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1 お転婆娘、花の都へ行く
しおりを挟むジュヌヴィエーヴの父であるピエール・モンクレーヌという男は、一応叙勲されている男爵だか子爵だかという位を持っている男だったらしい。まったく知らなかった。それも父一代限りの爵位ということで、特に覚えておくつもりもなかったので、ふぅん、と半分聞き流していた。
そんな男と母の接点はなんだったかと言うと、母の兄――つまりは、たまにやって来ては祖父のところからワインを盗んで行く大嫌いな伯父の借金が原因だった。
都で放蕩を尽くしていた伯父は父に借金をし、その返済を迫られて祖父に泣きついたのだが、その頃の祖父は二年連続でワイン用の葡萄畑が天候と病気の被害に遭い、苦しい状況にあった。とてもではないが、馬鹿息子の借金を返済してやる余裕などなかったのだ。
手下を引き連れて返済を迫りに乗り込んで来た父は、ワイナリーの権限をすべて譲渡させることを迫ったという。つまり祖父は、馬鹿息子が遊び呆けて作った借金のかたに、先祖から引き継いできた大切な葡萄畑を手放さなければならないということなのだ。
権限をすべて取り上げられては祖父達は稼業を失う。住むところにも困ってしまう、と大変に思ったが、そこに住み続けていいと言われたらしい。土地管理人兼小作人として。
祖父のワインはそこそこ評判のいいものだったので、そこに目をつけたのだろう。しかし、作り手が変われば味も変わるものだ。その変化を抑える為に、土地の権利を奪いつつも小作人として残ることを打診してきたのだろう。なんとも強欲な男だ。
祖父はおおいに迷った。ワイナリーを手放すことはしたくないが、馬鹿息子を見捨てることも出来ない。
祖父が煮え切らない態度を取るのが我慢出来なかった伯父は、母に泣きついたらしい。お前からも借金の返済期限を延ばしてくれるように頼んで来てくれないか、と。
素直で優しい母は、可哀想な伯父の言葉に従ったという。まだ子供のお前が涙ながらに頼めば情に絆されるかも知れない、と言われれば、その通りだろうと思ったのだろう。
結果、人を疑うことを知らない十四歳だった母は、父に手籠めにされたということだ。
もしかすると、こうなることが伯父の計算だったのかも知れないし、父も狙っていたことだったのかも知れない。
父は母を連れ去る代わりに、返済期間は五年の間に分割することを許し、利子もつけないという破格の条件を示したという。伯父は手放しで喜び、祖父母は娘の犠牲の上に成り立つその条件が申し訳なくて泣き崩れた――と、パリまでの道行きが暇だったのか、ジャン=ポールはねちねちと語って寄越した。お陰で印象が最悪だった父の印象は嫌悪の対象そのものとなった。
母のことを二年程散々に弄んだ父は、母の妊娠を知ると共に囲っていた別宅から追い出し、手切れ金を持たせて故郷へと戻したということだ。そこで生まれたのがジュヌヴィエーヴだった。
一応、娘が生まれたことを報せたが、父からはなんの反応もなく、いくらもしないうちに借金を返し終えると、それで縁は切れたものだと思っていたのだろう。母も祖父母も、父のことは一切口にせず、今日までを過ごしてきた。
それが今更、いったい何故呼び寄せようなどと思ったのだろうか――ジュヌヴィエーヴには嫌な予感しかしなかった。
父の家はそれなりに大きな屋敷だった。
だが、田舎の広い葡萄畑や草原を駆け回って育って来たジュヌヴィエーヴにとって、都市部にあるが故に庭も狭いその屋敷は、なんだかとても窮屈に思えた。
当時の父は五十代の半ばを過ぎた頃で、見た目も年齢も祖父と同じくらいだった。
本妻であるジョゼフィーヌも母よりずっと年上で、祖母と同じような年齢だろう。
それも当たり前のことだ。ジュヌヴィエーヴを迎えに来た長兄のジャン=ポールが母より二つも年上なのだから、その母親であるジョゼフィーヌが若いわけがない。
