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9 反撃の狼煙は上がる
しおりを挟むジョゼフィーヌの危惧していた通りだった。
まだ葬儀を終えて半月と経たないというのに、これでいったい何人目なのだろうか――目の前で菓子屑を撒き散らしながら楽しげに喋っている男を見つめつつ、ジュヌヴィエーヴは作り笑いを顔に貼りつけていた。
アラン・ルノワのことを生理的に受け付けないらしいということを悟った父は、他の男性達との縁談を仕組もうとしているようだった。問題を起こされるよりは、他の相手を探した方が有益だと考えたのだろう。
ここ数日の間だけで五人目になる目の前の男は、最近材木商を買収した貴族の男だとか。没落していく爵位持ちの者達の中で、よくもそんな大金を持っていたものだ。
見栄えが悪いから喪服を脱げ、と命じられもしたが、血の繋がりがないとはいえ、母親の喪中なのだからきちんと服すべきだ。ジュヌヴィエーヴは頑なに黒のドレスを身に着けていた。
しかし、今日の相手は、その喪服姿が気に入ったらしい。
黒い色はジュヌヴィエーヴの肌の白さを際立たせたし、喪服という不幸の象徴が、年若い少女の細い身体を儚げに見せたからだ。その雰囲気を不謹慎にも褒めていた。
趣味の悪い指輪を嵌めた芋虫のようなずんぐりとした指が、ジュヌヴィエーヴの手を取り、その滑らかな肌を撫で摩る。
「麗しのマドモアゼル・ジュヌヴィエーヴ。今度は是非、我が別荘へとお招きしたい」
男はにこにこと笑みを浮かべながら次回の約束を取りつけようとしているが、ジュヌヴィエーヴは貼りつけた笑みを向けるばかりでなにも答えない。さっさとその脂ぎった手を離して欲しかった。
「それは素晴らしいですな! 別荘というと……」
「もちろん南仏のマルセイユにありますよ。気候もよく、飯も美味い」
「よいですなぁ。なあ、ジュヌヴィエーヴ」
答えない娘の代わりに父が受け答え、同意を求めて話を振ってくる。しかし、ジュヌヴィエーヴは先程と同じように笑みを貼りつけたまま、うんともすんとも答えない。その様は美しい容貌と相俟って、本当に人形のように見えた。
父は娘の様子に薄気味悪さを覚え、申し訳なく思いながら相手と顔を見合わせたが、若い娘は緊張しているのだろう、と相手が好意的に捉えたらしく、険悪な雰囲気になることはなかった。おめでたい男だ。
見合いという名の苦痛でしかないお茶会を終え、なんとか家へと戻らせてもらうと、エティエンヌが手招きしてきた。
「涼しくなってきたし、散歩に行かないかい?」
そのお誘いにジュヌヴィエーヴは双眸を瞠る。
「どうしたの、エティエンヌ? あなたが自分から外出に誘うなんて珍しいわね」
外出に誘うのはほとんどがジュヌヴィエーヴだ。お目付け役として兄達の誰かが同行することが必要なので仕方がないことなのだが、恋人との逢瀬に利用したいアントワーヌから誘われることはあっても、エティエンヌから誘われるのはほとんどなかった。
「まあ、僕も家に籠もりきりはよくないからね。暑さも和らいだことだし、少し歩こうかと思ってさ……付き合ってくれるかい?」
「もちろんよ」
本当は精神的に疲れていて出かける気分ではないのだが、エティエンヌと一緒にいると気分が軽くなるし、いい気分転換にはなると思った。
一緒に帰宅した父はすぐに出かけてしまっていたので、外出することに文句を言うような人間もいない。だいいち、エティエンヌと一緒に出掛けるのだから、なにか咎められるようなこともない筈だ。
「夕方から出かけるなんて珍しいわよね」
兄の差し出した腕を取りながら、ジュヌヴィエーヴは笑った。
そうだねえ、とエティエンヌはのんびりと笑う。
「でも、ほら。今の時期は、日中まだ暑いから」
