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295.愛しい貴女〜ヒュイルグ国宰相side

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「良かったのかよ」
「陛下こそ」

 互いに言いたい事がわかっているだけに、しばし冷たい空気が流れます。

「まったく、2人共程々にして仕事を終わらせて下さい。
グレインビル嬢がいなくなった途端に、ブラックキギョウにされたくありません」

 しばらく睨み合っていれば、やれやれ、といった顔でヒルシュはいつの間にか用意していたお茶と2つのカップをテーブルに置きました。

 では、と言って薄茶色の猫っ毛をふわふわ揺らしながら出て行ってしまいます。

 グレインビル壌一行の報告も終わりましたからね。
他の仕事に戻るのでしょう。

 ドアと執務机の間には、簡単な会議ができる程度の大きさの机と椅子を設置しています。

 反逆者達によって滅茶苦茶にされたこの部屋も、壁紙や家具を一新して綺麗になりましたね。

「ブラックキギョウ····グレインビル語が定着してませんか?」
「全くだ」

 そう言いながら、陛下と2人で椅子に腰掛けます。
せっかくだからと用意されたお茶を冷めないうちに頂くことにしました。

「····うまいな」
「コリンの風味が合いますね」

 この紅茶は何度かあの兄妹の部屋にお邪魔した時に淹れてくれたものでしょうか。

「ヒルシュのやつ、いつの間に」

 恐らくあの令嬢の専属侍女から習ったのでしょう。

 そう言いながらも、陛下は令嬢を思い出したのかほんの少しですが口元がほころんでいます。

「諦めはつきそうですか?」

 もちろんグレインビル壌の事です。

 陛下はそれこそ諦めたような笑いを浮かべました。

「つくわけねえ。
まあいいさ。
今すぐあいつが誰かの物になるわけじゃねえし、あいつの家族がいる間は変な虫もつかねえ。
気長にやる」
「諦めはしないんですね」
「10年は拗らせてんだよ。
それに諦めようとして諦められるなら、もうとっくに諦めてるだろ、お前も」
「ふっ、そうですね」

 つい苦笑する。
湧いてくる想いを諦められるなら、私だって亡くなったあの人が戻るわけでもない虚しいだけの復讐など、していなかったでしょう。

 陛下のように相手が生きているのなら、余計に諦めきれないのかもしれません。

「ま、どのみちあいつは絶対俺を許さねえよ。
他ならぬ俺が、あいつの前の専属侍女を自爆とはいえ殺しちまったようなもんなんだ。
だからって後悔もしてねえんだから、本当にどうしようもねえだろ」

 紅茶のカップを置き、行儀悪く足を組み、上の左膝を胡座をかくように開いてその上で左肘を立てて頬杖をつく。

 どこか不貞腐れた様子に苦笑してしまいました。

「口も悪いですが、行儀も悪いですよ。
一応国王でしょ」
「お前しかいねえんだ。
許せ」

 聞いた話では前の専属侍女を殺されたグレインビル嬢が養父並みに強い魔術師を引き連れて単身で暗殺しに来たらしいです。

 ····当時3歳でしたよね?

 幼児の時から暗殺も厭わないとか、どれだけ苛烈なんですか。
グレインビルの悪魔使いや妖精姫じゃなくて、それもう悪魔です。

 暗殺に来たのに何を思ったのか気が変わった令嬢とその魔術師によって流行病が落ち着き、大公とナビイマリ国王女との縁談をまとめ、そのついでに食料を強奪、いえ、ナビイマリ国王の好意でいただいて領民達を病と飢えから救い、元王太子達の犯罪の証拠を手に入れて王子だった陛下の後ろ盾を強化した。