「ソレーヌとはあまり似ていないのだな」
父は部屋に入って来たジュヌヴィエーヴに向かって首を傾げた。
あら、とジュヌヴィエーヴは笑みを浮かべる。
「十年以上も会っていなかったのに、母のことをお忘れではないのですね。存在自体お忘れになっているのかと思いましたのに……思っていたよりも記憶力のよろしい方で驚きました」
嫌味な言い回しに思わずポカンとした目を向ける父は、すぐに言葉の意味を理解し、怒りの形相になると長男を睨みつけた。
「こういう娘なんですよ」
ジャン=ポールは物凄く疲れた溜め息を零しながら、父の怒りの視線を受け流す。二日間の道中を共にして来た彼は、自分の異母妹がどういう娘なのか、うんざりするほどに理解を深めたところだった。
父はチッと舌打ちをすると、隣で刺繍をしている妻に視線を投げる。
「これがソレーヌの娘だ」
その言い回しにジュヌヴィエーヴは大袈裟に目を丸くして見せた。
「まあ! 会いたいと仰っているとお兄さんにお伺いしたのでこちらに来たのですが、私の名前もご存知ではないのですね。そこまで関心がなかったというのに、どうしてわざわざお迎えにまで来させ、会いたいなどと仰ったのでしょう?」
父は顔を真っ赤にして生意気な娘を睨みつけた。その表情があまりにもジャン=ポールとそっくりだったので、思わず笑ってしまいそうになる。
はあ、とジョゼフィーヌは大きな溜め息を零し、刺繍針を針山に突き刺し、手を止めた。
「旦那様、少々その娘と二人でお話をさせて頂きたいのですけれど」
「なにを話すというのだ」
「礼儀を弁えさせましょう」
妻の僅かに冷ややかさのある表情に、父は押し黙る。それから顎をしゃくってジャン=ポールにも退室を促し、部屋を出て行った。
日当たりのよい居間の中には、祖母と孫ほどにも年齢の離れた女が二人きりになる。ジュヌヴィエーヴは僅かに緊張して、静かに見つめてくるジョゼフィーヌを見つめ返した。
彼女にとって自分は、とても憎らしい存在なのはわかっている。なにせ夫の愛人の子供だ。酷い罵倒を受けるのだろうな、と覚悟を決めた。
そんなジュヌヴィエーヴの心中とは裏腹に、ジョゼフィーヌが静かに口を開く。
「私はジョゼフィーヌ・ルイーズ・バロー。あなたの名前を訊いても?」
「ジュヌヴィエーヴと申します」
身構えながらも名乗り、礼儀正しくお辞儀をする。そんな様子にジョゼフィーヌは僅かに双眸を眇め、椅子を示して「お掛けなさい」と告げた。
「今、お茶を用意させるわ。少し待っていて」
「お気遣いありがとうございます、奥様」
素直に感謝の言葉を述べると、ジョゼフィーヌはふっと驚いたような表情を見せ、ゆっくりと何処か痛ましげな笑みを浮かべた。
「あなたのお母様に初めて会ったとき、彼女も同じことを言ったわ……」
懐かしむようなその口調からは、憎らしい愛人に対するものだとは思えない響きが感じられ、今度はジュヌヴィエーヴが双眸を瞠る番だった。
「母と、会ったことがあるのですか?」
「もちろんありますよ」
続きを話そうとしたとき、メイドが入って来てお茶の支度を整え始めた。なんとなくジュヌヴィエーヴは口を噤み、ジョゼフィーヌもカップを受け取って黙っている。
「あなたのお母様は、私の亡くなった娘と同じ年なのよ」
メイド達が立ち去り、テーブルの上に並べられた見たこともないお菓子の数々に興味を示したとき、ジョゼフィーヌが静かに話し始めた。
彼女の二番目の子供は、六人いた子供達の中でたった一人の可愛らしい女の子だったのだが、十歳になったときに病気で亡くなってしまったのだという。
悲しみがようやく癒えてきた頃、夫が若い愛人を囲っているらしいという話を聞きつけ、使用人に状況を探らせてみると、その愛人というのが亡くなった娘と同じ年という幼さであると聞き、ジョゼフィーヌは憤りよりも悲しみに嘆いた。
