5 / 11
月夜の黒狸
しおりを挟む私は会社からの帰り道で、ふと夜空を見上げました。
そこには妙に大きな月が浮かんでいて、とても綺麗に輝いていました。
その月はまんまるで満月のようでした。
そして何より驚いたのは、その周りには星が沢山散りばめられていたことでした。
今までこんなに美しい夜空を見たことがありませんでした。
私は思わず足をとめて見惚れてしまいました。
すると突然、後ろからポンッという音が聞こえてきました。
驚いて振り返ると、そこには小さな狸が一匹、ちょこんと立っていました。
私はその真黒な狸を見て、わが目を疑いました。
月明かりに照らされて、幼稚園児くらいの大きさの狸が、本当に後ろ足だけで立っていたのです。
しかも、自分の背丈ほどの大きな徳利を右手にかかえて、腰には大福帳と書かれた帳面のようなものをぶさげています。
その狸は、私の顔を見るとニコッと笑いました。
いえ、笑ったような気がしただけかもしれません。
ただ口許だけが微かに動いたように思えたのです。
それから、さっきのポンッという音はこの狸が出したのだなと思いました。
私は、なんとも現実感の無い狸を黙って見つめているだけでした。
すると狸はペコリとお辞儀をして、私の方へトコトコ歩いてくると、話しかけてきたのです。
「あなたはとても幸運です」
いきなりそんなことを言われて、驚きました。
狸が話しかけてきたら誰だって驚きます。
でも、私の口から出た言葉はそんな事とは無関係なものでした。
「どうしてですか?」
私は自分でも驚くくらい落ちついた声で尋ねると、狸はその大きな丸い目を私に向けて答えました。
「今宵は十五夜です。だから私は貴方の前に来たのです」
確かに今日は満月のようだし、いつもより空も澄んでいるように感じます。
「そうなんですね」
「はい。それに今日は貴方の誕生日でもあるでしょう? おめでとうございます」
その言葉を聞いて私はハッとしました。
すっかり忘れていたのです。
「よくご存知なんですね」
「はい。この世界は全て繋がっているのです。だから貴方のことも何でも知っていますよ」
私は改めて夜空に浮かぶ月を見つめました。
そう言えば、誕生日を祝うなんて一体いつ以来でしょうか。
ここ数年、誕生日に誰かからメールが来たことさえありませんでした。
「もしかして、貴方は私に誕生日のプレゼントを持ってきてくれたのですか?」
私はそんな気がして尋ねてみると、狸は申し訳無さそうに首を横に振りました。
「いいえ。残念ながら違います。今日貴方の前に現れたのは偶然です」
少しガッカリしながらも、私は聞き返しました。
「では何故ここに現れたのですか?」
「先程も言った通り、今夜は十五夜なのです。つまり特別な日なんですよ」
「そうなんですか……」
特別と言われてもピンときません。
そんな私の気持ちを察してか、狸が続けて言いました。
「ですから、何か一つだけあなたのお願い事を叶えましょう」
願い事……
急に言われてもすぐに思い浮かびません。
私には特にこれと言って、願い事などないのです。
それこそ子供の頃は神頼みをしたこともあったかもしれませんが、今は……。
でもせっかくのチャンスです。
無駄にするわけにはいきません。
私は暫く考えて、一つのお願いを思いつきました。
「あの、友達が欲しいです」
私の友達といえば会社の同僚達くらいです。
皆仕事仲間ですから、気軽に相談したり遊びに行ったりするような関係ではありません。
だから、本当の友達と呼べるような人が欲しかったのです。
ところが狸は首を少し傾げました。
「すみません。貴方が言うところの"友達"とはどういう意味なのでしょうか?」
「えっと、そうね、同じ時間を過ごしたり、一緒に笑ったり、困ったときには助け合ったりする人かしら」
私はうまく説明できているかどうか不安になりながらも、一生懸命答えました。
すると狸は笑顔を浮かべました。
「なるほど。それが人間で言うところの"友達"という意味ですね。理解出来ました。そういう人を一人用意しますね。きっとその人は、貴方にとってかけがえのない存在になるはず」
そう言って狸は大きく肯くと、またニコッと笑いました。
やっぱり口許だけが動いているように見えます。
その笑顔が何だか可愛らしくて、つられて私も笑いました。
すると狸は大きく大福帳と書かれた帳面を開いて、何やら鉛筆を走らせて始めました。
聞き取れないくらいの小さな声でぶつぶつと呟きながら、鉛筆の先を舐めてはまた書き込んでいます。
時々首を傾げては、うーんと唸って鉛筆で線を引いてたりしています。
それから帳面をパラパラと捲って、何かを確認しているようでした。
ひとしきりそんな事を繰り返したあと、狸は顔を上げてニコッと笑いました。
「うまくいきましたよ。貴方の要望通りの友達ならいいのですが。」
その声と同時に風が吹いて、辺りの木の葉がザワザワッと揺れました。
私は目を細めながら言いました。
「もう私に友達が出来たのですか?」
狸はコクッと大きく肯きました。
「もちろんです。」
狸はそう言いながら、大きな徳利の栓を抜くと、ぐびぐびと中身を飲みました。
「いやまったく、ひと仕事終えたあとの酒は格別ですな」
狸はそういって徳利の栓をぎゅっとしめました。
「叶えられるお願い事はひとつだけと言う仕来りでして、今回はこれでおしまいです」
そういって狸は軽く会釈をすると、ポンッと音をたてて煙に包まれたかと思うと、あっという間に消えてしまいました。
私は意味がよくわかりませんでした。
さっきまで狸が居た場所を見つめたまま立ち尽くしてしまいました。
一体どういうことなのかと頭を捻っていると、ポケットの中の携帯電話が震え始めました。
メールが届いたようです。
差出人は同僚の男性でした。
『今日は誕生日でしたよね?おめでとうございます』
たったそれだけの内容でしたが、私は思わず嬉しくなって声を出さずに笑っていました。
私は返事を返す代わりに、すぐに電話をかけていました。
電話はすぐに繋がりました。
「もしもし、お疲れ様です」
「お疲れっ」
「突然ごめんなさい。お祝いの言葉ありがとうございました」
「いえ、別に気にしないで下さい」
「ところでさ、今日は十五夜なんだって知ってました?」
私は夜空を見上げながら彼に聞いてみました。
「十五夜? そうなんですか、全然知りませんでした!」
「じゃあ、ちょっと月を見てみなさいな」
「月ですか? うーん、よく見えないなぁ」
そういう彼の声を聞きながら、私はクスリと笑いました。
今頃、彼は一生懸命に目を凝らして空を見つめているに違いありません。
「今度、ちゃんとお礼しますから」
「え、いいんですか、うれしいな!」
「それじゃあ、また明日」
「はい、お休みなさい」
「お休みなさい」
そして私は電話を切りました。
ふと自分の足元をみると、そこに今狸が座っていたような気がしました。
けれど、それはきっと気のせいでしょう。
何だか、幸せな気分です。
今夜は素敵な夢が見られそうな気がしました。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
