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第八章 師匠はやめてお友達
第三十話
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「こんにちは」
顔を出すとすぐに徳屋の主人が現れた。松太郎ではなかったのがちょっと残念だった。
「おや、お恵ちゃんじゃないか。済まないね、今日は松太郎は熱を出して寝込んでるんだよ。風邪を引いてしまったみたいでね」
「え、そうなんですか。ちょうどよかったって言うのも変なんですけど、あたし今、甚六さんちの帰りなんです。それで解熱剤を貰ったんです。これ、松太郎さんに使ってあげてください」
榎屋の主人は驚いて「いいのかい、高い薬だろう?」と言ったが「お土産にもらったの」というのを聞いて納得したようだった。
「良かったら家に上がって松太郎にその薬を飲ませてやってくれないかい? お恵ちゃんが来てくれたとなれば松太郎の風邪もすぐにどこかへ吹っ飛んで行ってしまうよ」
「おじさんありがとう、そうさせて貰います」
「廊下の突き当りの部屋だよ」という主人の声を背中に聞きながら、お恵はとっとと家に上がり込んでいた。
「松太郎さん、入りますよ」
小さく声をかけると「はい」と中から返事が返って来た。
お恵が静かに唐紙を開けると、松太郎が仰天して起き上がろうとした。
「待って、そのまま寝てて。熱があるんでしょ? 御主人から聞いたよ。すぐに帰るから」
「いえ、帰らないでください。ただの風邪ですし、窓も全部開けてあります。うつることはないと思いますから」
「あたし今日お客さんじゃないの。お友達として来たのよ」
一瞬松太郎は考えて、意味を理解したようだ。
「お恵ちゃんに会いたかった。会ったら治るような気がしてたんだ」
「正解! 今ね、甚六さんのところに行った帰りなの。ちょうどお土産に解熱剤を貰って来たの。午ちゃんの葛根」
「ああ、午三郎の葛根か。それは効くだろうな。早速飲んでいいかい?」
「ちょっと待ってね」
お恵は側にあった土瓶に入った白湯を湯飲みに入れて松太郎に渡した。
「凄いのね。松太郎さんにそこまで言わせるなんて、午ちゃんのお薬は効くんだね」
「まだ作らせて貰えないだろうけど、あいつの言うとおりに調合すれば必ず効く。ああいうのを天賦の才って言うんだろうな」
そう言って松太郎は手渡された薬を湯飲みをあおった。
「午三郎はさ、四歳の時かな、薬の匂いだけで何の薬か全部当てるようになってた。六歳になるころには甚六さんと卯一郎さんと辰二郎さんと午三郎の四人で山菜取りに行くことがよくあったんだけど、なぜか午三郎だけ薬草ばかり集めてくるんだ。私は甚六さんと五人兄弟が大好きで、薬のこともほとんど甚六さんから教えて貰ったんだ。だけど両親は奉公人は所詮奉公人という考え方で。だから私の代になったら奉公人を大切にしようって思ってた」
「でもその前に甚六さんは松清堂を辞めちゃったのね」
「うん。その後お店も付け火に遭ったし」
松太郎は布団の上に座ったまま湯飲みをじっと見ていた。お恵は足もとにあった羽織を彼の背中にかけてやった。ちょっと重くなった空気を換えようと思った。
「あたし、甚六さんとこのお師匠さん辞めたの」
「えっ、今日?」
「ううん。少し前。だから今日はただ遊びに行っただけ」
「遊びに……か。いいな」
奉公人に休みはない。遊びになど行けるものではない。しゅんとした松太郎だったが、次のお恵の言葉は彼をいっぺんに元気にさせた。
「松太郎さんとお話がしたくて、午ちゃんにお薬のこと色々教えて貰ってるの」
「そんな、そんなことしなくてもお茶の話でも悠さんの話でもなんでも」
「あたしは松太郎さんとお薬の話がしたかったの」
「お恵ちゃん……」
松太郎はますます熱が上がりそうだったが、この際もっと上がってもいいやと思った。
