2 / 6
2. 春宮くんは動じない。
しおりを挟む春宮 梓は動じない。
それは、時に訪れるクレーマーであったり、執拗に連絡を取ろうと誘う女子大生であったり、あるいは出される料理の品定めをする「通」の者であったりするのだが。
基本的に、どんな客が来ようとも春宮くんの心を揺らすことは出来ないし、どんな客をも不満のまま返すことはない。
そんな不思議な魅力と確かなスキルを持った彼は、今。
「なぁ、俺の愛人にならないか」
「もしもし、警察ですか?」
やばい客を目の前にしても冷静さを欠くことなくスマートフォンを耳に当てた。慌てた様子で「待て待て待て」と彼の腕を握る男を今日も今日とて不愛想を極めた無表情で見つめた春宮くんは、深く息を吐いてスマートフォンを机に置く。そして冷たい声で「ご注文は?」と呟いた。
こじんまりとしたカフェである『ひなげし』には珍しい、かっちりとスーツを着こなし髪をもセットした男は、じっと春宮くんの顔を見つめて口を開く。
「そうだな。お前を所望する」
「あ、警察ですか?すみません、やばい人がいて――」
「待て待て待て」
ここまで来ると、いつもの穏やかな昼下がりを邪魔される不穏を感じ取った数人の常連客も不審げな顔で男と春宮くんを観察し始める。その数人の手にはしっかりとスマートフォンやらタブレットが握られていて、春宮くんがいかに大切にされているのかが分かった。
春宮くんはすっかり冷え切った声で(元々あたたかい声ではないが)「他のお客様のご迷惑になりますのでとっとと注文するか退店するかお選びください」と告げている。ちなみに店長は春宮くんを大層信頼しているので、余程のこと――暴力沙汰でもない限り、料理スペースから姿を現すことはない。そして、春宮くんが暴力沙汰を引き起こしたことはない。
男は苦笑しつつも「エスプレッソを」と呟き、カウンターから身を乗り出すことは諦めてじっと準備をする春宮くんを観察し始めた。その熱心な視線に、見ている客の方が気まずい気持ちになって来る。それは当然、見られている張本人である春宮くんも同様なようで。
「お待たせしました。エスプレッソです」
「あぁ、有難う。ところで先程の話なんだが」
「あ、持病の頭痛が。すみません失礼します」
頗る健康な顔色で己の不調を訴えた春宮くんは、男の言葉をそれ以上聞くこともなく奥へと下がってしまった。その際他の客が注文を求めていないかをぐるりと一望して探すことを忘れないあたり、彼は有能な店員である。
男は店内の客の胡乱げな視線を一心に受けながらも、対して気に留めることなく呑気にエスプレッソを啜っている。しかし、その目線は油断なく奥へとひっこんでしまった春宮くんを壁越しに見つめており(まるで透過して実際に見えているような熱心さである)、全く凝りていない事が分かった。
「なぁ、アンタ」
「……。なんだ」
「あんま春宮くんに絡んでくれんなよ。春宮くんがいるから『ひなげし』は成り立ってんだからさ、愛人とかよくわかんねぇこと言って迷惑かけないでくれよ。やめて貰っちゃあ困るんだから」
「……。ふむ。検討しよう」
「いやそれ断る奴の返事」
恐る恐る声をかけた休憩中のサラリーマンが、呆れた様子で重い溜息を吐く。会話中も一切壁から視線を逸らすことの無かった男は、丁度再び店内へと姿を現した春宮くんを歓喜の目で観察していた。
春宮くんは鬱陶しそうに眉を顰めているものの、口を開く方が災いを呼び寄せると感じているのか何も言うことはない。ちらりと店内を見回し、テーブル席の客の水を継ぎ足しに向かう彼は、何処までも冷静沈着であった。
1人、また1人と店内から客が減り(会計の際、通報を誘導する者ばかりであった)、ついには男と春宮くんの2人切りになった店内。
学生も社会人も皆忙しい平日のこの時間。観光客に目を付けられるような場所でもない『ひなげし』は客足が一気に引くのだ。
しかし、そんな時間になっても退店する気配のない男を、春宮くん――呼び方を変えよう。梓は胡散臭げに眺めた。すると途端に嬉しそうに目を細めるのだから、よくわからない。
少なくとも、梓は彼と「愛人にならないか」などと切り出されるような関係性を築いた覚えはないし、そもそも出会った記憶すらなかった。