夫が仕事の都合で数日旅に出ている隙にその若い愛人を連れ出し、怯える彼女からなんとか話を聞いてみたところ、彼女が借金のかたに無理矢理連れて来られたという事情を聞き出した。ジョゼフィーヌはますます絶望し、夫を軽蔑した。
それ以降、なにかとその若い愛人のことを気にかけていたのだが、彼女はある日忽然と姿を消した。
こっそりとやり取りをしていた手前、夫にそのことを問い質すことも出来ず、人を使って行方なども探させていたのだが、南の方で生まれ育ったという話しか聞いたことがなく、手掛かりを欠いて上手くいかないまま十三年の時が流れたのだった。
「お母様はお元気?」
黙って話を聞いていた少女にお菓子を勧めながら、ジョゼフィーヌは尋ねた。
「最近、少し体調がよくないです。風邪をひきやすくなりました」
「そう……可哀想に」
溜め息交じりに零される声は悲しげで、心から母の体調を気の毒がっている様子が窺える。
この人は悪い人ではないのだ――ジュヌヴィエーヴはそう思った。母のことを案じるこの姿が演技だとはとても思えない。
それからしばらく、ジュヌヴィエーヴはジョゼフィーヌに問われるままに、今までの母と自分のことなどを話した。彼女は静かに先を促し、ときに笑みを見せ、涙を見せ、夫が打ち捨てていた愛人親子の生活状況に耳を傾けた。
「あなたとお母様はとても幸せだったのね」
はい、と頷く。
村の人達もいい人達だった。愛人にされた上に身籠らされて捨てられた母を、表立って侮辱したりする人はいなかった。だからジュヌヴィエーヴは今回のことがあるまで、自分が不義の子供であるなどということは知らなかったのだ。
「それでは、手放してしまわれるのは、とてもつらかったことでしょう」
心から同情している口調で零された言葉に、おや、とジュヌヴィエーヴは首を傾げた。
「手放す……?」
訝しんだ口調で零された声に、ジョゼフィーヌも怪訝そうな表情を向ける。
「ええ、そうよ。そういうお話でしたでしょう?」
なんのことかさっぱりだ。ジュヌヴィエーヴは大きくはっきりと首を振る。
ジョゼフィーヌはさっと青褪めた。
「どういうことですか? 私は父親という人に会ったらすぐに帰るつもりでした」
この人が悪くないのはわかっているのだが、どうしても詰問口調になる。ジュヌヴィエーヴは思わず立ち上がるが、眩暈を感じて椅子に座り直す。
落ち着いて、とジョゼフィーヌは言うが、彼女も顔色が悪い。
呼び鈴を鳴らしてメイドを呼びつけた。
「ジャン=ポールを呼んでちょうだい。急いで」
険しい口調で言いつけると、長男はすぐに部屋に戻って来た。
「あなた、この子になんと言って連れて来たの?」
母親からの責めるような口調に、ジャン=ポールは思わず首を捻る。
「父が会いたがっていると伝えました。嘘はついていませんよ」
確かにそう言われた。命令だからすぐに荷物を纏めろ、とも。
「それだけ? どういう理由で連れて来たのか、きちんと伝えていないの?」
普段大人しい母のきつい口調に、ジャン=ポールは僅かに怯むような様子を見せる。その態度にさすがにジョゼフィーヌはピンときた。
「嘘はついておらずとも、説明もなしに連れて来たのなら、人攫いと違いありませんよ! 紳士のやることですか!」
「でも、父上が……」
「お前は三十年も生きてきて、いつまでお父様の言いつけを守って、子供のお遣いをしているのです? 自分で考えることくらいいくらでも出来るでしょうに。情けない」
状況がわからないでいたジュヌヴィエーヴだったが、ここにきてようやく事態を把握し始める。つまり自分は、数日の物見遊山のつもりで出て来たのだが、そういうわけにはいかないようだ。
母親からの追及にたじろいでいる兄をキッと睨みつけ、ジュヌヴィエーヴも迫る。
「どういうことなの、お兄さん。あなた、私が母さんに数日で戻るって約束しているとき、なんにも言わなかったじゃない。騙したのね!?」
「騙してなんかいない」
「勘違いを気づいていて訂正しないのは、嘘をついたも同然だと思うわ」
