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二十八章 日本国憲法第二十条は、大いに尊重している

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 今野がぽろっと言った「あのカルト教団」とは、何だったのか。



 それは、ロウソクの炎を見つめ続け、炎と一体化することで、超人になれるという教義を掲げていた、所謂新興宗教の一つだ。いっとき、オカルトを扱う雑誌などで、よく取り上げられていた。

 炎と一体化した時に、人は能力の限界を超え、やがて念じただけで、火を点けられるようになるという。



「ライターで点ければいいじゃん」



 かつて、その教団の話を聞いた時に、加藤は思った。


 さらに、炎の中に、人の世の未来を見ることが、出来るようになるんだそうだ。

 それで、見えるようになった信者は占い師として、路上で道行く人たちの悩み相談を請け負っていた。



「教団の資金調達の一環だな」



 加藤は教団の噂を聞いた時に、鼻で笑った。



 だって、ガキの頃から密教系の寺に通っていた加藤だ。

 それなりに仏教への造詣はある。



 だいたい同じ護摩祈願でも、管長とか座主とか言われる人が焚くと、炎はぶわっと何倍も高く上がるのだ。

 そりゃあ、念力が違うってもんだろう。

 驚くほどのことでもない。



 件の教団の教祖と幹部らは、後々種々の違法行為で逮捕され、教団は解散したという。

 もう二十年以上も前の話だ。



 その関係者であった篠宮啓子は、市井で密やかに、生活していたのか。

 占いで生計をたてながら。

 その息子と思われる彼もまた、幼い頃に教団で、修行でもしていたのだろうか。





 などと思いながら、加藤は自室で掌に念を込めてみた。



「出でよ! 全てを焼き尽くす、黒煙の龍よ」



 二十分ほど念じてみたが、煙一つ出なかった。







 そして、改装した公園の内部を、限定された人にだけ、公開する日がやって来た。



 加藤が呼んだ面々とは。



 まずは音竹母子。そして音竹の伯母の長尾。

 白根澤と氷沼。仕方なく加藤の兄の憲章。

 声だけかけた、麻酔科医の蘭佳。

 呼ばなくても来るであろう、近くに住む今野。



 絶対来るなと言っておいた、加藤の父と母。

 来るかどうかは知らない、音竹の主治医、篠宮。




 昼頃公園に行くと、氷沼は既にすべり台で遊んでいた。

 改装された公園のすべり台は、首長竜の首の部分が、すべり落ちるスロープになっていた。



「よお、せいさく! スゲーな、これ」



「お前を遊ばせるために、作ったわけじゃない!」



 加藤が氷沼に向かって話していると、いきなり首の後ろが冷たくなる。



「冷てえ!」

「残暑では熱中症に注意よ。飲みなさい」



 白根澤が、冷えた果汁飲料を、加藤の首に当てていた。 





 おどおどした表情で、音竹の母が息子と一緒にやって来た。



「あの、先生。こんにちは。今日はどういった……」

「ああ、音竹のお母さん。おめでとうございます。今日でしがらみから、解放されますので」

「はあ……」



 テンションが上がってきた加藤は、常人には理解しがたい話しぶりになる。



「まあまあ、これは音竹さん。伸市さんも、ごきげんよう」

 

 音竹母子の対応は、白根澤が間に入って行った。



 少し遅れて、今野の爺さんが歩いてくる。



「よっ先生。頼まれていたモンの準備、出来たぜ」

「おお! あれ、占い師は?」

「ちょっと遅れる」



 準備は整ったようだ。

 加藤はまず、自分だけですべり台へ登る。

 上に登って立ち、アパートの方を見ると、ガラス窓の外側に、カラス除けと思われる、黒いバルーンがあった。



 バルーンは、時折吹く風に揺れている。

 とことどころ、キラっと光っている。



 バルーンから視線を公園に戻し、加藤は音竹に声をかける。



「どうだ? 凄いだろう。この恐竜のすべり台」



 音竹は、微かに笑顔を浮かべ、何回か頷いた。



「ここまで来て、一緒に滑ってみないか。俺が後ろから支えているから」



「せ、先生。しんちゃ、伸市はすべり台、苦手で……」

「知ってます、お母さん。だからこそ、今日、ここまで来てもらったんです」

「で、でも、今日は、篠宮先生もいないし……」



「篠宮だと? アイツの代わり位、私でもできるな。同じ医者だし」



 いつ来たのか、長い髪をかき上げながら、東条蘭佳がそこに居た。



「いえ、あ、そうじゃなくて……」



「何? 伸市をすべり台に上げると、困ることでもあるの? 樹梨」

「えっ? ええ! お姉ちゃん!?」



 兵庫から、音竹の伯母、長尾も駆けつけて来たようだ。



 音竹伸市は、震えているように見えた。

 そして意を決したように顔を上げ、一歩ずつ、すべり台に向かった。
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