幼い頃からあまり丈夫ではないエティエンヌは、夏場はよく体調を崩している。暑さに参ってしまうらしい。真冬も心臓の調子がよくないことが多いらしく、雪が降る時期は特に家から出ることはあまりないくらいだ。健康体のジュヌヴィエーヴには彼の気持ちはまったくわからないが、具合が悪そうに青い顔をしている姿は何度も見ているので、とても可哀想な人だと思って同情していた。
既に日暮れの頃だが、秋も近づいて来て涼しい風が出て来ているので、そんなエティエンヌにとっては過ごしやすい環境になったようだ。
「最近、随分と大人しくしているね」
まだまだ多くの人が行き交う通りをのんびりと歩きながら、エティエンヌは妹に尋ねた。
ジュヌヴィエーヴはそんな兄の顔を横目に見て、ふん、と鼻を鳴らした。
「嵐の前の静けさって言葉、知ってる?」
「ああ、やっぱりそうか」
なんとなくそんな気はしていたのだ。いくら義母を亡くして少し気落ちしているからとはいえ、この気の強い妹が、毛嫌いしている父の言うことに素直に従っている姿は異常だ。なにか企んでいるとしか思えない。
ジュヌヴィエーヴはジョゼフィーヌの遺言で受け取ったお金をティボーに預けたまま、密かに家を出る計画を進めている。この二年間、狡猾で猜疑心の強い父には何度も家出を阻まれているので、決してばれないように、細心の注意を払って少しずつ、少しずつ。
そんなひっそりとした行動で進めているので、すべての準備が整うまでにはひと月かふた月はかかる筈だ。勘づかれないようにする為に、父の命令に従っている。反抗的な自分が急に大人しく素直になったならば、裏があるだろうと不審に思い、そちらに注視するだろうと踏んでの策だ。他のことに注意を引きつけさせながら、こっそりと準備を進めているという、単純に見えてとても難しく且つ最も効果的な作戦である。
この計画は信頼を寄せるエティエンヌにすら教えていなかった。黙っていることは少し申し訳なく感じていたが、最近体調があまりよくなさそうだったので、巻き込んで負担をかけるのは控えたいと思っていたのだ。
「僕になにか手伝えることはあるかい?」
相変わらず優しいエティエンヌは、妹に心配げな目を向ける。
大丈夫よ、と微笑み、ジュヌヴィエーヴは兄の腕に自分の腕を絡める。
「今度こそ成功すると思うから」
「そう?」
「ええ。伊達に二十回も脱走を繰り返しているわけじゃないのよ。少しは学習しているわ」
「それもそうか」
エティエンヌは少し寂しそうに笑った。その笑顔に、ジュヌヴィエーヴもほんのりと寂謬感を抱く。
「いつも言っているけど、あまり無茶はしないようにね」
「わかっているわ。ありがとう」
「助けがいるようならいつでも言うんだよ。僕もアントワーヌも、アルフォンスも手を貸してくれるから」
次男のアルフォンスは長男のジャン=ポールと昔から仲が悪い。そんな長男を優遇する父のことも嫌っていて、腹立たしい父と長兄の鼻を明かす為ならいくらでも協力してくれる。その話は直接アルフォンスからも聞いていた。
子供が生まれたばかりのジャン=ジャックに協力を求めるのは無理かもね、とエティエンヌは言う。それもそうだ、と頷き、兄達の厚意に感謝しながら、やっぱり迷惑をかけるのは少し気が引けるとも思う。
結局のところ、五人の兄達のうち、ジャン=ポール以外の四人はそれぞれに父と対立しているし、ジュヌヴィエーヴの味方だ。モンクレーヌ家の男達は、ジョゼフィーヌが中立という立場で静観しつつ、昔からそういう構図だったらしい。
午後六時を報せる鐘の音を聞きながら、ふと気がつくと、見覚えのある住宅の前に立っていた。
何故、と疑問を口にするよりも早く、エティエンヌはその家のノッカーに手を伸ばし、ドアへ打ちつけている。いくらもしないうちにドアは開かれ、中から見覚えのある執事が現れた。
