春宮くんは靡かない。

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2. 春宮くんは動じない。

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 春宮 梓は動じない。

 それは、時に訪れるクレーマーであったり、執拗に連絡を取ろうと誘う女子大生であったり、あるいは出される料理の品定めをする「通」の者であったりするのだが。
 基本的に、どんな客が来ようとも春宮くんの心を揺らすことは出来ないし、どんな客をも不満のまま返すことはない。

 そんな不思議な魅力と確かなスキルを持った彼は、今。


「なぁ、俺の愛人にならないか」
「もしもし、警察ですか?」


 やばい客を目の前にしても冷静さを欠くことなくスマートフォンを耳に当てた。慌てた様子で「待て待て待て」と彼の腕を握る男を今日も今日とて不愛想を極めた無表情で見つめた春宮くんは、深く息を吐いてスマートフォンを机に置く。そして冷たい声で「ご注文は?」と呟いた。
 こじんまりとしたカフェである『ひなげし』には珍しい、かっちりとスーツを着こなし髪をもセットした男は、じっと春宮くんの顔を見つめて口を開く。


「そうだな。お前を所望する」
「あ、警察ですか?すみません、やばい人がいて――」
「待て待て待て」


 ここまで来ると、いつもの穏やかな昼下がりを邪魔される不穏を感じ取った数人の常連客も不審げな顔で男と春宮くんを観察し始める。その数人の手にはしっかりとスマートフォンやらタブレットが握られていて、春宮くんがいかに大切にされているのかが分かった。
 春宮くんはすっかり冷え切った声で(元々あたたかい声ではないが)「他のお客様のご迷惑になりますのでとっとと注文するか退店するかお選びください」と告げている。ちなみに店長は春宮くんを大層信頼しているので、余程のこと――暴力沙汰でもない限り、料理スペースから姿を現すことはない。そして、春宮くんが暴力沙汰を引き起こしたことはない。

 男は苦笑しつつも「エスプレッソを」と呟き、カウンターから身を乗り出すことは諦めてじっと準備をする春宮くんを観察し始めた。その熱心な視線に、見ている客の方が気まずい気持ちになって来る。それは当然、見られている張本人である春宮くんも同様なようで。


「お待たせしました。エスプレッソです」
「あぁ、有難う。ところで先程の話なんだが」
「あ、持病の頭痛が。すみません失礼します」


 頗る健康な顔色で己の不調を訴えた春宮くんは、男の言葉をそれ以上聞くこともなく奥へと下がってしまった。その際他の客が注文を求めていないかをぐるりと一望して探すことを忘れないあたり、彼は有能な店員である。

 男は店内の客の胡乱げな視線を一心に受けながらも、対して気に留めることなく呑気にエスプレッソを啜っている。しかし、その目線は油断なく奥へとひっこんでしまった春宮くんを壁越しに見つめており(まるで透過して実際に見えているような熱心さである)、全く凝りていない事が分かった。


「なぁ、アンタ」
「……。なんだ」
「あんま春宮くんに絡んでくれんなよ。春宮くんがいるから『ひなげし』は成り立ってんだからさ、愛人とかよくわかんねぇこと言って迷惑かけないでくれよ。やめて貰っちゃあ困るんだから」
「……。ふむ。検討しよう」
「いやそれ断る奴の返事」


 恐る恐る声をかけた休憩中のサラリーマンが、呆れた様子で重い溜息を吐く。会話中も一切壁から視線を逸らすことの無かった男は、丁度再び店内へと姿を現した春宮くんを歓喜の目で観察していた。
 春宮くんは鬱陶しそうに眉を顰めているものの、口を開く方が災いを呼び寄せると感じているのか何も言うことはない。ちらりと店内を見回し、テーブル席の客の水を継ぎ足しに向かう彼は、何処までも冷静沈着であった。

 1人、また1人と店内から客が減り(会計の際、通報を誘導する者ばかりであった)、ついには男と春宮くんの2人切りになった店内。
 学生も社会人も皆忙しい平日のこの時間。観光客に目を付けられるような場所でもない『ひなげし』は客足が一気に引くのだ。

 しかし、そんな時間になっても退店する気配のない男を、春宮くん――呼び方を変えよう。梓は胡散臭げに眺めた。すると途端に嬉しそうに目を細めるのだから、よくわからない。

 少なくとも、梓は彼と「愛人にならないか」などと切り出されるような関係性を築いた覚えはないし、そもそも出会った記憶すらなかった。
 梓は記憶力が良い。常連客とも呼べるくらい足繫く通ってくれる客の事は、お気に入りのメニューごと記憶しているし、そうでなくとも2,3回出会えば「あぁまた来てくれた」という気持ちを抱くくらいには、覚えるのが早いのだ。


「……あの、あんまり見ないでもらえますか」
「漸く2人になれたな」
「裏に店長要るんで3人ですね」
「つれないな……この部屋にいるのは俺とお前だけだろう?」


 そんな梓の記憶では、少なくともこの男とは初対面である。間違っても、こんなに気持ちの悪い言葉を掛けられる謂れはなかった。
 不愉快げに眉を顰め「通報しますよ」と呟いた梓に、男は余裕綽々で微笑む。その姿がやけにムカついたのでスマートフォンを手に取れば、男は苦笑してもう冷めてしまっているだろうエスプレッソを口に含んだ。


「通報してもいいが、意味はないぞ」
「あ、もしもし警察ですか?今店で頭のおかしい変態に絡まれているので逮捕してください」


 まもなく到着した警察官に、男は何故か楽しそうな顔で連行されていった。
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