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崩壊する世界と元・野球少女

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「避けて! よけろよ!! バカアアアアアアア!!!」

 進行方向に人影を見た、芹菜せりなは叫んだ。
 小さな人影が、道路の上で固まっていたのだ。

 急ブレーキをかけたら、多分バイクごと転倒だ。
 人影を避けられるかは、分からない。
 多分芹菜も、単車と一緒に道路に激突する。

 どの道、間に合わないだろう。
 芹菜は思いきりハンドルを左に切り、バイクを蹴って、自分は宙に飛んだ。

 バイクは横転し、アスファルトに楕円の軌跡を描きながら、歩道へと向かう。
 歩行者の叫び声に、重い衝撃音が続いた。

  芹菜は道路に落ちて行く。
 この速度では、受け身を取るのが難しい。

 短い、人生だったな……

 芹菜の脳裏に、短いながらも彩りにあふれた記憶が駆け巡る。
 最初は淡いパステルカラー、途中からはダークな色の記憶である。

 宗岡むねおか芹菜は、高校生である。
 家計のために、朝夕新聞配達をしている。新聞配達以外にも、複数のバイトを掛け持ちしている。

 何年か前までは、宗岡家は裕福な家庭だった。
 大きな企業に勤める父と、子どもたちのためにと、専業主婦を選んだ母。
 三歳上の兄は、いつもニコニコしながら芹菜と遊んでくれた。

 芹菜が小さい頃から、父と兄は、よくキャッチボールをしていた。
 野球が好きだった父は、芹菜と兄を、たまに地元の球場に連れて行った。

 一足先に小学生になった兄は、少年野球のチームに入る。
 ポジションは、投手。
 その姿に憧れて、芹菜も同じチームに入った。

 お兄ちゃんと一緒に、試合に出るの!
 そう言って、泥だらけになりながら白球を追いかけた。

 才能は、妹の方が上だった。

 芹菜はもともと、足が速い。
 それだけではない。
 動体視力がずば抜けていた。

 ボールを投げる。
 来たボールをキャッチする。
 内野安打で出塁する。

 兄より先に、芹菜はレギュラーの座を手に入れた。

 それが後々、宗岡家の悲劇を生む。

 中学に上がる頃、芹菜の兄は野球を辞めた。
 いつしか兄は、問題行動を起こすメンバーの、主要人物になっていた。

 母は嘆いた。
 そして芹菜に向かって毒を、吐いた。

「あなたが悪いのよ! 女のクセに、お兄ちゃんより野球が上手くなったから!」

 アナタガ ワルイ!
 オンナノ クセニ! 


 パリン……。

 芹菜の中で、何かが壊れた。

 芹菜の兄の蛮行の結果、父は仕事を辞め、賠償金を払い、一家は故郷を離れた。
 転職が上手くいかなかった父は、酒で体を壊し入退院を繰り返す。

 兄は単位制の高校に進学したが、すぐに退学し、現在は家に寄り付かない。

 母は老け込んだ。

 長らく専業でいたためなのか、社会に適応できない。
 一日中、自分の髪を抜き、涙を流す。
 兄の名を呼びながら。

 

