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青年時代
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しおりを挟む君を幸せにできるのだろうか。
王都セピアにある、ありふれたレストラン。そこで働く男、ヴァンは思い悩んでいた。仕事からの帰り道、彼女の家に寄ってみる。そう、エレンヌの家だ。
王宮に監禁されていたエレンヌを救い出して、はや三日が過ぎていたが、未だエレンヌとは上手く話せていない。いや、それどころか……。
「ヴァンくん、申し訳ないがエレンヌは外に出たくないらしい……」
と、彼女の父親から告げられた。
また出直します、といったヴァンは苦笑いを浮かべながら踵を返し、ゆっくりと歩き出した。背後にあるエレンヌの家が、今はなぜか牢獄のように感じる。愛しい人に会うことができず、足が重い。引きずるようにして歩く。心のなかは泥まみれだった。
──なぜ、こんなことに?
エレンヌは最高の彼女だった。自分にはもったいないほどに。
ヴァンのぼんやりとしていた脳裏で、エレンヌの笑顔だけが鮮やかに蘇る。だが、鏡に亀裂が入るように、その笑顔が消えた。一瞬で視界は暗くなり、彼女の獣じみた喘ぎ声が、そこはかとない幻聴として聞こえ始める。
『ああ、ああ、ああん……』
自分の知らないエレンヌがいた。
他の男に犯されているのに、恍惚とした表情を浮かべる愛する女が、すっと心の穴に落ちていく……。
──嘘だ……信じられない。
ヴァンは大きく首を横に振った。
「くそがっ!」
眉を吊り上げ、悪魔のような形相で夜空を仰ぐと、遠くに見える白亜の王宮を睨みつけた。思うことはただ一つだけ。
「あいつを殺す!」
その意思は強かった。
エレンヌが外に出られない理由は、あいつが生きているからに違いない。
「あの暴君めっ!」
ヴァンは拳をつくった。
ふと頭によぎるのは王子ノワールの不敵な笑み。それをかき消すように、ヴァンは近くにある壁を殴った。ボロボロと面白いように壁面が崩れた。
──あのクソ王子を殺す!
だが、どうやって?
ヴァンは王子殺害の計画を考えながら家路を歩いた。
王宮に忍び込んで殺すことはできないだろうか。
いや、無理だろう。そんな暗殺スキルは俺にはない
王子が外出している時を狙うのはどうだろう。
それも無理だ。騎士たちが王子を厳重に警備している。
──ああ、俺は無力だ、俺は無力だ、俺は無力だ……。
鈍くなった足を運び、ヴァンはやっと家の前にたどり着いたが、強烈な違和感を覚えた。
「ん?」
家の扉の前に、一人の女が立っていた。
貴族の服を着ている。エメラルドのスカートが美しく、スタイルのいい女の脚を隠していた。ヴァンは思わず見惚れてしまった。
「どちら様ですか?」
と尋ねると、アルティーク伯爵家のルージュです、と女は名乗り、すらっとした肢体をこちらに向けた。金髪碧眼の美しい女だった。
はっとして心臓が飛び跳ねた。
その顔には見覚えがあったからだ。彼女は国民のアイドル。王都セピアの天才芸術家であり、大金持ちの女だ。そのような人物が、いったいうちに何のようだろう。訝しむヴァンは、ペコリと頭を下げる。微笑むルージュは口を開いた。
「ヴァンさん、お久しぶりです」
「え?」
ヴァンは首を傾けた。
こんな美しい女性との対面を忘れるはずがないのだが、最近はエレンヌの失踪事件で頭がイカれていたこともあり、レストランの客として訪れていた彼女のことを、まさか拾い忘れていたかもしれない。肩を落とすヴァンを労うように、ルージュは目を細めた。
「まあ、無理もありませんね。あの時、私は黒装束を着てましたから……」
「え? あの時とは?」
「私ですよ。王宮で監禁されていたエレンヌさんを助け出したのは、それとヴァンさん、あなたのこともね」
はっ! としたヴァンは一歩だけルージュに近づいた。
「やや、助けてくれてありがとうございました!」
ルージュは目を細めた。
「どういたしまして。それより、あれからエレンヌさんはどうですか?」
「……それが」
「どうやら、後遺症がありそうですね」
「……エレンヌは俺と会ってくれません。外にも出ていないようで……心配です」
「やはりですか。となれば、心の穴を埋めなくてはいけませんね」
心の穴? と訊いたヴァンは目を丸くし、首を傾ける。
ルージュは、ぽんと両手を合わせると胸の前にあてた。
「彼女を傷つけた男をこの世から消し去りましょう」
「……!?」
ふふふ、と笑うルージュは続けた。
「王子ノワール、彼がこの世にいる限り、エレンヌさんは大手を振って王都を歩けないでしょう」
「……は、はあ」
「そこで、です」
「……?」
「ヴァンさん、あなたに手伝ってもらいたいことがあります」
なんですか? とヴァンは震える唇を動かす。自分の願いが、こんな形で叶うとは思いもよらず、喜びすら感じる。闇の夜から舞い降りた天使、いや、堕天使か。さわやかな夜風が吹き、揺れる金糸の髪をかきあげたルージュは言う。
「岩を落として欲しいのです」
その声は美しく、穴の空いていたヴァンの心に響いた。
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