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第五章 七篠先生
第十九話
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悠が戻ると、紋付き袴の栄吉が手持無沙汰な様子で待っていた。
「おう、おかみさん待ちだ。もう一通り整ってる」
武家屋敷の婚礼とはわけが違う。町人の祝言などはほとんどの場合が普段着で三々九度だ。だが、それでも榎屋の顔を立てて三郎太は衣装を揃え、彦左衛門は飾りや水引を準備し、ご近所さんたちは集まっていた。
なにより、花婿の衣装に身を包んだ琴次がサマになっていて可笑しい。お玉ちゃんに至っては、その体格が入る白無垢があったのかと驚くところだが、そこら辺はさすが蜜柑太夫、抜かりはない。
ただ、おかみさんの体力の問題もあり、あまり長いことやっているわけにはいかない。すぐに炊いた粥も一口食べただけだったので、時間勝負となった。
彦左衛門が考えた栄吉の祝詞に何故か琴次が感激し、当の彦左衛門の年齢にそぐわず立派な声の高砂を聞きながらの三々九度となった。年輪を刻んだ彦左衛門は、何をやらせてもそつなくこなす。
おそらく、おかみさんを交えての式は僅か四半刻にも満たなかっただろう。それでも立派な準備に立派な衣装の二人を見ておかみさんは満足だったに違いない。彼女はそれからわずか半刻で逝ってしまった。
彼女の最期は呆気なかった。その『僅か四半刻』に疲れ、少し横になりたいと言ったきり、寝ながら逝ってしまったのだ。
号泣するお玉に、彦左衛門が「きっとお玉ちゃんの夢を見ながら逝ったのですよ。こんなに幸せな死に方はありません。ほら、おかみさんのお顔をごらんなさい、幸せそうじゃありませんか」というのを聞いて、琴次まで泣き出した。
そんな中、三郎太は冷静に主人を呼んだ。
「ご愁傷様でした。でもおかみさんの死に顔は最高ですぜ」
「そうですね。皆さんのおかげです」
「嘆いている暇は有馬温泉。じゃねえや、ありません。この婚礼の式場を全て片付けて葬式の準備をしないといけねえ。おいらが手伝いますから、彦左衛門さんに仕切ってもらいましょう」
こういうとき、やはり元大店の番頭で現在長屋の差配をやっている彦左衛門は頼りになる。紋付き袴で突っ立っている栄吉よりはるかに役に立つ。
お玉も琴次ももう普段着に着替えていたが、お玉が泣きじゃくって何も手につかない。それを琴次がなだめているが、琴次自身も一緒になって泣いているのであまり意味がない。
もともと琴次は優しいオ……トコだ。感受性が強く、他人のことを自分のことのように受け入れる。だから他人が嬉しいと自分も嬉しい、他人が悲しいと自分も悲しい。昨夜一晩、榎屋の御主人と話をしたくらいでもう感情移入して家族のような気持になっている。
だから泣きじゃくるお玉のそばでなだめると言っても、琴次自身泣きながら彼女のそばにいるだけなのだ。だが彼女にはそれが一番快かった。何を言うでもなく慰めるでもなく元気づけるでもなく、一緒に気持ちを共有して欲しかったのだ。
三郎太と彦左衛門が奉公人たちに指示を出し、お玉と琴次が泣いているのをよそに、悠がさりげなく栄吉に近付いた。
「七篠先生の診療所は特に怪しいところはありませんでしたよ。ただ驚いたのは、七篠先生は女性でした」
「なに? 男じゃねえのか」
「ええ」
悠は周りをちらと見渡して背中を向けるように栄吉の方を向いた。
「診療所の作りは東西に長く、東が玄関です。南と北にそれぞれ東西に延びる縁側があってそれを廊下にしています。その間に部屋が挟まるような格好で、北側の縁側からでも南側の縁側からでも出られます。患者の家族同士が鉢合わせにならないような配慮でしょう」
「そりゃあ、ああいうところを使うような連中は金持ちだろうから、大店の身内かお役人だろうしな。つっても柏原のお役人は勝五郎の親分だし潮崎は森窪の旦那だ、両方ピンピンしてらぁ。名主の佐倉様もお元気そうだし、あるとすりゃあ大店の身内だろうな」
「ええ。それと、おかみさんは阿片と麻の葉を処方されてますね。煙管に詰めて煙を吸う方法だと思います。出て来た時に阿片の匂いがしましたよ」
「他には」
「七篠先生の家には蕺や蓬、薺などが生えてました。自家用の薬にする程度の量だったのでさして気にはしなかったんですけどねぇ」
「けど、なんだ?」
こういうところ、栄吉は鋭い。
「その後ろに琵琶や枸杞、あとは何があったかねえ、あ、そうそう大事なのを忘れてました。麻があったんですよ」
「それを今回持たせたんじゃねえのか」
「たぶんそうなんですけどねぇ」
悠はあの庭の奥を思い出していた。
「蓬やなんかと違って麻と琵琶と枸杞はそこそこ大きかったんです。彼女一人でそれを処方するのは無理ですね」
「つまりおめえさんは誰かに頼んでいると言いてえのか」
「自分の分だけとか、診療所でちょっと使う分なら全部収穫する必要もないんですけどねぇ。ただあすこはああいう性質の診療所ですから」
「安楽死か」
「……全くわざわざ伏せたってのに、これだから栄吉さんは。まあ、そういうことです。薬がたくさん必要になるということです」
だが栄吉は首をひねった。
「おかしいな。それだと鎮痛作用のあるものは麻くらいしかねえだろう。しかも中毒症状が激しい。他にもあっても良さそうなもんだがな」