「今日は綺麗なケシ畑を見せて貰ったの。一面真っ赤でとっても綺麗だったよ。羊ちゃんと酉ちゃんが一所懸命ケシの実に傷をつけてた。夕方になるとそこから出た汁の結晶を集めるんだって。そっちの方が大変みたいで、そのときは卯一郎さんも辰二郎さんも総出でやるみたいよ」
松太郎は首を傾げた。
「総出で?」
「うん。そうしないととてもじゃないけど間に合わないって」
「おかしいな。今まで酉五郎は全く戦力にならなかったし、夕方だって卯一郎さんと午三郎が二人で結晶集めをやってると聞いてた。それも二年前だ。辰二郎さんは力持ちだから、その頃から荷物を運んだり薬研を使ったりしてたし。もしかして暗黒斎先生が手術を増やしたのかな」
「まさか。暗黒斎先生だってそんなに毎日手術ばっかりしていられないよ。ほら、楢岡にもう一人先生がいるでしょ。手遅れの患者さんを診てくれる先生」
「あー」
松太郎が納得したように頷いた。
「あの先生は」
急に小声になった。
「麻酔で分からなくして送ってあげる先生だろ?」
「そう、それ。あの先生のところに行く人が増えたんじゃないかって思うの」
「アヘンか」
「それがものすごく広い畑なの。家の前の畑には曼陀羅華とか蓬とか葛とか曼殊沙華とかそういうのをいっぱい植えてるの。琵琶みたいな木もあった。だけどその奥に行くと、琵琶とか麻に隠れるように一面のケシ畑。今年から畑を開墾して増やしたって言ってた」
「需要が増えたってことだね。と考えたら、七篠先生のところに卸してる可能性が高いね」
「聞いてみたけど、お客さんの情報は教えられないって。ただ潮崎の方に卸す予定みたいなこと言ってたよ」
「七篠先生は楢岡だよね」
「うん。じゃあ、新しいところを開拓したのかなぁ、午ちゃん教えてくれないし」
「それにしちゃ多くない?」
「あたしにはそれが多いのか少ないのかよくわからないから、松太郎さんが多いと思うならきっと多いのよ」
松太郎が深刻な顔になったのを見て、お恵はハッと思いだした。
「ごめんなさい。熱があるんだったよね。あたしもう帰るから、葛根湯も飲んだし、あとはちゃんと寝ているのよ」
「もう帰るの?」
「またいつでもくるから。早く治してね」
松太郎は名残惜しそうにしながらも頷いた。
顔を出すとすぐに徳屋の主人が現れた。松太郎ではなかったのがちょっと残念だった。
「おや、お恵ちゃんじゃないか。済まないね、今日は松太郎は熱を出して寝込んでるんだよ。風邪を引いてしまったみたいでね」
「え、そうなんですか。ちょうどよかったって言うのも変なんですけど、あたし今、甚六さんちの帰りなんです。それで解熱剤を貰ったんです。これ、松太郎さんに使ってあげてください」
榎屋の主人は驚いて「いいのかい、高い薬だろう?」と言ったが「お土産にもらったの」というのを聞いて納得したようだった。
「良かったら家に上がって松太郎にその薬を飲ませてやってくれないかい? お恵ちゃんが来てくれたとなれば松太郎の風邪もすぐにどこかへ吹っ飛んで行ってしまうよ」
「おじさんありがとう、そうさせて貰います」
「廊下の突き当りの部屋だよ」という主人の声を背中に聞きながら、お恵はとっとと家に上がり込んでいた。
「松太郎さん、入りますよ」
小さく声をかけると「はい」と中から返事が返って来た。
お恵が静かに唐紙を開けると、松太郎が仰天して起き上がろうとした。
「待って、そのまま寝てて。熱があるんでしょ? 御主人から聞いたよ。すぐに帰るから」
「いえ、帰らないでください。ただの風邪ですし、窓も全部開けてあります。うつることはないと思いますから」
「あたし今日お客さんじゃないの。お友達として来たのよ」
一瞬松太郎は考えて、意味を理解したようだ。
「お恵ちゃんに会いたかった。会ったら治るような気がしてたんだ」
「正解! 今ね、甚六さんのところに行った帰りなの。ちょうどお土産に解熱剤を貰って来たの。午ちゃんの葛根」
「ああ、午三郎の葛根か。それは効くだろうな。早速飲んでいいかい?」
「ちょっと待ってね」
お恵は側にあった土瓶に入った白湯を湯飲みに入れて松太郎に渡した。
「凄いのね。松太郎さんにそこまで言わせるなんて、午ちゃんのお薬は効くんだね」
