柿ノ木川話譚5・お恵の巻

如月芳美

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第八章 師匠はやめてお友達

第二十九話

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 お恵が次に甚六の家に行った時は、ケシ畑は満開の花に埋め尽くされていた。
「綺麗……凄い、こんなに真っ赤になるなんて」
 お恵が感激している中、羊四郎と酉五郎は小さな刃物を持って畑の中をウロウロしていた。
「おい、羊ちゃんと酉ちゃんはもういいから、辰兄と一緒に街道行ってくれよ。アケビの蔓がもう出てるはずだから。あと酉ちゃんはスギナとタンポポも採って来いよ」
「ナズナも採って来る」
「卯兄にはおいらとお恵ちゃんがここにいるって言っといて」
「わかった」
 走っていく二人を見て、お恵は溜息を洩らした。
「兄弟の中では午ちゃんが一番偉いの?」
「偉いとかってのはねえな、ただおいらが一番知ってるから、おいらの言うとおりにすれば収穫量が増えるってのをみんながわかってるだけだ」
 今日の午三郎は鳩羽鼠はとばねずあいの縞が入った着物だが、あちこちに接ぎが当ててある。これはおっ母さんが当ててくれたのだろう。こんな仕事をしていればあちこち破れてすぐに接ぎが必要になってしまう。
 お恵は自分の鴇鼠ときねずの着物を気にしながら(それでもいちばん汚れていい服装でやって来た)午三郎に聞いた。
「さっきの二人、刃物を持って何やってたの?」
「ケシの実に傷をつけてたんだ」
「何のために?」
「ここ見て」
 午太郎がしゃがんだのでお恵もその隣にしゃがむ。実に傷が入っているのがわかる。問題はその傷だ。傷から白い液が染み出している。
「おいらたちはこの汁が欲しいんだ。朝イチでこうして傷をつけておくと、夕方にはそれが固まって茶色い結晶になってる。そいつをかき集めるのが一日の最期の仕事。この時期は毎日がケシに始まりケシに終わるんだ」
「ふうん」
「だけど朝と夕方しかこいつにはかまっていられねえ。昼間はアケビの蔓を採りに行ったり、サルノコシカケを探したり……あ、サルノコシカケってのはでっかいキノコだぜ。あとはツユクサとかスイカズラがあれば運がいいかな」
 お恵にはさっぱりわからないが、要は朝晩ケシに振り回されるがそれ以外の時間は午ちゃんの采配でどうにでもできるということらしい。
 大袈裟に言えば、自分より一つ年下のこの少年がこの家を回しているのだ。そう考えると、お恵は体に震えが来た。年齢なんかじゃない、その人の能力がモノを言うんだ。
「ねえ、このケシの茶色い結晶から何を作るの?」
「麻酔薬だよ。痛み止め。薬の名前で言うとアヘン。こいつがないと手術ができないからね。なんだか今年から倍くらい作ってて、酉ちゃんと羊ちゃんだけじゃ間に合わなくなりそうなんだ。今はまだ花が満開だけど、花が散ったらみんな実になる。それ全部に片っ端から傷を付けて行って、その結晶を回収しなきゃならない。おいらも辰兄も卯兄も駆り出されるよ」
「手術が増えるのかな」
「いや、取引先が増えたんだと思うよ。潮崎の方に卸すって聞いたから、潮崎の方に開業する医者がいるんじゃないかな」
「凄いね。あんな大きな町から注文が入るなんて」
「逆だよ逆」
 午三郎は笑った。
「大きな町は商人の町だから農家や薬屋なんかいない。町の端っこの方にちょこっと農家がいるくらいだ。薬は山でないと採れないものが多いだろ。だから町の薬屋はそこで作るんじゃなくて仕入れるしかないんだ」
「だけど……」お恵は畑を見まわした。
「これだけのアヘンを採るとなると大変よね。いつもこんなもんなの?」
「いや、今回はいつもより多めに蒔いてる。だから大変なんだ。でもこれはお恵ちゃんには手伝わせられねえ。お恵ちゃんは今日もウワバミソウの洗浄と乾燥だ」
「それはもちろん構わないけど……」
 お恵は井戸の横にどっさり置かれたウワバミソウの洗浄に取り掛かりつつ、質問を続けた。
「アヘンの他には痛み止めの麻酔は無いの?」
「麻の葉とか……使うかな。奥に……あるよ」
 午三郎が井戸の水を汲みながら答える。これはなかなか重労働だ。
「アヘンって使い過ぎると大変な事になるって聞いたことがあるわ」
「あれは気持ちを落ち着かせて何もかもをぼんやりさせるんだ、だから麻酔になる。ほかにも腹痛、頭痛、歯痛、とにかく痛いときにその痛みを感じさせなくするんだ。ただこれには副作用もあってさ。病気の人は痛みが勝っている中でそれを抑えるからまだいいんだ。でも、どこも悪くない人が使うと……」
 そこまで言って馬太郎は汲み上げた水を盥の中にざざーっと空けた。少し彼の鳩羽鼠の着物の裾が濡れたが彼はまったく気にしていなかった。
「気持ちよくなっちゃう」
「は?」
「なんかさ、仏様の国にでも行ったような気分になるらしいんだ。心が満ち足りてこの世の全てが幸せに感じるんだって。できることならずっとこのままでいたいと思うほど」
「えー、そんなぁ」
「と思うだろ? それが奥さんとか子どもとかそういう家族のことまでどうでもよくなっちゃうんだって。よいしょっと」
 彼は洗ったウワバミソウを並べるための平籠を用意した。
「あんな綺麗な花なのに、家族のことまで忘れさせるほどなんてね」
「それだけじゃねえ。そこまで中毒になったらやめられねえんだ」
「なんで?」
「最初アヘンを吸ってる時は気分がいいだけだけどさ、中毒になると眩暈めまいに始まって嘔吐、頭痛、便秘、あとはションベンが出なくなるな、モノが食えなくなって、しまいにゃ昏睡状態になってそのまま死ぬ。あぶねえだろ?」
 お恵は想像してブルっと身を震わせた。
「お薬って使い方を間違えると怖いんだね」
「そりゃそうさ。薬なんてもんはそもそもが毒だ。毒もちょっとなら薬になるってだけの話だ。センブリはちょっとなら便秘に効くが、飲みすぎると厠から出て来られない」
「そっか。薬ってもともとは毒なんだ」
「だからうちはそういうヤバイ商売はしないんだ。医者相手にしか売らない。あとは信頼できる薬屋かな。そうでないと危なくて。胃薬くらいなら持って帰ってもいいぞ。センブリはめちゃくちゃマズいけど効くぞ」
「マズいのやだー」
「じゃ、解熱剤でも持って行けよ」と彼は葛根を渡した。
 笑いながら、お恵はあんなにぼんやりしている午三郎がものすごく薬に詳しいことに尊敬すら覚えていた。
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