転生したら妹の婚約者は暴君でした

花野りら

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 青年時代

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 十年前、左手を失った少年は山で修行をしていた。
 少年の名前はシオン。
 伸び放題の銀髪を紐でまとめポニーテイルにしている。一見すると少女かと見違えるほど綺麗な顔立ち。きらめく翡翠の瞳は、獣道を逃げ惑う獲物を狙っていた。
 
「……」

 颯爽と林の合間を風のように駆けるその姿は、まさに野生児であり、狩る側の人間だった。凶悪な魔物たちをいとも簡単に殺傷し、皮を剥ぎ、勝利品を奪う。彼の右手には銀のレイピアの鋭い刃が、つねに獲物を求めていた。
 そんな少年時代の面影を、現在、青年になったシオンは深い山のなかを歩きながら探していた。朝靄がたゆたう自然のなかを駆ける少年の姿を目で追って……。
 
──昔の俺、修行時代のまだ恋をしていない、無垢な俺。
 
「はぁ、お嬢様……」

 現在、青年になったシオンは恋をしていた。
 その気持ちに気づいたのは、一五歳の春。修行を終えてアルティーク伯爵家に戻ってきた日のことだ。自分には主人がいて、今後は生涯を通じてアルティーク家に忠誠を誓うのだとアイゼン伯爵に告げれた。
 気持ちは昂り、勇ましさと誇らしさであふれた。
 シオンは車椅子に座るアイゼンを見つめながら、「はい、旦那様をお守りします」と答えたが、アイゼンは柔らかく首を振って微笑みを浮かべた。

──何がおかしいのだろうか?

 きょとんとした顔をシオンがしていると、アイゼンは説明してくれた。
 どうやら、執事としての主な仕事は、娘たちを守ることだった。さらに詳しく話を聞いてみると、姉ルージュは天才画家で王都セピア国宝級の人物、それに妹ロゼッタは絶世の美少女でしかもスタイル抜群。よって姉妹への妬みや恨みが王都のなかに潜む闇に目をつけられ、誘拐などされたら大変である。
 そこでアイゼンは、「最強の剣士となったシオンに護衛を頼みたいのだ」と言った。いわゆる、ボディガードになれということだ。
 銀髪で長身のシオンの容姿は、誰が見ても絶世の美男子で、もし執事じゃなければ役者として劇団に入ってかもしれないほどだ。現に、館で従事するメイドのみならず、シオンが王都を歩けば女子から、「かっこいい」との声がひそやかにあがる。
 
 しかし……。
 
 よくシオンを見ると左腕がないから、女子たちはまるで化け物でも見るかのように泣きだし、シオンから逃げていく。年頃のシオンは、がっくりと落ち込んだことは言うまでもない。
 さらに十三歳の美少女、アルティーク家の次女ロゼッタにキツく睨まれ、
 
「こっちに来ないで、人殺しっ!」

 と叫ばれ、シオンは生まれてきたことを呪い、人生に絶望した。
 
──俺は人殺しなのか?

 心が闇で染まり、邪悪な自分がクスクスと笑っていた。
 大きな黒い翼、獰猛な鋭い爪、荒ぶる竜の尻尾……。
 ドラゴンによるあの惨劇が頭をよぎる。バサバサと嵐のような旋風を巻き起こす翼を羽ばたかせるドラゴンの影は、シオンの精神を荒らした。この先、俺はアルティーク家で執事としての任務をこなすことができるのだろうか、と将来を憂いだ。
 人間は繊細な生き物で、とても脆弱だ。
 最強の剣士となったシオンだったが、精神的にはふつうの男子。人に嫌われることに対して、流石にへこんだ。塞ぎこんで、館の裏庭にある花畑で膝を抱えている日もあった。そんな時は、目からは涙も流していた。しかし、シオンは男だ。こんな姿は誰にも見られたくない。もしこんな女々しい姿を師匠に見られたら叱られるだろう。

──もう、泣き止まないと!