「お待ちしておりました、モンクレーヌ様。どうぞお入りください」
エティエンヌは頷き、茫然としているジュヌヴィエーヴの腕を引いて玄関を跨ぐ。
「駄目よ、エティエンヌ……」
背後で執事が閉めるドアの音を聞きながら、ジュヌヴィエーヴは首を振った。
「どうして?」
「だって……」
まさかひと月程前に、ここの主人にはしたない願いを口にして、しかもそれを拒絶されているので、少し気不味い心地でいるなんて言えるわけがなかった。
黙って俯いてしまったジュヌヴィエーヴの様子に笑みを向けながら、執事の案内に従って居間に通されると、そこには既にギャレットの姿があった。
「こんばんは。少し遅れてしまいまして、申し訳ありません」
「いやいや。こちらこそお呼び立てして申し訳なかったね、エティエンヌくん」
迎え入れてくれたギャレットは微笑み、来訪した兄妹に椅子を勧めた。
ジュヌヴィエーヴはおおいに戸惑っていた。先日のことがあって、いくら図太い神経と物怖じしない性格のジュヌヴィエーヴでも、どんな顔をしてこの場にいればいいのかわからないのだ。そんな彼女へ、ギャレットは何事もなかったかのような態度で接し、紳士的に椅子を示した。
「まずは、お母上のこと、お悔やみ申し上げる」
僅かに痛ましげな表情を見せてギャレットはそんな言葉を向けた。
まったく交流のない家のことでも、慶事や訃報はそれなりに耳に入ってくる。葬儀に参列するほどの間柄ではなかった為、なにも出来はしなかったのだが。
エティエンヌは礼を言って頭を下げた。
「母は生前、あなたと会いたがっていました。叶わずに残念でしたが」
病床でのジョゼフィーヌの姿を思い返しながら、エティエンヌは答えた。
アントワーヌがギャレットの存在をぽろりと零してから、母は義娘が恋をしたという異国の外交官に会ってみたくて仕方がなかったらしい。体調と相談しながら、外出出来そうな日を探しているようだった。
ギャレットはその言葉になにかを察したのか、小さく頷いた。
会話の途切れたそのときに、ノックと共に執事がやって来て、お茶の支度をして下がって行った。その姿を見送り、ギャレットは「今日来て頂いたのは」と本題を切り出す。
「きみに以前言われたことを、わたしなりに考えてみた」
はい、とエティエンヌは微かに笑みを浮かべて頷いた。
「不躾で、難しいお願いだったとは思います」
「ああ。随分と悩ませてもらったよ」
「けれど、わざわざお呼びくださったということは……」
苦笑するギャレットに、エティエンヌは瞳をきらりとさせる。その様子にギャレットは溜め息をついた。
「いや、あまり期待はしないでくれたまえ。まだいろいろとやるべきことはあるし、少し難しい部分もある」
そうですか、と少し落胆する。けれど、望みがまったくないということでもなさそうだ。それだけでもエティエンヌには十分な回答だ。
なんのことだろう、とジュヌヴィエーヴは顔を顰めて首を傾げる。自分抜きで二人が会っていたことにも驚いたが、ギャレットに対し、なにか深く考えさせるような話をしていたことも不思議だった。
「お嬢さん」
二人がいったいなんの話をしたのかと気にかかっているジュヌヴィエーヴに、ギャレットはまっすぐな視線を投げかけた。
感じていた気不味さを遠くに押し遣りながら、はい、と顔を上げる。
ジュヌヴィエーヴの薄青い瞳と、ギャレットの榛色の瞳がかっちりと交差し合う。その様子にジュヌヴィエーヴはどきりとしたが、向けられたその真剣な眼差しに困惑もした。
「わたしと、英国に来るかね?」
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