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1986年の元旦
江ノ島丼
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江ノ島丼とはサザエを刻んで卵とじにして、ご飯にのせて食べる料理だ。
葉織も初めてこの店に入った時、見慣れないメニューだったので気になってこれを注文したのだが。
ほかほかの江ノ島丼と親子丼がテーブルにのせられて、いただきますとふたりで手を合わせて。
葉織は自分は口を着けずに羽香奈が食べ始めるのを見守った。
「どう? 江ノ島丼」
「ん~……お肉の入ってない、親子丼、みたいな感じ?」
「パッとしないんだよね……」
期待を込めて口に入れると、こんな反応になりがちな気がする。
とはいえ、実際に食べてみて気に入る可能性もあるのだから、一度も食べたことがない人に「こんな感じだよ」と事前に言ってしまうのも気が引ける。
「親子丼、半分あげるよ」
「悪いよ、葉織くんが注文したのに」
「こんな感想かもしれないってわかってて教えなかったんだし。
気にしなくていいよ」
羽香奈が江ノ島丼を器の半分食べ終わるのを待ってから、葉織はその丼に自分の親子丼の半分をそっくりそのまま移し替えた。
そして羽香奈の丼を自分の前へ、親子丼が半分だけ残った丼を羽香奈の前へ。
「あ、ありがとう……ごめんね。
出てきたばっかりの頃より冷めちゃったし……
わ、わたしの食べかけ、なんて」
自分はもうこの店で何度も食べてるからいいんだよ、と言っても、羽香奈は恐縮している。
ちょっとだけ頬が赤らんでいるように見えるけど、気のせいかな?
ちょうど夕暮れ時で窓から赤い日差しが射し込んでいるから染まっているだけかな、と葉織は自己解釈する。
「真冬だと、こんな時間でもう日が暮れるね」
冬場で空気も澄んでいて、雲もなかった。
だから今日は見事に富士山が見えていて、逆光で影に沈みつつあるもののまだ山頂に積もった雪の色まで判別できる。
夕日は真正面、伊豆の山脈に隠れる寸前だった。
海にはまっすぐ、太陽に向かってオレンジ色の帯が伸びている。
「わたし達のお家の庭から見える町の風景も好きだけど、海しか見えないっていうのも印象違っていいね」
羽香奈が江ノ島で暮らし始めて五か月になるが、まだまだ知らない景色が見つけられる。
葉織も、ちょっと感慨深かった。
今まではこの店で見る元旦の夕日も料理も、波雪との思い出だった。
今年からは羽香奈との思い出になっていくのだと、胸に滲み込むように実感していく。
波雪は毎年、江ノ島ラーメンを注文していた。
江ノ島丼のラーメン版のようなもので、サザエが入っている以外は特徴のないラーメンでしかなかったが。
「せっかく年に一度なんだから、家では食べないものにしたいの」と言って食べていた。
来年はオレも江ノ島ラーメンにしようかな、と、まだ一年も先のことを考えているのに気付いて苦笑する。
「葉織くん、さっき、波雪さんは『おじいちゃんとおばあちゃんをふたりっきりにさせてあげたいから』って言ってたよね。
わたしはそれだけじゃなかったと思うなぁ」
「どういうこと?」
「たまには葉織くんとふたりだけで、のんびり、お外でご飯を食べたかったんじゃないかな。って、思ったの」
テーブルの窓際に、ルーレット式おみくじ器と、葉織が作った木彫りの龍が並ぶように置いてある。
その龍は窓の外を見るように配置していて、ごちそうさまでした、と言いながら彼女はその頭を撫でていた。
葉織も初めてこの店に入った時、見慣れないメニューだったので気になってこれを注文したのだが。
ほかほかの江ノ島丼と親子丼がテーブルにのせられて、いただきますとふたりで手を合わせて。
葉織は自分は口を着けずに羽香奈が食べ始めるのを見守った。
「どう? 江ノ島丼」
「ん~……お肉の入ってない、親子丼、みたいな感じ?」
「パッとしないんだよね……」
期待を込めて口に入れると、こんな反応になりがちな気がする。
とはいえ、実際に食べてみて気に入る可能性もあるのだから、一度も食べたことがない人に「こんな感じだよ」と事前に言ってしまうのも気が引ける。
「親子丼、半分あげるよ」
「悪いよ、葉織くんが注文したのに」
「こんな感想かもしれないってわかってて教えなかったんだし。
気にしなくていいよ」
羽香奈が江ノ島丼を器の半分食べ終わるのを待ってから、葉織はその丼に自分の親子丼の半分をそっくりそのまま移し替えた。
そして羽香奈の丼を自分の前へ、親子丼が半分だけ残った丼を羽香奈の前へ。
「あ、ありがとう……ごめんね。
出てきたばっかりの頃より冷めちゃったし……
わ、わたしの食べかけ、なんて」
自分はもうこの店で何度も食べてるからいいんだよ、と言っても、羽香奈は恐縮している。
ちょっとだけ頬が赤らんでいるように見えるけど、気のせいかな?
ちょうど夕暮れ時で窓から赤い日差しが射し込んでいるから染まっているだけかな、と葉織は自己解釈する。
「真冬だと、こんな時間でもう日が暮れるね」
冬場で空気も澄んでいて、雲もなかった。
だから今日は見事に富士山が見えていて、逆光で影に沈みつつあるもののまだ山頂に積もった雪の色まで判別できる。
夕日は真正面、伊豆の山脈に隠れる寸前だった。
海にはまっすぐ、太陽に向かってオレンジ色の帯が伸びている。
「わたし達のお家の庭から見える町の風景も好きだけど、海しか見えないっていうのも印象違っていいね」
羽香奈が江ノ島で暮らし始めて五か月になるが、まだまだ知らない景色が見つけられる。
葉織も、ちょっと感慨深かった。
今まではこの店で見る元旦の夕日も料理も、波雪との思い出だった。
今年からは羽香奈との思い出になっていくのだと、胸に滲み込むように実感していく。
波雪は毎年、江ノ島ラーメンを注文していた。
江ノ島丼のラーメン版のようなもので、サザエが入っている以外は特徴のないラーメンでしかなかったが。
「せっかく年に一度なんだから、家では食べないものにしたいの」と言って食べていた。
来年はオレも江ノ島ラーメンにしようかな、と、まだ一年も先のことを考えているのに気付いて苦笑する。
「葉織くん、さっき、波雪さんは『おじいちゃんとおばあちゃんをふたりっきりにさせてあげたいから』って言ってたよね。
わたしはそれだけじゃなかったと思うなぁ」
「どういうこと?」
「たまには葉織くんとふたりだけで、のんびり、お外でご飯を食べたかったんじゃないかな。って、思ったの」
テーブルの窓際に、ルーレット式おみくじ器と、葉織が作った木彫りの龍が並ぶように置いてある。
その龍は窓の外を見るように配置していて、ごちそうさまでした、と言いながら彼女はその頭を撫でていた。
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