 芹菜は道路へ落ちて行く。
 その僅か数秒間に思う。

 もう一度、ボールを取って投げたかったな。
 お兄ちゃんと試合に出たかった。

 もう一度
 家族みんなで、笑いたかった……。

 路上の人影は、あどけない少年だった。
 ケガはしていないようだ。
 それだけでも、良かった。

 蹲っていた少年は、光る何かを掴む。


 その時である。

 空から次々と、透明な板が、垂直に地面に落ちた。
 板は芹菜と少年を囲むような、檻を形成する。

 芹菜の体はふわり、宙をさまよう。
 
 宇宙遊泳のような恰好で、芹菜は少年を見た。
 少年も茫然と、芹菜を見つめた。

 芹菜と少年の視線がぶつかった瞬間、二人は、眩(まばゆ)い光に包まれた。






◇◇◇


 その国は長い内乱が続いた。
 緑豊かな大地は荒れ果て、人心もそれに続いた。

 統治していた者、された者、どちらも血を流し倒れていく。
 国を守っていた神は、惨状に呆れたのか、何処かに去った。

 神に仕えていた一族だけは、ひそかに生き延びた。
 
 もう一度、神を呼び戻すのだ。
 豊かで平和な国を、造り直すために。

 その一族に、方法論は伝えられていた。
 神は、音と色と形に宿る。
 だが、それらを正確に読み取り、神に捧げる能力を持つ者が、一族にはもう、いなかったのである。

 一族の長は決意する。
 神を呼び戻す能力者を、この世界に招くと。


…………



 芹菜は目を覚ます。

 薄暗い。
 夕暮れなのか、明け方なのか。今、何時だろう。

 身体が痛い。
 痛みを感じて、芹菜の意識は覚醒する。

 ここは何処だろう。
 今まで、寝ていたのか。

 芹菜の目の前に、目を閉じた少年の顔があった。
 体を起こした芹菜に、キーンという頭痛が走る。

 少年。
 少年を、見た。

 バイクに乗って見た景色だ。

 少年は、路上にいた。


「ああああ!!」

 芹菜の声に少年の瞼も反応する。

 芹菜の悲鳴に近い声は、琉生のまぶたの裏に、強いオレンジ色を与えた。

 何回か瞬きを繰り返し、琉生は目を開けた。
 薄暗い天井から、オレンジ色の光の筋が、何本か落ちている。

 丸みを帯びた天井を眺め、琉生はぼんやりと思う。
 自分の部屋と、違う……?

 自分の部屋ではない?
 すると、ココはどこ?

 聞こえたのは薄い紅色。
 若い女性の声だった。

「君、大丈夫?」

 琉生の顔を覗き込む視線。
 薄暗い中でも、視線の元の瞳には、強さがあった。
 琉生はコクコクと頷く。

 頷いて琉生はハッとする。

 交差点にいたはずだ!
 交差点で、眩暈を起こして

 それから…………。

 それから、どうした?

 琉生は思い出す。
 動けなくなった琉生に向かって、オートバイが走って来ていた。

 何かを掴もうとして、琉生は手を伸ばして……
 そのあと、どうなった?

 女性は琉生を抱きしめた。

「良かった! 生きてる!」

 生きてる?

 そうか。ぶつかって、倒れて、どこかに運ばれたのか。

「私は芹菜。宗岡芹菜。君は?」
「羽生琉生、です。ここは、どこですか?」

 二人は床に座り、周囲を見渡す。
 丸い天井と、布に囲まれた、テントのような場所。

 床には薄い布が敷かれている。
 布の四隅には、ろうそくか何かが置かれ、チロチロと炎が揺れていた。

「わたしも、今、目が覚めたの。どこだろうね、ここ。病院、じゃないのかな……」

 テントの隙間から、声が聞こえる。
 芹菜と琉生は、恐る恐る、外へ出た。

 いきなり目に飛び込んできたのは、杏色の大きな夕陽。

 テント前には二人の子どもが、何かで遊んでいた。

「泣き声……」

 琉生がぽつりと言った。

「えっ何?」
「あの夕陽から、泣き声がする」

 二人の子どもは琉生と芹菜に気付き、一人が駆け出して行った。
 残った一人は、小学一年生くらいの背丈の少女だった。

「”#$☆%%!&♪&’‘@」

 少女が話しかけてきたが、芹菜には何を言っているのか、全く聞き取れなかった。

 琉生は答えた。

「僕はルイ。こっちのお姉さんはセリナさん。ここは、どこなの?」

 なんで、この琉生という少年が聞き取れて、自分には聞き取れないのか、芹菜はまだ分かっていなかった。

「そう、ここは、ガルダと言う場所なんだね」

 琉生と少女は会話を続けていた。

 駆け出して行った子どもが、大人を連れて戻ってきた。
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