「年寄り言うな。年長者だ。しかも三十五」
鬼灯ほおずき長屋のおよし婆さんみたいなこと言わないどくれよ」
「あのばばぁは皺くちゃのくせに恥ずかしげもなく十四だとか言いやがる。一緒にすんな」
 五十歩百歩である。
「どうしたんだい、目刺しでも食べるかい?」
「ううん。あのね、悠さんにお願いがあるの」
「なんだい? お恵ちゃんの頼みなら一肌脱ぐよ」
「てめえは全部脱ぐだろうが」
「嫌だよ、やたらめったら脱いだんじゃあ、ありがたみがないって柏華楼で仕込まれたんだ。ここ一番て時まで肘から上だって見せるもんかい」
「そもそも頼んでないから!」
 この長屋の連中はなかなか用件に辿り着かないが、まだ三郎太がいないだけマシだろう。彼がいるとどんどん脱線してしまう。
「読み書きを教えることになったの」
「へえ、遂に寺子屋の師匠になるのかい」
「ううん。あたしが通いで教えに行くの。六つから十二までの子供五人」
 悠が七輪の火を扇いでいた団扇を止めて訝しげに上目遣いで見る。
「男の子じゃないだろうね」
「全員男の子よ」
 取り澄まして言うお恵に、悠が目ん玉をひん剥いた。
「そりゃあいけない。三郎太の兄さんを護衛につけないと」
「なんで三郎太なんでえ」
「栄吉さんはぎっくり腰だからさ」
「おめえが行けばいいじゃねえか」
「お恵ちゃんが嫌がるじゃないのさ」
「そうね」
 そこは是非とも否定して欲しいところではある。
「それでね、読み書きを教えるのに絵が欲しいの。いろは順に全部。『い』なら猪。『ろ』なら蝋燭ろうそく、『は』なら花って感じで。ちゃんとお代は払うわ」
「仕事ってことだね」
「そうよ」
 遂にお恵も仕事をするようになったかと、悠は感無量である。
「わかった。仕事なら最優先で請け負うよ。何の絵がいいか後で知らせておくれよ、その絵を描くから」
「紙も持って来るからそれに大きく描いてくれる?」
「またおいらの髪の話をしてるな?」
 唐突に背後から三郎太が現れた。
「てめえの話はしてねえ」
「兄さんお帰りなさい。今お恵ちゃんから仕事を貰ってたんですよ。髪じゃなくて紙ですよ。絵を描く方」
「なんだよ紛らわしいな」
 紛らわしいのは三郎太である。が、そこを指摘すると話がまたおかしな方向へ行くので誰も何も言わない。それが枝鳴長屋の暗黙の掟である。
「で、何でお恵ちゃんが絵なんか?」
「読み書きを教えることになったの。だからその為に絵が欲しいんだ」
「こいつぁたまげたもんだよ屋根屋のふんどし、どこで教えるんだい?」
「甚六さんちの五人の子ども」
 三郎太は「甚六?」と首を傾げたが、すぐにポンと膝を打った。
「ああ、松清堂の麻酔薬作ってた人だろ。あすこが火事になる一年くらい前に辞めてった人だ。楢岡に引っ込んだって聞いたけどな」
 三郎太の情報網はいったいどうなっているのか、柿ノ木川の郷のことで彼が知らないことなどあるのだろうか。
 だが、真っ先に悠が反応した。
「楢岡だって?」
「うん、そうよ」
「一人で行くのかい?」
「そのつもりだけど」
 お恵がけろりとして言うと、栄吉が渋い顔を見せる。
「そりゃあ良くねえな」
「どうして?」
「悠が心配する」
 悠が渋面を作って大きく何度も頷いている。
「でも悠さんについて来て貰っても役に立たなそうじゃない。頭はいいけど腕っぷしは弱そうだし。その点栄吉さんは顔が怖いしなんだか強そうよ」
「だけど栄吉さんはぎっくり腰だから今は一番弱いよ」
「悠さん、年寄りは敬うんでしょ」
「だからおめえらあっしを年寄り扱いするんじゃねえ」
「五十過ぎたら爺さんですよ」
「よしわかった」
 唐突に三郎太が割り込んだ。
「おいらがお恵ちゃんと一緒に楢岡まで行くよ。あっちで仕事をすりゃあいいだけの話だ。楢岡なら何度も行ってるからお得意様だっているしな」
 三郎太の人脈はいったいどうなっているのだろう。柏原だけならともかく、楢岡にまで顔が知れている。
「やった! じゃあ行くときに三郎太さんちに寄って行くわね。三日にいっぺん、雨の日は延期だから」
「おう、わかったぜ」
 こうしてお恵の送り迎えは三郎太が受け持つことになった。
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