梓は記憶力が良い。常連客とも呼べるくらい足繫く通ってくれる客の事は、お気に入りのメニューごと記憶しているし、そうでなくとも2,3回出会えば「あぁまた来てくれた」という気持ちを抱くくらいには、覚えるのが早いのだ。
「……あの、あんまり見ないでもらえますか」
「漸く2人になれたな」
「裏に店長要るんで3人ですね」
「つれないな……この部屋にいるのは俺とお前だけだろう?」
そんな梓の記憶では、少なくともこの男とは初対面である。間違っても、こんなに気持ちの悪い言葉を掛けられる謂れはなかった。
不愉快げに眉を顰め「通報しますよ」と呟いた梓に、男は余裕綽々で微笑む。その姿がやけにムカついたのでスマートフォンを手に取れば、男は苦笑してもう冷めてしまっているだろうエスプレッソを口に含んだ。
「通報してもいいが、意味はないぞ」
「あ、もしもし警察ですか?今店で頭のおかしい変態に絡まれているので逮捕してください」
まもなく到着した警察官に、男は何故か楽しそうな顔で連行されていった。
0
あなたにおすすめの小説
昔「結婚しよう」と言ってくれた幼馴染は今日、僕以外の人と結婚する
子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき
「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。
そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。
背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。
結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。
「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」
誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。
叶わない恋だってわかってる。
それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。
君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
寂しいを分け与えた
こじらせた処女
BL
いつものように家に帰ったら、母さんが居なかった。最初は何か厄介ごとに巻き込まれたのかと思ったが、部屋が荒れた形跡もないからそうではないらしい。米も、味噌も、指輪も着物も全部が綺麗になくなっていて、代わりに手紙が置いてあった。
昔の恋人が帰ってきた、だからその人の故郷に行く、と。いくらガキの俺でも分かる。俺は捨てられたってことだ。
たとえば、俺が幸せになってもいいのなら
夜月るな
BL
全てを1人で抱え込む高校生の少年が、誰かに頼り甘えることを覚えていくまでの物語―――
父を目の前で亡くし、母に突き放され、たった一人寄り添ってくれた兄もいなくなっていまった。
弟を守り、罪悪感も自責の念もたった1人で抱える新谷 律の心が、少しずつほぐれていく。
助けてほしいと言葉にする権利すらないと笑う少年が、救われるまでのお話。
手切れ金
のらねことすていぬ
BL
貧乏貴族の息子、ジゼルはある日恋人であるアルバートに振られてしまう。手切れ金を渡されて完全に捨てられたと思っていたが、なぜかアルバートは彼のもとを再び訪れてきて……。
貴族×貧乏貴族
【8話完結】強制力に負けて死に戻ったら、幼馴染の様子がおかしいのですが、バグですか?
キノア9g
BL
目が覚めたら、大好きだったRPGの世界に転生していた。
知識チートでなんとか死亡フラグを回避した……はずだったのに、あっさり死んで、気づけば一年前に逆戻り。
今度こそ生き残ってみせる。そう思っていたんだけど——
「お前、ちょっと俺に執着しすぎじゃない……?」
幼馴染が、なんかおかしい。妙に優しいし、距離が近いし、俺の行動にやたら詳しい。
しかも、その笑顔の奥に見える“何か”が、最近ちょっと怖い。
これは、運命を変えようと足掻く俺と、俺だけを見つめ続ける幼馴染の、ちょっと(だいぶ?)危険な異世界BL。
全8話。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる