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青年時代
24
しおりを挟むのどかな昼下がり。
なだらかな一本道を彩るように、草花が風に揺れている。そのなかで蜜蜂や蝶が優雅に舞っているのだが、簡単に言えば田舎だ。アルティーク家は、王都の都心から離れた場所にある大きな屋敷だった。訪問するには馬車がいる。玄関までのゆるやかな勾配のあるアプローチの手前で、たくましい馬で引かれた車から降りる一人の男がいた。
セピア王国第二王子ラムス。
彼は館までの道を歩き、玄関の前にたどり着くと、ぼうっとその場で立ち尽くした。ふぅーと大きな深呼吸をしてから、重厚な扉についている鋼のノッカーに手を伸ばし、カンカンと叩く。
しばらくすると、ゆっくりと扉が開きメイドが迎える。
さわかやな風のように通されたラムスは屋敷に入っていった。彼の表情はいつになく真剣なのだが、どこか浮ついた笑みをこぼす。なぜなら彼は、ある嫌らしい決意があってアルティーク家に来ていたのだ。
自分の将来を左右するターニングポイントが目前に迫っている。緊張して、喉が渇いてきた。身体が熱い。頭のなかをめぐるのは、ロゼッタとのキス、さらに眼下で揺れる甘い香りがするピンクの髪、男の欲望を満たす上下運動が、ぐっぽ、ぐっぽと繰り返されて、逝く……。
「ああ、またしてもらいたい……ロゼッタさんに……」
ラムスは夢心地にいた。
妖艶な女に惑わされた男の頭のなかは、淫らな性欲で支配される。運ぶ足もどこか浮ついており非常に危なっかしく、ふらふらと階段を上がり廊下を歩く様子は、まるで夢遊病者のようだ。恋という名の病にかかった患者、それが今のラムスだった。
そんな彼がまず向かった先は薔薇で作られた輪っかのリーフがついた扉の前、つまりルージュの部屋。彼はおもむろに、トントントン、と扉を叩き、
「ルージュさん、ラムスです」
と告げた。
するとすぐに、入って、という返事がきた。
ラムスは扉を開けて部屋に入っていく。薔薇の香りが漂っており、思わず鼻腔をこれでもかと広げ、空気を吸い込んだ。これが吸い納め、と言わんばりに。
──ああ、なんていい香りなんだ。
部屋の主、ルージュは筆を走らせ、絵を描いていた。視線は大きな絵画のままで、ラムスのことはまったく見る気配がない。まるで小さな虫が部屋に入ってきたかのように、アルティーク家の長女はラムスの存在に対して無関心だった。彼女は真剣な眼差しで、ただひたすら筆を走らせている。
「す、すごい……」
ラムスはルージュの描き出す魔法に魅了された。
それは土砂崩れを描いた絵画だった。振り返ると先日、丘の神殿に向かう途中の道で災害が起きたな、と思い出していた。そう、いままさにその景色が目の前に絵画として再現されている。
なのだが……、酷く、恐ろしい絵画でもある。
山の頂上にある巨大な岩が特徴的だった。山道に流れる汚泥、なぎ倒された木々、悪魔の爪にえぐられたような山肌は、血のように赤茶けていた。
美しい絵画に、ラムスは目が眩んでしまい、ルージュに話しかけることを躊躇していたが、逆に赤い唇がゆっくりと動き始めた。
「どうしました? ラムス王子」
天使のような声が響く。やはり素晴らしい。
そう思うラムスだが、心の揺れを振るい払うかのように、
「あの、ルージュさん!」
と叫んだ。
いつになく大きなラムスの声に、びくっと驚いたルージュの筆が止まり、きらりと鋭い視線がラムスに移っていく。
「……なに?」
すると、突然ラムスは頭を下げた。
「すまない、ルージュさん」
「……!? 急にどうしました?」
さっと姿勢を正したラムスは、一歩だけルージュに近づいた。
「あなたとの婚約を破棄したい」
え? とルージュは目を大きく開いた。
「実は、ロゼッタさんのことが好きになってしまったんだ……」
「……」
「すまない、ルージュさん」
「……」
「突然の婚約破棄を、どうか許して下さい」
「……はい、快く、お許しいたします」
ルージュは、にっこりと笑った。
いいのかい? とラムスは潤んだ瞳でルージュを見つめる。こんなにあっさりと婚約破棄を承諾されて、残念な気持ちになっていた。その表情は落ち着きがない。
ルージュは目を細めた。
「ロゼッタを幸せにしてやってくださいませ、ラムス王子」
「ああルージュさん、あなたは女神様のように寛大だ」
まあね、とルージュは髪をかきあげると、また絵画に目線を戻した。スツールに腰かけているお尻を浮かし、うーんと腕を上にしてのびをする。
「さて、私は絵を完成させたいから、もう部屋から出ていってくれると嬉しいわ」
「……あ、あの、最後にいいですか?」
「何?」
「その絵はなんですか?」
「自然の脅威よ」
す、すごい……と感嘆の声をあげるラムスは、後退りを始め、やがて部屋から出ていった。
「……ふぅ」
ため息のなか、静けさを取り戻した部屋でひとり、ルージュはにやりと微笑んだ。
「ロゼッタ、大成功じゃない……」
妹を称賛したルージュはふいに立ち上がり、部屋のなかを歩きだす。向かう先は壁。ぴったりと耳を壁につけた。ひんやりと冷たい感触が肌に伝わってくる。
「……」
ここからは冷静な判断が必要だった。隣は妹ロゼッタの部屋であり、ラムスが扉を開ける音が聞こえてきた。二人の会話は聞き取れないが、笑い声だけが聞き取れた。やがてしばらくすると、あん、あん、という女の喘ぎ声が響く。
「あらあら……」
そうささやくルージュは、頬を赤く染めつつも元婚約者の男らしい喘ぎ声すらも、耳にするのだった。
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