 そう思って立ち上がったとき、薔薇の垣根から人影が見え隠れしていた。赤い薔薇の花、それに緑の葉のなかに金糸の髪が、サラサラと流れている。シオンは目を奪われた。
 
──妖精か?

 そう思っていると、目の前に美少女が現れた。
 ルージュ・アルティーク伯爵令嬢。
 彼女は薔薇の花を摘もうと、花壇に腕を伸ばしていた。美しいその姿は、まさに天から舞い降りた妖精のようで、薔薇の花に負けない赤色の唇を動かして、シオンに声をかけてきた。
 
「男の人でも泣くんだ……知らなかった」

 当たり前です! 男だって人間なんですから、とシオンが反論すると、ルージュは慈愛に満ちた笑顔を振りまいた。
 
「シオンって可愛いのですね、うふふ」

 屈託のないその笑顔に、シオンは救われた。と同時に、お嬢様に恋をしてしまった。しかしそれは執事としては失格で、実らない恋なことくらい頭では理解している。
 そのはずなのだが、恋する気持ちというものはなかなか止められない。心のなかで秘めるだけなら、誰にも迷惑はかけないし、お嬢様を命に変えてもお守りする決意にもなる。
 だから、現在……。

──俺の命はお嬢様にささげるべきだ。

 シオンはそう思いながら、山のなかを進み、やがて一軒の小屋にたどり着いた。ばちばち、と庭に焚き火があり、口刺しの魚が美味しそうに焼けている。
 ぐにゅ、とシオンのお腹が鳴り、口からよだれがあふれてきた。しばらく、空腹と戦っていると小屋から老人が出てきた。手には酒瓶を持っている。ほくほくとした顔をあげた老人はシオンを見るなり、
 
「おや、シオン……」
 
 と驚いた。いや、そんなふうに演じているように見えた。
 お久しぶりです、といったシオンは苦笑すると、「老師」とつづけた。

「しばらく、山にこもらせください」

 ふん、と鼻で笑った老師は丸太の椅子に腰を落とすと、酒瓶の蓋を開け、そのまま口をつけ、んん、と喉を鳴らし、ぷはーと息を吐いた。
 
「はぁ? シオン、おまえに教える剣術をもうないはずだが……何かあったのか?」
「じつは、指名手配になってしまいました」
「なんだと!?」

 やれやれ、と首を振る老師は魚が焼けたかどうか、木の棒でつつた。火浴びぶりされた魚の空いた口から脂が垂れている。焚き火から、ばちばちと炭が弾けて火花がとぶ。その火の粉が老師の顔をかすめた。
 
「アルティーク家を守るためか? シオン」
「はい」
「何をした?」
「王宮でひと暴れしまして……それで、お嬢様からしばらく休暇を取れと命令されたので、隠れ蓑として、ここに来たという次第です」

 馬鹿者! と老師は叫んだ。
 ピリピリと空間が震えている。シオンは心なしか冷んやりと背筋がこわばった。
 
「シオン、おまえは女のことを何もわかっていない」
「え?」
「好きな女は何があろうと守ってやれ。それが男ってもんだ」
「……でも、お嬢様のご迷惑ではないでしょうか?」
「おいシオン、おまえのレイピアは飾りか? どんな困難でも切り開くことができるよう、教えてあるはずだが? まさか弱音を吐くのか?」

 いいえ、とシオンは首を振った。朗らかな表情で笑みを浮かべる。
 
「お嬢様のもとに戻ります老師、すいませんでした」

 ほぉほぉほぉ、と老師は笑うと、焼けた魚に手を伸ばし、美味しそうに頬張る。
 
「また来ます」

 シオンはそう告げて、踵を返した。
 老師はシオンのたくましくなった背中を見つめながら、
 
「最強の剣士も、好きな女には弱かったか……」

 とつぶやいた。ばちばちと音を弾く焚き火の煙が、ゆらゆらと天高く昇っていた。
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