「だから阿片が使われたんでしょう。またいずれ調べに行ってみればわかります」
「それにしても、あれだけの薬をいったいどこから仕入れてるんだろうなぁ」
「おう、おかみさん待ちだ。もう一通り整ってる」
武家屋敷の婚礼とはわけが違う。町人の祝言などはほとんどの場合が普段着で三々九度だ。だが、それでも榎屋の顔を立てて三郎太は衣装を揃え、彦左衛門は飾りや水引を準備し、ご近所さんたちは集まっていた。
なにより、花婿の衣装に身を包んだ琴次がサマになっていて可笑しい。お玉ちゃんに至っては、その体格が入る白無垢があったのかと驚くところだが、そこら辺はさすが蜜柑太夫、抜かりはない。
ただ、おかみさんの体力の問題もあり、あまり長いことやっているわけにはいかない。すぐに炊いた粥も一口食べただけだったので、時間勝負となった。
彦左衛門が考えた栄吉の祝詞に何故か琴次が感激し、当の彦左衛門の年齢にそぐわず立派な声の高砂を聞きながらの三々九度となった。年輪を刻んだ彦左衛門は、何をやらせてもそつなくこなす。
おそらく、おかみさんを交えての式は僅か四半刻にも満たなかっただろう。それでも立派な準備に立派な衣装の二人を見ておかみさんは満足だったに違いない。彼女はそれからわずか半刻で逝ってしまった。
彼女の最期は呆気なかった。その『僅か四半刻』に疲れ、少し横になりたいと言ったきり、寝ながら逝ってしまったのだ。
号泣するお玉に、彦左衛門が「きっとお玉ちゃんの夢を見ながら逝ったのですよ。こんなに幸せな死に方はありません。ほら、おかみさんのお顔をごらんなさい、幸せそうじゃありませんか」というのを聞いて、琴次まで泣き出した。
そんな中、三郎太は冷静に主人を呼んだ。
「ご愁傷様でした。でもおかみさんの死に顔は最高ですぜ」
「そうですね。皆さんのおかげです」
「嘆いている暇は有馬温泉。じゃねえや、ありません。この婚礼の式場を全て片付けて葬式の準備をしないといけねえ。おいらが手伝いますから、彦左衛門さんに仕切ってもらいましょう」
こういうとき、やはり元大店の番頭で現在長屋の差配をやっている彦左衛門は頼りになる。紋付き袴で突っ立っている栄吉よりはるかに役に立つ。
お玉も琴次ももう普段着に着替えていたが、お玉が泣きじゃくって何も手につかない。それを琴次がなだめているが、琴次自身も一緒になって泣いているのであまり意味がない。
もともと琴次は優しいオ……トコだ。感受性が強く、他人のことを自分のことのように受け入れる。だから他人が嬉しいと自分も嬉しい、他人が悲しいと自分も悲しい。昨夜一晩、榎屋の御主人と話をしたくらいでもう感情移入して家族のような気持になっている。
だから泣きじゃくるお玉のそばでなだめると言っても、琴次自身泣きながら彼女のそばにいるだけなのだ。だが彼女にはそれが一番快かった。何を言うでもなく慰めるでもなく元気づけるでもなく、一緒に気持ちを共有して欲しかったのだ。
三郎太と彦左衛門が奉公人たちに指示を出し、お玉と琴次が泣いているのをよそに、悠がさりげなく栄吉に近付いた。
「七篠先生の診療所は特に怪しいところはありませんでしたよ。ただ驚いたのは、七篠先生は女性でした」
「なに? 男じゃねえのか」
「ええ」
悠は周りをちらと見渡して背中を向けるように栄吉の方を向いた。
「診療所の作りは東西に長く、東が玄関です。南と北にそれぞれ東西に延びる縁側があってそれを廊下にしています。その間に部屋が挟まるような格好で、北側の縁側からでも南側の縁側からでも出られます。患者の家族同士が鉢合わせにならないような配慮でしょう」
「そりゃあ、ああいうところを使うような連中は金持ちだろうから、大店の身内かお役人だろうしな。つっても柏原のお役人は勝五郎の親分だし潮崎は森窪の旦那だ、両方ピンピンしてらぁ。名主の佐倉様もお元気そうだし、あるとすりゃあ大店の身内だろうな」
「ええ。それと、おかみさんは阿片と麻の葉を処方されてますね。煙管に詰めて煙を吸う方法だと思います。出て来た時に阿片の匂いがしましたよ」
「他には」
「七篠先生の家には蕺や蓬、薺などが生えてました。自家用の薬にする程度の量だったのでさして気にはしなかったんですけどねぇ」
「けど、なんだ?」
こういうところ、栄吉は鋭い。
「その後ろに琵琶や枸杞、あとは何があったかねえ、あ、そうそう大事なのを忘れてました。麻があったんですよ」
「それを今回持たせたんじゃねえのか」
「たぶんそうなんですけどねぇ」
悠はあの庭の奥を思い出していた。
「蓬やなんかと違って麻と琵琶と枸杞はそこそこ大きかったんです。彼女一人でそれを処方するのは無理ですね」
「つまりおめえさんは誰かに頼んでいると言いてえのか」
「自分の分だけとか、診療所でちょっと使う分なら全部収穫する必要もないんですけどねぇ。ただあすこはああいう性質の診療所ですから」
「安楽死か」
「……全くわざわざ伏せたってのに、これだから栄吉さんは。まあ、そういうことです。薬がたくさん必要になるということです」
だが栄吉は首をひねった。
「おかしいな。それだと鎮痛作用のあるものは麻くらいしかねえだろう。しかも中毒症状が激しい。他にもあっても良さそうなもんだがな」
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