「まだ作らせて貰えないだろうけど、あいつの言うとおりに調合すれば必ず効く。ああいうのを天賦の才って言うんだろうな」
そう言って松太郎は手渡された薬を湯飲みをあおった。
「午三郎はさ、四歳の時かな、薬の匂いだけで何の薬か全部当てるようになってた。六歳になるころには甚六さんと卯一郎さんと辰二郎さんと午三郎の四人で山菜取りに行くことがよくあったんだけど、なぜか午三郎だけ薬草ばかり集めてくるんだ。私は甚六さんと五人兄弟が大好きで、薬のこともほとんど甚六さんから教えて貰ったんだ。だけど両親は奉公人は所詮奉公人という考え方で。だから私の代になったら奉公人を大切にしようって思ってた」
「でもその前に甚六さんは松清堂を辞めちゃったのね」
「うん。その後お店も付け火に遭ったし」
松太郎は布団の上に座ったまま湯飲みをじっと見ていた。お恵は足もとにあった羽織を彼の背中にかけてやった。ちょっと重くなった空気を換えようと思った。
「あたし、甚六さんとこのお師匠さん辞めたの」
「えっ、今日?」
「ううん。少し前。だから今日はただ遊びに行っただけ」
「遊びに……か。いいな」
奉公人に休みはない。遊びになど行けるものではない。しゅんとした松太郎だったが、次のお恵の言葉は彼をいっぺんに元気にさせた。
「松太郎さんとお話がしたくて、午ちゃんにお薬のこと色々教えて貰ってるの」
「そんな、そんなことしなくてもお茶の話でも悠さんの話でもなんでも」
「あたしは松太郎さんとお薬の話がしたかったの」
「お恵ちゃん……」
松太郎はますます熱が上がりそうだったが、この際もっと上がってもいいやと思った。
「今日は綺麗なケシ畑を見せて貰ったの。一面真っ赤でとっても綺麗だったよ。羊ちゃんと酉ちゃんが一所懸命ケシの実に傷をつけてた。夕方になるとそこから出た汁の結晶を集めるんだって。そっちの方が大変みたいで、そのときは卯一郎さんも辰二郎さんも総出でやるみたいよ」
松太郎は首を傾げた。
「総出で?」
「うん。そうしないととてもじゃないけど間に合わないって」
「おかしいな。今まで酉五郎は全く戦力にならなかったし、夕方だって卯一郎さんと午三郎が二人で結晶集めをやってると聞いてた。それも二年前だ。辰二郎さんは力持ちだから、その頃から荷物を運んだり薬研を使ったりしてたし。もしかして暗黒斎先生が手術を増やしたのかな」
「まさか。暗黒斎先生だってそんなに毎日手術ばっかりしていられないよ。ほら、楢岡にもう一人先生がいるでしょ。手遅れの患者さんを診てくれる先生」
「あー」
松太郎が納得したように頷いた。
「あの先生は」
急に小声になった。
「麻酔で分からなくして送ってあげる先生だろ?」
「そう、それ。あの先生のところに行く人が増えたんじゃないかって思うの」
「アヘンか」
「それがものすごく広い畑なの。家の前の畑には曼陀羅華とか蓬とか葛とか曼殊沙華とかそういうのをいっぱい植えてるの。琵琶みたいな木もあった。だけどその奥に行くと、琵琶とか麻に隠れるように一面のケシ畑。今年から畑を開墾して増やしたって言ってた」
「需要が増えたってことだね。と考えたら、七篠先生のところに卸してる可能性が高いね」
「聞いてみたけど、お客さんの情報は教えられないって。ただ潮崎の方に卸す予定みたいなこと言ってたよ」
「七篠先生は楢岡だよね」
「うん。じゃあ、新しいところを開拓したのかなぁ、午ちゃん教えてくれないし」
「それにしちゃ多くない?」
「あたしにはそれが多いのか少ないのかよくわからないから、松太郎さんが多いと思うならきっと多いのよ」
松太郎が深刻な顔になったのを見て、お恵はハッと思いだした。
「ごめんなさい。熱があるんだったよね。あたしもう帰るから、葛根湯も飲んだし、あとはちゃんと寝ているのよ」
「もう帰るの?」
「またいつでもくるから。早く治してね」
松太郎は名残惜しそうにしながらも頷いた。
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