言い逃れようとする兄を更に問い詰めようとしたところに、父が入って来た。
ジャン=ポールを問い詰めている妻と娘を一瞥すると、父は「騒々しいぞ」と舌打ちした。その態度にジュヌヴィエーヴはますます憤りを募らせる。
「老い先短い余生を家族と過ごしたいから来てくれだなんて、真っ赤な嘘だったのね! なんて人なの」
掴みかからんばかりの勢いで向かって来る娘をうんざりしたように見つめ、父は大きく溜め息を零した。
「小五月蝿い娘だ。誰に似たんだ」
そんな夫の態度にジョゼフィーヌも思わず眉を吊り上げた。
鋭く息を吐いて立ち上がると、冷ややかな目つきで睨み据えながら夫の前へと立つ。
「旦那様。私には、ソレーヌが生活に困窮しているから、娘の面倒を見て欲しいと言って来たと、そう仰いましたわよね? 本当のことなのですか?」
「なんですって!? 私達は裕福ではないけれど、明日のパンに困るような生活はしていなかったわよ!」
ジョゼフィーヌの言葉を聞いたジュヌヴィエーヴは顔を真っ赤にして怒鳴りつける。なんということだ。この男は二つの嘘をついてジュヌヴィエーヴを都に呼び寄せたのだ。
なるほど、とジョゼフィーヌもすべてを理解した。夫は、昔囲っていた愛人が生活に困窮しているので子供の養育を打診してきた、とジョゼフィーヌに説明し、子供を引き取ることの同意を求めてきた。それがソレーヌのことだとすぐに気づいたので快諾したのだが、ジュヌヴィエーヴが語った近況から推測するに、彼女達は生活に困っているようなことはなさそうだったから不思議に思っていたのだ。
そしてジュヌヴィエーヴには、老い先短い余生を一緒に暮らしたい、と情に訴えかけたのだ。なんと狡猾なことだろうか。
十数年前のソレーヌのことがあってから、夫には不信感を募らせてきた。それ故に何年も他人のようによそよそしく過ごして来たのだが、その感情を更に強めざるを得なかった。
「――…落ち着いて、ジュヌヴィエーヴ」
すべてを理解したジョゼフィーヌは、今にも殴りかかりそうになっている少女をやんわりと押し留め、静かに夫と共謀した間抜けな長男を見つめる。
「おかしいとは思ったのですよ。何故、娘だけを寄越して、ソレーヌがこちらに来ないのか……。あの子の性格からして、遠慮をしているのだろうとは思いましたけれど、そういうお話ですらなかったのですね」
妻のその言葉に、父は大きく双眸を瞠る。
「お前……ソレーヌと会ったことがあるのか?」
「妻として、夫の愛妾の把握くらいしておりますとも。全員のお名前を申し上げましょうか?」
ぐうの音も出ずに口を噤んだ夫の顔を見ながら、ジョゼフィーヌは静かに息をつく。
「実の親とはいえ、生まれてからずっと放って置いたのなら他人にも等しい。そんなお嬢さんを勝手に連れ出したのなら、これは人攫いも同然です。愚かなことはおやめください」
男達はジョゼフィーヌの言葉に顔を顰め、反論をしようとお互いに口を開きかけるが、ほっそりとした手がそれを制する。
「ですので、条件を出しましょう。このままこの子を手許に置きたいと言うのならば、ソレーヌも呼び寄せてください。親子を引き離すのは酷です。それが嫌なのであれば、この子はローヌに帰らせてあげることですね」
いつも黙って刺繍をしているような控えめなジョゼフィーヌの強い口調に、男達は意外な心地を抱いて僅かに動揺した。普段ならここで恫喝のひとつも浴びせれば口を噤むことだろうが、今日の彼女は折れるつもりがないようだ。
しばらく思案したあと、悔しげに「ソレーヌを呼ぼう」と父は言った。
そうですか、と頷いたジョゼフィーヌはおっとりと微笑む。
「では、ジュヌヴィエーヴには、しばらくこちらでのんびりしてもらいましょう」
いいですね、と尋ねられ、唖然としながらジュヌヴィエーヴは頷いた。
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