 詳しくは魔法誓約もしているらしくて話してもらえませんでしたが、それを1週間ほどで完遂したと初めて聞かされた時には驚きました。

 10年前の陛下は王位継承権を持ちながら父王に最も忌み嫌われ、王位から最も遠い辺境の王子。
私の記憶では、本人も王位に興味がなかったはず。

 そんな彼を3歳の幼児が突き動かし、知恵を与えて王座まで上り詰めさせた。

 陛下がどういう意図で化け物と呼ぶのか、実際のところはわかりません。

 しかし私も実際にかの令嬢と関わり、それらの話は嘘ではないと感じました。

 化け物····私もそう思います。

 それから約10年。

 この国は令嬢の祖国であるアドライド国と比べれば当然まだまだです。
けれど当時のように国民が飢餓に苦しむ事も無く、他国との同盟も強固にし、手を取り合う関係を築きました。

「確かに我が国は富みと力をつけて10年前のような貧しい最北の国ではなくなりました。
全ては10年前、愚かな辺境領主が領民を救う為に父王の命令に従って、幼い令嬢を誘拐しようとしたからこそ起きた奇跡だと思っています。
令嬢の専属侍女だった少女には現ヒュイルグ国宰相として申し訳なく思います。
そして一個人としては陛下にご愁傷様と申し上げます」
「う、御愁傷様かよ····」
「ふふ、そんな情けない顔はやめて下さい。
仕方ありません。
アリアチェリーナ=グレインビルが1人の女性として陛下を選ぶ事なんて一生ないでしょうから」
「一生····」

 おやおや、ガクリと項垂れてしまいましたね。

「ですがあの日、辺境領主だった陛下の取った行動は一生後悔なさらないで下さい。
亡くなったココという名の侍女の為にも。
そしてその侍女を大切に想い続ける陛下の想い人の為にも」
「わかってる」

 きっと貴方が後悔しないと覚悟を決めて生きているから、大嫌いな貴方をわざわざ助けてくれたんですよ。

 10年前も、今回も。

 大切な専属侍女の死に無駄死にという汚名を着せない為に。

「ビアンカの処遇はあれで良かったのか。
お前からすりゃ憎い奴らの血縁者だろ」
「かまいません。
元々お金があっても大きく使う時間がありませんし、この国の財源はまだまだあった方が良いでしょう。
それにヒュイルグ国とクェベル国の両国から被害者認定されましたから、コンプシャー家の面子も保たれました。
何より婚約者のご両親とも無事に和解できました」
「そうか。
これで堂々と墓参りにも行けるな」
「ええ。
いつもは遠くから墓地を眺めるだけでしたからね。
それに諸悪の根源の2人には婚約者にした事を何倍にもして返しました」
「····おう。
そう、だったな」
「そんな引きつった顔はやめて下さい。
正式に許可も権限も得てした事ですよ。
まあ、それでもあの人はそんな事を望んではいなかったと思います。
優しい人でしたから」

 紅茶を口に含む。
コリンの甘酸っぱさがいくらか心を慰める。

「何度もこのまま殺してやろうと思いましたが、約束通り殺しはしていません。
けれど少なくともあの2人の血を色濃く継いだ元戸籍上の娘が、私の目の届かない範囲で人知れず、身の丈に合う程度の幸福を感じて生きるのを許せるくらいには、気が済みましたから」

 未だにわだかまりは残っています。
愛しいあの人やビアンカへの消化しきれない感情は、死ぬまで抱えて生きていくのでしょう。

「お前も、なかなか難儀な性格だよな」
「おや、陛下も自覚されていましたか」

 陛下の軽口に言い返し、どこか諦めたように、けれど私も陛下も穏やかに笑い合う。
こういう幕引きも····悪くはないでしょう。

 ね、愛しい貴女。



※※※※※※※※※
後書き
※※※※※※※※※
いつもご覧いただきありがとうございます。
宰相sideはこれにて終わりです。
そして宰相····名前決めて無かった?!
元夫人の名前は出てきてたのに、いざ宰相sideの話を書こうとしてまとめメモ見ても、読み返しても出てこない!
どっかで名前見落としてたら、優しいどなたか教えて下さい····。
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